朝日放送6チャンネルの30日午後のニュース番組で週刊誌の報道をとりあげ、あるコメンテターがこう言っていた。
「日本もこうしたことが書けるようになった。暴力団と解放同盟と…」
あと2つ名詞をあげたが忘れたが、これは飛鳥会事件報道の週刊誌報道のコメントであった。
闇社会と解放同盟が結びつけられた発言をされて、運動の側が沈黙しているのはおかしい。是は是、非は非である。飛鳥会事件の非は非として責任や構造的な問題を追求すべきだが、こうしたコメンテターの発言にきっちり批判をしていく必要があるし、テレビ局は彼に言わせて、自身の追求すべき報道としての当事者性を弱めていないかとも思った。
一連の事件で本当に運動の側はこれまでなら批判する発言をしていたのを控えるようになった。そう感じる。しかし是は是、非は非である。批判を展開するテレビに是はあるものの、非の部分がいかに差別をばらまいている不用意な発言であるかは指摘する必要がある。そのことを指摘することが発言を封じるのではない。論議して足らざる点を補っていけばいい。
しかし、闇社会と対決して進んできたのが解放運動ではなかったのか。それは大変な営みだ。それが闇社会と解放同盟が結びつけられてバッシングされる。「それがいまの時代」と諦めていないか。朝日放送の継続した飛鳥会事件報道の姿勢は評価されるが、解放運動にどんな展望を示唆しようとしているのか。さっぱりわからない。
「日本もこうしたことが書けるようになった。暴力団と解放同盟と…」
あと2つ名詞をあげたが忘れたが、これは飛鳥会事件報道の週刊誌報道のコメントであった。
闇社会と解放同盟が結びつけられた発言をされて、運動の側が沈黙しているのはおかしい。是は是、非は非である。飛鳥会事件の非は非として責任や構造的な問題を追求すべきだが、こうしたコメンテターの発言にきっちり批判をしていく必要があるし、テレビ局は彼に言わせて、自身の追求すべき報道としての当事者性を弱めていないかとも思った。
一連の事件で本当に運動の側はこれまでなら批判する発言をしていたのを控えるようになった。そう感じる。しかし是は是、非は非である。批判を展開するテレビに是はあるものの、非の部分がいかに差別をばらまいている不用意な発言であるかは指摘する必要がある。そのことを指摘することが発言を封じるのではない。論議して足らざる点を補っていけばいい。
しかし、闇社会と対決して進んできたのが解放運動ではなかったのか。それは大変な営みだ。それが闇社会と解放同盟が結びつけられてバッシングされる。「それがいまの時代」と諦めていないか。朝日放送の継続した飛鳥会事件報道の姿勢は評価されるが、解放運動にどんな展望を示唆しようとしているのか。さっぱりわからない。