ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

2009年12月アクセスNO2記事 辻元清美衆議院議員の社民党離脱をどうみるのか

2011年07月29日 11時16分44秒 | Weblog
 以下の予測はもろくも崩れた。私の甘い見方を露呈して恥ずかしい分析だが。昨年8月のアクセス№2記事

辻元清美衆議院議員の社民党離脱をどうみるのか。昨日大阪での友人たちの集まりで議論になった。


 24日の毎日新聞朝刊に離党の理由を記す記事が出たが、「辺野古を書かない」という彼女の論が政府与党の内部での根回しで進んだが、「辺野古はノー」という党首の選択は、辺野古明言を逆に浮上させたーとも読める記事だった。その無力感が離党の1つだとも付言していた。


 しかし革新のスターでもあった彼女が、本当に権力に擦り寄るという断言ができるのか。私はそうは思わない。もし民主に行くことになれば、これは本当の党へのしっぺ返しと思うのだが、どうだろうか。そういう行動をとれば、ただの民主党議員になってしまう。そのことを彼女は自覚していると見る。


 野党である社民のままにいけば大阪10区での戦況は、当然民主候補者をたて有利に展開される。辻元議員の不利は当然予想され、勝つための戦略としてとったのが離党という行動という側面もある。ただ次期総選挙を見据えていることはたしかだ。


 沖縄知事選ではどうした影響があるのか。社民の側からすれば「ごたごた」が社民でおきていると見られてマイナスと受け止められるという側面から、辻元離党の行動があまりのも早すぎるという声も聞いた。


 新たな政界再編がおきるかもしれない。このときに辻元議員はどうした動きを見せるのか。不確実だらけの政治の世界だが、肝心なのは市民権ー平和に安心して暮らせる権利をどれだけ永田町の論理ではなく日々取り組むことだろう。それが羅針盤として生きづく人を応援したいし、ともに
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2010年8月アクセスNO1記事 パソコンの不調ー自然治癒の部分も

2011年07月28日 08時49分12秒 | Weblog
 パソコンの画面の背景が真っ黒になり、場面が横の位置ではなく縦位置に。このため画面を見るのにクビを90度曲げてみないといけなくなり、その姿勢を継続できz、デイスプレーを90度回転させた。

 ちょうどデスプレーが真横に倒れた格好だ。昨晩までは文字が入力できず午前2時の段階で修正を断念したが、朝起きると自然治癒していた。しかし縦位置の真っ黒な画面は修正できない。自然治癒というのがパソコンにはたしてあるのか。こちらが都合よく解釈しているだけかもしれない。

 だいたいこの画面だと右側20パーセントは見えない。横表示の画面では文字が打てrのでこの縦位置のデスプレーを真横に倒した画面のまま続けるが、いつまでもこれではフラストレーションがたまる。だいたい日本でパソコンのデスプレーを横に倒して画面が縦だから使えるようなケースで仕事をしてる人はいないだろう。

 困ったものだ。ただ文字が打てるのが救いだが、送付先にご迷惑をかけてはいないだろうか。真っ黒な背景になるなどないだろうかと少し心配だ。
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北見秀司さんという哲学者

2011年07月25日 22時26分35秒 | Weblog
 北見秀司さんという今年51歳になる哲学者がいる。

 彼の本は読みやすい。というのは哲学は概念の連連鎖だが、この連鎖に多くの読者が閉口してまい、いったい何が書いてあるのかわからなくなる。

 ところが北見さんは概念を不明のままにしておかない。説明を平易に書いて次に進む。『サルトルとマルクス』でもそうだし、サルトルの小論でもそうだ。

 大学で北見さんのサルトルの小論を解説したが、私の説明がよくないのだろう。反応はいまひとつ。

 この小論は来るべき民主主義を説いているのだ。その原型はサルトルにあるというのだから、もう一度、人文書院の本を取りだし格闘すべきだろう。学生時代は単なる実存主義の傾斜から手にしただけで、何もわかっていなかったのだ。

