ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

編集局からの手紙「朝鮮バッシングで『軍事行動』路線を突っ走る日本」

2009年03月31日 22時00分08秒 | Weblog
「北朝鮮の人工衛星打ち上げで失敗すれば、日本は大変だ」とメディアは大騒ぎだが、本当にどうなっているのか、わが国はと思う。

「人工衛と言っているが、弾道ミサイルにほかならない。先に核兵器を積めば大変だ」「実験が失敗して日本に落下するとなると、迎撃ミサイルで打ち落とす」。東北地方にミサイルが配置される映像がテレビで流され、現場中継までするテレビ局があらわれる。戦争前夜ともいえるの雰囲気を日本政府とメディアがこぞって作り出している。

本当にそうなのか。日本の「軍事行動」以外何ものでもない対応に疑問を寄せるメディアの主張はほとんどない。日本の対応に冷や水を浴びせるように李明博韓国大統領が30日、「軍事行動」はしないと発表し、アメリカも同様だ。

朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の宇宙の平和利用に参画することははたして国連決議に反することなのか。なぜここまで朝鮮バッシングをするのか。何がねらいなのか。

朝鮮のねらいは国威発揚であることは言うまでもないし、弾道ミサイル開発は今後の米朝交渉の重要なカードになる。朝鮮が言う朝鮮の自衛権ということであれば、その論理は誤りとはいえない。しかしこの歩みに根本的な批判ができるのは平和憲法をもつ日本なのだ。平和国家という戦後の「指定席」をなぜ使わないのか。そのことに疑問を呈しない時代なのか。

平和憲法からの批判は政府もメディアも、どこからも出てこない。出てくるのは「軍事行動」一辺倒である。朝鮮バッシングで危機意識を植え付けるやり方は、朝鮮の最初の人工衛星実験(1998年)のときにすでに経験済みだが、11年後の今回は軍事行動体制がとれる国に変質していた。どんどんエスカレートする。もっと冷静になれないのかと思う。大典の憲法は本当に空白しているし、「メディア政治」ならぬ「マスメディアー軍複合体」から早く脱していただきたい。

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日曜新聞読書欄簡単レビュー

2009年03月29日 11時46分43秒 | Weblog
日曜日恒例の新聞読書欄簡単レビューです。金融不安から生じた経済危機。この分析を短いスパンで見るのか、長いスパンでみるのか。いずれでも関連本は出てきている。

短いスパンでは野口痴悠紀雄の『金融危機の本質は何か』(東洋経済新報社、1800円)―日経―を前週の書評欄で紹介した。野口のコンピューターを駆使した情報管理、分析は経済動向、政策をとらえる上で重要で、コンピューターでの統計からなかなか文献を読んでいただけでは気づかない分析を可能にしているわけだが、長いスパンとなると歴史的な把握ということになると、朝日で紹介したジョヴァンニ・アリギの『長い20世紀』(作品社、5460円)だ。サブタイトルに「資本、権力、そして現代の系譜」がつく。近代世界システムの変遷を念頭において金融帝国アメリカを分析する。それはアナール学派の歴史家ブローデルを受け継いだアメリカの社会学者である。国家の権力支配の交替という観点から近代世界システムを解明する。評者の柄谷行人はこうヘゲモニーの変遷をまとめている。「ジェノヴァ、オランダ、イギリス、アメリカという順でおこった。比較して著者は法則性を見出す。初期は生産拡大、末期は金融拡大の傾向があると。資本の蓄積のサイクルから見る。初期は交易や生産に投資することで蓄積するため生産拡大が生じ、末期は金融だけで蓄積するから金融拡大が生じる」(文の趣旨をまとめた)。しごくわかりやすい論法だ。私にはマルクスの過剰資本の危機説を読んでいたから、資本の動向としては必然性をもつ。それでは現代の危機はいつから始まったかであるが、1970年代からという。アメリカの衰退が始まったのだ。それでは今後はどうなるか。ヘゲモニーは東アジアに移ると見る。中国である。柄谷は新的尾主義の時代と結ぶ。1980年代に構成されたというところに歴史の見方のたしかさを感じる力作だ。

