不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

 格差社会と二重社会

2007年04月30日 08時57分57秒 | Weblog
 私自身、田舎に住み、檀家でもないのだから、そういう修行とは無縁と思っていた。

 檀家制度は江戸時代から400年続いている、仏教の修行も宗派により異なる。育った地・京都の家族はすべてなくなり私だけが生き残る。生き残った責務は意外といろいろあるようだ。

 しかし、都会と田舎は文化が違う二重構造を生んでいる。その代表が伝統行事の対応の仕方である。今回そのことを痛感した。

 格差社会と二重社会。格差社会は指摘されるが二重社会はあまり指摘されない。

 このジレンマを打ち破ることが時々起きる。新たな宗教の旋風であり、新たな文化価値観の流入だろう。そこで伝統的価値観と敵対し、伝統的価値観を支えていた家族とも離反する。

 しかしこの間の流れをみると、敵対して駆逐されてはきていない。最も意識の古層にある宗教意識は再構成されながら存続してきた。その1つと、いま出合ったというわけだ。

 修行が眼目である「五重」。修行をすることにいささかも躊躇しないが、「ではそうします」とはならないのはなぜか。異なる文化の家族との関係もあるかもしれない。そういう葛藤がやはりある。

しかし、声すらかからない田舎出身の人もいる。それとは違う立場なのか。二重社会どころではなく、三重。四重も重なる。日本社会の断面を見た思いだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

汲々とした生活だからこそ

2007年04月29日 00時37分21秒 | Weblog
 どこの世界に出版物を自転車に積んで1割のリベートをえるのに売り歩く記者がいるだろうか。しかしよーく考えると、いるいる。全国紙ではない。地方紙ではいる。その1人であった。毎日の記者はそうではないだろう。いくらサラリーが低いといってもだ。

 こうした事例は私の場合はいくらでもあるが、ここでは具体例は1つしかあげない。その事例の積み重ねはどう現れたか。「とにかく生きるためにお金を少しでも稼ぐ」それが念頭から離れずに来た。84年に出版社に移っても習性は変わらない。世間は定年というが、私はあいも変わらず本売り、原稿書きに追われている、5月からはパートの仕事もすることに。

 汲々とした生活からいつ解放されるのか。この遅れてきたジャーナリストは、記事の思い出より、生活を潤わすための仕事しか思い浮かばない。後発資本主義国と相似形だ。

 送別会をした毎日の記者は私とほぼ同じ年だが、全然違う。発想が。その方は取材で記憶に深く残った言葉を3年ほど前に連載されたが、その1つ1つがすばらしい。そんなことを考えたことがない、私には。

胸に手をあててみると、稼いで何とか生きていくことで駆け抜けたことしか思い出はない。なんという違いか。人間的豊かさでスタートから違っている。おそらく学生時代から違うのだろう。

遅れてきた、あるいは後発のものは懸命にもがくが、発想がやはり制限される。そう感じる。ただもがくのは出口を求めるからだ。

しかし権力者にすり寄り利権をえようとしたことはない。だから他で汲々と生活に追われてきたのだ。利権をえる記者も多い。その事実はあまり表面に出ない。

しかし汲々とした生活だからこそ現状に満足しない。そこが知的努力する意志も生む。そうしないと脱出できないからだ。いま大時代的世界の価値観とは違う小さな世界を手にして、虚構を実像化する価値観の世界を分析しないと、憲法を変えることにあまり関心も示さない層の存在を正確につかめないし、本がなぜ売れないか、環境面ではなく、思想的空回りの姿も掴みたいと希求するのも、汲々とした生活から脱したいという思いが精神も突き動かしていると思う。だから豊かな新聞記者生活された方と比べて一つも卑下する必要はないのだ。

後発性ということでは28才で死んだ弟は、いのちまで奪われたのだ。なんという悲劇か、なんという残酷さなのか。どう「蘇生」させばいいのか。いつも念頭から離れない。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

闊達さという結論にたどりつくまで

2007年04月28日 09時52分20秒 | Weblog
 これまで見慣れた風景が一変することは、かつての風景に刻まれた人との記憶も消される思いだ。

 27日夜の京都、松ヶ崎を歩いていて、58才で他界した叔母が生前何度か訪れたスパゲッテー専門店がなくなっているのに気づいた。マンション建設工事中だった。この道を歩いていて必ず叔母を思い出す建物がこの半年ほどで消えてしまった。
 
 杉良太郎さんが画家を語るという教育テレビの番組で語っていた。彼はでかいドンとした山を描く作品を好んで描く。司会者は「なぜですか」と問うと、「山はドンと構えていつもある」と語っていたが、その答えに司会者は不思議な反応を示したが、見ていた私は「それはないだろう」とつぶやいた。