 サルトルの実存主義が「ポスト・モダンのポスト」だという北見さんの最後の締めには驚いた。古びていないのだろう。

 
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今年後半は5冊刊行

2011年07月24日 09時52分33秒 | Weblog
今年後半は単行本が5本ある。仕事は先送りというのではなく、7月に入り急に浮上した。

さてこなせるかはわからない。しかし著者と約束した以上は責任を果たさないといけない。

前半の最大の懸案だった本が昨日届いた。やれやれだ。

夏は仏事が重なり身動きできない。お盆も例年通り。日曜たんびに田舎の出向く日が続く。今年の夏は意外としのぎやすいのかもしれない。

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日曜新聞紙読書欄簡単レビュー

2011年07月24日 09時49分28秒 | Weblog
 ドイツの作家・思想家エルンスト・ユンガーが残した『パリ日記』(月曜社、3990円)-毎日―の最後のくだりがすごい。「日記は読書日記でもあり、大知識人ユンガーの思想的遍歴を辿る上でも貴重な資料となっている。訳者は七年前に脳梗塞(こうそく)で倒れ、介護ベッドで翻訳を完成したが、出版社が後込(しりご)みしたために三〇部だけ自費出版。本書はその再刊である」。訳者山本尤の執念がこの書を生んだ。
 ユンガーは一九九八年に一〇三歳で没した人だが、第一次大戦の苛酷な体験を『鉄鋼の嵐の中で』で肯定的に描いてデビュー、反ナチの立場で描いた『大理石の断崖の上で』で知られてもいる。第二次大戦下ではパリの参謀本部で軍とナチ党の確執を巡る関係資料収集の任務を行い、一九四一年二月から一九四四年八月までパリで暮らした。この書を鹿島茂は「占領下のパリの詳細を知りたいと思う者にとって長らく翻訳が待たれていた第一級の資料である」と評価している。
 ユンガーはさまざまな作家と出会う。コクトーは「正午、シャルル・フロケ通りのモランのところ。そこでガストン・ガリマールとジャン・コクトーにも会う。(中略)コクトー。好感のもてる人物だが、同時に、特別の、何とか快適に住める地獄に留まっている人物が抱くような苦しげな悩みを抱いている」。セリーヌは。「彼【セリーヌ】はわれわれ兵士がユダヤ人を射殺しないこと、絞首刑にもしないし、絶滅させることもしないことに奇異の念を抱き、驚いていると言う。(中略)こうした人間はただ、一つのメロディーしか聞く耳をもたない。しかしそのメロディーは異常なまでに迫力のあるものである。彼らは鋼鉄の機械であって、解体されないかぎり自らの道を辿(たど)る」。そのほかポール・モラン、マルセル・ジュアンドー、ブノワ=メシャンなどの記述がある。しかし作家だけではなく、最も親しかったのが古書店主であり、頻繁に登場するのが女性である。鹿島が引用した文はで「私は女性との精神的な出会いに喜びを見いだすためにこの歳(とし)まで生きて来たといわねばならなかった」。パリジェンヌをこよなく愛したのがユンガーなのだ。本書には戦争の残忍さを聞いたユンガーやヒットラー暗殺計画も知る。計画関与は免れたが、日記での記述は実に生々しい。訳者が病に倒れて7年、ここに多くの方に読まれる書として登場したことに敬意を表したい。

 林壮一『オバマも教えないアメリカ』(新潮新書、735円)-毎日―は現地で高校教師を務めた経験をもつ著者が取材したアメリカのもうひとつの姿だ。登場人物が苦しみの底で、どこか幸せを握りしめるーと評者は書いている。アメリカを否定も肯定もしないが、著者は子どもにはアメリカ国籍を持たせようとしたと紹介している。アメリカえお否定しはしなかったというメッセージだろう。


 室謙二『天皇とマッカーサーのどちらが嫌い』(岩波書店、2205円)ー朝日ーもアメリカを描いた本でもある。前述した本でも子どもにアメリカ国籍をとらしたと書かれていたが、室の朝日の紹介記事(著者に会いたい)でもこう答えている。「アメリカには、非アメリカ的アメリカを維持する態度があった。非日本的な日本人としてそのまま日本に暮らすよりも、アメリカで暮らす方がずっと楽だったんです」。日本からもアメリカからも独立した人間の自由な精神のありようを描いたのが本書だと紹介されている。日本に住み続けているわれわれの陥穽をこの本で知ることができるかもしれない。

 開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社、2310円)ー朝日は、大半が3・11以前に書かれた。受動的な存在を否定するところにこの本の大きな主張がある。書評では「中央と地方」「戦後成長」をキーワードに書かれているとある(評者上丸洋一)。福島県の女性のインタビューが引用されている。「出稼ぎに行って、家族ともはなれて危ないとこ行かされるのなんかよっぽどいいんじゃない」。あわせて書評では水上勉のエッセ「『原発の若狭』のこと」の文が引用されている(『原発切抜帖』所収)。

 デイビッド・ヒューム『道徳・政治・文学論集 完訳版』(名古屋大学出版会、8000円)ー読売ーで紹介された所収エッセーは是非読んでみたい。「厚顔と謙虚さについて」「人間の本性の尊厳ないし卑しさについて」。前者は才能をこれみよがしに見せる厚顔人士に対してそれを隠す自然な傾向がある謙虚人士をあげる。最後に厚顔人士は恥は恥を呼ぶことで空しく装うのであるという。後者は賢明や有徳は知恵や美徳の質の度合いにかかわるものではなく、或る人との比較作業から生まれると説き、賢人はいないと断定することは実際に何も言っていないことに等しいと。高い知恵をもつ人は必ずいると山内はヒューム流に言う。無政府状態の日本をもう一度文明社会にと。評者山内昌之は菅首相に絶望しているらしい。静かに日本の政治を反省する本、そして勇気を与えてくれる本として紹介している。
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著作権に無関心

