ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

2010年8月アクセスNO.1記事 

2010年08月31日 17時04分21秒 | Weblog
清純派女優が覚せい剤所持で指名手配された。イメージとの落差に世間は驚いている。これと同じような事件が韓国でもあり、人気絶頂にあった女優はその後映画にもテレビにも見かけなくなった。
 
 韓国のドラマ・ホジュンという作品だ。5年前のことだ。ホジュンは朝鮮王朝中期に活躍した医者である。『東医宝鑑』という医学書を書き上げた。漢方薬の本家本元の中国にも、中国、朝鮮の文化を享受した日本にも翻訳され、さらにいまも韓国では本屋さんに並ぶというからすごい。

 ホジュンをめぐるドラマは視聴率50パーセントをこえた。ホジュンの恋人役がその失脚した女優だった。清廉な顔立ちはドラマの人気とともに知られるようになり、彼女は一躍スターとして脚光を浴びた。

その彼女が覚醒剤を使用していたというのだ。人々はそのギャップに驚いた。今回の酒井法子容疑者と同じような構図である。ただ違う点は、今回は中国、台湾でも人気女優だという点だ。東アジアでの清純イメージを体現していたといえる。

 清純とか清楚とか、癒し系とかは、メディアだけが勝手に作るものではない。人々の願望が生みだすものだ。ただそのイメージに作り上げられた当人は、絶えず清楚さを装わねばならない。癒し系の振る舞いをしなくてはならない。それは当人でないとわからない苦痛だろう。

そのことと覚せい剤所持とは結びつくものではないが、何か心のスキがあり「白い粉」に手を出したのか。ホジュンの恋人役だった彼女は、一市民としていま懸命に生きていると聞く。今回の事件がもし本当なら、一市民として、今後、凛とした姿勢で世に立ち向かい立派に生活していくことで、若い時の一時の過ちを見事克服していくことしかない。
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友人Kさんの逮捕の波紋

2010年08月28日 07時40分53秒 | Weblog


 友人Kさんの逮捕の件は昨日書いたが、市民運動のメンバーで警察の不当逮捕を指弾する声とともに、運動団体間で彼を支援する動きがスクラムを組むかたちで進みだしている。

 表現の自由に対する不当な司法弾圧であることはたしかだ。彼の撮影した作品は釜が崎の日雇い労働者権益運動のほか、龍王宮、日本軍慰安婦被害者補償運動、水曜デモ、済州島の4・3事件など数多く、これらを撮影した作品が家宅捜査で押収された可能性が強い。

 逮捕の不当性とともに運動の貴重な記録が押収されたことへの怒りがおきている。「なんとか彼の早期釈放をかちとるとともに、撮影したものが捜査で利用されることになるのか」といらだちを隠せない市民運動スタッフに出会う。

 昨日接見した弁護士からの情報の又聞きだが、彼は心身とも元気だそうだ。それは当然のことで、彼に何ら良心が疼くこなどないからだ。

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友人Kさんの逮捕

2010年08月26日 11時33分42秒 | Weblog
 

 びっくりした。先週金曜日に大阪市立大学の西成区の聞き取りをいっしょにして別れたばかりの彼が二日後に兵庫県警公安三課により逮捕された。


容疑はなんと「免状不実記載」(免許証の住所記載と現住所が異なる)と、「賃貸契約に関しての有印私文書偽造」(いままでの契約書類に書いていた保証人の名前を、更新時に継続して書いてしまったことだけ)の容疑。それも9月1日までの拘留が決まり兵庫県警に留置されている。自由であるべき市民の行動の自由を奪い拘束し、その人の名誉を毀損したとんでもない権力犯罪でないのか。どうして彼が拘束されるのか、さっぱりわからない。