杉さんの気持ちがよくわかる。比叡山が消えてなくなることはないし、六甲山もそうだ。思い出は山により担保され続ける。杉さんが山を描く意味だと理解した。

 「ウサギ追いしこの川」という歌は、ふるさとの変わらぬ川と山を歌うことで、担保した過去が自然であることを語ったものだ。建物も実はその1つであり、なぜ東大寺、法隆寺が残され続けるのかは、担保された人間の文化的結晶であるからだ。

 それを民族的財産というが、ところが個人が担保する思い出は実にたやすく消し去られるものだ。実は個人とはそういう淡い位置にいるものであるようだ。

装幀家の菊池信義さんが『みんなの生きるをデザインしよう』(白水社)を書いている。50年ぶりで訪ねた小学校で行ったテレビ企画「課外授業 ようこそ先輩」をまとめた本だ。

菊池さんにはそういう担保された思い出(つまり現実に消えたもの―建物などだが)に関する既述は一切ない。つまり消された記憶に対する葛藤がこの本にない。多分、創り出す精神が後ろを向かせない、後ろに視点がないのかもしれない。菊池さんにとって「生きる」とは装幀することだというから、すべてがその一点に集約されている。

創造とはそういうものだろう。過去のイメージは個人をそのまま――生前の姿として造形化することではないようだ。事実に縛られていないのである。つまり精神の闊達さが創造の必要条件なのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関西弁に感激される

2007年04月27日 22時27分13秒 | Weblog
 友人に依頼した本の進行がうまくいかず、調整役ということだったが、もっとも、コミュニケーション、意志疎通がないと本はできない、その原点を確認した次第。これがボランテイアだからいいのかもしれない。

 博多駅から車で1時間。時計は夜7時を回っていた。それから3時間強。物音しない閑静な住宅街。延々と砂浜が続く海岸が近くにある。話が終わり回りのことが見えてきた。

 西日本新聞に転職した記者に会った。転職して4か月。関西にいる時よりも元気なのはなぜか。少し太ったようだ。多分郷里の新聞社で働くことの安定感か。その彼が「ひさしぶりに関西弁を聞きました」と感激していた。

 関西弁で感激されるのは初めてだが、関西人はどこへいっても関西弁。東京やソウルでは関西弁をよく耳にするが、福岡はなかなか出会わない。あまり関西人は行かないということなのか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「それはないでっせ」

2007年04月26日 09時05分41秒 | Weblog
 本作りはできないーと考えているのだが、仕事や友人依頼が入ってくる。弱ったものだ。

 断りたい仕事が入るのは、おそらく受け入れるスキがあるからか。書くことに懸命なら拒絶のオーラが出るものだが……。

 ある著者と会ったが、「いまやっている原稿、あなたの今度の仕事と関係がないが、今後のこともあるので、おかしいところチェックしてほしいんだが」ときた。

 そこで「それは違いますよ」とは言えないものだ。言葉はもって行きようがあるのだが、婉曲に断るのが難しい。「そういうことなら……」となってしまう。今回もそうなったしまった。

 ネット新聞でカンパを募っているが、「趣旨に賛同する。だから、10万は出すぞ」とかねがね言っていた友人の会社社長。実際に会って依頼すると、その額に遠く届かない金額。そこで「ちょっとそれはないのでは」「それは違います」とはいかない。だいたい、カンパをいただいて「それはないでしょう」とは言えるはずがない。

 世の中で「それはないでしょう」ということに出会う。私が本をもって売りに行くが、相手方は「それはないでしょう。講師の話を聞きに来ただけだから」というのが「内心」の声かもしれない。

 相手の「それはないでしょう」に気づかない勝手さが自分にあるのだから、恐れ入る。そのぶつかり合いが世間とうものか。というよりまだ許し合う世界なのだ。それを冷たい社会ととるか、薄情なことととるかだ。恋人や夫婦には「それはない」はないだろう。薄情さはないからだ。

 他人様の証しが「それはないでしょう」であり、その不可視のルールで押されたり、押したりする「助け合い」。暴力的世界はそのルールを破壊するものだから、当然いただけない、「それはないでしょう」と心の片隅で感じるのは、まだまだ許される社会的スクラムの世界かもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絶対的な答えがあるのか

2007年04月25日 09時09分13秒 | Weblog
電子情報時代のコミュニケーションはコンピュータによるコミュニケーションが発達し、いまやインターネット、メールなきコミュニケーションは想像できない。この新たなコミュニケーションを解釈するには、様々な見方がある。
 