金融の現場から分析したのがマハメド・エラリアン『市場の変相』(プレジデント社、2095円)-日経―である。著者は100年に一度の大転換の時代という。経済活動の「場」、取引の仕組みが安定していないわけだが、大きく変化したのがいまというわけである。評者奥村洋彦はこう書いている。「転換期には新型の商品や新しい取引参加者が登場し、それまでとは異なる行動が発生する。今回は証券化やグロバリゼーションの進展にともなう動きgあまさにこれに該当する」。ところがこの変化の兆しを軽く見てしまうのだ。サブプライムローンバブルでは長期金利が低水準にあったことを軽視した。「政策対応が『場』の変化に十分ついていけなかった典型例だ」と評者は言う。

新自由主義経済のもともてはやされたハイエクの全集が出ている。春秋社だ。全集Ⅱ-1(3990円)を論じたのが毎日に掲載されている。ハイエクの最後の書だ。ハイエクの知の葛藤は尋常なものでない。奮闘というか、知の巨人というべきにふあすぁしい。それは社会主義者との計画経済の激論をへて、自己の合理主義的設計主義の構築をより強固にする営みであった。文明の根幹を「合理的には支持しがたい慣行や伝統・道徳に従う市場社会」(評者松原隆一郎)に見出す。それは新古典派経済学が計画経済を可能にするアイロニーに直面したことにある。「法・社会思想の膨大な領域を彷徨する」と評者は書く.
(敬称略) 第1次入力
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日曜日新聞読書欄簡単レビュー第2弾

2009年03月28日 21時49分28秒 | Weblog
 日曜日新聞読書欄を5紙を読み1日で紹介する力技は相当しんどいことだ。22日の同コーナーを2部にわけ、今回は第2次入力になる。富山太佳夫評者の2冊の本の紹介からはじめたい。(文中敬称略)

 毎日の掲載だが、カルロ・ギンズブルグ『糸と痕跡』(みすず書房、3675円)を富山が論じている。導入はアウエルバッハの『ミメーシス』の感想から。20世紀文学批評の名著として知られる本を「あなたはどう評価するか」と迫る。ギリシャ文学から現代文学までの現実描写の方法を分析した本で、団塊の世代にはなつかしい本だ。あまりに厚い本で途中で投げ出したのがかくいう私だが、富山はこの『ミメーシス』の中のヴォールテル論を精密に読み直したのがカルロ・ギンズブルグ『糸と痕跡』というわけだ。『ミメーシス』をなぜ富山が引用した理由はカルロ・ギンズブルグがこの書を自分のテキストの読み方に似たものを見出したことに由来する。アウエルバッハが「偶発的な出来事、平凡な生活などの文章の断片を通じて深い全体の把握に到達しうる」という伝統的な文学史と無縁おn観念を引き出したというわけだ。そういうことを念頭においてカルロ・ギンズブルグの読み方を富山が説明している。その文脈が少し複雑だから原文のまま紹介する。「哲学者ヴォールテルーを論じる批評家である。要するに、哲学者、批評家、歴史家の競演ということだ。哲学者の言葉を読みとる批評家の言葉を読み取る歴史家の言葉が、私の眼の前にあるということだ。なんともリッチな気分になる」。つまりカルロ・ギンズブルグがヴォールテルーの言葉を読み解くことで現代の大衆社会を予見する言葉を探り出すのだ。それは文化的等質な大衆社会到来をアウエルバッハは市場の合理的法則に規制されることをヴォールテルーが抽出したのだが、カルロ・ギンズブルグが歴史家として論理の抽出していう。さらにジャンバッティスタ・ヴィーコ『新しい学』全3巻を富山は論じる。しかしこのイタリアの思想家にして歴史家のヴィーコの『新しい学』はあまり紹介していない。ただ本の一説を引用して本を読むことの楽しさをあげるのだ。「薄汚くよごれ、切断され、本来の場所から外れたところに横たわっていたため、これまで知識にとって役に立たなかった古代のもろもろの偉大な断片が、磨きあげられ、合成され、本来の場所に置かれて、偉大な光明をもたらしてくれるということ。…わたしたちに確実な歴史を語ってくれるすべての現象が、これらすべてのことがらをみずからの必然的な原因としているということ」

