ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

三國連太郎さんを偲んで

2013年04月15日 20時40分13秒 | Weblog
三國連太郎さんが亡くなられた。びっくりした。常に体を鍛えておられていた方だから、突然の訃報は信じられない。

編集の仕事で沖浦和光先生との対談で本を出すことになり、何度もお会いした。

東京・高輪の事務所にはよく顔を出し、マネージャーの方といろいろ細かいところまで教えたいただいた。

三國さんは親鸞の映画を撮られたが、その勉強ぶりは圧倒的だった。2階建て民家を借りて本を集められ読まれたが、本の重みで家がおかしくなったと聞いた。たしか滋賀の撮影現場に行った記憶がある。

とにかく謙虚なかたで、私のような年端もいかないものにまで丁寧語を使われ、対談内容も沖浦先生と息があい、加筆されるところは厳しく検討されたことを覚えている。

自己の半生を包み隠さず話される大変解放的な方で、若い時代の兵役拒否から一貫していた。権力におもねらない姿勢は見事としか言い様がない。

講演を頼まれれば、原稿に仕上げて書いたものを読み上げられるのが常だった。生真面目さの極地というか。アドリブとか冗談などこれっぽっちも言われない。「釣りバカ日誌」のツーさんも演技だろう。わたしが少し垣間見た三國さんとはまったく違っていたからだ。演じることに徹底されていた。

たしか沖縄のことを加えた執筆とか、映画とかやりたいとか話されていた。多分執筆の方だろうが、念願かなわれたのだろうか。ご冥福をお祈りする。
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日朝正常化交渉がカードにー北の核開発に対して

2013年03月03日 10時37分38秒 | Weblog
どうして朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮共和国)が核開発に傾注したかの歴史的経過をしることは重要だろう。チョウ・コンボクという学者が「北韓の核政策」という論文を書いている。この論文に依拠するが、メディアがほとんど論じていないことでもある。


 アイゼンファー大統領が53年に「核の平和利用」宣言を出してから2年半後になるが朝鮮はソ連と56年に核関連共同研究機関に関する条約を結んだ。この条約で朝鮮は30人の研究者をソ連に送る。ここで朝鮮の研究者は核技術についての教育を受けた。58年1月にはキルジュ郡近くに核兵器訓練センターを建設でソ連の支援を受けた(チャン・ジュニクの研究から)。翌59年には朝ソ原子力条約に署名した。

 63年にはソ連式原子炉IRT-2000の建設をはじめ65年に完成させた。これが原子力発電所稼動を意味しない。というのは金日成が74年に中国を訪れ中国に核開発プログラムの支援を求め、84年にモスクワを訪れた金日成は電力不足解消のため原子力発電所設立のためのサポートを要請したことからも原子力圧電所稼動ではないことがわかる。

 ソ連から圧力も受けた。核非拡散体制(NPT)の加盟だ。朝鮮共和国は92年までIAEAの査察は拒否してきたが、ソ連との経済技術条約を結ぶ代わりにNPTに加盟した。さらに代償としてソ連は軽水炉四基建設を約束した。85年のことだ。しかし、ソ連の財政事情悪化で88年計画は解消された。核問題の南北の差は歴然としている。88年といえばすでに韓国の原子力発電の現行体制が出来上がっていた時期だ。

 朝鮮戦争後の58年アメリカは戦術核を韓国に配備した。以降、朝鮮はアメリカの核の脅威を受けてきた。そこで61年にソ連、中国と友好条約を締結したのだが、中ソとも「核の傘」の提供をしなかった。戦術核を配備しなかったということか。

 中ソが「核の傘」まで朝鮮共和国に配備しなかったことが、韓国が90年代初頭、両国と条約を結べることになった背景かもしれない。ところが朝鮮共和国は2大資本主義圏の日本とアメリカとの条約を結べなかった。日本の「北朝鮮バッシング」でわかるように、またブッシュ大統領の「悪の枢軸」で鮮明なように、日米両国の戦思考が強固に極東政治を差配したからだ。

 朝鮮共和国が最後の頼みどころとして核開発に集中したのはこうした経過がある。ここで問題にするのは日米の冷戦思考だが、米ソを軸とした冷戦思考ではない。日本も軸としているところに特徴がある。その克服として6か国協議のスタートがある。もうとっくに忘れ去られていうr6か国協議を今後どうして再開するか。最終目標は朝鮮半島の非核化だが、日本の立ち居地は決まっている。脱冷戦思考だ。安倍―オバマ会談をみてもわかるのは益々強くなる冷戦思考だが、拉致事件解決と日朝国交正常化は別のスタンスで進むべきだ。日朝国交正常化が交渉のカードに日本は掲げて行くことではないか。


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権利に先立つ義務  シモーヌ・ヴェーユの思想の核心

2013年02月05日 21時09分07秒 | Weblog
神学論争ならぬ権利論争の1つのテーマです。

  毎日新聞が日曜読書欄とりあげた鈴木順子さん『シモーヌ・ヴェーユ -犠牲の「思想」』(藤原書店、3780円)で指摘された「権利」より前に「義務」が根源的あるという指摘は、すでに10年以上も前に雑誌「現代思想」で最首悟(さいしゅ さとる)さんがシモーヌ・ヴェーユを引用しながら、多重障がいにある娘との生活体験を引用しながら指摘していたことだ。

 最首さんの『星子が居る 言葉なく語りかける重複障害の娘との20年』(世織書房、1998年)を読んでいたのと、人権問題の土台を考える上で、この指摘は実に印象に残った。愛すべき存在、かよわい存在に向けて「これはやらねばならない」と自分の中に「義務」が生まれる。それは「権利」の前に存在するものだという指摘だったと思う。

 今回の書評でなぜ研究書として改めて「権利」より前に「義務」が根源的あるという指摘を取り上げねばならない新しいキーワードなのかわからない。

 すでにシモーヌ・ヴェーユの思想を論じる共通認識になっているからだ。そのあたりの研究や論及の通史的な調べがいるはずだと思うのだが。

 問題は評者(鹿島茂さん)にふれてほしかったのは以下のことだ。「権利」を奪われている人たちから考えると、権利は社会の基礎とすべきではないという指摘はわかるし、そのことは事実だ。

 では「義務」の対象として向かう「これはやらねばならない」と思われる人、対象になる人にも「権利」の先立つ「義務」が無限連鎖のようにつらなるのか、それともその人たちは無なのか、神の子かという疑問である。

 そこをこの書でどう説かれているのか。シモーヌ・ヴェーユはどう苦闘しているのか。一方、本書を読むことでしか解答はないだろう。書かれているのか、書かれていないのか。

 ひょっとすると「義務」の観念は、人間の俗世間を越える唯一の超克の観念かもしれない。キリスト教学や仏教学では、そういう概念を教学の中心に据えている。イスラム教のラマダンもそうだ。その共通項からすれば対立することはないはずだ。
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金稔万さんの本名(民族名)損害賠償裁判 敗訴に思う

2013年01月31日 22時57分48秒 | Weblog
金稔万さんの本名(民族名)損害賠償裁判は思ってもいなかった判決を受けた。敗訴である。



1・30判決のあと、夜、ふるさとの家で開かれた報告集会、さらにそのあとでの仲間15人ほどでの11時前までの「だべりんぐ」と行動をともにした。

金稔万さんは判決に閉廷後、混乱していて言葉が出ない状態が続いた。やっとたまっていた思いをぶつけたのが司法記者クラブの記者会見だった。

会見場で弁護士の説明に記者は「おかしな判決だ」と感じる方もいたようで、今日の新聞には、とりわけ朝日新聞の報道はわれわれの気持ちを代弁してくれていた。

夜の報告集会でわたしが発言したのは、「裁判長は高いところから何を見ているのか。同じ目線に立つ意味でももっと席を低くせよ」と言った。無論、裁判官席が低くなることはない。象徴的行為として述べたまでだ。

同じ目線からの考察、証拠の検討、弁明の証左をしながら法律的判を下すという意味だ。それは相手に同化する意味ではない。無論、被告側からも同様のことが言える。

するとどうか。

どうして原告金稔万さんが日雇い労働で一貫して本名を使用してきて、ある日から通名強要の事態に出くわして、就労を余儀なくされたのか。そこには元請けが本名を名乗る(登録された)金稔万さんを外国人就労届けがいる外国人とみて手続きを下請けに下ろし、下請は彼が外国人就労届け不要の特別永住者と知っていた。しかし、元請けに逆らうことはできないため、「本名のままなら外国人就労届けが必要」との元請けの要請が下りることを考え、通名ならそういう元請けの事態もないと考えたのだろう、通名強要という今回の事態に走ったのである。

下請側の「本名なら3、4日手続きがかかる」との証言は、日雇い労働者の雇用を知るものならありえないことだ。日雇い労働はまさしくその日に雇われる1日契約だからだ。3、4日間待てなどという下請けも、またこれに応じる労働者はいない。ありえない話だ。

給料を保障されている人はこの関係がわからない。

朝鮮人の本名問題で苦闘する被告の思いもとどかない。通名強要にいたる明らかな被告側の過誤と原告が日雇い労働者である立場で、強要されていく無念さもわからない。なんということか。裁判官に理解してくれということは無理なのか。

元請け企業は日本を代表するスーパーゼネコン。そして植民地政策の克服に手をこまねく国。この頂上が何ら責任を問われない。このおかしさに地団太踏んでいたのではいけない。あらゆるところから攻めることだ。攻めるとは暴力ではない。歴史を探求し、法律を学び、国、元請け、下請けの心情を己の鏡に映して、その闇をこじ開けていくこと。

俄然、ファイトが出てきた。冊子第2弾の編集に入る。

金稔万さんも変わった。腹が座った。事態の核心をつくのだ。しんどかった2年余の裁判闘争。彼は自らを振り返り、己のアイデンティティを深め、日本社会で見えなくしている朝鮮人差別を可視化した。見えるようにした。すごいことだ。本当にすごいことだ。

しかし最初、どういう経過でこうした通名強要が起きたのかが、よくわからなかった。
3人の弁護士の弁論、調査で上記のような事実がわかってきた。本当に知識とは闇をこじ開けるのだ。今回の裁判闘争に伴走してきて視界が開けた大きな収穫だ。

法律は何のためにあるか。法律は社会的に追い込まれた、あるいは迫害されている人のためにあることを。3人の弁護士の活動はそのことを示していただいた。当然のことだが、すごいことだ
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橋下市長の手法を解き明かす

2013年01月23日 00時01分40秒 | Weblog
 桜宮高校の近辺に親類がすむからよく通る。

 高校生の記者会見は圧巻だ。

 高校生はわかっていないーと市長が回答、「なんで校長や顧問に言わないのか」とも。

 市長が1時間ほどの対話で、さらに2人の高校生の話を聞いただけで終えた説明に納得するわけない。

 立場を変えてみるとよくわかる。

 中央の自治省幹部が大阪市に来て、市の何らかの組織編制で「来年からそこのセクションは募集しない」と説明。市側は1時間の説明で2人しか説明する機会がないー。こう移し変えるとよくわかる。

 自治省幹部。「どうして助役とか監査委員とかに言わなかったのか。よくわかっていないのだ。大阪市の職員は」。これで通じるか。非難轟々だろう。自治省幹部に対して。
  
 政治家の介入とか、教育委員会の独立性とは権力論、組織論の話の前に、誰が当事者なのか、当事者からの視点が欠落していることがわかる。最近喝采を受ける御仁の行動はだいたいこのパターン。

 一時が万事、この根元を忘れて、職員の刺青問題、労働組合・職員への給与問題と進んできた。そこには大義名分があるから。赤字財政再建が。その錦の御旗のもと、ずばずばと食い込むから、いままでとは違う政治家のリーダーシップを感じてします。

 市の職員幹部の友人が、「頭のいい人はたくさん出会ったが、市長ほど理解力が素早く、話を聞く人はいない」。そうなんだろう。しかし立場を変えての視点はもたない。これが権力者が陥る罠かもしれない。もたないことが強烈だと、ついついリーシップを感じてします。

 アベノミックスもそう。「なんで民主党政権ができなかった円高対策が安倍さんの就任でわずか1ケ月でできるのか」。拍手喝采。どこに成長産業がいま沸々とおきているのか。否。参議院選挙まで突っ走る。
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厳密な意味での政治状況

2013年01月17日 23時49分30秒 | Weblog
 韓国人留学生と話していて、「日本は派閥政治なんですね」と尋ねられた。
 
 というのは自民党総裁が谷垣さんでこの間党が進んできて、先の総裁選では出馬せず、派閥の多くの支持を受けた安倍さんが新しい総裁に選ばれたからだ。

 韓国政治ならば、派閥が当然あるものの、政治のトップに選ばれた人は、一度決まればその首領で動き出す。それなら自民が12月総選挙で勝つということから谷垣さんが首相になると思っていたらしい。派閥政治はしないといながら自民はやはり派閥がカギを握っているのである。

 古い政治といえばそうかもしれないが、要は変わらないのである。「派閥政治おさらば」というコピーが出回り、「自民党は新しく変わりました」と言っているが、そうでなはい。騙されるところだった。留学生の質問でハッと気付いた。

 ただこの間、われわれは何もできない。そこまで、つまり首領を選ぶ、それも派閥の力関係で選ぶなど 承諾したつもりはない。この「つもりがないこと」が常態化しているから政治への関心はなくなる。関心はなくなるから、慣性の法則からか、前の体制で転がっていく。すると活力がなくなる。これは与党だけに責任があるわけではなく、野党も同罪だ。

 それを許しているわたしにも責任がある。だからこれからどう責任を果せばいいのか。新たなものを作るしかない。
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日曜新聞読書欄簡単レビュー

2013年01月13日 22時48分42秒 | Weblog
 恒例の日曜新聞読書欄簡単レビュー。毎日新聞で紹介された 日本科学技術ジャーナリスト会議『4つの「原発事故調」を比較・検証する 福島原発事故13のなぜ?』(水曜社,1600円)を取り上げる。

 

 設問形式で、以下13の質問がならぶ。

Q1.地震か津波か?なぜ直接的な原因が不明なのか?
Q2.ベントは、なぜ遅れたのか?
Q3.メルトダウンの真相は?なぜ発表は迷走したのか?
Q4.事故処理のリーダーは、なぜ決まらなかったのか?
Q5.東電の「全員撤退」があったか、なぜはっきりしないのか?
Q6.テレビ会議の映像に、なぜ音声がないのか?
Q7.なぜ「原子力ムラ」は温存されたのか?
Q8.なぜ個人の責任追及がないのか?
Q9.住民への情報伝達は、なぜ遅れたのか?
 +放射線被曝情報の誤解と混乱は、なぜ生じたか
Q10.なぜ核燃料サイクル問題の検証がないのか?
Q11.原子力規制への提言が報告書によって違うのは、なぜか?
Q12.なぜ4報告書がこのまま忘れ去られようとしているのか?
Q13.なぜ4報告書には「倫理」の視点が欠けているのか?

 私が買い求めて読んだのだが、一番読んで膝を叩いたのは、小出五郎さんが書いた Q12.なぜ4報告書がこのまま忘れ去られようとしているのか? だ。原発事故調 の提言は 具体化に 移されずに 棚上げ にされたまま。自民・公明政権になると、棚上げ の実現に 力を 注ぐとは反対の原発再稼動である。どうなっているのか。

 Q12.では 棚上げを 想定すべきだった と書いている。静岡の浜岡原発の再稼動を問う 住民投票原発否決の舞台裏がわかる。労組、中部電力、経済界 と圧力がかった姿がわかる。

 原発を50基以上も建設し原子力を推進した責任は誰も問われない。歴代政権の責任はないのか。ある。それが復活した新政権は「再稼動もありうる」と公言する。責任の 「せ」の字もでない。

 横山裕道さんが書いた Q8.なぜ個人の責任追及がないのか? で、責任の所在を明確にした報告書を と提言している。そのとおりだ。
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法の支配も貫徹も破る朝鮮高級学校排除の「高校無償化法」改悪の動き

2012年12月31日 22時36分07秒 | Weblog

  昨日、朝鮮高級学校無償化連絡会の忘年会に出た。皆さん、意気軒昂で会は盛り上がりを見せたが、翌26日、安倍新政権からの発信は、「朝鮮学校に対して高校授業料無償化を適用しない方針」を固めたとのニュースだった。

 ニュースよれば「朝鮮学校は北朝鮮の指導下にある在日本朝鮮人総連合会との結びつきがあり、日本政府が北朝鮮への経済制裁を継続している中で、朝鮮学校を無償化の対象とすることはできない」(読売新聞)との判断らしい。しかし待ってほしい。

以下は法の構成だけ結論的に語る。法治国家として、憲法98条2項にある条約締結すれば速やかに遵守するとうたわれていることをお忘れなのか。つまり条約遵守は憲法で規定されている履行義務があるわけで、条約の下位法が国内法なことは素人でもわかる。それが国内法の改正で条約より効力を持たせる処置をしようとするのが安倍政権だ。なんという法治国家。

なんのことを言っているのかと訝(いぶ)かられるが、具体的にちゃんと説明すると、1979年に国際人権規約の社会権、経済権の両規約を日本は締結した。翌々年、難民条約を締結し、日本は社会保障上の除外が外国人に対して出来なくなった。つまり国際人権規約の社会権規約、さらに難民条約締結で、憲法98条2項にうたう「速やかな遵守」をしなくてはならなくなった。それが「社会保障上の内外人平等の原則」の貫徹なのだ。そこで日本政府は国際人権社会権規約、難民条約よりも下位法の社会保障関連法の国籍条項を撤回した。当然である。1982年1月1日から実施された。ただし国民年金で適応されない人(主として在日朝鮮人)が続出した。これを政府は行政上の不作為でありながらいまも放置されている。

そうした条約と日本の法のあり方は国内法より上位法である条約が位置付けられることで、法の支配が貫徹されているのだが、朝鮮学校する高校授業料無償化は、法の支配、原則もかなぐり捨てようとしているのである。

根拠条約は国際人権規約と子どもの権利条約である。教育を受ける権利を民族、国籍で差別してはならい旨がうたわれている。しかし日本は両条約に違反する国内法をいままさに作ろうとしている。それが「高校無償化法」の改悪で、朝鮮高級学校の除外である。法の支配も、法の貫徹も無視した蛮行ではないのか。政治主義で法の支配を破る。恐ろしい。超法規的か。やはり許してはならない。日本は法治国家ではないのか。

国際人権規約締結から30年経過している。30年以前の状態なのか。いや結論的に言うと、日本は戦前の「大日本帝国」が継続しているのである。それも沖縄に在日米軍基地を集中させて。これは本当に由々しき問題である。どう戦前から解放されるのか。敗戦からやがて70年なろうとしている。それが現在の実相である。
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フェイスブックとは何か

2012年12月31日 22時33分25秒 | Weblog
フェイスブックの根本的な志向性は、友だちとそうでないものを峻別する2分化にある。そこには自己意識の亀裂を抱えて電子媒体に向き合っえいるという危うさがある。

友だちだから全てを語るわけではない。コムニケーションが広がるようで広がらない。人間同士の親密さから遠くなるのが、人口楽園、人口造形を目指す近未来だが、その近未来を先取りしている。だから人が関心を寄せる。時代から取り残されたものに関心が集まらないことを対極におけばはっきりする。排除されているのは何なのか。こういう問いは不問にするわけにはゆかない。

話が変わるが、紅白歌合戦の出場者がほとんどわからない。排除されているのか、排除しているのか。多分年齢が一定以上だとテレビは「お呼びではない」ようだ。2012年も暮れる。
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韓国大統領選 ムン・ジェインさんの敗因はどこに

2012年12月19日 23時18分14秒 | Weblog
パク・クネさんが早々と当選を決めてしまった。ムン・ジェインさんの敗因は何か。1つだけ言えるのは、大票田の首都ソウルの投票率が50パーセントを割ったことの意味だ。アン・チョルスさんを支持していた若者の票がムンさんに流れなかったことではないか。パク・ウオンスンさんがソウル市長選に出たときのアンさんの応援は語り草になるほどで、アンさんを支持する若者の投票が投票率を押し上げパク市長誕生を生んだ。

今回はいくらアンさんが12月6日に全面支持を掲げてムンさんの両手を上げて共闘を満面の笑みで示しても、ソウル市長の時とは大分違ったのではないか7,8日にソウルにいてそのあたりのニュアンスは何人かの方から聞いた。一方、パクさんは主婦層からの絶大な支持があった。父母を殺害されて「かわいそう」という「情」の面からの支持も何人からも聞かされた。「お父さんのようなことはしない」とも。それは当然だが、深く庶民の懐にパクさんは入り込んでいたのかもしれない。

ただうらやましいのは保守VS革新という構図だ。日本のリベラル勢力は16日の総選挙ではさんざんだった。保守VS保守の2大政党対決だったからだ。この革新不在の日本の状況をこそ憂うべきだ。



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日本1の巨人に単純に賛辞を送れない理由と第3監視機構の設立を

2012年11月04日 11時11分15秒 | Weblog
昨日までは仕事も手につかず。プロ野球の日本シリーズだ。巨人だけは日本1になってもらいたくないのと、コーチ経験もない日本ハムの栗山監督をシーズン当初から応援していたからだ。

日本ハムが勝利すればこんなにすっきりした朝はないが、負けてしまった。それでも巨人賛辞を来るべきなのだが。

 朝起きて読んだ朝日新聞のスポーツ面の西村欣也編集委員の「消せない事実 認識を」の記事はスッキとした。

 原監督の醜聞や開幕前に巨人の新人が契約金の最高標準額を大幅に超える金額が複数の選手にわたっていたという事実だ。西村編集委員が書いたように原監督に女性問題で元暴力団関係者に多額の金がわたっていたとすれば明らかに野球協約違反だ。

 巨人は「暴力団関係者ではない」と反論し、加藤コミッショナーはまったく調べることなく「野球に手中してください」とエールを送ったのだ。

 それらを明らかにしないで今回の日本シリーズに。巨人を応援したくない気持ちもわかるというものだ。

 もやもたして気分が西村編集委員の今日の解説で少しすっきりした。

 それにしてもスポーツマンシップとは何なのか。強いものはと問われないのか。野球ファンだけに悪い気分がずーっと残る。プロ野球機構にも第3の監視機構が必要だ。
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週刊朝日問題での1つの視点

2012年11月01日 10時00分09秒 | Weblog
わすれっぽいのはわれわれなのか。しかしそれではいけない。週刊朝日問題です。朝日は自助努力でがんばっていただきえたい。この間の論をネットでさぐった。日本にいない人の方がよく見ている。

「木村正人のロンドンでつぐやいた」というコラムでは以下のように書いています。今回の「血脈主義」「血の論理」という指摘である。

 日本国憲法制定時の金森徳次郎・憲法担当国務大臣の著作「憲法うらおもて」を読んでいて、「日本の一部の人のいう家族は親子を中心とする考えであるのに、外来思想の家族は男 女を中心としている」という下りに目を開かされた。

 日本で政治指導者を選ぶとき、若さは「経験不足」「未熟」という弱点にみられることが多いのに対し、英国で年齢がリーダー選びの主な基準になるようなことはない。

 日本では血縁、地縁がいまだに重視され、「世襲」と決別すると約束した自民党はこりもせず「世襲」候補の擁立を進めている。英国では「世襲」議員はほとんどおらず、「世襲」 は時代遅れ、マイナスとみられている。

 突き詰めて考えると、日本の家族が親子という血でつながった関係に重きを置いているのに対し、欧米の家族では夫婦という契約関係が重視される。政治でも「世襲」という「血の論理」がはびこる日本に対し、欧米は有権者と政治家は投票と政策実現という「契約の論理」で結ばれている」。要は最初の男女という言葉のように個の自立ということか。
 
「契約」の原点は「神との契約」ということだから、大分日本の風土とは開きがある。血の論理でない契約社会ですか。前者の弊害を地道に克服していかないと。
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「週刊朝日」と橋下市長会見で焦点化されていないのは

2012年10月27日 22時18分32秒 | Weblog

「週刊朝日」の橋下市長に関する連載は初回での抗議を受けたこともあり連載は中止された。しかし今回の問題で論じられていないことを以下記そう。

▼問題の記事も次号の「お詫び」も読んだし、読売テレビが45分近く中継した橋下市長の記者会見も見た。これほど昼の時間で部落差別の用語が語られることなどテレビ史上なかったことだ。

▼特定の地域名を出したことなどが悪いと「週刊朝日」の「お詫び」では書いているが、地名問題を最初にあげているのはポイントが外れている。「隠すから逆に偏見を生む」ということで、「誇りうる」地名をわざわざ隠すことがおかしいとして執筆している学者の方を知っている。その方が差別者など思ったことはない。文章の全体の流れで言葉が意味をもってくる。地名に収斂さすことは問題を矮小化する。


▼さて、今回の被害者である橋下市長の発言のなかでなかったもの、さらに「お詫び」でも展開されていなかったものだが、それは「部落差別はいまも生きているからこうした差別報道が問題となる」というとらえ方である。

▼つまり、部落差別を克服する道をどう模索するかという今回の当事者(橋下市長、「週刊朝日」)の発言が聞かれなければ、「告発」と「謝罪」の連鎖でしかない。最初の記者会見でそこまでの発言がでてもよかった。今後は両者にその具体的にそうした言葉が出るのか、という一点に尽きる。
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週刊朝日の橋下市長報道について

2012年10月19日 19時37分55秒 | Weblog
朝日新聞は1960年代だったと思うが、差別記事を反省して、部落問題報道には多くの記者を育ててきた。その伝統がまったく受け継がれていない。時代を逆戻りすれば、「こんな記事など載せられるか」とデスク段階でボツになったはずである。それが堂々と売られるのだから、あきれる。

 朝日をあげつらっても仕方がないが、いま大マスコミはこうした状況に一様に覆われている。大体、競争至上主義が社会をおおい、差別されている人、弱者を「自己責任だ」と堂々と主張してはばからない社会になっているからだ。その雰囲気で覆われた人々の考えは、メデイアの人間も同様だ。差別を見抜き糾すことにあまりにも鈍感になっている。

日本は新聞の信頼度が高いのは、事実報道を貫き、それも検証して報じる真摯さが読者の賛同をえている。差別問題も同様だったが、とりわけ部落問題は終わったと考えているのか、ほとんど報じられることはない。人材は育たないし、伝統は受け継がれない。

橋下市長の抗議が出て「おわび」が紙面に出たが、「次回もお楽しみに」とする編集幹部のツイッターがその前に出ていたと聞くから(未確認情報だが)、問題点がどこにあるのかわからないことを暴露している。根本的に取材方法を見直していただきたい。字にならないところに差別問題の根本にある。それができるかにかかる。いくら「おわび」を出しても対処療法でしかない。なぜ編集、取材する側が見抜けなかったのかの検証が必須である。
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日曜新聞簡単レビュー

2012年09月16日 22時30分23秒 | Weblog
 恒例の日曜新聞簡単レビューです。日経新聞と産経新聞の読書欄から。

 アルバート=ラズロ・バラバン『バースト!』(NHK出版、2800円)-日経―は人間の行動に潜むパターンに関する科学読物。タイトルとなるバーストとは人間の行動が一定の間隔で起きることを「ベキ法則」といい、その間隔をさす。日本語に訳すと突然という意味だ。ウエブ閲覧、メール送信、手紙のやりとり、印刷など行動の間隔が一定期間に集中しているのだ。だからこれから発生することが予測される。バ-ストがどのような順序で生じるかはシュミレーションにより明らかになる。優先順位を決めて順に処理していく。その仕組みが「ベキ法則」に従う秩序が生まれる。過剰な存在に対して優先的選択がなされるというわけだ。書評では詳しく赤らないが、病歴に潜むパターン、プライバシー問題、未来の予測などと論及される。評者の井庭崇は著者の前作『新ネットワーク思考』でも同様の思考パターンを展開していたと説く。前作から読むと理解が深まるかもしれない。

 日本の古典芸能・浄瑠璃の理解を深めるための絶好の本が出た。橋下治『浄瑠璃を読もう』(新潮社、2100円)-産経―だ。著者は浄瑠璃は聞くものであり、バラードだと。聞き流せと説くが、それが現代人にはわからない。そこで著者は古典名作8点を文学として再評価する。意外な江戸人のメンタリティーを知れる。忠臣蔵は江戸町の腰元「おかる」を創作した。武士社会では身分上登場が無理な人を創作した。義経千本桜は幕府批判できない時代だが、頼朝を例に権力を痛烈に批判する。近松作品は国姓爺合戦(こくせんやがっせん)と冥土(めいど)の飛脚をあげる。評者は元NHKの古典芸能の司会者葛西聖司。「まず1曲を読み、文楽鑑賞を」とすすめる。劇場プログラム付録の床本(現代語の浄瑠璃本)にふれ本書を再読すると楽しみが増えると説いている。
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