公安警察は公共の安全を守ることが使命で、その役目を否定するとなどない。しかし、彼がどんな公共の安全を犯すことをしたというのか。


 逮捕状を切る裁判所も裁判所だ。どうしてこうした書類上の問題で人間を拘束していいという判断を犯すのか。よくわからない。


私は今週西成区での聞き取りを彼と行うところであり、連絡してもまったく電話に出ないから「また携帯電話を忘れている」とだけ軽く見ていた。しかし、それどこではなかった。友人から彼の逮捕の報を聞いてたまげてしまった。


「逮捕! 彼が! なぜ?」
「いまの日本でこんなことが本当におきるのか」「いとも簡単に逮捕されるなら、私もいつどうなるかわからない」
「こんなこと、治安維持法下の戦前ならわかるが、21世紀のいま本当におきている」


と自問が続いた。


何よりも彼がくやしいだろう。接見した弁護士に聞くと飄々としていたようだが、なぜ逮捕されたか本人もわからないだろう。飄々とするはずだ。狐につつまれたようなことだからだ。身柄を拘束されるようなことが思い当たらないからだ。


彼は今後の生活設計から資格講習を受けていたから、これまでの講習経歴もパー。また不安な生活に突き落とされる。それにしても警察は逮捕して何を探ろうとしているのか。さっぱりわからない。


自宅にあった映像作品も押収された。どうしてこの文書違反行為で家宅捜索礼状が裁判所から下りるのかもよくわからない。「こんな微罪で家宅捜査はできまへんで」「身柄拘束ではなく口頭注意だけでいいのではないの」とは当番判事は言わないのか。いつもこういことが起きると司法の不信が沸々と生じてくる。


彼は昨年の大分・由布院映画祭でドキュメンタリー作品賞を受賞した。釜が崎での住民票問題を追った作品だ。さらに第2弾も今年中に完成させたいと言っていた。しかし、今回の逮捕は映像活動への何よりも圧迫になる。表現者が結果として萎縮することにもなりかねない。表現の自由にかかわる明らかな弾圧である。21世紀のいま、戦前とはあまり変わらない部分が底流に脈動している。
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辻元清美議員の離党問題をどうみるか

2010年08月25日 22時11分00秒 | Weblog


 辻元清美衆議院議員の社民党離脱をどうみるのか。昨日大阪での友人たちの集まりで議論になった。


 24日の毎日新聞朝刊に離党の理由を記す記事が出たが、「辺野古を書かない」という彼女の論が政府与党の内部での根回しで進んだが、「辺野古はノー」という党首の選択は、辺野古明言を逆に浮上させたーとも読める記事だった。その無力感が離党の1つだとも付言していた。


 しかし革新のスターでもあった彼女が、本当に権力に擦り寄るという断言ができるのか。私はそうは思わない。もし民主に行くことになれば、これは本当の党へのしっぺ返しと思うのだが、どうだろうか。そういう行動をとれば、ただの民主党議員になってしまう。そのことを彼女は自覚していると見る。


 野党である社民のままにいけば大阪10区での戦況は、当然民主候補者をたて有利に展開される。辻元議員の不利は当然予想され、勝つための戦略としてとったのが離党という行動という側面もある。ただ次期総選挙を見据えていることはたしかだ。


 沖縄知事選ではどうした影響があるのか。社民の側からすれば「ごたごた」が社民でおきていると見られてマイナスと受け止められるという側面から、辻元離党の行動があまりのも早すぎるという声も聞いた。


 新たな政界再編がおきるかもしれない。このときに辻元議員はどうした動きを見せるのか。不確実だらけの政治の世界だが、肝心なのは市民権ー平和に安心して暮らせる権利をどれだけ永田町の論理ではなく日々取り組むことだろう。それが羅針盤として生きづく人を応援したいし、ともにスクラムを組みたい。

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暑いだけ! 

2010年08月23日 23時05分27秒 | Weblog
 東京で仕事をして戻ったが、新幹線では寝るだけ。暑いから体力を消耗しているのだろう。意外とすいていた。

 国会議員会館を回ったが、空港並みだ。荷物の金属探知機での検査は厳重だった。自分も金属類をはすずして検査を受けねばならなかった。えらい時代になったものだ。奈良選出の議員にもあった。

 会館内は快適の冷房だった。歩いた距離は仕事のため10000歩を越えたのだから相当のものだ。

 時間があれば国会図書館に調べ物をと考えていたが時間なく断念。先輩のジャーナリストと少し会う時間があったが、学生時代からの記事がデーター化されるらしい。楽しみだ。


 
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追加 日曜新聞読書欄簡単レビュー

2010年08月23日 07時32分35秒 | Weblog
東京新聞は梁石日『めぐりくる春』(金曜日、2100円)を紹介している。朝鮮人慰安婦金淳花の物語だ。日本軍姓奴隷問題は戦後補償問題として未解決の問題として政治問題化しているが、梁は倫理的・良心上での追求ではなく、植民地下された側からの加害者日本人への「政治的・思想的な批判のまなざし」(評者山崎行太郎)を展開している。昨日は東京・豊島公会堂での「韓国併合100年」の集会を取材したが、元慰安婦被害者の証言があった。彼女は写真をとらないという約束で証言をひきうけた。韓国では証言でメディアに登場したことがないという。87歳になる被害者も恨(ハン)は癒されることはないことを500人をこえる参加者に印象つけた。過去の問題と同時に未解決ゆえに、また人間の尊厳を奪い回復する手立てを講じて来なかっただけに現在の問題でもある。梁はこの作品でどう迫ったのか。


 数土直紀『日本人の階層意識』(講談社選書メチエ、1680円)ー東京ーは、階層意識に気づいた日本人は自覚的、自由に社会判断を下すことができるようになったと説く(評者橋本健二)。いままで中流意識に覆われていてそう思っていたのが変化したことをいう。社会の格差構造をより正確に認識するようになったことの政治的意味をこの書で明快に展開している。
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日曜新聞読者欄簡単レビュー

2010年08月22日 09時50分13秒 | Weblog
  佐藤優が盛んにふれている柄谷行人の最新の著『世界史の構造』(岩波書店、3800円)ー日経ーが書評に登場した。柄谷といえば世界共和国を指向しする視点から『世界共和国へ』(岩波新書)をはじめこれまで一貫して現代社会の限界をこえるべく著作を生みだしている。その課程で登場した本だが、初期にカントの永久革命についての論考を『倫理』という本で書いていたことを覚えている。今回はそのカントの永久革命論をベースにして世界史を包括的経済現象を分析、論の展開のベースとしている。その基本は以下の3つだ。①交換様式A(互酬=共同体)②交換様式B(略取と再配分)③交換様式C(商品交換=資本主義)。この交換様式の交換として世界史の構造を分析する。評者井口時男によれば交換様式Aの高次元における回復としての交換様式Dを世界史の理想とするカントがいう統整的理念として掲げるのだ。古代から現代への世界史の分析を柄谷が歴史論を整理して批判的に再統合している。「世界同時革命」がロマンチシズムではなく、空想的理想主義でもなく、現実的課題として示したところに本書のおおいなる成果がある。

 世界史の把握ではレザー・アスラン『仮想戦争』(藤原書店、3000円)ー日経ーもその現代解析の1つとしていちずけられる。9・11の分析でもある。民族や国籍への帰属が薄れ宗教への傾斜がなぜいま強いのかをこの本から読み取れる。神の意志にのっとって悪と戦う「仮想戦争」。なぜバーチャルな信仰共同体帰属が強くなったのか。イスラムへの排斥が帰属意識の真空状態を倍加さえ、危機に直面する若者の強い傾斜を生む。悲憤の源をこの書で改めて知る。