カルロ・ギンズブルグの本が出たところで、彼の『チーズとうじ虫』という歴史書に匹敵すると絶賛されているのがグリニス・リドリー『サイのクララの大旅行』(東洋書林、1800円)―日経―だ。内容は1741年7月、オランダ人船長がインドから幼いクララというサイを国に連れて帰り見世物として連れ歩いたというもの。イギリス小説にも影響し、見物人にはカサノヴァの名もある。18世紀のクララから見た歴史書なのだ。ただ、面白おかしい本だけではない。歴史学会の賞までもらっている。これだけ面白い歴史書を歴史学者が書けるかというわけだ。
金融危機について野口痴悠紀雄が『金融危機の本質は何か』(東洋経済新報社、1800円)―日経―を書いている。金融危機の主犯は金融工学でもファイナンス理論でもないと説く。使い方を誤ったという。適切な金融商品を提供していない政府の姿勢も批判するこの書は実にラディカルだ。
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日曜新聞読書欄簡単レビュー

2009年03月22日 12時09分15秒 | Weblog
恒例の日曜新聞読書欄簡単レビューです。産経、奈良、朝日、毎日、日経の5紙から紹介します。春の便りは小雨からなのか、近畿地方は朝から小雨模様だったが、10時前には止んだ。小鳥のさえずりが聞こえる。本の紹介は生々しい日米関係をテーマとした作品から。

日米関係の本から紹介すると、古森義久『オバマ大統領と日本沈没』(ビジネス社、1680円)ー産経ーでは、オバマ大統領のリベラル性について警戒する保守派論陣からの対米関係の今後のあり方を問う本だ。閣僚人事で中道路線のようにみえるが、リベラル性がベースにあるとみる。筆者は現在のアメリカ経済の苦境は国有化しないと活路を見い出せない経済政策部分を抱えていると見るが、アメリカ通の著者はオバマの政策(グアンタモ収容所の閉鎖、国民皆保険政策、妊娠中絶を勧める国際団体への資金提供など)は「大きな政府」による「社会主義的変革」とリベラル性を批判する。さて読者はどう見るか。リベラル性を警戒することが日本の対米関係上マイナスなのか。評者は田久保忠衛。

 もう1つは山本尚利『情報と技術を管理され続ける日本』(ビジネス社、1575円)ー奈良ーだ。アメリカの国益は世界を支配している。金融不況以降も変わりない。日米関係の実相を解明し、日本の現状を説くこの本は防衛上の自立を求めているようだ。日本の累積対米債権は4兆円以上で、これにアメリカは黙っているはずがなく、対北朝鮮の脅威を利用して軍事防衛システムの売り込みを図る。これに日本も乗る。ミサイル防衛システム(MD)がそれだ。軍事上のライフサイエンスやバイオテクノロジーもアメリカが支配する。著者は見ずからの責任で自国を守るためにはアメリカの日本脅威論者に惑わされず国家情報戦略を構築すべきだと主張する。評者は柳谷勝美。

 同じく奈良新聞は平凡社新書の『白川静ー漢字の世界』(819円)を紹介している。白川の世界は漢字を通じて東洋の精神を求めたと著者の松岡正剛は書いている。また言霊の働きかけを歌謡に求めた白川は「古代歌謡と興の方法」の章で白川が最も好きだった漢字が「遊」であったと書いている。

 面白そうな本はベン・マッキンタイマー『ナチが愛した二重スパイ 英国諜報員『ジグザグ』の戦争』(白水社、2520円)ー朝日ーだ。イギリスの下層社会で生まれた主人公(といっても本書はフィクションではなく歴史書)ジグザグは満足を通えたわけではなく、ロンドンの下町でギャング団を作る「ワル」。1939年に逮捕され島の刑務所に収監される。ところがこの島がドイツ軍に占領され、彼はスパイとして養成される。人生が大きく変わる。42年12月にイギリス上空に侵入したドイツ機から降下、自首する。そこでイギリスにドイツのスパイ組織の全容を供述し、二重スパイになることを願い出る。ドイツの空爆でロンドンに落とす被害がジグザグのドイツへの情報(二重スパイによる偽情報)で被害を最小限に食い止めることができることに。平然と二重スパイになることを求めていくジグザグの精神は母国イギリスへの愛国心なのだ。波瀾万丈のこのスパイものはフェレデック・フォーサイスの作品のようなフィクションではないだけに興味をそそられる。2001年に軍事機密扱いを説かれた1700ページの公文書を読み解いて完成した作品だ。評者松本仁一が注目しているのは人間の可能性の大きさだ。「教養も学問もなく、平時に社会のお荷物でしかない人間学問、『乱世』の中では生き生きと光彩を放ち、多くの命を救い、社会に大きな影響を与える。その面白さだ」と書いている。(文中敬称略、第1次入力)
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コラム「風」関西圏に奈良参入ー奈良と三宮直結

2009年03月20日 21時08分05秒 | Weblog
 昨日から近鉄と阪神電車がつながり、三宮ー奈良が直通でつながった。

▼首都圏ではすでに、西武、京急などが連結しているが、関西では私鉄同士の連携は進まなかったが、3月20日を期して、初めて連結した。

▼近鉄のプラットホームに立ち、列車の行き先を掲示する電光板には「快速 西宮」「普通 尼崎」などの表示が変わり、全くこれまでの状況と異なる感覚に包まれた。奈良方面の人にとっては神戸が近くなるす、神戸方面の人には奈良が近くなる。たぶん経済的効果は相当あると思う。

▼自治体、教育機関などの思惑も様々。「神戸の学生が奈良に来てくれる」と感じる大学関係者。逆も同じ思惑。さてどうなることか。ただ奈良への観光客が増えることは予想できる。これまで神戸の人たちには奈良は遠いイメージがあったが、阪神ー近鉄の連結でイメージが変わる。「電車、乗り換えないで行ける」と実感する。

▼関西圏が目に見えるかたちで現れた。京都ー神戸はJRで結ばれていたが、奈良の参入は初めてのことだ。奈良も京都、大阪、神戸とともにいっしょにPRされるだろう。これまでは三都のうたい文句で、京都ー大阪ー神戸で、奈良ははずされていた。

▼さて奈良では大型ホテルがないなどの基盤整備が遅れをとっている。夜の商店街はそんなに遅くまで店をあけていない。訪れた観光客をいかに泊まっていただくのか。日帰りコースで終わるのか、滞在型観光地になるのか。今後の多くの人々のスクラムを組んだ知恵を集めない限り良い結果は生まれない。交通手段の条件は整ったが、さて……。
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沖縄密約で情報開示求め提訴

2009年03月16日 15時47分40秒 | Weblog
 沖縄密約にかかわり情報開示を求めた作家、ジャーナリストらの請求について国は不開示処分を出したことに対して16日、不開示処分取り消しを求め国を相手取り提訴した。同日東京地裁で記者会見して国民の知る権利からの不開示処分の不当を訴えた。

 開示請求は外務省、財務省に出したが、昨年10月2日、不開示決定された。これに対して不開示の取り消しや損害賠償を求め16日東京地裁に提訴した。

 同地裁司法記者クラブで会見した原告団の共同代表、桂敬一さん、柴田鉄治さんらは不開示の不当性や知る権利が奪われる危惧感を述べたほか、奥平康平さん、澤地久枝さんらも同席した。
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 コラム「風」朝鮮半島の軍事対立回避で日本ができること

2009年03月13日 22時04分51秒 | Weblog
 コラム「風」朝鮮半島の軍事対立回避で日本ができること:川瀬俊治

 朝鮮半島がいま一発触発の軍事的対立にあるということを日本人の多くは感じていない。南北融和を進めてきた過去の10年の政権時代には信じられないことがおきている。

 韓国の保守政権誕生でこうしたことが心配もされたが、ここまで対立が深まるとは想像しなかった。韓国軍最高幹部(合同参謀本部議長)が昨年3月26日、国会での人事聴聞会で「北に核攻撃の兆しが見えれば、北の核基地を攻撃しえる」と答弁した。これはアメリカのブッシュ前大統領が9・11以降に主張した「先制攻撃権」の韓国版である。これに朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)が黙っているわけではない。

 われわれが接する報道は朝鮮がドントドン対立を煽っていると見てしまうが、必ずしもそうではない視点をもつべきだ。李明博大統領の「非核・開放・三〇〇〇ドル構想」が朝鮮への新たな政策として打ち出されたのだが、これに当初朝鮮が反発したという認識を私はもっていない。「先制攻撃」権とかの発言に引き返すことができないほどの対決が生まれてきた。朝鮮も「そういうことは失言ですよ」といって処理する柔軟な姿勢をもてないほど追い込まれていると見る方がいい。

李政権誕生が朝鮮の工作員が政府公認で表舞台に出る事態を生んだ。金賢姫元死刑囚が日本人拉致被害者家族に会うことができたのがそれだ。前政権ではとても無理なことだ。拉致問題の前進に結びつくかどうかという期待とともに、朝鮮がどうした反応を示すかも心配だ。さらに韓国との対立が深まりはしないか。李政権はここで南北対立に日本が無関係ではない現実に巻き込んだ、貸しを作ったという論調もある。

どう南北関係を改善していくか。これについてはまことに残念なことがある。もし日本が朝鮮と国交を回復していたら、役目を多く担えたのにと思うのは私だけではないだろう。ただアメリカを飛び越えて朝鮮にアプローチして南北融和を作り出し、国交を結ぶことは戦後の外交関係から考えてかなり無理な要求だろう。しかし政治的状況は変わらねばならない。

アメリカと対等な政治的行動を主張していたのが、検察に嫌疑をかけられている民主党代表だ。しかし、アメリカと対等な関係を結ぶならその後尾に着くのではなく、ここいらで、「日本の歴史的責任をはたします」と朝鮮との関係改善をはかることも重要ではないか。朝鮮半島情勢にいつも受身を装っいていいのか。
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震度2

2009年03月08日 23時24分33秒 | Weblog
朝、仕事をしていたら、ドーンときた。地震である。

 震度2というのはこの揺れなのか。朝6時すぎのことだ。

 大きな地震に遭った人が「ドーンといったと思うと」という表現をよくされるが、なるほど「ドーン」というのが震度2でも感じた。

 床に座り込み茶箪笥もたれていたところだったから、よけいに響いた。寝ていても起きただろう。

 京北町に行ったが、例年なら雪が多いのに今年はほとんど降らなかったという。暖冬と地震の関係はないだろうが、しかし異常気象は続く。
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日曜新聞読書欄簡単レビュー

2009年03月08日 11時01分34秒 | Weblog
 日曜日恒例の日曜新聞読書欄簡単レビューです。毎日、朝日、日経から。今年は著名作家の生誕100年にあたる。その中で大岡昇平にスポットがあたったことはなかったが、毎日で丸谷才一が大岡を戦後最高の日本文学者と評している。続く朝日のテクノロジーと文学を論じた文学評論紹介から現代文学の位相を占ってみよう。

 丸谷の評価をまず数値的にあげていることから紹介しよう。自身が架空の文学全集を編集したことをあげて(『文学全集を立ち上げる』)、漱石三巻、谷崎三巻、鴎外二巻、大岡二巻と、戦後の文学者で唯一大岡だけが二巻だと高い評価が確立していることをあげる。もちろん文学上の検討からも分析しているが、作品の中で選ばれたのは「野火」。この作品のすばらしさを丸谷は、一つに、クリスチャンの結核を病んだ若い知識人という設定をあげ、「余分な線が邪魔をしていないし、要るだけのものはしっかりと揃っている」と書いている。二つ目には、敗残兵による人肉食という題材が鮮烈であり、信仰薄い日本人に神を意識させる力をもつうえ、「緩急自在な時間処理がすばらしい」と分析する。三つ目に文体が主題に適切とする。「しかも美しい」。難点は「末尾のキリスト教的信仰への復帰が狂人によりなされるせいで意味が曖昧」としながら、これも欠点とだけ断じることなく、「近代知識人の精神風俗を写すのに向いていた」と書くから、もう完璧な作品に思えてくる。丸谷は「その偉容さに打たれた」と評する。すごいほめ言葉だ。長編小説では『花影』をあげている。「女の流転の姿を描いた名篇で、女主人公への愛情にみちている」として、大岡の宗教的なものへの思慕をみている。さらに『ハムレット日記』をあげる。志賀直哉、小林秀雄、太宰治に「ハムレット」に題材をとった作品があるが、大岡は最も知的だという。丸谷があげる戦争文学で第二次世界大戦を扱った作品で推奨するのは、ノーマン・メイラー『裸者と死者』、J・G・バラード『太陽の帝国』、そして『野火』だ。第一次世界大戦はハシェク『勇敢なる兵士シュヴェイク』を名作としてあげる。湯川豊は同じく毎日の特集の中で『レイテ戦記』をあげている。その手法はスタンダールの研究者でもあった大岡の精神に求めている。それは「常に目醒めていること」だった。この精神を背負い大岡は生きた、と。『レイテ戦記』は「軍部上層部の動きを逐一とらえながら、かんたんに責任をあげつらわない。そういう姿勢がこの戦記をいっそう重いものにしている」と書く。大岡が鎮魂の意味を込めて書いた文学は「野火」の宗教性とどこか共鳴する。

こうした巨匠の文学的背景を考えながら朝日がとりあげたヒュー・ケナー『機械という名の詩神』(上智大学出版、1700円)の書評を読むと、テクノロジーが人間の機能を補填するものではなく生活までまるごと呑み込むことをあげる。情報理論のパスカルというプログラム言語にほぼ変換できるのが、ベケットの『ワット』というわけだ。「プログラムは、何も行わず、何も表示せず、何もアウトプットしない」。これがまさにベケットの文学ではないか、と評者の鴻巣友季子は書く。「前世紀転換期、芸術はその題材、文体、アポローチなどにおいて本質的な変化を遂げていた」として、バルザックの膨大な作品群が、ジョイス作品ではダブリンのわずか一日を書くことで『ユリシーズ』一冊を仕上げた。評者は「ジョイスは、現代人がもの言わぬ「無言語性」の印刷物に支配されていることを洞察し、旧来的な語り手を作品から排した」として、そこから無限の読みを可能にする『フィネガンズ・ウェイク』が生まれたのだ、その文学はテクノロジーとごく密接に結びついていた」。詩人エリオットもそうだというのだ。さて大岡の宗教的、あるいは鎮魂との差異はここで明白だろう。どこが違うのか。そう。神の存在である。つまりテクノロジーの支配を受ける文学は、あるいは表現はどこか神を否定することで成り立っているのであり、それはウェブの世界も同様だろう。すると来る文学が何を求めるのか。神なき時代を神を求める必然性はおのずと鮮明になってくろのではないか。二つの書評を読み比べて対極にある文学論に逆に現代の位相が浮かび上がる。

 日経ではキアラン・カーソン『シャムロック・ティー』(東京創元社、3200円)を掲載している。101の短編が時空が入り乱れながら、1つの像をとり結ぶのだ。「どこか中心があるのではなく、画面のすべてを総合したところに意図がある」(評者蜂飼耳)。ストーリーは15世紀にフランドルの画家ファン・エイクの絵に込められた秘密をめぐるものがたりだが、101の短編が交差して全体像を描くという全体小説の手法ともいえる作品だ。評者は現代においてこのような手法がある作品があるのか、と驚きをみせている。(文中敬称略)
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フィールドワーク

2009年03月07日 22時59分10秒 | Weblog
  朝早くからフールドワークの案内人。近鉄天理駅で待ち合わせをして柳本飛行場跡などを回った。

 一日早ければ雨で大変だった。少し春の息吹を感じさせる陽気だったから、参加者にはラッキーだったかも。

 天理・柳本飛行場跡の案内では、メーン滑走路周辺が宅地化していた。さらに変貌ぶりに驚いたのは柳本駅周辺。ここも宅地化していたが、戦前から残る飯場跡は依然として残っていった。「よく戦前から残っているものですね」とフィールドワーク参加者の声も。

 桜井市内の三輪そうめんの山本で昼食。結構上品な味で満足した。しかし朝早く大阪府内からバスでこられた方には相当なハードスケジュールではないか。午後は香芝へ。

 午後4時に一行のバスを見送って、近鉄二上駅から大阪へ。大阪駅周辺で用事を済ませて帰宅後ラジオをつけると、野球が放送していないではないか。テレビ用のラジオに変えると、なんと日本が勝っていた。フィールドワークの途中、「体力の差で、これはもう韓国の勝ちでっせ」と何人かが予想していたから、驚き。わかわんもんです。 
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人生と整理べた

2009年03月06日 07時43分08秒 | Weblog
韓韓辞典の常用はいいが、これが重い。神戸、大阪と回るが、薪を背負うようだ。

 どこでも仕事ができるのが私の最大の売り。しかし、これだけ重いとまた腰痛の再発も考えられる。

 頭のいい人は何にしてもスマートだとーというのが家族の話だが、まったくスマートでないから困ったものだ。スマートとは整理ができているということだ。

 しかし、なんでこんない重いものを持つのか。整理が簡単にできれば人生、苦労するはずがない。

 人生の苦労と整理とはこれはいいところを言い当てたかも知れない。整理してどんどん前に進めば、たしかに苦労の感覚も減る。

 要は、留まる、停留しているからスマートではない、人生の苦労に結びつく。前へ行けか。ただ前にそう簡単に行けないい。行けないから文学も哲学もある。

 カバンの中を整理せよ! とどこかで声がする。理屈を言っている場合か。あいにくの雨の中、韓韓辞典をやはかり持ち歩くことにした。

 
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韓韓辞典を使わないと

2009年03月05日 19時10分57秒 | Weblog
 済州島の風土を写した本の翻訳を頼まれた。軽い気持ちで引き受けた。しかし、いざ取りかかると、とんでもない。高度難解な作品に頭が回らない。

 ひとつは済州島の方言、ひとつは文学的表現、ひとつは宗教、風俗描写と専門用語。

 翻訳したものを大学院に通う韓国人留学生に示すと、「韓国語が難しい」といわれ、さもありなむとうなずく始末。

 ポイントは辞典をどう使うかにある。韓日辞典をひいていたらさっぱりわからない。韓韓辞典でないとだめだ。そういうことで語学は上達するのだが、安易に流れてしまうから、こういうことになる。つまり普段から韓韓辞典を使う癖がついていないからこういうことになる

 しかし期限がある。困った。あと1週間もない。これも引き受けたマンガン鉱山の本はようやくめどがついたところで難題が。いつまでたっても部屋は片付かない


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編集局からの手紙「韓国の識字法―3月から施行」川瀬俊治

2009年03月02日 21時07分00秒 | Weblog
韓国で識字法(韓国の呼称は文解・成人基礎教育法)よぶべきものが日本でいう生涯教育法の一部に盛り込まれこの3月から実施に移された。法律は2007年11月に国会を通過、1年余の準備期間をへて実施に移された。

法律の名前は平生教育法。日本と違うのは識字教室運営に関する法律(恒常法)が整い、それを国、地方自治体が推進するため財政的支援を明記していることだ。だから日本のように「自治体の緊縮財政でカット」というような行財政の都合で識字教室が縮小・閉鎖されるなどの心配が遠のいたことになる。

日本では識字法を制定しようとする動きがあるが具体化の段階ではない。ところが、韓国は早々と実現してしまった。これは正直脱帽する。その原動力は市民運動のパワーを抜きにしては考えられない。法律制定を打ち出したのが2003年だからわずか4年で制定をかちえたことになる。地方の教育委員会から指定を受けて指定された識字教室では、決められたカリキュラムを修めれば学歴認定される。

しかし問題がないわけではない。学歴認定をめざす生徒と、認定とは関係なく識字教室(韓国の呼称は文解教室)に通う生徒に二分化されることが、韓国文教部がいう「識字の幅をもたせた」ということになるのかということと、もうひとつ、この間、100年余の歴史をもつ韓国の文解教育が遂行できるかという不安である。「一方的に記憶する教育ではなく」、「体験し、理解し、コミュニケーションをはかる教育」と運動体が述べた教育である。

韓国の民衆運動による法律制定実現は目を見張るものがある。2003年に刊行された朴元淳弁護士の本では刊行までの間、市民運動が法律制定を勝ち得たものが実に80あると記述していた。本刊行後6年へた。どれだけの法律が成立したことか。識字法を含んだ平生教育法もその1つだ。運動体では本来独立しなければならない文解・成人基礎教育法が合体しており、今後は独立法制定運動に進むだろう。人権とはもの言わぬまでに追い込まれた人間の権利確立を戦いとる争いとすれば、民衆の法律を勝ち取る歩みは止まってはいけないのは当然ということだろう。

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