マルクス主義は「階級闘争の諸テーゼの枠内にある」という回答を用意するし、ネオマルクス主義は「電子メディアはイデオロギーの支配的権力を高め文化産業を強化する」と階級支配の文化的側面を強調うるだろうし、経済学者は「誰がコンピュータを使うか、テレビのCMで広告するか市場原理が重要」、ウェーバ主義は「社会の下位のシステムへの分化を増大させ、官僚主義の権力を促進させる」と近代の官僚社会の重要さを説く。

一方、自由主義者は「多元的な党派の権力争いに従属するもの」と自由を中心に分析する。さらに技術決定論者は「労力を軽減させ自然を人間の願望に従属、機械の増殖を確実に進める」と物質の優位を説く(以上マーク・ポスター『情報様式論』より)。

このように答えが多数ある。このことは一方では何が本当かわからなくなる。迷う。わからない。こうした状態は、深く考える機会を失する。すると問題に対応する時には、意識の古層にある、あるいは従来の考え方が表面化して処理する。ばぜならあまり考えてこなかったからどうしてもその場を「乗り切る」、あるいは「応答」するためにはそうなってしまう。

人権問題はおづか。それでいいのか。たえず問題に向き合い、己の角(認識不足)を修正しねばならない。その基本からすると古層、古い見方では人権問題にうしろ向きになりがちだ。正しい答えの方に向かない。

では何が基本になるのか。宣言では「尊敬←→冒涜」の葛藤なのだ。判断の基準である。それに至る入り口が現実認識、現実直視があることが重要で、この現実認識は現代に目を向ける懸命の知的努力が必要だ。この原則は変わらずある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エキストラのTVCMが完成

2007年04月24日 10時29分13秒 | Weblog


 エキストラ依頼の社長から電話があり、「先輩がナレーションをやり、えらい迫力や」と、電話ごしに15秒のコマーシャルを聞かせてくれた。


在日一世のなまりある日本語で話す設定だ。

 まさかエキストラの彼がナレーションまでお声がかかるとは。当日プロデューサーが「お願いします」と撮影現場で頼んでいたから、そういうこともあろうかと思っていたら、本当に実現した。

 コマーシャルは在日コリアンの企業イメージを打ち出すもので、それが大阪・鶴橋のガード下でホルモンをぱくつく労働者のシーンから始まる。在日がたくましく生きてきた、その歴史が企業のイメージというから、随分価値観が変化したものだ。3月31日、大阪・中津の倉庫群の路地の一角を借りて撮影した。その模様は4月のネットで書いた(4月9日「たった15秒が3時間ーエキストラ体験記」)。

 差別・抑圧の結果は、ひたすら隠すという屈折した対応をとることで、よけいなストレス、圧迫を避ける。その心情もわからないわけではないが、生きてきた歴史を抑圧する側にすり寄っていると、どこかに陰を残す。この葛藤、克服がこの間の在日朝鮮人運動の中心テーマであったのだが、在日コリアンの企業が自らの生き方、歴史を企業イメージにする時代になったのである。

当たり前といえば当たり前、当然といえば当然。意識は確実に変化してきている。それはイデオロギーではなく、生活の中で実感できるものになってきている。思想的な影響は計り知れない。5月から1か月間、毎日、朝日放送で毎日15回ほど流れる。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徹夜の勤務が時給700円

2007年04月23日 07時43分31秒 | Weblog
 私と同じ年の人は週2回警備員の仕事をしているが、夜9時から翌朝の8まで寝ずの番というから驚き。1時間700円の時給である。ようやるとしか言いようがない。

 徹夜明けの日は眠らないというから、信じられない体力だ。

 それにしても深夜の仕事でなぜ700円なのか。そうとう、どこかが儲けているとしか考えられない。現実はそんな値段なのか。ただ彼は「座っているだけで本も読める」というが。

 朝5時半から「総菜づくり」の仕事を昼までやっている友人もいる。ようやる。

 両方の共通点。苦にしていないこと。苦にしたら務まらない。

 しかし労働現場は厳しい。

 私も「いよいよ」と思うが、とても真似ができない。せいぜい本売りで2割コウセンをとるくらいか。それにしても偉い。勝てん。セッパつまればやり始めるだろうが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「こんばんわ」からの波紋

2007年04月22日 01時52分33秒 | Weblog
「こんばんわ」の世界を推奨することは、共同体主義に傾斜する危険性がある。いまの時代はその予兆から右傾化が進展し、個人的世界の危うさを覆い隠そうとしているのか。

