ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

日曜新聞読書欄簡単レビュー

2009年02月22日 09時24分17秒 | Weblog
恒例に日曜新聞読書欄簡単レビューです。朝日、毎日、日経の3紙から紹介します。多文化理解の本でまずイスラム世界の紹介した本から。

 北村歳治、吉田悦章『現代のイスラム金融』(日経BP、2520円)―朝日―は今週のいちおし。イスラム社会であろうと資本主義の輪から別の存在ではない。だからイスラム教の教えから言って、否定される不労所得や賭博性であるといって無利子金融は信じられないわけだが、誕生から30年をへて成長がダウンして壁につきあたることはない。本書は評者(小杉泰)が評するように「良質の概説書」という。「イスラム金融の成長の歴史を踏まえながら、今日のイスラム金融全体を描き出す」という本のスタンスだ。イスラムを教えを守りながら現代金融に対応する方式は、われわれに通じる金融用語に翻訳することを本書は忘れない。「ムダラバ」とは投資ファンド、投資信託、共同出資、リースに相当すると著者は説明するなどわかりやすい。イスラム世界を理解する絶好の一冊といえそうだ。

 ローワン・ジェイコブセン『ハチはなぜ大量死したのか』(文芸春秋、2000円)―朝日―は評者(尾関章)が一文で野生の花粉媒介役が失われているとの論を紹介しているが、基本は自らのサラリーマン人生になぞらえての花粉交配のためにトラックに載せられてぼろぼろになるミツバチに自己を重ねているとこころが面白い。自然界の「蟹工船」というわけだ。本書の誕生はアメリカで06年に大量のミツバチが失踪したなぞの解明にあり、いまのところ諸説あり確定した答えがあるわけではない。携帯に電波説、遺伝子組み換え作物、ウイルス関与説などの説があるが、本書ではそういった諸説ではなくミツバチの日常生活を暴いたところに大きな価値を評者が見出しているようだ。本書の引用でカギになる用語は「知性のほとんどは、個々の蜂にではなくコロニーに宿る」というフレーズ。「巣ごとの知性がいま脅かされている」と評者はいう。どう受け止めればいいのか。コロニー?に戻る生活=サラリーマン生活の知性が壊れてきているということか。それとミツバチの大挙した失踪劇。さて、さて……。京都新聞の書評欄でもこの書が紹介されていた。

 入門書のように思うがこれがなかなか本格的な金融経済の仕組みを解き明かす作品なのが中空麻奈『早わかりサブプライム不況―「100年に一度」の金融危機の構造と実相』(朝日選書、735円9-毎日―だ。著者は外資系証券会社で金融商品の実務に精通したエコノミスト。サブプライム・ローンをはじめとした金融危機がどう結びついてどういう結果を生んだのかを「鮮やかな筆さばき」で解いていく。津波のように広がった金融危機は信頼感の喪失がり、)やがてドルの世界通貨基軸も衰退することを予兆させる。評者(中村達也)は水野和夫『金融崩壊―「アメリカ金融帝国」の終焉』(NHK出版)も推薦している。

 文学関係では平林敏彦『戦中戦後 誌的時代の証言』(思潮社、3800円)―日経―が興味をひく。それは詩を求める精神というか原動力がこの書に盛り込まれているから。食うや食わずの戦中、戦後すぐの時代に、どうして詩に情熱を燃やせたのか。評者(野村喜和夫)は「人間存在の根底にあるのは言語であり、そのまま精髄が詩である。そういう確信があるからこそ、もしそれが危機にさらされている場合には、詩人は常にもましてアクションをおこすのだ」と書く。そして戦中戦後の混乱期を「誌的時代」と呼ぶ著者に深い批評精神をみるのだ。
 
 社会学の本ではスディール・ヴェンカテッシュ『ヤバい社会学』(東洋経済新報社、2200円)-日経ーと、佐藤俊樹『意味とシステむールーマンをめぐる理論社会学的探求』(勁草書房、3570円)ー毎日ーがある。前者はコロンビア大学教授の著者がギャングが支配する団地を何年も通いどうお金がまわるのか、問題解決されるかを研究した書。後者は評者(松原隆一郎)いわく「欧米の大家をいかに卒業させるかの手引書」という。ルーマンの社会システム論批判だが、ルーマンの決別の書ではない。ルーマンの面白さを説く本でもあろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元北海道ウタリ協会会長野村義一さんの逝去を痛む