 近世仏教の評価を示したのが末本文美士『近世の仏教 華ひらく思想と文化』(吉川弘文堂、1785円)ー朝日ーだ。堕落した仏教というイメージで近世仏教を見がだが、豊かな世界を生んでいたのだ。黄檗宗が江戸初期に中国から伝わり仏教が活性化された。儒教文化が主流だととらえる江戸時代の定見に疑義を示す。黄檗宗に刺激を受け多様性と世俗性が重視される仏教が発生する。書画、茶道にも影響した。木版印刷の普及は大蔵経の普及を生んだ。豊かなる江戸時代の仏教を考えてもみなかった。近代仏教をテーマに歴史の見直しをこの書が迫っている。評者は中島岳志。(文中敬称略)

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夏は肥える

2010年08月19日 11時27分12秒 | Weblog
 恒例のことだが、毎夏、体重が増える。昨日など携帯電話の機能の1つである歩数計では、2万歩を歩いたが、これがまた500グラムは体重増。どういうことなのか。

 会議のため弁天町から事務所まで往復。それから大阪駅から地下鉄中津まで往復。さらに堺筋本町から谷町4丁目まで往復。自宅と駅まで片道歩いて、これでかなりの運動量。しかも炎天下である。それでも体重が増える。

 人間の体は80パーセントが水分だそうだから、水分摂取が多いのかもしれない。しかしう水をとらないと干上がる。この暑さは何なのか。ひどい。亜熱帯だ。

 なぜミクロネシアの人たちは肥えているのか。水分と関係しているのか。自分とどうしても比較してしまい、同類だと思いがちになるから、恐ろしい。しかしめげずに今日も歩く。大阪市生野区に行かねばならない。

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パソコンの不調ー自然治癒の部分も

2010年08月18日 07時44分00秒 | Weblog
 パソコンの画面の背景が真っ黒になり、場面が横の位置ではなく縦位置に。このため画面を見るのにクビを90度曲げてみないといけなくなり、その姿勢を継続できz、デイスプレーを90度回転させた。

 ちょうどデスプレーが真横に倒れた格好だ。昨晩までは文字が入力できず午前2時の段階で修正を断念したが、朝起きると自然治癒していた。しかし縦位置の真っ黒な画面は修正できない。自然治癒というのがパソコンにはたしてあるのか。こちらが都合よく解釈しているだけかもしれない。

 だいたいこの画面だと右側20パーセントは見えない。横表示の画面では文字が打てrのでこの縦位置のデスプレーを真横に倒した画面のまま続けるが、いつまでもこれではフラストレーションがたまる。だいたい日本でパソコンのデスプレーを横に倒して画面が縦だから使えるようなケースで仕事をしてる人はいないだろう。

 困ったものだ。ただ文字が打てるのが救いだが、送付先にご迷惑をかけてはいないだろうか。真っ黒な背景になるなどないだろうかと少し心配だ。
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運転免許の切り替え

2010年08月17日 17時40分25秒 | Weblog
運転免許の切り替えで奈良県橿原市の運転免許センターに行った。

 免許証にICチップが埋め込まれ、暗誦番号を2つ登録し、更新時にはその番号で登録しなくてならない。偽造免許防止のためだそうだ。

 一方で本籍地は免許証に出ない。空白のままだ。今年中にはその本籍欄も免許証からなくなるという。プライバシー保護のためで、免許証交付までの時間を待つ間の講習では、講義の教官が何度も「プライバシー保護」を言った。時代が変わったものだ。

 しかしこのチップが免許証に埋め込まれていることは、所持者の現在地がわかることではないのか。それくらい出来るだろう。するとプライバシー保護が一方で貫かれながら、一方では管理する社会が出来上がっているのではないか。

 電子情報化時代は人間にとっていい時代なのか、しんどい時代なのか。こういう従来の価値判断が崩れて新たな価値に依拠することが求められる時代こそ、単純明快なものが求められる。過去の歴史をひもとけば、同じようなことを繰り返してきたから、だいたい予想出来る。
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菅総理談話をどうみる 各紙の報道から

2010年08月12日 09時06分05秒 | Weblog
菅総理談話についての新聞報道で一番大きく扱っていたのが産経新聞だった。否定的評価を並べての編集はすごい力の入れ方だ。「謝罪はそろそろもういいのでは」との文言を見出したのは、意外と朝日新聞の天声人語だった。謝罪外交と非難する声が継続され主張し続けてきた保守派の論調は、革新的と言われたメディアの書き手にまで影響するということか。

ただ朝日は日本軍慰安婦問題解決の論及がないとの大阪の市民運動の声を入れていたのは慧眼だろう。しかし第2社会面の2段記事だから傍流扱い。それより民主の政局の動向を菅総理談話でどう波紋がおきたかを特集。読者の関心は朝鮮王朝関連文書の返還の意味を掘り下げてほしいことだが、突っ込んだ記事は各紙ともなし。

しかしこれは意外と大きいのだ。日韓条約で解決済みという従来の視点に風穴をあけたという面と、36年の植民地支配問題の具体的中身として未解決に向けた取り組みを始めた事例というべきだろう。つまり日本政府としての植民地支配で生じた問題解決でその課題に背を向けるのではなく、まず文書返還から行動に移したと見るべきだろう。政権交代の成果だろう。

この種の問題で続くのは、同じ有形文化財の返還問題、未解決の日本軍慰安婦問題の解決への取り組み、遺骨返還など。ここで1876年の日朝修好条規以降で生じた問題なども視界におさめる芽が出てきたともいえる。

産経報道では日本軍慰安婦問題で法的解決の動きがあると書いていた。他紙ではない情報だ。産経の慰安婦問題、戦後補償問題、在日外国人の権利問題、北朝鮮問題での報道姿勢に本当に落胆と怒りを覚えることがあるが、しかし新たな情報を知れるのも事実。ただ今回の紙面展開には民主党政権が過去史清算で動き出していることへの「あせり」を読み取るのだが。
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菅総理談話発表される

2010年08月10日 13時43分53秒 | Weblog
 内閣総理大臣談話が発表された。戦後補償問題や朝鮮半島の北側の国。朝鮮民主主義人民共和国との関係についての論及はない。談話の全文は以下のとおりです。


 本年は、日韓関係にとって大きな節目の年です。ちょうど百年前の八月、日韓併合条約が締結され、以後三十六年に及ぶ植民地支配が始まりました。三・一独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。  私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います。痛みを与えた側は忘れやすく、与えられた側はそれを容易に忘れることは出来ないものです。この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします。  このような認識の下、これからの百年を見据え、未来志向の日韓関係を構築していきます。また、これまで行ってきたいわゆる在サハリン韓国人支援、朝鮮半島出身者の遺骨返還支援といった人道的な協力を今後とも誠実に実施していきます。さらに、日本が統治していた期間に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらをお渡ししたいと思います。  日本と韓国は、二千年来の活発な文化の交流や人の往来を通じ、世界に誇る素晴らしい文化と伝統を深く共有しています。さらに、今日の両国の交流は極めて重層的かつ広範多岐にわたり、両国の国民が互いに抱く親近感と友情はかつてないほど強くなっております。また、両国の経済関係や人的交流の規模は国交正常化以来飛躍的に拡大し、互いに切磋琢磨しながら、その結び付きは極めて強固なものとなっています。  日韓両国は、今この二十一世紀において、民主主義や自由、市場経済といった価値を共有する最も重要で緊密な隣国同士となっています。それは、二国間関係にとどまらず、将来の東アジア共同体の構築をも念頭に置いたこの地域の平和と安定、世界経済の成長と発展、そして、核軍縮や気候変動、貧困や平和構築といった地球規模の課題まで、幅広く地域と世界の平和と繁栄のために協力してリーダーシップを発揮するパートナーの関係です。  私は、この大きな歴史の節目に、日韓両国の絆がより深く、より固いものとなることを強く希求するとともに、両国間の未来をひらくために不断の努力を惜しまない決意を表明いたします。 平成二十二年八月十日

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メディア・ウオッチング 電子メデイアの有料化、新聞の無料化

2010年08月10日 10時02分21秒 | Weblog

 ネットの情報http://ukmedia.exblog.jp/14786146/によるが、イギリスの新聞の発行部数の落ち込みが尋常ではないそうだ。1か月で10パーセント以上の落ち込みだそうだ。それも高級紙といわれる新聞でおきている。


 日本の新聞の落ち込みはいまさら言われることではない。イギリスのような事態は当然覚悟しなくてはならない。次に来る段階だが、電子情報が主流になるとどうなるのかである。「電子情報媒体をもし有料にするなら紙媒体は無料に」という乱暴な話もある。


しかしこれも笑えない話だ。電子媒体が主流になれば、紙媒体は附属になる危険性があるからだ。電子媒体に経済的価値をつけるには、有料化の道を進むしかない。その同じ情報が掲載されている紙媒体は無料か、有料かの選択を迫られることになる。I-PADの産経新聞UEB版の逆になる。そういう時代が来る可能性がある。多分そうなるだろう。紙媒体の無料化、電子媒体の有料化。


そこで考えねばならないのは新聞の無料化である。前日の主なニュースを掲載したフリーペーパーが日本では読めない。新聞業界の「既得権」で歯止めをかけているからだ。韓国ではフリーペーパーでニュースが読めるから、地下鉄車内では新聞を読む人がほとんどいなかった。7月の訪韓でその姿を目の当たりにした。予想された事態が意外にも早いかもしれない。

 しかし、一気に無料化の危機に瀕するときが必ずくる。そのことをいまから考えておかないと、危機に直面しても何ら有効な手を打てないことになる。結局、日本は既得権益で情報時代の未来を考える上で透明化した実態が表に出ず、対策が後手後手になるのではないのかという事実だけは指摘しておきたい。日本の改革の緩慢さは既得権益が根強いことと深く結びついている現実を肝に銘じたい。

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日曜新聞読書欄簡単レビュー

2010年08月08日 17時35分11秒 | Weblog

テリー・イーグルトン『宗教とは何か』(青土社、2520円)ー朝日ーから紹介しよう。1か月前のこのコーナーで「宗教関連の著作が書評でよく紹介されるようになった」と指摘したことがあるが、それには背景がある。ポストモダンな現代思想では関心をもたれなかったのが神学だったが、いまや流行になっているというのである。著者はイギリスのマルクス主義者。普遍宗教が「抑圧された者ったちのための息がある」(評者柄谷行人)というのだ。つまり普遍宗教には社会主義の核心となる倫理性が開示されていると見る。リチャード・ドーキンズ『神は妄想である』で展開した宗教の非科学的妄想への批判の論調と同一線上にあるのだが、宗教の擁護が社会主義の擁護となるところにいまの時代の混迷性を読み取る。またそういう根源的時代いんいまあるのかもしれない。


宗教に関連する書では毎日が掲載したハーペイ・カーケリング『巡礼コメディ旅日記』(みすず書房、2730円)だ。著者はドイツの有名なコディアン。37歳のときに大病をえて一念発起、神とは何か、自分とは何かを問い800キロに及ぶ聖地巡礼に赴いた。その日記である。途中に様々な体験が神と自分と向き合うことを示す。それは過酷な道を歩くことで宇宙感覚を実感したりする。また巡礼広範には無二の友ともいえる女性2人と出合う。ここでは性差を超えている。巡礼の旅に誘う快著と評者井波律子は書いている。


評者保阪正康が「被爆地広島、長崎を論じ従来の書のすべてを超えている」と評した書が奥田博子『原爆の記憶 ヒロシマ ナガサキの思想』(慶応義塾大学出版会、3990円)ー朝日ーだ。なぜ保阪をしてそういわしめたのか。「原爆体験や被爆の記憶に耳を傾けるときの〈きく〉という姿勢について「聞く」始まり、「聴く」ことで言葉にならぬ意味を読みとり、「訊く」で能動的にききだし、被爆者の心の奥底に残っている記憶との共有が可能になる」と評者は書く。歴史は過去の記述ではなく、現在の再構築という視点んz、人間性の回復を意味する。人間性の回復という抽象的な言葉で終始するのではなく、それは「私が戦争を奪った未来を想像する力おwもつことだ」という著者の言葉が紹介されている。傍観者ではなく文明に取りこまれながらも誰もがヒバクシャとして歴史の中に立ちすくしているという評者の言葉が本の核心を表現している。それは「原爆を生み出した人類史の中で被害を受けた人たちの精神と思考に寄り添っていく」方法で、しかも感傷や通俗的なヒューマニズム一線を画するのだ。

 田中純『イメージの自然史』(羽鳥書店、3600円)ー日経ーは、収集した図形、写真、映画など、横断的にイメージを追いかけて原型の伝播や変容を考察する。テーマが自然史なのだ。1920年代に試みられた図像学的分析のプロジェクト「ムネモシュネ」(記憶の女神の意味)の方法で21世紀からみた歴史の深層を発見する。『リヴァイアンサン』の扉絵から、アンデルセンの『人魚姫』、古代バビロニアの神話、日本の人魚のミイラなどに連鎖していく。ダーウィンの進化論が歴史のイメージに刻印した残像を拾ったり、身振りの解説、都市イメージ論などが考察される。(文中敬称略)
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沖縄戦「慰霊の日」の菅首相発言「感謝する」の問題点をついた出色のNHKラジオのコメンテーター(下)

2010年08月04日 07時28分34秒 | Weblog
  ラジオを中で山田さんはクリントン挨拶で感情的もつれは回避したが、残念なものだったとコメントした・それは「沖縄の基地負担を軽減さしたい」と名言しなかったからだ、という。山田さんのコメントはあくまでも沖縄県民の願いに根ざしたコメントであり、メディアにあまた登場したコメントにはない沖縄からの視線を強烈に維持したコメントだった。これをNHKラジオが放送した姿勢は素晴らしい。当然のことが素晴らしいと評価するのが実になさけないことだが。


 ところがである。菅首相は慰霊の日(今年は6月24日)の挨拶で「感謝する」と発言したのである。沖縄の人にとって感謝するはないだろう。メッセージは「基地負担をなくす」とメッセージを送るべきだと考えるのが当然で、山田さんはクリントン訪沖の舞台裏を体験した人だけに菅挨拶が沖縄の人たちをイライラさせた事実を紹介した。こうした事実を私は知らなかったが、菅首相の挨拶は「銃剣とブルドーザー」で占領してきた在沖米軍基地の「歴史」の重みがみえてこない。菅首相の挨拶の問題点は実は歴史的なところ熟慮してくれば「感謝する」発言はおそらく口に出ないだろう。沖縄の人たちにイライラは「感謝」で募る一方であったことはまず知らねばならない。第3者的に「感謝する」はないだろう。この沖縄の苛立ちを指摘した山田さんの解説は実に鋭い。


 山田さんの解説にはなかったが、「感謝する」は、実に上から目線ではないのかと思う。上からもの言う感じを受ける。そのことが「感謝する」発言での反発も買う一因だろう。

 
 番組の最初のところで山田さんは「沖縄問題という言い方はおかしい」と疑問をていした。「沖縄に問題があるわけではなく、日本問題だ。日本全体が取り組まねばならない日本問題だ」とあげた。青年のような瑞々しいイ指摘だが、これはいろいろな問題で指摘され、ついついネグレクトしがちだ。しかし最初に押さえねばならない点だ。この原点をコメントする人は意外と見当たらない。


 日本全体が取り組む沖縄の米軍基地問題の解決は短期、長期の目標を決めて全力で突き進むことだ。ラジオの話題から飛ぶが、菅首相の2日の予算委員会での発言ではそれが希薄だった。是非懸命に取り組んでいただきたい。

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