1つの言葉に感激することは、何かが欠けていることの証しでもある。

たしかに「こんばんわ」の世界に感じ入った私は、背後にある共同体への傾斜という時代要請に気づいた。いまの時代だからこそ「感激」するのかもしれない。

「ナショナリズム等の台頭に、そういう幻想やイデオロギーに支えを求めている主体はどういう問題を抱えているかーから問うこと」と社会心理学者樫村愛子さんは指摘しているが(『ネオリベ現代生活批判序説』のインタビューで)、「感激」の背後を問う主体を問わねばならない。そこには個人主義の不安が見えてくる。

個人主義とは自律した個人主体の確立という世界なのだが、その主体の確立が脆弱ゆえに惹起する「感動」なのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「こんばんわ」を交わす世界

2007年04月22日 01時19分46秒 | Weblog
21日は4・3事件の集会が大阪の生野区であり、懇親会後に友人に会うため猪飼野周辺を歩いていた。すると……。

「こんばんわ」

ついぞ聞かない言葉だ。

「いまの子はおはようございます」を言わないということで、お歴々が小言を若者に向かってよく言うようだが、ところが「こんばんわ」を言わないから世も末とは言わない。そうした小言を聞いたことはない。

しかし「こんばんわ」ほど大事な言葉はない。逆説的に聞こえるかもしれないが、別に言わずともいいからだ。別にそういう言葉を出さなくても通り過ぎることができる。それがわざわざ言うのだから、相当お互いが知り合いであり、認め合わないと言えない言葉とも言える。

しかし私が団地に住んでいて、この言葉を交わした記憶がない。階段が違えば、誰が住んでいるかわからないし、家路に急ぐ人をわざわざ「呼び止める」言葉をかけずとも生活でトラブルにもならないし、暗闇に消える人はその人の生活があるのだから、つまりいろいろ事情があるから、言葉も交わさずともいいと判断してしまう。

「おはようございます」とは大分違うのが「こんばんわ」。「おはようございます」はこれから仕事にでかけようとするから、条件は多くは同じだ。フラットな状態で挨拶が出る。

ところが「こんばんわ」はそうではなくなる。というより、夜は個人的なうごめきの場となっており(よりプラベート面が強く)、そこで公的な挨拶である「こんばんわ」がわれわれの生活から消えていったのではないか。

それが猪飼野で聞いたのだ。驚いた。ここには公的空間が息づいていると。

それと不思議と省略語がないのだ。「おはようございます」は「おはよう」があるが、「こんばんわ」は「こんばん」ではダメだ。より私的言語の慎(つつし)みを迫る。公的な確認が強いし、その空間がある。公的空間とは共に生きているという自覚だ。

町では今日も人々は沈黙ですれ違い、闇に消えていく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時間が先に進まない生き方が出来るのか

2007年04月21日 00時18分22秒 | Weblog
三島由紀夫はかって「神経衰弱」になった作家をさして、規則正しい生活で防げると書いていたことを覚えているが、たしかに天才三島は規則正しく生活のリズムを送り、多くの作品を生み出した。「老いる」ことを拒否して自害する人生を45歳で選んだのだが、混沌派は彼の世界からほど遠いところにいる。時間を自在に人生で舵をとることができた人かもしれない。しかし、凡人は時間に追われる。自ら時間を組み立てられないのかもしれない。

時間の向き合い方が天才と凡人を分ける境目なのかもしれない。

ある小学校の先生に会ったとき、「子どもは誰もが天才だ」と言っておられたことを覚えている。それがなぜ多くが平々凡々たる平均値をとるように育てられるのか。「悪平等主義」から来るというのは大変な間違いで、時間のほうが先に進むことで、時間に負けるからだ。

どう時間をこえられるか。時間が先に進まない生き方なら、時間の奴隷にならない。それはエリート主義ではなく極めて主体的な生き方だといえる。

その主体的生き方はなかなかとれない。時間の流れに勝てずに、時間の方が前を行くからだ。これは抽象的ではない。語学の学習をしているとしょう。ついていけない。ドンドン課題は進む。時間が先に進むのである。

混沌派、つまり整理ベタはその抵抗のあがきか。時間が先に進ませないせめてもの抵抗か。しかし、我田引水とはこのことなのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時代遅れの思考はどうなるか

2007年04月20日 00時58分58秒 | Weblog
「全然緊張感がない。自民と民主の議員がお互いを慰めているようなシーンもありしらけた」と言う。

与野党対決は、メディアで知るのとは大分違うようだ。

「民主の対決は参議院選挙まで」とも分析された。

いかれこれやーと思った。自民党と民主党の対決はそういう意味では政局をつくるもので、参議院選挙後は別の政局をつくるということか。それは政界再編ということか。政治の世界はよくわからない。

要は天下をとるためなのだ。権謀術数とよく言ったものだ。

さらに強行採決抗議の日比谷野外音楽堂には5000人近い人が参加したというから、これからは憲法問題が運動の中心になるだろうし、自治体労働者の組合である自治労は危機感をもっていると伝えられる。

ポストモダンは「大きな物語」の後退からくる「小さな物語」の時代というが、憲法改定は「小さな物語」ではないだろう。ただそれに関心を示さない人を生んでいるのもポストモダンなのだ。だからそういう思想構造から見れば改定に賛同は過半数はいるだろう。しかし9条の集団的自衛権は賛同する思考なのかどうか。ここを分析する必要がある。

若い学者はラカンの精神分析など学び現代の精神の状況をよく分析している。ここのところの研鑽が必要だろう。「オタク文化」をまともに向き合わず、「漫画文化」「アニメ文化」「ゲームソフト」などに背を向ける思考はいつかはしっぺ返しを受ける。思考が時代遅れになって、大声だけ空しく出すことに終わってしまう気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出合いがカヤグムの音

2007年04月19日 09時27分20秒 | Weblog
在日コリアンの高名な音楽家にお会いしインタビューした。話が進み深い内容になってくるといろいろ話された。

音楽家になる出会いがなんと、少年時代に村の近くに来たサーカス団だったと言われた。そこで聴いたカヤグムの音に魅せられたという。サーカス団公演中3度も通い、ズボンの裾(すそ)を柵にひっかけて家でしかられたというから、夢中になり気づくことがないほど魂を揺さぶったのだろう。

なぜカヤグムか。

民族性を抹殺されてきた皇民化教育を受けてきた少年時代という背景がある。だからこそカヤグムの音に心が熔けていたと思った。乾いた砂に染み入る水という表現はありふれているが、あまりにも劇的な出会いだ。

その人の魂を揺り動かす瞬間があるものだ。それが何なのかは人により違うが、具象化する、生涯の仕事になることは並大抵ではないだろう。それぞれ高名なこの音楽家のようなカヤグムはあるのだろう。

私にとって思い通り表現できないことの焦燥感だろうし、えもいわれぬ不安感だろう。それはカヤグムにしてはあまりにもロマンがない。芸術家は神の啓示のようなものがあるのだが、凡人の私には継続して圧迫するものが出合いとするなら、受苦のようなものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地声の効果ー私語が止んだ

2007年04月18日 09時05分04秒 | Weblog
マイクで話すと私語が出るのはどうしてか。直接話していない、機会を通した偽物であるという判断が直感的に働くからか。あるいは声は言霊が宿ると古代人が考えたことがいまも生きているから、人工物のマイク音には真摯な反応を示す必要を感じないということか。

授業の内容はかなりいまの学生には馴染みのない95年以降の日本の経済分析をしたが、だいたい退屈な内容だが、地声で話す私の話に対する私語は止んだ。不思議なことだ。

コンピューターを含め人工物を介すると、そこにどうしても機会による介在があることで、反応を直接することにためらいができる。それが私語を生む最大の要因かもしれない。

人工物を介しても私語を生まないようにするには、強制力が必要だろう。共和国の10万人集会などで大きなマイク音がしているが私語など見当たらない。それはすごい強制力があるからだと思う。

人間同士のふれあいは私語が減ると同時に人間の心が開示していくことにもなる。

私語が多いと嘆く大学は私語を招く入れ物、環境であることに気づくべきだろう。それにしても声について考えると面白い。ただ大声の授業は次の日まで残る。少し声がかすれるから、これはポリープの原因になるかも。少し野蛮か。野蛮でないと時代の閉塞感は切り開けないのか。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

100人を前にマイクなしの授業

2007年04月17日 10時27分30秒 | Weblog
マイクを使う授業をやめて素声でやりだしたら、疲れること、疲れること。

やせるのにはエネルギー消費からいいかもしれないが、体力を使い果たす。今日は100人近い学生の前で3時間(3コマのこと。計270分になる)も授業がある。朝の1時間でくたばりかけだ。3時間目はマイクを使うかもしれない。・

こうした試みをするのは、「マイクに近づきすぎる」という授業批判が学生のアンケートでよくあるので、私なりの反省をした結果である。マイクをやめると学生が真剣に聞くという思わぬ効果もある。それは予想していなかった効果だが、とにかく疲れる。これは年というより、声が普段の3倍くらいの音量が出ているからだろう。

さてこのまま続けるかどうか。思案のしどころだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする