ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

2010年9月アクセスNO.1記事「Kさんの逮捕、釈放を黙殺するメディアの責任」

2011年09月29日 20時47分14秒 | Weblog
 友人Kさんの逮捕、釈放をめぐり「メディアは報じたのか」と海外からの友人のメールの指摘でハッとした。そうしたことは考えてもいなかったからだ。メディアは眼中になかったからだ。

 かと言っても、確実に情報は2社の記者に入れていた。またJ-NETの報道で詳細は知ることができる。しかし、報じてくれるとは思いもしなかったことだ。

 しかし、公正であるべき法、そして法を支える正義に照らしても、Kさんの逮捕はひどすぎる。当然、メディアの主人公新聞は公権力、私権力の監視を任じているなら「この事態はおかしい」と反応していいはずだ。

 そうした反応がないことに伝えれる側は当たり前になっている。

 反応がないのは、そういう事実が起こっていることを大半の人が知らない。知らないことは、そういう事実がなかったことになる。しかし事実はあるのだ。頬かむりしているのか。報じるにたらないニュースと思っているのか。

 大きな管理社会の中で、市民とメディアも、沈黙を強いられている。恐ろしい社会になったものだ。やはり法と正義にもとづき、おかしいものはおかしいと反応しなければならない。

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ラジオが見直される時代

2011年09月27日 21時07分29秒 | Weblog
3・11以降見直されているのが、ラジオだ。この9月10日、11日のラジオ番組は出色のものがあった。


11日午後6時からのNHKラジオ「放射能汚染とどう向き合うか」はよかった。その理由はラジオだから話に集中できたことが大きく、その特性を知るラジオディレクターがうまく編集した。それは話が拡散することなくテーマを深めた。

東大の先端研教授であり、アイソトープ総合センター長である児玉龍彦先生と、経済学者金子勝さんがキャスターの進行でテーマの核心を出し合った。南相馬で線量をはかり放射線被曝の危険性を減らす努力をしてきた児玉先生が、事故後、「とりあえず逃げろ」と言われた住民が逃げたのが飯舘村だったという。SPEEDIの試算が公開されたのは5月に入ってから。放射線量が高かったのが20キロ圏内外の飯館村だった。そこに逃げたのである。「本当?」とびっくりした。

金子さんは高度経済成長崩壊について事態を隠した政府の姿勢と今回の原発事故以降の対応の類似をあげた。風評被害を生まないためには安全性のラインをしっかりおさえて、経費がかかるがその処置を徹底すれば、安心して食の安全が図れる。静岡のお茶は「ここまで影響ないだろう」と検査をせず輸出、フランスのシャルルドゴール空港で汚染が史的され国際的信用にも結びついた。この例も児玉教諭が出した。

10日のTBSラジオ、CBCラジオ、MBSラジオの人気パーソナリティが一堂に会した。3つのラジオが今年60周年を迎えた特別番組だ。永六輔さん、つボイノリオさん、浜村淳さんだ。「ラジオは思い切り話せる」「テレビは若者向きで、ラジオのように話せない」などラジオの特性をあげた。視聴者の側からは「仕事をしながら聞ける」というメリットは大きい。テレビをやっと我が家に来たが、なぜこれだけバラティー番組が多いのか。あまり見たいとも思わなくなった。
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市民が力をつけること 情報の重みを知ること

2011年09月17日 14時46分14秒 | Weblog
私の友人で警察に逮捕された人が今年上半期目立った。しかし「それくらいの微罪で拘束されるのか」と首を傾げることがしばしばあった。人の自由を拘束するというとんでもない人権侵害を見過ごすわけにはゆかない。


▼逮捕状を出すのは警察ではなく裁判所だから、一方的に警察だけを批判をするのも偏っている。裁判所がどういう基準で出すのかが問題でもある。

▼製造者責任とか言われリクルートを企業は自社製品回収で行い、社会的責任を果たしている。そうすると、公的な責任をもつところの責任が実に曖昧模糊としている。アンバランスだ。

▼取調べの可視化はその責任をはたす上で重要し、情報公開は現代の大きな課題の1つだ。それを実現するには独立した公権力監視の機関が必要なのだ。そのためには市民が力をつけねばならない。

▼政権交代した民主党に対して外国の友人は「民主党になったのにそんなことで逮捕されるの」と何度も尋ねられたが、官僚が力を握っていることは前政権から変わらないのだ。官僚の有能さはいうまでもないが、改革に対して立ちはだかることが目立つ。

▼微罪逮捕については、家宅捜査で押収したPCなどで情報が集められる。これが捜査に役立つことはわかるが、容疑とどう関係するかわからないのにPCを押収していく事例に何度か出合った。情報をどう押さえるか、集めるか。公権力の情報量は膨大である。

▼ウイークリークスが登場したとき「すごい」と思ったのは、公権力を隠す情報を公開したからだ。こうしたことはわれわれにはとてもできないが、情報の大切さ、重みだけは肝に銘じたい。
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日曜日新聞書評欄簡単レビュー:川瀬俊治

2011年09月11日 14時57分05秒 | Weblog

 長く沖縄の新聞の書評を紹介していない。1週間前の9月4日の琉球新報から。『訳注 中山世鑑』を紹介する。

 沖縄県職員の諸見友重がこの訳業を成し遂げた。榕樹書林が版元だ。中山世鑑は「ちゅうざんせいかん」と読み、首里王府が初めて編纂した正史だ。1650年、羽地朝秀が中心になり組んだ。琉球の創世神話や冊封の儀式など書かれているが、漢文のため現代人解読が大変だが、わかりやすい読み下し、解読で「沖縄の歴史的アイデンティ」が読み解ける。3990円。評者は喜納大作。 

 毎日は地域紙の震災写真集を紹介していた。今日が3・11から半年たつ。8月31日に福島県いわき市に取材で出かけたが、地元の地域紙が震災写真集を出していることを知った。夕刊いわき民報だ。毎日の読書欄では紹介していないが、友人の紹介で岩手の地域紙の活動を写真集から知ることができた。ほとんどが売れて本が足りないとのことだ。ヘリコプターをチャーターして地域紙の社長がカメラで撮った写真集もある。記録したいというジャーナリスト魂はどのメディアでも同じだ。

 同じく震災関連では毎日が池澤夏樹『春を恨んだりはしない-震災をめぐって…』 (中央公論新社、1260円)。評者は池内紀。・評)を紹介している。池内は小さい本だが大切なことが書かれていると評して、新聞の見出しでは「記憶に深く刻んだ「あの時」に立ち戻る」とある。タイトルはポーランド詩人シンボルスカの『終わりと始まり』からとられているという。「半年にわたるまでのおりおりにつづったものが基礎になった。四月、五月、六月、七月--そのときに考え、感じたことを、ねばりづよく考え直して書いていく。「あの時に感じたことが本物である」。人間はなぜか、あとからあとのことでスリかえて本物を見失う習性をもっている。池澤夏樹はつねに「あの時」の一点に立ちもどって考えた」とも書いている。あの時に感じたことが本物とは本当だろう。あとですりかえがちだから。池澤は「政治に何ができるか」の一行が紹介されている。「理想論は言葉を信頼し、現実論は権力や金に依(よ)る」と書く。作家はズバリ書いてこそ作家だ。書評者の池内の文より。「ケータイ一つとってもあきらかだが、テクノロジーは一夜にして社会を変える。原発から再生エネルギーへの転換がどうして難しいことがあろう。理想論として嗤(わら)うやからに」。

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ノートパソコンが壊れた

2011年09月09日 16時03分08秒 | Weblog
ノート型パソコンが壊れた。コンセント部分がダメになり、大阪の量販店に行くと、見積もりに半月、修理に半月かかるそうだ。

 仕事はいつも電車の中か喫茶店であり、充電がないとダメ。壊れたPCは3時間半もできたから、今集中している翻訳はこれで進んだ。それがもうできなくなるのが、くやしいというか残念だ。

 仕方なく友人からプレゼントされたPCを取り出したが、30分しか充電できない。バッテリーが弱っている。そこで量販店で注文すると、「もう古いので清算していません」とのこと。

 「やれやれ」。30分充電でがんばるか。1杯のコーヒーで2時間近く居座ることもなくなり、喫茶店は「やれやれ」というところか。30分の短時間集中しないとできないことを幸いと思うしかない。
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10月のソウル市長選に「落選運動」の朴元淳さん出馬へ

2011年09月06日 21時00分34秒 | Weblog
「落選・落薦運動」など韓国の市民運動をリードしてきた朴元淳(パゴンスン)さんが10月行われるソウル市長選に立候補する。朴さんは希望製作所を立ち上げ、日本にも日本希望製作所が東京にあり活動を続けているが、今回にソウル市長選での動向が注目されていた。

呉世勲(オ・セフン)前ソウル市長は校給食の無償化をめぐるソウル市民の住民投票が有効投票率に達せず無効になったことで、「無効なら辞任する」と当初語っていたとおり辞任、10月にソウル市長選が行われることになった。

 これまで立候補をとりざたされていた韓国ベンチャー業界の第一人者、安哲秀(アン・チョルス)ソウル大学融合科学技術大学院院長が、6日の記者会見で立候補しないことを明らかにし、さらに朴元淳さんの支援を表明した。

朴元淳さんは6日の段階で立候補する意思を知人に語っており、有力な候補として浮上した。ソウル大学中退、檀国大学校史学科卒業後、地検検事を経て弁護士に。政治への市民の参加・監視を掲げる「参与連帯」を創設し2000年の「落選・落薦運動」では日本でも話題となる。2006年に市民参加の希望製作所を開設、アジアのノーベル賞と呼ばれるマグサイサイ賞を受賞した。
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十津川村の写真 

2011年09月06日 06時09分34秒 | Weblog
 毎日新聞朝刊は十津川村の国道168号線がずたずたに切断された写真が載っていた。

 2週間前に仕事で通ったところではないか。

 あんなに簡単に土砂が崩れるほどの豪雨とはどんなものなのか。恐ろしい。

 昨日の夕刊は朝日新聞の写真が光っていた。五条市大塔町の土砂くずれの写真だ。すごい現場を伝えてくれた。
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週刊金曜日を読む

2011年09月05日 13時21分25秒 | Weblog
 久しぶりに週刊金曜日を買った。

 天笠さんが市民科学者の系譜を書いているからだ。

 今週号に天笠さんの原稿が出ると聞いていたいたから買うことになった。

 週刊誌というのはそういうもので、何か情報があればその情報にもとづき買うことになる。のべつ買うということはない。

 話は書く側のことだが、週刊金曜日に原稿を送ったことは何度かあるが、600字くらい書いて10分の1になり掲載。やはりルートがないとダメだと痛感。それからは売り込みもしていない。

 週刊誌も方針があるので、よほどのねたでないと採用しない。急に飛び込んできた原稿をそう簡単に相手するはずはない。天笠さんのは売り込みではないだろう。

 しかし考えてみたら、注文を受けるというのはほとんどない。着実に仕事をしていくしかないようだ。この年になってというのが少々なさけないが。
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十津川村の水害

2011年09月04日 06時30分11秒 | Weblog
十津川村は2週間ほど前に取材に行ったところ。えらい水害になってしまった。

 山と山の間を十津川が流れ、道路工事が絶えない。1年半前に通った道路はまだ工事をしていた。工事は災害を防ぎかつ交通の便をよくするためのもので、橋をかける巨大なものだった。

 山の斜面に家々が点在しているが今度被害にあわれた方はどの辺にお住まいなのか。山と山の間には水が集中して集まる。そういう危険性があったのか。ダムの放水と関係ないのか。

 明治時代の大水害では村ごと北海道に移動した。村に行ってみてわかったのは、1人住まいの高齢者が多いこと。今回は若い家族だった。村に残る大変郷土を愛された方なんだろう。大変なことだ。
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台風 長い滞在

2011年09月03日 07時36分28秒 | Weblog
 今回は台風の滞在が長い。

 沖縄で経験したことがある。1日中家から動けず著者宅でじっと通り過ぎるのを待った。南国の台風をはじめて経験したのだが、終日窓の外はうなりをあげ、雨がガラス戸をたたきつけていた。

 本土も沖縄のような気候になったということなのか。つまり海中の温度が高く台風は勢力が衰えないというわけだ。速度が遅い。

 台風の影響を感じた8月31日から4日目だが、まだ風がきつい。

 昨日はスーパー駐車場で降車中の車のドアが強風であおられ思い切り開きグニャという音がした。へたをするとドアが飛んでいくような勢いだった。やれやれー。

 ただこれで暑い季節はぶり返さないだろう。そんな期待があるのだが。
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蟷螂の斧 隆車に向かう

2011年09月02日 16時57分33秒 | Weblog
なんでこんなに仕事がたまり収入が増えないのか。これ愚痴なのか。

 朝5時半におきたが、あかん。眠たい。なんとかがんばろうと睡魔と格闘したが、1時間ほど起きていて、二度寝。8時半まで寝てしまった。

 これではいかんと「よねだ」という名古屋資本の喫茶店で約2時間45分仕事に没頭。なんとか進んだが、まだ焼け石に水。

 蟷螂の斧 隆車に向かう が、わがベースとなる精神。隆車はいつもそびえていて、こちらの斧はさびついてきた。

 雑誌の原稿が11月まで延びたのは本当に幸いした。

 さて、今月末に本2本分の原稿が来るのかどうか。こないと責任ものだ。著者はわかっていないだろうなあ。そういうものだとつぶやく。
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いわき市海岸線を行く

2011年09月01日 18時53分54秒 | Weblog
 脱原発の本をつくることもあり、東京での仕事を終えて31日にいわき市に赴いた。

 夕刊『いわき民報』の当初の報道によれば、120人の方々が津波被害に遭い亡くなられた。福島=原発、宮城、岩手=津波という類型がいかに単純化かわかる。

 津波被害の残痕は道路上にはなく、この間の懸命の復興の営みに頭が下がる。


 昼食のために入った食堂は、高さ1・8メートルの津波がきたが、いまは立ち直り賑わいを見せていた。そこで鯖の煮付けを食べた。


 原発建屋をおおう建物の建設が進んでいると該当する埠頭に来たが見当たらない。また「立ち入り禁止」と書かれており近づけなかった。

 「本の写真に使おう」という職業意識はよくない。撮れないならと撮れないでいいと思い、マリンタワーに上がる。いわき市の海岸が一望できた。折からの台風で波が高く突堤を越えていた。
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