ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

2009年10月アクセスNo2記事 普天間米軍基地問題で問われていること

2010年10月31日 19時22分37秒 | Weblog
 筆者自身、普天間米海軍基地を人間の鎖で包囲する行動など参加してきた中で思うことは、名護のキャンプシュアブ沿岸部沖への移設で「50メートル沖合い」移動可能という案が浮上しているが、県外移設とは程遠い案だということがわかる。

▼政権交代で外交面での一貫性は当然違ってくる。しかしこれはそう簡単なもんではない。互恵関係の相手方との信頼を築いてきたか、優位な立場に立つ相手方なら変更も可能だが、従属関係であれば、あるいは弱みをこちらがみせることで関係が続いているなら、政権交代は国内政治だけだ。対外的は政権交代劇は実効性がない。そうでない中国、韓国は鳩山首相は満面微笑だったのも頷ける。当初から心配していたが、沖縄問題は民主連立政権の最大のキーポイントになりそうだ。

▼沖縄県当局は本当に県外移設を望んでいるのか。声高に聞こえてこない。しかしそれは現実的選択が働くからだ。では、沖縄の個々人にたち返ればどうか。いうまでもない。県外移設である。なぜ21世紀に入り新たな基地をつくるのかとすると反発が底流にある。その結果が2008年沖縄県議選での県内移設反対議員の当選が多数派となったことだ。

▼連立の社民党の沖縄問題を解決しようと選出された衆参議員は、もし「県外移設ノーしかない」として、アメリカ案を執行部を呑むなら多分大事(おおごと)になるだろう。そのまま連立に居ることはなくなる。それを避けたい福島党首は党の立場をアピールする。普天間基地を嘉手納基地と統合する案は嘉手納町の猛反発はすでに体験済みだから、岡田外相が23日発言したことなど、どうして具体化できるのか。

▼領土支配の植民地型国家戦略は大戦後に姿を変えた。グローバル経済の元であるドル支配が要(かなめ)にある。イラクへの大量兵器疑惑で仕掛けたアメリカの戦争は、フセイン大統領がドル建てからユーロだてにシフトしたことが本当の原因だといわれる。植民地型領土支配ではないのだ。しかし日本は擬似植民地型領土支配である、沖縄の人がどれだけ苦しんでいるのか。そのことを理解する政権だからとして送り出したのが民主党政権である。痛覚を伴う自覚かもしれないが、付託に答えてもらいたい。

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2009年10月アクセスNo1記事 ジャーナリズムで堕落しない方法

2010年10月31日 19時16分55秒 | Weblog
ジャーナリズムは当然行なってよいはずの取材をしないとき堕落が始まる。そういう意味では守屋武昌元防衛事務次官のインタビューを25日朝刊で掲載した「琉球新報」は逆の位置にいることがわかる。


いま、普天間飛行場問題で民主党の見解が揺れているのだが、13年前から普天間飛行場移設で渦中にいた守屋元防衛事務次官をインタビューした「琉球新報」は新聞の堕落から遠いところにいることがわかる。

メディアの側では、普天間飛行場問題では守屋元防衛事務次官に話しを聞くのはこれ以上のタイミングはないと考えることができるかどうかだ。ところがである。「ミスター防衛庁」であった守屋元防衛事務次官は防衛産業の接待汚職にまみれた失墜した元「ミスター防衛庁」なのだ。「悪」のレッテルを貼られることは、市民社会から排斥したように思い勝ちになる。取材する側はそこで錯覚する。

すると、インタビューなど脳裏に浮かばないのである。市民社会からの排除した対象は浮上しない。そこにジャーナリズムの堕落が始まる。「悪」と塗り込められた人を自分たちの視覚から消すこと事態、人間としての料簡の限界を露呈させてしまう。取材に向かわない性向とは、人間の価値観と深く結び付いているのである。

「琉球新報」で元「ミスター防衛庁」は普天間飛行場移転先を北海道はどうかについて米側に打診していたと語った。一問一答を報じているが、そこで米軍は沖縄を安保の要にしたいからこそ沖縄に固執したことがわかる。

米の姿勢が変わらない限り県外移設は選択肢として現状で薄いことになる。現在の民主党の姿勢を守屋元防衛事務次官は、基地で苦しむ沖縄の人のことに鈍感だとする趣旨の批判をしている。守屋元防衛事務次官がそれを言っちゃおしまいよと失笑してしまうのだが、自民党政権の同じ轍(わだち)を踏まないでほしいと、民主政権にひたすらエールを送るのだが。どうなるのか。
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コラム「風」動くものと変わらぬものー仏教研究の一端

2010年10月31日 18時44分51秒 | Weblog

佼成出版社の『東アジア仏教史』全15巻が刊行されている。旧版の全集のいくつかは目を通したことがあるが、すでに40年近く時が経過している。



▼この間、仏教学の発展は目を見張るものがある。この間、注目していたのは駒沢大学の俊英学者で、袴谷憲昭『本覚思想批判』では「悉有仏性」の本覚思想が仏教ではないとの解釈を読み衝撃を受けた経験があるし、また松本史朗『縁起と空』の如来蔵思想批判でも文献に裏付けられた論考に目を見張ったものだ。



▼シリーズの『仏典からみた仏教世界』では、論文を包括するタイトルが「解釈学の進展」とか「思想の深化」など、これまでとは明らかに異なる方法が出てきていることがわかる。実証的方法だけでは深層に迫れないとみる研究者の果敢な挑戦だとみる。



▼仏教の根幹には縁起をどうとらえるかにあるわけだが、ここの解釈、研究は徹底した実証性が求められるようで、新たな概念からの解釈なり研究はみられないのではないだろうか。それは縁起の解釈が最も地に足をつけたものだからだろう。基層にあるということか。



▼最近は仏教の思想なり成果が見直されてきている。対立と暴力の世紀は20世紀をへて21世紀に入ってもなかなか終息をみせないからだ。絶対神を否定し、神秘主義に傾かない、換言すれば理性的というか、観念性を克服するというか、その穏やかさに現代人は惹かれるのかもしれない。



▼お経は何千となく唱えることで体に入るという。それは読書の極意に通じることかもしれない。



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「ヒバクシャとボクの旅」を撮った映画監督国本隆史さんに聞く ③

2010年10月29日 13時50分12秒 | Weblog

「ヒバクシャとボクの旅」を撮った映画監督国本隆史さんに聞く は今回で3回目になりますが、ネット画面が修復されましたので前2回分とあわせて本日の3回分を掲載します。



8月の釜が崎の夏祭りでの上映会で国本隆史監督の「ヒバクシャとボクの旅」というビデオ作品を見た。被爆体験をどう継承するのかという問題を見据えた秀作だ。今年29歳の若手の映画監督に話を聞いた。



―映像とのかかわりはいつからでしょうか。

国本 東京の大学時代からです。専攻は社会調査論でして、ビデオを持って、フィールドワークへよく出かけていました。指導教官が、長崎の被爆者の生活史調査を30年以上続けている方で、長崎に行って、被爆された方のお話を伺う機会もありました。卒業論文では、ビデオ作品をつけて提出しました。そのとき作ったのは、2002年のワールドカップの日韓のサポーターの比較研究で、新宿区大久保や韓国へ行き、応援に参加する日本人、在日コリアン、韓国人のサポーターにインタビューをし、30分の映像にまとめたものです。僕が通っていた大学では、映像作品での卒論は初めてでしたが、指導教授が「映像で提出してもいいのでは」といってくださりました。



―大学卒業後はどうなるのでしょうか。

国本 大学卒業後はサラリーマンをしていました。しかし映画づくりに興味をもち続け、働きながら、映像を使って日中交流をすすめる「東京視点」というグループに参加し、映像制作の勉強をしておりました。それから、2008年9月から2009年1月までの4か月間、広島、長崎の被爆者の方々ら103人が地球一周する船に乗りながら、世界に証言を届けるプロジェクトがあると聞きました。このプロジェクトは、国際交流NGOピースボートが企画したものですが、この話を聞いたときに、「参加しなければならない」と思いました。そのときは「地球一周できる」という思いと、「長崎で被爆者の話を聞いたのに、自分は何も応答していない」という思いがあったんだと思います。そしてプロジェクトに同行しながら、「ヒバクシャとボクの旅」をつくりました。完成したのは2010年4月になります。長崎、広島、山口、兵庫、大阪、京都、横浜、東京、オーストラリアなどの各地で上映会を企画していただき、これまで15回以上実施しております。



―その「ヒバクシャとボクの旅」はどれくらいビデオを回されたのですか。

国本 250時間です。100名近くのヒバクシャの方々や、20カ国の訪問先で出会った人々、若者たちにインタビューをして、それを64分にまとめました。「被爆者の表現をどう継承するか」というテーマを追求し、ピースボートの船の中での証言、アジアから回ってヨーロッパにぬけて、中南米、南米、オセアニアなどの20か国で交流など記録しました。タヒチでのフランスの核実験のため被爆した人の証言も撮影しましたが、作品には収録されていません。いろいろな交流や証言があり、何を軸にして映像を構成するか、迷いまして、編集作業は1年近くかかりました。最終的には、被爆証言を聞いた自分たちはどうしたらいいのか、という問いを軸にまとめました。ですから、この映画はヒバクシャのストーリーではなく、被爆証言を受け取る者たちのストーリーにしたかった訳です。





―証言が率直で見ている側には証言者の本音がよく出ていたと思います。若者の証言もストレートでいい。本音を語っているから、その次の展開が映像で出ることになると思いました。

国本 乗船した若者の中には、初めて被爆者と出会う若者が多かったです。ある若者は、原子爆弾が通常兵器のように他の戦争で使われていると思っていて、戦争で原子爆弾が落とされたのは「広島と長崎だけなんだ」と衝撃を受ける場面がありますし、何回も証言を聞いて「証言に慣れちゃった」という若者もいます。その若者は、「(証言を聞いて)全然面白くなかった。何キロの地点で被爆して、その時自分は何歳で、という感じの話しを聞いて、何人かまで聞いていくとまたその話かと」いう感想を述べる若者もいました。もちろん証言を聞いて、「原爆は悲惨」「核廃絶しないといけない」という感想もありますが、これは当たり前になりすぎていて、ある意味ステレオタイプで、あらかじめ定められたような感想なんですね。僕は、「証言を聞いて慣れてしまった」という感想に正直さを感じましたし、そういう感覚も含めて、被爆証言をとらえていくことが、自分たちにとってのスタート地点のような気がしました。そういった証言に対する感覚も大事にしながら、自分たちなりに、どう被爆証言に向き合っていくか考えていきたいと思いました。



―若者の証言で注目したのは1人の女性の感想です。その証言はこうです。「不思議なんですけど、悲しまなきゃいけない、泣かなきゃいけないとか、変にそこで悲しんで、だからそこで戦争はいけないといわなければいけないんだって。たぶん、そういう流れがあったと思うんですが、もっとかみくだいたら何が悲しいのか、何で悲しいのかいま1つ説明できない」

正直な感想ですし、その正直な思いが実に自分に向かっていて極めて動的なものを感じました。先ほど、正直に「証言に慣れちゃった」、「(証言を聞いて)全然面白くなかった」という感想がありましたが、その限界を超える視点をこの若者は示したと感じました。

国本 僕も彼女の証言が引っかかっています。被爆証言を聞いているときは、悲しくて仕方がないのに、ふと次の日になってみると何が悲しかったのか思い出せない。じゃあ何が悲しかったんだろう。被爆証言って何なんだろう。そういう感覚をさらに深めて、被爆問題にかかわる作品制作は僕の今後の課題になっています。「悲しまなければいけない」と感じて、悲しんでしまっては、それは思考停止に陥っていることになります。






--映画の中では、被爆者が変化していく姿も描かれています。

国本 乗船した若者だけでなく、被爆者の方々も、世界各地の戦争被害者と交流する中で、変化していく姿が印象的でした。それまで僕の中での被爆者の印象は、大きい岩のような、固くて、なかなか変わらないイメージだったのですが、各地を訪れる中で、被爆者の方もどんどん変わっていくんですね。例えば枯葉剤が落とされたベトナムで、障がいを持って生まれた子どもたちに出会い、ある被爆者の方は「自分たちも、あのばからしい戦争の被害者なのに、他の戦争被害者のことを何も知らかった」と語ります。そして、「もしかしたら世界の人々も原爆のことを何にも知らないのでは」と、自分たちの証言の必要性に気がついていきます。



―そのことを映像ではきっちりと記録されていますね。彼女の証言は、枯葉剤被害者との出会いで、戦争被害の共通性、そして伝えていく覚悟、そういう気付きが収録されていて、作品の大事な場面だと思いました。そして幼少や胎内で被爆を経験したために、原爆投下時の記憶を持たない被爆者が登場してきます。

国本 今回103名の被爆者が乗船していた訳ですが、その方たちは被爆者手帳を持っていることを条件に選ばれました。その中には、おっしゃられたように幼年期に被爆したために、当時の記憶がない被爆者の方もいらっしゃいました。その方たちは、航海の最初のころは、「私たちは記憶がないから被爆証言ができない」ということで、遠慮がちなように見えました。ところが、各地で戦争被害者の状況を目の当たりにする中で、自分たちにできることはないのかと、模索を始めます。絵本の読み聞かせをしたり、紙芝居や劇をしたり、「自分には記憶はないけど、こういうことを勉強した」と若者に話したりなど、少しずつ活動を始めていきます。その「記憶がないけど、伝えたい」という気持ちが、僕にとって、これまでの被爆証言では得られなかったもので、印象的でした。








2010年10月29日 13:36


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「逆境」ーテーマはいいが、いつも東京の新聞企画が紙面を占める

2010年10月26日 01時47分46秒 | Weblog


 新聞は東京で作られているー最近そうした感をますます強くしている。朝日新聞の耕論のコーナーはいつも楽しみだが、これがもろ東京中心。26日はとりわけ読んでいて「大阪、九州などの他地域の記者は地団駄踏んでいるだろう」と思った。


 26日のテーマは「逆境」である。登場人物は元横綱の輪島さん、歌手の田原さん、牛丼吉野家の社長と3人である。いずれもインタビューで構成されているが、記事のできでいうと、輪島さんがいい。

 それはそうと、この3人が本当に「逆境」の代表として選ばれたのか。東京中心の発想はもととディープな3人を選べないのかと思った。

 ほかの地域ならどこを選ぶだろうか。「脱北」して日本に帰国した在日朝鮮人の「逆境」はこのコーナーに登場しエールを送る記事を書いてもいい。阪神・淡路地震で会社倒産に憂き目にあった経営者、シャッター通りで懸命に脱出をはかる商店主、なかなか芽が出ない芸能人、スポーツ選手、刑を終えて出所し仕事がなかなか見つからない人などいくらでも思い浮かぶ。

 記事に目を引いてもらおうと名の知れた人だけ選ぶのはわからないではないが、しかしテーマがいまのテーマだけに、これ1回で終わるテーマではない。ただインタビューは大阪、名古屋などの記者がやっえいるではないか、という反論が返ってくるかおしれないが、企画の発信は東京であることには変わりがない。
 
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車のウインどーが真っ直ぐ上がらず外にはみ出す

2010年10月25日 15時58分46秒 | Weblog
 こんなことがあるものだ。車のウインドーが真っ直あがらず。横にずれ、またウインドーのサンから外にはみ出して途中で止まった。

 ウインドーの左下と右上が空いたままで、これでは防犯上悪い。つまりこのままでは乗れなくなった。雨が降っていたから車内に雨が入り、腕だけシャワーを浴びたようだ。

 よく見ると、ウインドーを固定していた金棒が折れて外に出てきいた。ウインドーガラスは外にはみ出していしまった。

 途中車を自宅に帰して大学へ。修理に時間がかかれば土曜日に講演の講師を乗せないといけない。さてそれまで修理はできるかどうか。

 修理工場の社長に「こんな故障みたことがない」と言われるかもしれない。
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紙芝居を観る 大阪城公園での上演

2010年10月24日 09時29分03秒 | Weblog
 ワンコリアフェスティバルのリハーサルで韓国の学生と会うこともあり、23日午後、大阪城公園から歩いて会場へ。途中、紙芝居をしているので思わず立ち止まった。それが面白い。

 その70代と思われる方の教育論が並の教育評論家など足元に及ばない迫力だ。

 子どもの自立についての論及、学校教育での知育だけの弊害の指摘、夫婦間の役割など、子どもとともに鑑賞しているお母さんも頷くこと、頷くこと。どうもお母さんに向けたメッセージのようだ。

 子どもは地べたにすわりおじさんを見上げているのがまたいい。20人近い小学低学年の子どもたち。

 紙芝居の内容も頷くものがある。これはいいと率直に思った。

 ネット時代、子どもが、ともに同じものを見る機会が少なくなるだけに、路上紙芝居は面白い。

 どういう集まりか知らないが、これを企画したお母さんのグループの慧眼にも感心。
 
 約束の時間が迫り、最後まで聞けないから途中で失礼したが、さわやかさを紙芝居から味わうとは意外な発見だった。
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コラム「風」 大阪地検特捜部と「神の手」の考古学者のこと

2010年10月23日 12時08分44秒 | Weblog
 大阪地検の特捜部の犯罪が組織ぐるみであったことが明らかになってきたが、思い起こしたのがかつて「神の手」といわれた考古学者の「にせ発掘」事件のことだ。
▼日本の新たな考古学上の発見を次々としていく在野の学者がいて、発掘調査ごとに「新石器時代のものだ」とかの考古学上の一大発見がされるのだ。だから彼をさして「神の手」をもつ考古学者とも形容された。しかし地元担当の毎日新聞記者が怪しんで、早朝から発掘現場を見張りカメラをすえた。するとどうだ。「新発見だ」と報告することになるエセ発掘物を地中に埋めていたのだ。「エセ考古学者」であることが新聞記者により明るみに出されたのだ。

▼業績をあげたいという欲望は「にせ」という行為までして舞台を整える。そこには必ず成果第1主義にあえぐ人間がいる。今回は「改竄」という「にせ」行為までして無実の被告を罪に陥れようとした。とんでもないことだ。

▼日本の裁判で起訴での有罪率は9割後半である。ほとんどが有罪になり、無罪判決は極めて少ない。「起訴までもっていけばもう大丈夫」ということなのか。裁判官も調書第1主義で、起訴された調書に信頼を寄せている。この司法の黙契が恐ろしい。

▼21日の検察の大量処分で検察への信頼崩壊が一気に現実のものになった。「いままで事件の絵を書いて強引に捜査を進めてきたのではないか」という疑惑は消えない。取り返しがつかないことだ。ただエセ考古学発掘を告発した毎日新聞記者がいたように、今回の事件では大阪地裁に「改竄を明らかにしないなら検事を辞める」とまで言って特捜部幹部を告発した女性検事がいたことだ。それだけがせめてもの救いだ。

▼「醜さ」を覆い隠すのはどうしてか。「正しい」と見せたいからだ。特捜主任検事逮捕時に何と供述していたか。いまさら再現せずともいいだろう。「早く本当のことを言いなさい」と取り調べた検事が「本当のことを言わない」パラドクス。なんということか。

▼今回上司2検事が起訴、懲戒免職になったが、証拠隠滅容疑ではなく、特別公務員の職権乱用罪で検察全体に容疑の網をかけるべきだったのではないか。そうすれば再生への根本的な対応を検察がとったと世間が見たのに。司法を監視する第3機関が必ずいる。
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菅政権と沖縄知事選

2010年10月22日 10時24分15秒 | Weblog
11月28日の沖縄知事選をめぐり民主菅政権が伊波洋一前宜野湾市長陣営とどう見るのかかが最大の焦点になってきている。

仲井真弘多知事がいまになって県外移設を言い出したから、菅政権が仲井真知事再選を応援しないのかというとそうではない。

 ここには変数がある。民主が独自候補を出せない状況が1つ。それは民主政権の辺野古移設の日米合意を沖縄の人たちが支持していないことにある。それが証拠に仲井真知事が県外移設を言い出したところに如実にあらわれている。

 それでは仲井真知事再選を応援しないのかというとそうでないだろう。仲井真知事再選を見据えてどう伊波陣営との対決をするのかである。

 大田知事選挙で官邸機密費を稲嶺陣営に送ったことが当時の官房長官野中さんに暴露されたことがある。もうこうしたことはできない。するとどうするのか。あとはわからないが、伊波陣営に応援することはない。

 かといっていって民主の独自候補が出ることになるのか。先の参議院選挙で落選した喜納昌吉民主党沖縄県連代表の動向がカギになるだろう。
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沖縄知事選近づくー伊波市長の集会が29日大阪で

2010年10月19日 10時19分25秒 | Weblog
 民主党沖縄県議が党を離脱した。沖縄県連にとってはおおごとだ。県知事選で民主が仲井間知事を応援することへの反発だ。

 伊波宜野湾市長が次期知事選に立候補する。ここで独自候補をたてられない民主は仲井真知事を応援するということになった。正式な公認ということではないだろうが、これでは普天間移設で辺野古移転が進む。それには同調できない民主党県議が反発するのも当然だろう。

 今月29日には伊波さんが大阪に来る。このときにどれくらいの人数が集まるかも注目したい。沖縄関連での国政投票数は時々に変わるのだ。今回の注目度を占う意味でも伊波さんの講演会はバロメーターになる。

 もう6年前になるが私が担当した『沖縄をどう教えるか』の出版記念会が宜野湾市で開かれたときにも参加していただいた伊波さんが知事選にいつか出るだろうとは思っていた。おおよそ今回の局面での出馬は予想していたところだ。29日の集会はすでにメールなどで参加の呼びかけが出ている。

 政府は年内の普天間問題協議を来年にすると新聞に出ていた。もう無理なのだから日米合意も見直すことが現実的選択ではないのか。安部元首相が谷垣自民党総裁の特使としてアメリカを訪れ「思いやり予算減額をせずに」として、日米同盟強化で尖閣諸島問題でアメリカ軍の共同防衛を訴えたと今日のニュースで報じられたが、沖縄はいつも日本の防衛ラインに組み込まれ強化されるのか。ここらあたりで独自案を出し、普天間基地移転を県外に進める選択肢はないものだろうか。沖縄現地から考えてみないと見えてこないことも当然ある。いや安全な日本にいては見えてこないことを痛感しないとだめだ。
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日曜新聞紙読書欄簡単レビュー第2弾:川瀬俊治

2010年10月18日 21時50分48秒 | Weblog
読売が冨山一郎、森宜雄『現代沖縄の歴史経験 希望、あるいは未決性について』(青弓社、3400円)を取り上げている。評者は今福龍太。評者のまとめは難しいので、私なりに言い換えると、沖縄の歴史は整理されて評者が述べた安定的視点、すなわち正史となり位置を占めているものではない、現在の人々により作られる民衆の交流からなされる新たな解釈、動態を生むものだというわけだ。平板ではなく、あくまで運動する主体が紡ぐ営みが歴史経験というわけだ。「社会秩序が正当性の歴史を獲得することによって忘却された、それ以前の、社会のなかに継続してきたいまだ決定されていない可能性のことだ」と評者はまとめてもいる。島嶼世界として自立する営みベースにあr。おりしも国連人権委員会は沖縄を先住民族の地だと昨年声明したことは記憶に新しい。11編の論文からなる本書には戦後沖縄の姿を語る。

毎日でみずのわ出版刊行、斉藤潤『島ー瀬戸内海をあるく』第2集(2940円)の書評が出ている。瀬戸内の島々をめぐり人々の生活をルポする旅行作家の作品だが、本格的なルポルタージュだと評者湯川豊は評している。家船のこどもたちのために設けられた学寮を紹介しているほか、岡山県笠岡市の「島おこし海援隊」について、その島おこしの模様を著者は同行、新たな移住希望者の話をこまかく紹介している。評者がこの書の心打たれた最大の点は著者が島に対する限りない愛着をもっていることだという。そういえばこの出版社の代表も島に限りない愛情をもつ出版人で、周防大島にかかわる本を刊行し続けている。この出版社と著者の出会いが本書を生んだといえる。宮本常一の本を出しているみずのわ出版だが、島への愛着が新たな著者との出会いを生み、第3集の刊行が待たれるほどに成長してきたといえる。文中敬称略

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日曜新聞紙読書欄簡単レビュー

2010年10月17日 23時42分25秒 | Weblog
日曜新聞紙読書欄簡単レビューです。市民メデイアや日本思想史の本など紹介しよう。文中敬称略。第1次入力。第2次は18日。