2011年07月20日 07時29分52秒 | Weblog
 意外と書き手、撮り手以外は著作権に無関心だ。

 最近もそういうことを発見して、その事後処理をしなくてはならない。

 剽窃ということばがあり、これをした作家はいっぺんで信頼を失う。著作権が命の書き手がやるのだから、それは信頼失墜も仕方がない。

 ただ著作権ばかり言うと嫌になる。そういうものなのだ。音楽関係はすごい。

 さてどう今の問題を解決するか。頭が痛い。
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ある友人の死 思い出すこと

2011年07月19日 23時03分05秒 | Weblog
さらに友人のことを書く。

 あの20代の日々とは何だったのだろうかーと映像が次々と浮かぶ。

 大きな西洋料理用の釜を自宅に用意してシチューをつくったり客人にふるまったり。大きなメデイアを辞めたあとは、四国で暮らしたり。そういえば急に年若い友人を連れてきたことがあった。運動家のタマゴだったが、いまではどうしているのか。

 それからほどなくして新大阪で店を出し、人のいい私は開店祝いに出かけた記憶がある。なかなか繁盛していた。

 東京に移ってからは、コンピューターの仕事もしていた。ポケットベル全盛の時代だから、随分前のことだ。機械オンチの私には真似できないすご腕と感じた。

 彼の家にもよく行った。閑静な住宅街に住まいして、羨ましい限りだった。

 それがどうして家を出たのか。こちらが遠慮して聞かなかった。そこがいかん。私が。いつも引いてしまう。いつも後悔する。

 会うたびに痩せてきた。かって90キロはあった彼とはとても思えなかった。また遠慮して聞かない。近況を根掘り葉掘り。いつも後悔する。

 それが今月8日に公園で倒れていたというのだ。時々電話をしていたが、電話は通じた。彼は元気だと錯覚していた。持ち物から彼の連絡先がわかったらしい。さぞかし驚かれたろう。遺家族は。

 彼は根っからの唯物論者で無神論者だったのかもしれない。しかし、あまりにもあっさりしすぎではないか。
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ある友人の死

2011年07月13日 22時41分40秒 | Weblog
 東京の友人のパートナーから電話が入った。夫が死んだと。私とは30年来の友人で、10年以上も前に家族を残して出て、どこに住んでいたのかは一切言わなかったが、パートナー、子どもとは時々会っていたという。この8日朝、公園のようなところで倒れていて警察から彼女に連絡が入ったというのだ。なんということか。朝の運動でもしていたのか。

 私にも、住んでいるところも、何をしているかも会っても言わないのだから、東京で会ってもだんだん話しが弾まなくなった。私が仕事を紹介することもできないので、何かできれば会うことも頻繁だっただろうが、そういうこともなく、時だけが過ぎていった。

 昔は随分体格がいい男だったが、どんどん痩せてきて、ひげも蓄えていた。ただ彼の代名詞である肥満がとれて健康にはいいと、好意的に解釈していた。しかし、こうした訃報を聞くと、そうではなかったのかもしれない。
 
 才能豊かな男で、体力もあった。大きなメディアの組織を辞めてもやっていける自信があったのだろう。しかし、夢は叶うことなく、60代半ばで無念の死を遂げた。なんということか。朝ランニングでもしていたのか。スポーツウエアーを着ていたという。

 豪快な笑いだけがいまも鮮明に残る。20代後半の一こまがいまは呆然と蒸し暑い夜に浮き上がってくる。幻のようだ。彼の走り抜けた人生も。
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夏の珍客とカフカの『変身』

2011年07月01日 12時50分04秒 | Weblog
 突然1日の午前3時、「キャー」という声が家族から上がった。夏の珍客?の報だ。

 珍客とは「ゲジゲジ」のこと。居間で片付けをしている家族の背後からニョキニョキというか、ゴソゴソというか絨毯沿いに歩いていたのだ。

 その姿のおぞましいこと。体長は15センチほど。本当に気味悪い。・

 昨年夏は寝ていて噛まれた。毒があるのか少し足の薬指が腫れたが、それ以外、とりたてて異常はなかった。つまりそんな害はないのだが、しかし気持ち悪い。ただし抵抗力が弱い幼児には大敵だろう。

 昨晩は写真を家捜ししていてよかった。その時間起きていたからだ。寝室?(そんな部屋はないが)に現れたら、また寝入りばな襲われただろうから、ラッキーだったかもしれない。

 しかし、ゲジゲジ君は何も悪いことをしていないのに嫌われて、なんという不条理か。カフカの『変身』を思い出した。カフカの文学は生命の賛歌なのだと、昨晩のゲジゲジとの出会いで気がついた。とんだ副産物だ。
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