ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

日曜日新聞読書欄簡単レビュー

2012年01月29日 20時27分34秒 | Weblog

スピノザを朝日は特集している。

近代哲学の祖といえばデカルトがあげられる。「我思うゆえに我あり」という心身2元論はその後の自我追及のベースになり、近代科学の思想的バックボーンになったわけだが、スピノザはデカルトのキリスト教誠心の分析とは対峙する。だから「エチカ」は彼の没後まで刊行されることはなかった。当然のことだが、神の絶対性を越えたいとする哲学の構築は、ニーチェ、マルクスに大きな影響を与えうる。最近ではA・ネグリがスピノザを読むことを誰よりも説いた。

そのA・ネグリの『スピノザとわたしたち』(水声社、2625円)はマルチチュードが愛へと至ることを力説する。思想的ベースにスピノザを再検討せよと説く。ところがアンチヒューマニズムをベースに見出したのは上野修『スピノザの世界』だ。朝日で解説した鈴木繁(編集委員)はフロイトに先んじた人だと解説している。

デカルトと対比した位置づけは国分功一郎『スピノザの方法』(みすず書房、5670円)だ。「我思いつうあり」と、肉体と精神を分けないスピノザの哲学を解説する。「誰も自分で考え、その道を見つけるしかない」という。ここに国分哲学の個性がある。『暇と退屈の倫理学』(朝日出版、1800円)として昨年10月刊行されたが、国分がやさしく読者に語りかけて自分発見の哲学を模索する。

スピノザはどうして生計を立てたか。誰かからお金を援助してもらったのか。まったく違う。レンズ磨きでつつましく生活した。それでいて「究極のポジティブ思考の人」(鈴木繁編集委員)に達した人なのだ。貧しく、つつましくあってもポジィテブな考えを充満させてどうして生涯を送れたのか。ここに関心をもてばスピノザはわれわれに近づいてくる。
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2012年01月16日 00時04分14秒 | Weblog
日曜日新聞読書欄簡単レビューではまず1冊取り上げたい。

水谷竹秀『日本を捨てた男たちーフィリピンに生きる「困窮邦人」』集英社、1575円)-京都新聞―だ。フィリピンでの日本人男性5人を取材した作品である。

マニラに住む困窮邦人。1人は下半身不随の障がいを負う男性。元ソフトウエアー開発者。51歳。なぜ日本を捨てたのか。書評からはわからにない。

離婚をしてフィリピンに来たようだが、どうしてフィリピンなのかわからない。

教会の長椅子をベット代わりに生活する男性は毎日20ペソを稼ぐだけ。日本円にして4,50円。食事代に消えるが、その教会の長椅子での生活はできる。貧しいがフィリピンの人たちが支えてくれている。


偽装結婚した男性は元新聞配達員。58歳。

これらの男性は日本を捨てたのである。フィリピンの人たちは排斥しない。そこに救いがある。だからフィリピンにいる。

駐在記者が書いた作品は昨年の開高健ノンフィクション賞を受けた。これだけの紹介文だけでは内容がつかめない。読むしかない。捨てられてフィリピンに来た人たちではない。人を捨てる日本を捨てたのだ。1月10日の読売の書評では稿ある。「そんな事態に陥ったのは自己責任だ、と感じる人は多いだろう。しかし貧困や孤独、「迷惑」な人を切り捨てる非寛容、人間関係の希薄さ、それらすべてが彼らの責任だろうか。本書が問いかけるのはそこだ。彼らが照射するのは、実は私たちの生き方なのである」。
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思考のワクをどうこわすか

2012年01月15日 09時28分50秒 | Weblog
正月も2週目も終わった。いよいよ月曜日、火曜日は朝からの仕事が始まる。

年末に見たNHKテレビなら放送局制作番組で少しおかしく思った企画報道があった。昨年の奈良の水害で心の悩みをどう解決するかという企画で、宗教者が出演していた。南都6大寺の管主、長老と春日大社の神官だ。

なぜキリスト者はいないのか。鎌倉仏教の宗派や、新興宗教といわれ立教から100年以上たつ宗教は選ばれないのか。多分そういった議論はテレビ局内部では闘わされることはなかったのではないか。

思考はいつも定型化する。そのワクはなかなか壊せない。ましてや1300年たつ奈良なら南都6大寺しか頭に浮かばない。浄土宗などは「新興宗教」なのだ。キリスト教などは考えにも入らない。

思考のワクをどう壊すかも考えねばならないが、なかなかできない。私は今回の番組でキリスト者が出てもよかったと思う。

思考のワクでは言うと、橋下改革であるが、「公務員並み」というかつての労働運動のスローガンは消えてしまった。この時代に強固に主張するのは「公務員並み」であろう。それが皮肉にも逆様だが、思考のワクを破る原点ではないか。

といって公務員が現状に安住するのではない。公務員になるのが難しく、徐々に定員を減らし、結果として公務員の給料が高く保たれ、そしてそれが民間の目標になればいい。なぜ高級官僚の天下り根絶を徹底して叩かないのか。金持ち優遇の税制を糾さないのか。いまの公務員バッシングの社会には、叩かれない思考のワクが着実に存在続けている。


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