 市民メデイアの集会で何度か話を聞いた下村健一が『マスコミは何を伝えないか メデイア社会の賢い生き方』(岩波書店、1995円)―朝日―が紹介されている。市民メデイアとは新たな概念のように思うが、巨大メデイアが市民の立ち位置とは大きく異なり始めたことに加えて、一市民がメデイアを駆使できるインターネットの発達でこの概念が具体的に動き始めたのである。市民メデイアの主流は映像を駆使した通信手段にあるが、大手メデイアの負の遺産として報道被害者問題を忘れてはならないわけで、下村はこの書でその報道被害者と対談をしているから、その議論の深まりが当然あっただろうと思われる。本書では下村が報道加害者としての自覚をもっていることを記しているが、市民メデイアでは議論はあまりされない。それはミニコミだからという側面が強いが、しかしニュース選択で切り捨てられる側があることこそ、ニュースを伝える側の「傲慢」さがのぞくこともあるからだ。良質のこの書では市民メデイアとTBSで仕事をする2つの領域からメデイアのあり方を問うものになっているのではないかと思う。

 近代日本思想史を探る研究者安藤礼二の『場所と産霊(ムスビ)』(講談社、2100円)-朝日―はオリジナリティーある作品で、評者中島岳志は構想力に圧倒されたと評した。近代日本のオリジナルな思想とは何か。われわれはそんなものあるのか、と思いがちだが、そうではない。著者はスウェーデンボルグをあげるのだ。18世紀ヨーロッパの神秘思想家である。霊的体験をもつ思想家でもある。エマソン、パースなどに影響を与えたが、その人脈に憧れたのが、鈴木大拙だ。アメリカに渡った禅の実践者は、パースなどのもとで思索を重ねた。鈴木といえば、『日本的霊性』の著で知られるが、ロンドンにいる南方熊楠に留学先から手紙を送り交流が始まるが、熊楠が注目したのが曼荼羅であった。「独学の世界的放浪者の2人の交錯から、おそらくは、真の『近代日本思想史』が始まるのである」と安藤は書く(中島の書評紹介文から)。以降の展開は、西田幾多郎、大川周明、折口信夫の世界が展開する。宗教的思惟に原型が作られたのであるが、どう近代で展開されたのか。豊かな世界を生み出した一方、世俗的権力と結びつくことで巨大な暴力を生みだしたとも中島は書く。安藤の『神々の闘争 折口信夫論』は私は読んだことがあるが、この書は未見だ。どんどん深まり広がる世界に驚く。
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女房には常に正義あり

2010年10月16日 10時09分03秒 | Weblog
ある喫茶店で聞こえてきた70代と思われる夫婦の会話。妻から夫への会話。

 「おとうちゃん、そんな甘いもの食べると、コレステロールがあがるで、やめとき」

 「1日一個くらいええやろ」

 「それでも早よ食べるからあかん。もっとゆっくり食べんと」

 「これでもゆっくりや。同じもんお前も食べてるけど、もうないやないか。どうなってんのや?」

 「私はコレステロール低いからええのや。それと今度の旅行は鹿児島まで行かへんか。大阪から直通で新幹線で行けるみたいや」

 「まだ先のことやろ」

 「何言うてんの。もう走る言うてたで。それも2時間半ほどや」

 「あほなこと言うなよ! おまえ。東京まで2時間半かかるのに。福岡もそうや。2時間半などどう考えてもありえんで」

 「何言うてんの。あんたは新聞読まんからあかんのや。ほんまにあかん。2時間半で行くと書いてた。それももうじき走るんやて。ほんまに新聞読まんからあかん。2時間半やで。行こ、行こ!!」

 新幹線を違う単語に置き換えたら、どこかの家庭の会話とそっくり。女房には常に正義ありか。
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金曜インタビュー「ヒバクシャとボクの旅」を撮った映画監督国本隆史さんに聞く ①

2010年10月15日 11時53分58秒 | Weblog
8月の釜が崎の夏祭りでの上映会で国本隆史監督の「ヒバクシャとボクの旅」というビデオ作品を見た。被爆体験をどう継承するのかという問題を見据えた秀作だ。今年29歳の若手の映画監督に話を聞いた(このインタビューは7回にわたり掲載されますので、隔週ではなく毎週掲載します)

映像とのかかわりはいつからでしょうか。
国本 東京の大学時代からです。専攻は社会調査論でして、ビデオを持って、フィールドワークへよく出かけていました。指導教官が、長崎の被爆者の生活史調査を30年以上続けている方で、長崎に行って、被爆された方のお話を伺う機会もありました。卒業論文では、ビデオ作品をつけて提出しました。そのとき作ったのは、2002年のワールドカップの日韓のサポーターの比較研究で、新宿区大久保や韓国へ行き、応援に参加する日本人、在日コリアン、韓国人のサポーターにインタビューをし、30分の映像にまとめたものです。僕が通っていた大学では、映像作品での卒論は初めてでしたが、指導教授が「映像で提出してもいいのでは」といってくださりました。

―大学卒業後はどうなるのでしょうか。
国本 大学卒業後はサラリーマンをしていました。しかし映画づくりに興味をもち続け、働きながら、映像を使って日中交流をすすめる「東京視点」というグループに参加し、映像制作の勉強をしておりました。それから、2008年9月から2009年1月までの4か月間、広島、長崎の被爆者の方々ら103人が地球一周する船に乗りながら、世界に証言を届けるプロジェクトがあると聞きました。このプロジェクトは、国際交流NGOピースボートが企画したものですが、この話を聞いたときに、「参加しなければならない」と思いました。そのときは「地球一周できる」という思いと、「長崎で被爆者の話を聞いたのに、自分は何も応答していない」という思いがあったんだと思います。そしてプロジェクトに同行しながら、「ヒバクシャとボクの旅」をつくりました。完成したのは2010年4月になります。長崎、広島、山口、兵庫、大阪、京都、横浜、東京、オーストラリアなどの各地で上映会を企画していただき、これまで15回以上実施しております。

―その「ヒバクシャとボクの旅」はどれくらいビデオを回されたのですか。
国本 250時間です。100名近くのヒバクシャの方々や、20カ国の訪問先で出会った人々、若者たちにインタビューをして、それを64分にまとめました。「被爆者の表現をどう継承するか」というテーマを追求し、ピースボートの船の中での証言、アジアから回ってヨーロッパにぬけて、中南米、南米、オセアニアなどの20か国で交流など記録しました。タヒチでのフランスの核実験のため被爆した人の証言も撮影しましたが、作品には収録されていません。いろいろな交流や証言があり、何を軸にして映像を構成するか、迷いまして、編集作業は1年近くかかりました。最終的には、被爆証言を聞いた自分たちはどうしたらいいのか、という問いを軸にまとめました。ですから、この映画はヒバクシャのストーリーではなく、被爆証言を受け取る者たちのストーリーにしたかった訳です。

※ 「ヒバクシャとボクの旅」上映会
非核の政府を求める兵庫の会 市民学集会
日時: 12月17日(金)18:30〜20:30
会場: 神戸市勤労会館404
お問い合わせは、事務局 電話 078-393-1833
e-mail shin-ok@doc-net.or.jpまで

「ヒバクシャとボクの旅」「フラッシュオブホープ」
2枚組DVD販売中
お問い合わせは、ピースボート事務局
http://ameblo.jp/hibakushaglobal/
映画の連絡先 〒169-0075 東京都新宿区高田馬場3-13-1-B1
Tel:03-3363-7561/Fax:03-3363-7562
料金¥3000(上映権付き¥30000)

「ヒバクシャとボクの旅」予告編
http://www.youtube.com/watch?v=NBIZ4cTYS5o
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ギリシャとインド

2010年10月13日 23時58分06秒 | Weblog
 河波昌さんの『形相と空』という刺激的な本が出てから7年近くなるが、やっと手にした。

 ギリシャ思想の影響をインド仏教が受けているとの視点はすでに知られたことだが、改めて著者が向き合う書は圧巻である。

 だいたい短絡的にものごとを判断する考えがいっそう最近は進んでいるが、2000年前のインド世界からみるとギリシャとの融合はガンダーラ美術という成果を生んだというだけではなく、仏教の考え方の中にも浸透しているという点は大いに現代の警鐘になる。インドに在住したギリシャ人の思想が般若思想、般若三昧の実践を生むことは、短絡・単一的に割り切ることの反証でもある。

 警鐘と考えるのは、単系的に突き進むポスト近代は相互に影響を受け合う視点を軽視する。そのことが内向化することで壁を越えられないことになる。経済中心はその最たる弊害である。

 国益なるものがかまびくしき言われるが、これほど短絡的視点を排すべきものなのに、相互的行為、視点を短絡的立場から攻撃するのである。尖閣諸島問題はその典型だろう。

 共有の漁場としての相互主義に進み得ないのか。竹島、すなわち独島問題もそうだ。
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