2009年02月20日 21時02分49秒 | Weblog
北海道ウタリ協会会長をつとめられた野村義一さんが亡くなられ50日を過ぎ去った。会長職を退かれてからもお元気と聞いていたので、朝日新聞20日夕刊の追悼記事で亡くなられていたことを知る失礼の段を恥じるところだ。

 雑誌記事の特集で北海道を回り野村さんの世話などでウタリ協会の方々の座談会を組んだのは20年ほど前だったと思う。座談会後、札幌を出発して野村さんの住まいのある白老までごいっしょした記憶が鮮明である。

 朝日の追悼記事では「厳しい人」との評があったが、私にはこんなおだやかな人格者はなかったのではないかーとの思いが深い。私が荷物を多く持っていると、札幌駅構内で「持ちましょうか」と自然に言われたのには驚いた。親子以上年が離れている私にそうした声をかけられる心根は体の奥深く私のなかに記憶されている。アイヌの人たちが育てた生活文化のやさしさなのかとも思ったりした。

 白老では博物館を見学して、一泊した。当地の旅館の温泉は赤いお湯が滾々(こんこん)と湧き出て肌になじんだ。野村さんの世話で泊まれた旅館だった。逝かれたのは昨年12月28日。アイヌが北海道の先住民族であることを宣言した国会決議見届けて亡くなられた。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ねぼけてはいけません

2009年02月20日 17時41分25秒 | Weblog
所要で兵庫県の北部まででかけた。寒い。当地でははじめて雪が降ったというが、そんなことはないだろう。こんなに寒いのだから。トンネルを越えるたびに寒くなる感じだ。

友人の新聞記者が近辺で支局長をしているので電話をしたら「今日はだめや。予算のことで忙しい」。残念! 一杯やるつもりのもくろみははずれた。仕方なく仕事を済ませて列車に乗った。快速電車。途中でうつらうつら。居眠り。

ところがである。夢の中で「座席に乗せたカバンをこちらに寄せないと」と「指令」が出て、そこでパッと目が覚めた。カバンなど持っておらずリュックを足元においているから、とんでもない勘違い。寝ぼけるのもいい加減にしないと。

というのは2人掛けの座席の右側には女性が座っており、ねぼけたままだと、女性にふれていたことになる。なんということか。本当に目が覚めてよかった。

 世の中、「夢でして……えらいすいまへん」なんで言い訳などできない。そういう悠長な時代ではない。眠気まなこでボーとしていることもできないのが現代社会か。しかしそういう時代に生きているのだから、その時代にあわすしかない。電車の中では腕を組んで居眠りすることにしたと大阪駅で下車するとき思ったが、そうはいかない。とにかく眠たい時には眠るしかない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コラム「風」小泉発言でわかったこと

2009年02月13日 22時11分11秒 | Weblog
公企業の民営化を先んじたのはアメリカであり、次いで日本、そして韓国がいまその嵐に入ろうとしている。

▼小泉さんの発言には驚いたが、「このままでは自民は選挙で大敗する」と直感したのだろう。定額給付金発言は実は余計な発言(あまり政治的読みをしての発言ではないもの)だったと思う。いまさら自民の再可決の方向を曲げることはできない。細田幹事長は従来の方針を確認した。

▼文芸評論の加藤典洋さんがある著作の中でフランスの詩人ポール・ヴァレリの言葉を引用して「ものを書く人間というのは、アヒルの卵を生んだ白鳥か、白鳥の卵を生んだアヒルか、どちらかだ」と。つまり「アヒルがアヒルを生む、白鳥が白鳥を生むなら誰もものなんか書かない」(『言語表現法講義』)。予期に反すること、新たな発見があるから「書くのだ」というのだ。

▼麻生さん―小泉さんの「衝突」は、13日の麻生さんの弁では12日の小泉さんの批判は「私への応援」と受け止めているようだが、この2政治家の言葉の応酬に「新たな発見」があるのか。袋小路に入った日本を実に象徴する出来事ではないのか。「アヒルがアヒルを生む」社会で、どうして新たなことがおきるだろうか。民営化推進は新たな発見はなく「反省」しかないのか。

▼混乱を招く民営化は徹底して検証すべきだろう。本当に郵政民営化で収益があがり、貯金も増えたのか。かんぽの宿のきなくささは何なのか。民営化で労働の収益を求めるため労働者が疲弊しているのではないか。構造改革とは何のためなのか。民営化は何のためなのか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜新聞読者欄簡単レビュー

2009年02月08日 18時59分50秒 | Weblog
日曜の夜になって入力が遅れたが、恒例の日曜新聞読者欄簡単レビューです。朝日、読売、毎日、日経、産経、奈良の6紙から紹介します。文中敬称略。

 今週のいちおしは朝日、読売で紹介された岡真理『アラブ、祈りとしての文学』(みすず書房)だ。朝日の評者(鴻巣友季節子)が書いているように「文学は対象との時間的・思考的な距離があってはじめて書ける」ものであるなら、著者が紹介するパレスチナ、レバノン、エジプト、アルジェリアなどの現代作家は最も書けないところにいる。その作家たちを究極的にあらわす言葉を評者は著者の表現をかりて「祈ること『しか』できない」とまとめている。「祈り」。文学でこのことを現代日本作家で言うのはサイードと親交があった大江健三郎であるが、自己の無力さと出会ったとき、人は何を見るのか。私は「神」なるものだと思うが、文学はその神を対象化するから言葉を紡ぐことができるわけだ。それが「祈り」なのか。「無力さ」に気づくとき、ここが重要なのだが、すでにことが過ぎ去っているのである。どうしようもできない。だからこそ「無力」なのだ。そこで本当に「祈り」をささげるのか、それとも記録する行為に出るのか。著者は「故郷の記憶抹消(メモリサイド)に抗するのが小説の力だ」と語っている。文学は文学的環境とういものはないのかもしれない。消え行く記憶に効する、消え行く「神」を希求することなのかもしれない。苦悩の地で小説が書かれる意味―こうタイトルを朝日の書評はつけた。祈りを他者の痛みをわかつこととの視点で読売の書評(評者小野正嗣)は書く。

 パレスチナ、レバノンという名に連なるかたちで次に紹介するのはピーター・シャビエル『イエスの涙』(アートヴィレッジ、1995年)―奈良―だ。書評を読むだけでは本書の肝心なところがわからない。キリスト教の研究書、神学書なのか、紹介文の最初にある京都の修道院シスター・テレサの体験記なのか。このあたりがわからないか何ともいえないが、イエスを肉体をもった人間としてとらえているといい、ハッピーエンドで終わらないというから、神学的告白の書かもしれない。イエスの解釈をめぐるベースには先の本でふれた「祈り」がある。

 中野春夫『恋のメランコリー』(研究社、3780円)―産経―はシェクスピア劇の普遍性を探った本といえようか。観る劇を観劇というが、これは舞台技術が進んだからで、シェクスピアの時代は観劇ではなく、聞劇であったようだ。つまり観客は「聞く」ことで想像力をかりたてたというわけだ。本のサブタイトルは「シェクスピア 喜劇世界のシュミレーション」とある。シェクスピアの時代の社会を描いた本でもあるようだ(評者仁田三紀夫)。

 現代のリーダーとは何かを求めたのがジョセフ・S・ナイの『リーダー・パワー』()日本経済出飯社、2000円)―日経-だ。英雄を求めるのではなく集団共通の目標に向かい人々をしうるかという。評者古城佳子は責任感を明示していないのがおしいーと書く。ブッシュ政権の外交をソフトパワーの欠如と指摘した著者が、いまのオバマ政権をどうみているか。興味深い。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初恋のひとの夭逝

2009年02月06日 21時00分30秒 | Weblog
 この年になると同窓会という誘いが時々ある。小・中学校を出てから残念ながら思い出すのもいやなというか、つらいことが多く、その記憶と重なることがいやだから同窓会は出ない。いや出たくはないというのが本当の気持ちだ。世話をされる方には申し訳ないが。

