ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

大阪秋の陣 府・市 維新の会 ダブル勝利

2011年11月27日 21時00分25秒 | Weblog
維新の会の大阪府、大阪市首長ダブル勝利とは予想されたことだが、どうしてそうした政治行動が多数派を形成するのか。


閉塞感を打ち破ることで登場した政治家を思い出すのは小泉元首相だ。その5年の政治行動の結果が格差を拡大し、日本経済の沈下を一層加速したのではないか。小泉改革の結果がいまの日本がある。

そうした現状を「変える」というのが維新の会の今回の訴えだった。橋下さんは若者に向かい「大阪都になれば就職も進む」と訴えたが、就職難を招いたのは小泉政治の1つ結果ではないのか。それを「変える」ことに、同じ手法の橋下さんに期待するとは、本当にとんでもない自己矛盾。それに気づいておられないのか。

なんともはや、気が塞ぐ選挙結果ではないのか。

元来保守票は変えることに後ろ向きだが、その保守票が「橋下さんなら変えてくれる」と待望した。平松さんは何も変えない。変えないというのは保守的なのだが、その変えない側に世間的に言われる革新側が推した。この自己矛盾。

橋下さんの「変えること」を上回る平松さん側の「変えること」を打ち出せなかったところに、はじめから勝負がついていたのではないか。いや、橋下さんの争点に乗りすぎたのだ。

もし大阪に「格差是正デモ」が強烈に起きたなら、人々は小泉改革のウソを見破っただろう。ただ「大阪都になれば就職も進む」と訴えを打ち破る引力を出せるのか。出せずに終わる可能性は十分にある。

「日本一住み良い町 大阪」の平松さんの選挙ポスターはしらけた。もっといいスローガンがないのか。住んでいる人が本当にそう思っていないだろうし、攻める方法はなかったのか。
 
教育基本条例、職員基本条例が施行されるのか。当選の弁で大阪都構想のことを言わずに教育基本条例をあげた。教育の政治介入極まれりだ。
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97歳の詩人のことばから

2011年11月27日 11時00分43秒 | Weblog
昨日午後、詩の言葉の可能性について考えるシンポジウム「現代詩セミナーin神戸」が神戸女子大学教育センター(兵庫県神戸市中央区)で開かれた。詩人という方はほとんど知らないが、今回その真摯なことばとの向き合い方に驚き、日常の生活に流される自分に嫌悪感すら覚えたが、読書欄での書評で詩集が取り上げられたことはほとんどない。読者が少ないからか。詩人が評者になっているのに…。


 現代詩セミナーは4年前から「中原中也 生誕百年記念公開セミナー」として開催され、今回は「今、詩に何ができるか」をテーマ。3・11以降の現代詩の主題を探ったのだが、講演の詩人の佐々木幹郎さんが「どう3・11を共振していくか」と危機を目前に迫った中での峻厳な人間の認識を見据えての指摘はシンポ最後に飛び出した。よくよく考えばそのとおりだ。
 
 シンポでは、岩成達也、高階杞一、高塚謙太郎、細見和之各氏が話合ったが、細見さんが「好奇心」という言葉を出してその使い方をめぐり論議もされた。議論、論点がほぼ調和したパネラー同士の会ばかり聞いていた私には今回の論議は面白かった。異論を闘わして本当の主題が表れる。詩人はその実践をしているのだ。調和のシンポには多分「抑圧する知性」が支配的なのだろう。

 長い前置きになった。読書欄で詩人のインタビューがあったからだ。杉山平一さんの詩集『希望』(編集工房ノア、1890円)ー朝日ー。新聞の見出しに、「何でもないことこそ詩になる」とある。97歳の詩人のことばだ。先のシンポでは高階杞一さんが「易しいことばで難しいことを表現するのは至難」と言ったが、杉山さんは「何でもないことこそ詩になる。世界は言葉によって発見され続け、世界のすべてに詩はあります」とのインタビューのことばが紹介されている。最後の紹介で「コップに水が澄み透っている/それを身体に入れて/もい一辺僕は立ち上がる」とある。ことばの前にある杉山さんは10代の青年かもしれない。
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日曜新聞読書欄簡単レビュー

2011年11月13日 19時03分13秒 | Weblog
日曜日新聞読書欄簡単レビューだが、今回は2紙から紹介する。

アジア遊学シリーズ144冊目というのが田村義也・松居竜五編『南方熊楠とアジア』(勉誠出版、2400円)ー読売ーだ。評者前田耕作あアレクサンドロス大王がアジアを踏み入れたときに、トロイアに次いでゴルディオンを訪れたいきさつを紹介する。アジアの支配者になるためにはゴルディアンで誰も解けない結び目を解くことが目的だ。つた。しかし解けなかった。それだけアジアは多元的だというわけだ。南方はそのアレクサンドロスに比する文明の解読者という前説なのだ。西洋近代の諸学問と遭遇して深める南方の姿を多角的な研究成果で展開したのが本書だ。体系化を拒み総体の手直しを求めたのが南方だという巨人に迫る書である.

 増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社、2600円)-日経ーは佐野真一が評者。木村を育てた牛島辰熊をまず紹介する書評だが、そのれには理由がある。昭和の裏面史が展開されているからだ。1日の段取りをこなした牛島は石原莞爾の『世界最終戦争論』に深く系統した人で、東条暗殺計画を企て逮捕されている。その牛島の教えを受けた木村はイデオロギーは無縁。1日練習10時間、打ち込みは1000回を超えるという。その男がなぜ力道山に負けのか。18年の取材にその答え本書を読むしかない。

しかし10時間の稽古、そして打ち込み1000回なんて想像を超えている。小学4生から柔道をした筆者は、「たまげた」表現だ。だいたい乱取りは7,8本もすればダメ。10時間の練習なんてありうるのか。打ち込みというのは相手を立たせて技を掛けるものだが、せいぜい20-30回くらいだ。息が続かない。木村がなぜそこまでしたのか。また師匠の牛島の内発性はどこにあるのか。700枚の大作にはきっと描かれているに違いない。
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巨人の内紛か、民主主義の変革か

2011年11月12日 07時35分44秒 | Weblog
プロ野球・巨人の清武英利球団代表兼ゼネラルマネジャーが11日、文部科学省で記者会見しては巨人の渡辺恒雄球団会長を球団人事で不当介入したと告発した。

渡辺会長は読売新聞グループ本社の会長で主筆という読売の最高実力者。この渡辺さんを組織内の人が公で批判するのはよほどのことだ。「よほど」の根拠は記者会見を見ると清武さんが口にしていた「コンプライアンス」に違反するということだ。つまり法律をたてにしていることだ。穿った見方をすると、すでに法廷闘争を覚悟したということなのか。

法廷闘争を覚悟して会見するのは組織人として如何なものか、という批判も出るだろうし、単なるお家騒動ではないか、との見方もできるが、こと大マスコミの内部告発だけに「当事者」となった読売新聞はどうした報道をするのか、清武さんの今後はどうなるのか、読売の社内民主主義はどうなっているのかなど、われわれ第3者だけにいろいろな視点で見ることができる。

ストーブリーグでのお家騒動は阪神タイガースのお家芸だったが、東の横綱に移った。いや、全国紙で最大の販売部数をバックに言論で大きな影響力をもつ読売新聞だけに、単なる私企業の人事のもめ事を越えているのだ。

民主主義の実態はなかなか白日のものにさらし出されることはない。なぜなら手続き民主主義が日本では常識化され、その実態はどうなのかなどめったに表に出ない。清武さんの告発は「最高実力者が手続きを破った」というのだから、これは内部で覆うわけにはいかなかったということなのか。

ところが清武さんの上司は冷たく発言を「私とは見解をことにする」と記者会で言い放った。清武さんは読売から「切られる」ということは十分予想される。だからこそ法廷闘争ということなのか。読売内部での勝負はもうついているのではないか。しかし清武さんの告発は「蛮行」ではないだろう。
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