 ただ中学の同窓会に出たことがある。そこでびっくりしたのは、初恋の女性が亡くなっていたことだ。結婚をされて名前が夫姓になっていたが、50代で他界されていた。なんということか。

 あんなに元気でグランドを走り回っていた彼女がもうこの世にいないということは、どういうことなのか。彼女の家があった場所などが突然甦るのだ。何十年の前のことが脳裏にあるから不思議だ。

 高野川が流れ、よく水泳をした場所がパーッっと映像と音で再現された。アスハルト道がおりからの雨で少し濡れている。車が時々通る。シャーという雨をはじくタイヤの擦過音。

 中学を卒業してから何年の月日が流れたことか。一度も会っていないから、勝手に思い込んでいただけかもしれない。

 人生は生々しい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国・非正規職法改悪で民主労総反対闘争

2009年02月03日 20時37分56秒 | Weblog
 非正規労働者の派遣労働問題について韓国では2009年に2年の契約雇用期間をむかえる労働者が100万人に達する。これに対して民主労総は2月に非正規労働者法改悪をめぐる闘争を展開すると発表した。

 1998年の金融危機に次ぐ金融危機に直面しウオン安が止まらない韓国経済だが、自動車をはじめ輸出に頼る製造業の不況が大きく広がっているが、非正規労働者法では2年の派遣期間として設定、以降の雇用は正規職雇用しなければならないが(日本は3年)、今年2年目に達して正規雇用にスライドしない非正規労働者が100万人を数えることから。政府・与党は4年に法を「改正」、失業救済策を行う方針でいる。

これに対して民主労総は1月30日、記者会見して法「改悪」阻止に取組み2月14日には非正規労働者大会を開くと発表した(「チャムセサン」ウエブ1月30日記事から)。「チャムセサン」同記事によれば民主労総のチン・ヨンオク委員長職務代行が「政府・ハンナラ党の非正規職期間延長と派遣拡大を骨子とする非正規職改悪案は、非正規労働者の雇用の安定の道をふさぎ、正規職の非正規職化を促がし、低賃金で雇用不安の非正規王国を作る意図がある」と批判している。

韓国の労働運動はこの非正規労働者問題が大きな取組みとして浮上している。「ハンギョレ」は1月27日社説で「本当に非正規法改正するのか」と題して「法が改定されれば正規職も非正規職にかえて返って雇用不安を生む」と反対の立場を表明している。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

編集局からの手紙「雇用創出が問われている」;川瀬俊治

2009年02月02日 23時42分35秒 | Weblog
雇用創出がいま求められる社会的最大の課題である。1年前にはそういう用語すらなかったのだから、人間はどうも1年後のことはほとんど想像できないようだ。

 雇用といえば、高齢者介護職が不足しているから外国人労働者を導入するという。昨年もインドネシアからの研修生が来日したが、彼女、彼らに要求される条件はあまりにも厳しかった。二、三年の研修で、日本人と同じ条件で介護職試験に合格しなければならない、という。これが雇用の創出になるのだろうか。外国人に厳しい姿勢は戦後一貫して変わらない。

 自動車産業や家電産業の景気後退でリストラが伝えられるが、伝わらないのは労働組合の反応だ。リストラ拒否をした労働組合はないということが、どう考えてもおかしい。わざと伝えないのか、それとも反対する労働組合はないのか。

 メディアは公共機関が解雇された非正規労働者を採用したというニュースを盛んに伝える。そのことは結構なことだが、今回の雇用不安を招いた経済政策や企業側の責任を伝えるメディアは見聞きしたことがない。

 要は対立を避けることの一点にあるようだ。それは対処療法でしかない。格差社会の弊害の数々はこれまで指摘されたが、それを克服する営みは「恩恵」や「慈善」という「恩恵」主義でオブラートに包んでいるような気がしてならない。

地域に利益を還元するヨーロッパで発達している半官半民のような企業をおこすことや、正規職を増やすことで社会不安を克服する王道を進むべきだと思うのだが。それが内需拡大を生むのだから。

 考えてみれば正規職を増やすことが経済成長のベースにあったのではないか。非正規職を増やすほど企業は疲弊してきている。逆説のように聞こえるが、企業の安定ということ、つまり労働者の視点から言っても真実だろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする