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ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

 日曜日新聞読書欄簡単レビュー

2011年01月30日 11時16分35秒 | Weblog

 朝日はN・Dクリストフ、S・ウーダン『ハーフ・ザ・スカイ』(英治出版、1995円)、D・バットストーン『告発・現代の人身売買』(朝日新聞出版、2625円)を紹介している。評者久保文明。現代も実は奴隷制があるという告発であり、読んだものは頷かざるを得ない。前書はこれまで第3世界での強制売春を告発してきたジャーナリスト。性産業で奴隷状態にある人は300万人に上ると書き、後書は大学人で3000万人の奴隷状態にある子ども、助成がいると書く。両著者とも救出活動も行っている。本の話とは少し外れるが売春せざるをえない女性を立ち直らせる社会活動をする市民運動が韓国にある。これは女性解放運動としては先鋭的かつ先駆的なものだ。両書でどのような救出活動が行われているかを知りたい。

 評者に絶賛された小説が朝日に紹介されている。評者は鴻巣友季子。作品は芥川賞を受けた朝吹真理子の2作品『きことわ』(新潮社、1260円)、『流跡』(同、1365円)だ。評者は「読者は自分の記憶の最古層を揺り動かされる」と書く。5億数千年前から続く生命の時間の壮大さを一瞬にして身の内に感じるとも。『きことわ』は子どものころ葉山の別荘でともに夏をすごした「貴子」が「永遠子(とわこ)」と25年して再会するそれだけの話。『流跡』は本を読み進められない人物がでてきて、くにゃくにゃした身体が現れる物語。「ポストモダン以降の自己言及的な結構をもつ現代的スタイルと、実に古代的な語りが共存している」と評者は指摘する。内田百門(門構えに月)『冥土』、ボルヘス「円環の廃墟」、タブッキ『夢のなかの夢』の作品を彷彿とさせる夢の数々とも書き、奇跡のような時間のトンネルを何度も読者はくぐるだろうと付す。日経でも『きときわ』が書評されている。融通無碍な時の流れが作品の言葉を豊かにうるおすと評者野崎歓は書く。すばらしい文体とここでも絶賛されている。「文体を支えるのは、天候によって変わる『白湯』の甘ささえ味わい分けるような、こまや細かな感性」というふ。どんな感性なのか。読みたい。
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毎日新聞の「記者の目」

2011年01月28日 08時11分21秒 | Weblog
毎日新聞の「記者の目」を読んでいて感じるのは、マイノリティ問題に関する記事が多いことだ。ほかの新聞にはない傾向だ。
 
 なぜかについて分析すると、普段記事としてさらに掘り下げた記事で載るスペースがあまりとれないことだ。政局はいろいろ書けるが、それは政治動向で重要だからスペースを取れるが、マイノリティ問題はデイリーニュースとし書いても、さらに突っ込んだ記事スペースがないという現状がある。

 その中で唯一解決策となるのが「記者の目」のコーナーだろう。他紙にはないだけに毎日の特徴を示している。

 背景にあるのは普段からマイノリティ問題を取材している蓄積があることだ。そうでないと「記者の目」に書きたいとは思わないだろう。しょうがい者(児)問題に関連した記事が報じられることが目立つ。すばらしいことだ。事実を単に伝えるために新聞記者になったのではないだろう。志が現れるコーナーでもあるし、少数意見を出せる場でもある。

 ただ毎日新聞を読み思うのはOBの名物記者の健筆が目を惹く。専門編集委員とかの肩書きで書かれているのだが、近藤さんの名筆、岩見さんの政界に対する見方など楽しみなのだが、これを押しのける現役記者の輩出があって紙面は活気づく。そこが一読者としての注文というところか。
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メデイア・ウオッチング 地域主権論議で「蚊帳の外」の外国人参政権問題

2011年01月25日 08時50分37秒 | Weblog

 地方の時代といわれるが、人気の知事も市長も一度たりとて口に出さず、そしてメディアも決してふれないことがある。定住外国人の参政権問題である。



 これほど地方の時代をいい、地方分権を首長は主張するのだが、口を裂けても「地方の時代には住民主権だ。当然地方住民である外国人の参政権が実現課題になる」とは言わない。その沈黙は見事であり、その口にチャックした状態をメデイアはなぜか問おうともしない。橋下大阪府知事も言及せず東国原前宮崎県知事も言わなかった。

 地方の時代とはいまは表現せず地域主権と言うようだが、地域主権の構成員である住民は承知の事実ながら、外国人は「蚊帳の外」なのだ。なんともおかしい。

 国政選挙ということになるとこれは難しい問題があるが、地方自治体選挙は外国籍住民は当然参加していいのではないのか。地域主権を叫ぶ知事らは関心ないようだし、メディアも関心を示さない。

 この現状は「ナショナリズム」を懐にした地域主権論議であることは言うまでもないだろう。ナショナリズムは決して悪いことではない。閉ざされたかたちではなく開かれたかたちのでと思うが、時代は必ずしもそう進んではいない。メディアが事実を報じるだけなら言論ではなく単なる「広報」的役割ではないのか。批判の眼があるからこそ言論ではないのかと思う。
 

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大和川見学のこと

2011年01月21日 23時59分25秒 | Weblog
何も知らない。

私のことだが、北葛城郡王寺町で公立学校の先生3人と会いいろいろ教えていただいた。

3月に予定している大和川改修工事の見学でのバスの駐車場確保の件、亀ノ瀬の地滑りの歴史検証の件など。

この日は午後6時まで田原本町でインタビューして車を飛ばして王寺町のレストランへ。25分で到着した。

龍田大社の歴史は何も知らなかった。いろいろ調べることが多い。

前段の田原本町のインタビューでは1970年代の社会運動について聞いた。
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やっと完成

2011年01月18日 23時16分43秒 | Weblog
 手間取った翻訳の仕事?を終えた。

 朝4時から3時間半でやり、あとは大学と本日はフル回転。

 なかなかできなかった理由は、ソフトがなく開かずにズルズル時間がたったこと。それと原稿が2本あり、ともにチャレンジしたこと。いうまでもなく実力不足。それとUSBメモリーが壊れてしまい、これまでのがパーに。ただし昔のがデスクトップにあり被害は最小限だったげ幸いした。しかしコンピューターは怖い。安心できない。

 それにしても朝鮮王朝実録はすごい。膨大なものだ。漢文が読めないとだめ。いろいろさぼってきたものだ。
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岩井好子先生の死とメディア

2011年01月16日 08時26分49秒 | Weblog
夜間中学運動で大きな足跡を残した元天王寺夜間中学教員で、識字教室「麦豆教室」主宰した岩井好子さんが亡くなった。しかし夜間中学関連の報道を熱心にしてきたメディアは一切取り上げようとしない。沈黙したままである。

 たしかに、ここにこそ歴史は受け継がれない事実の一端が露呈している。こうして人々は代替わりしていき、過去の営みは忘れ去られていく。岩井先生の死の報に接して、思いもしなかった世間の風を感じた。そういうものなのか。ただただ消えていくだけなのか。なんとも残酷なことだが、もう1つの現実であることには変わりがない。だからこそ身を引き締めたい。
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朝鮮王朝実録の迫力

2011年01月16日 08時10分01秒 | Weblog
 26代にわたある朝鮮王朝実録の一部を読まないといけなくなり図書館に通う。

 漢文とハングル訳と比べると随分違うとこがある。やはり朝鮮王朝実録を読まないとわからないところが出てくる。

 考えてみれば26代王の官僚たちは朝鮮王朝実録をなぜ残したのか。日本では徳川幕府実録あることはあるのだが、量的には朝鮮王朝実録とは比較にならない。なぜ朝鮮では継続して記録されていったのか。

 これは文化の違いというか、文字文化を大事にする朝鮮人の大きな特徴を示すように思う。このあたりはあまり追求されていないが、重要なことだ。


 この国に植民地支配でハングルを使うことを求めたというのは、大変なことをしたという思いがする。その思いがいまのわれわれにはあるのか。


 朝鮮総督府中枢院は『李朝実録 風俗関係資料撮要』を1930年代に刊行している。植民地支配を課していた官僚は随分実録を読んだ。しかし読み方が違う。いまは。当時の統治者の意識とは注目点が違うからだ。抜粋した文章をまとめるなら、いまならまったく違ったものが出てくる。
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夜間中学教育に一生を捧げた岩井好子さんが死去

2011年01月15日 00時35分57秒 | Weblog
 夜間中学教育に一生を捧げた天王寺中学教員岩井好子さんが6日午後、入院先の川崎市内の病院で亡くなった。享年85。

 岩井さんは天王寺師範学校を卒業後、1944年から大阪市内の教員になり、天王寺中学が開校された1969年から赴任、定年まで教員をつとめた。この間、大阪市内の夜間中学が他府県から通う生徒の入学制限を打ち出したことから、奈良で自主夜間中学校を近鉄西大寺駅近くの正強高校の校舎を借りて開校。夕食にうどんを食べたことから「うどん学校」と呼ばれた。この自主夜間中学運動はやがて公立化を達成、1978年に奈良市立春日夜間中学として開校した。原動力となったのが岩井さんに他ならない。

この自主夜間中学から公立化へと進む夜間中学増設運動はその後全国に広がりをみせ、奈良県では天理、橿原に公立夜間中学が同じように自主運営から公立化を生んだ。

岩井さんは天王寺夜間中学教員退官後は朝鮮通信使研究を深めた辛基秀さんが運営していた大阪・寺田町の青丘ホールを借りて「麦豆教室」を開講、21年続けた。この「麦豆教室」はその後夜間中学OBで学びたい生徒が通う教室としての形態の先駆け的な役割を果たしたといえ、大阪では守口などで定着化した。岩井さんは夜間中学増設運動でもまたOB夜間中学生の学びの場の設立でも先駆的な役割をしてきた。

最近は体調を崩されていたが、家族が住む川崎市内に転居して治療に専念。昨年11月末、脳血栓で川崎市内の病院に入院して治療を受けていたが、6日夕亡くなられた。著書に『オモニの歌』(筑摩文庫)などがある。


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日曜新聞紙読書欄簡単レビュー

2011年01月09日 13時08分47秒 | Weblog
 今週は小説2作品、哲学書1作品、1歴史理論書を紹介しましょう。

 津島佑子『黄金の夢の歌』(講談社、2310円)ー朝日ーは柄谷行人が書評している。本書は3層からなり、1層は一人称あるいは二人称によって語られる。「わたし」の父は青森出身であることからツングースの末裔と感じでおり、狩猟遊牧民であるアイヌなどに親近感を得て語られるが、遊牧民がおかれている近現代の状況が筆写される。2層は古代からのユーラシアの遊牧民の歴史が語られる。3層は非人称で綴る文で表題「夢の歌」になる核心部分だ。「夢の歌」がオーストラリアの先住民が伝えてきた物語であり、国家の支配を受けても記憶から消えることはない。柄谷は「トット、トット、タン、ト」というマケドニアの騎馬の蹄の音としてたびたび3層に出てくることを「抑圧されたものの回帰」というフロイトの深層分析をあてはめているが、かつて著者の父太宰治が書いた小説「トカトントン」が「世界の一挙にネガティブに変容させるのに対して、逆に世界をポジィテブに反転させる」(柄谷)と評して、この力は津島しか書けないと高い評価を与えている。柄谷の頭を過ぎったのは多分中上健次が生み出した「路地」ではなかったのか。中上は「路地」の賛辞を書くのに折口信夫の作品を読了し、古典文学を喝破し古代からの被差別民の苦闘で一本化して貫く世界を創り出した。それは近代文明でまとわれた価値観からの超克であった。近代的価値観で鳥瞰、俯瞰するならは現在苦しんでいる差別は常にその時代の価値観でくくられ支配される。それを乗り越えるには、柄谷があげた「抑圧されたものの回帰」が光明を見出す。決して「抑圧」されるものを具現するのではなく解き放つ賛歌であった。またアナクロニズムではないことは中上の作品群が示している。津島に戻る。津島は日本の作家が一度もなしえなかった先住民、遊牧民の賛歌を作品化したのである。「津島佑子という小説家以外いん、このようなことを書ける者はいない」と柄谷が書くのは、小説世界で久しぶりに感じた喜びと発見であるのではないか。柄谷の深層からの心の吐露のように感じるのは私一人ではないだろう。

 歴史認識の限界を超えようとした作品、あるいは超えることを試みた格闘の書は上村忠男『知の棘 歴史が書きかえられる時』(岩波書店、2520円)ー朝日ーだ。すべての歴史は現代史であると書いたのはベネット・クローチェだが、それは歴史が常にイデオロギー叙述に陥るゆえんだ。これをどう超えるか。他者との関係の叙述である歴史にその活路を見出す。自己言及的でしかありえない私を他者に開くかーここに本書の特徴がある。評者高村薫は「認識主体の限界を内破せんとして、現在の生に身を投じる」と著者を評している。リオタール的能動とも高村はいう。凡庸な事実列挙した、あるいは実証主義的な歴史学者では上村の本領というか、文明史家ともいえる歴史学者の渾身の書ではないか。

 日経では作家松井今朝子が「半歩遅れの読書術」で色川武大の『狂人日記』(講談社文芸文庫)を紹介している。「私小説的な現実の世界と幻覚の世界に継ぎ目がない」、両者がいつ移行するかわからない本物の小説と評している。この作品の語り手は自分の頭がこわれていることを大事にするのだから、私小説的世界に安住することを拒絶する壮絶な作品なのだ。この日経のコーナーでは最初は電子書籍の利便さをあげる松井は確固たる手触りを求める書籍派であることで文の最後をしめるのはこの『狂人日記』という小説がそうさせるのだ。

 毎日は苅部直『鏡のなかの薄明』(幻戯書房、3045円)が第9回毎日書評賞を受けたことを伝え、著者の書評に取り組む姿勢を書いている。箇条書きにすると以下のようになる。●心がけていることは偉そうにしないこと。批判から入るのではなく、面白かった点を自分自身の声で語るようにする。そんな「おまけ」の部分が書評では大事●使い古された一方向の結論に導かない。いつの時代も多元的だから。多様化自体を面白がること●外の刺激に開かれることが、自分の中に引き出しを増やすーと毎日のインタビューで答えている。選考委員である池澤夏樹が「専門家の書評は目前の事象に対する素早いレスポンスであり、素人へのガイダンスである」と書いている。具体的には国際政治と軍事で苅部があげたマイケル・イグナティエフとマイケル・ウォルツーァ、半澤孝麿を並べて書いた書評をあげる。三書がセットで紹介されていることに注目している。憲法と天皇の関係では奥平康弘と市倉宏祐、佐藤正英を束ね、現場的学説と歴史を繋ぐ。天皇の退位を論じた奥平の「天皇の退位を禁ずる『脱出の権利』を、天皇に認めていない点で、日本国憲法に違反する」とあることを知って、自分の考えを一歩進めるヒントを得たと池澤は書いている。井上荒野の小説『切羽へ』の書評に狭義の書評の力量を評価している。

 読売はジョン・ロールズ『正議論』の新訳を堂目卓生(大阪大教授)が紹介している。紀伊国屋書店が川本隆史ら3人が新訳した本だ。川本はロールズの『正議論』の研究者として私立大学で倫理学を講じていた時に彼の本を読んだことがある。ロールズの思い入れはついに新訳をだしたかと今回まず感じた。7500円もする本だが、堂目の紹介ではどうした点が新訳は旧訳と違うかを書いていないが、何が本書でとかれ、今、旬であるハバード大学のマンデル教授の正義論との違いがあるかがよくわかる。「善き生き方」は個人の領域にまかせるべきとするロールズの正義論に対してマンデル教授は「美徳」の問題にも積極的に関与すべきだと説く。堂目はマンデル教授の説には賛同していない。「善い生き方を個人が選ぶ自由」どれだけの尊い命の犠牲から手に入れたものかを忘れてはならないと説く。「社会全体で善き生き方である美徳の話をしよう」との声は現代の閉塞状況を打ち破る声として魅力あるが、「リベラリズムを手放すことなく個人間のつながりを深めることにより共同体としての活力を取り戻し」と堂目はいう。
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補講、インタビュー、大阪港

2011年01月08日 08時56分21秒 | Weblog
補講とやらで、昨日は大学に行ったが、かなり大学もせちがらくなった。かならず15時間の決められたカリキュラムを半期でやらないといけないからだ。

 補講のあとはインタビューで在日韓国人運動の指導者宅を伺ったが、「民族権が在日には根底にある。民族を取り戻すことが基礎でそこから普遍的人権への芽生えに発展する」とのことに、なるほどと頷いた。

 これは意外と重要だろう。日本人論についても基礎において考えないといけない提起だ。

 ただ疎外された状況とそうでない状況は違うから単純にあてはならないが。そこが議論をよぶところだ。

 夜は友人と大阪港で一杯やった。その店が寒くてコートを着て飲んだ。値段はそこそこ。
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特ダネが追いかける競争紙はベタ記事扱いーがてんがいかない

2011年01月05日 18時57分21秒 | Weblog
 朝日新聞のあの記事読んだかーと言われても困る。


 自宅ではそんなに新聞を複数もとれないし、また過去の記事はなかなか捜せない。無論ネットがあるとはいうものの。


 去年はその質問に3回受けて、いずれも読まずじまい。


 それだけ注目記事があるということなのか。


 読売が元旦の紙面で抜いたテロ情報の漏洩は内部の犯行である記事。朝日が4日の紙面でベタ記事で20行もない扱いで報じた。

 「おいおい。いくら抜かれても軽い扱いではないはず」と首をかしげた。


 新聞は抜かれると、競争紙はなるべく目立たない扱いをする。それは新聞のエゴイズム。読者はベタ記事なら注目しないし、大事ではないと見てしまう。

 しかし読売の元旦の特ダネはそうではないだろう。テロ情報の漏洩が内部からのものだという事態は、軽視していいものではない。なのに朝日はベタ扱い。がてんがいかない。

 共同通信の特ダネは「仙石官房長官辞任説」だ。はたしてこれがあたっているのかどうか。

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佐藤文明さんの死

2011年01月05日 10時53分29秒 | Weblog
佐藤文明さんが亡くなられた。いっしょに韓国の東国大学に訪問し個人情報保護の問題のシンポに出たことがある。最近では解放出版社の最新版の戸籍問題の本を読んだところだ。

 この本は実にいい。内容が濃い。執筆中闘病中だったのか。そんなことを微塵も感じさせないほど緻密な論考だ。

 是非一読を薦めたい。戸籍法の改正時にはいつも佐藤さんが月刊誌『解放』で論じられ、熱心な読者の1人が私だったのだが。これほど問題点をずばり指摘される方はもう出ないのではないか。政府内の委員会答申などの評価を実に丹念に調べられた。いまは無念でたまらない。
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思わぬ収穫

2011年01月03日 17時15分36秒 | Weblog
 韓国からのメールで、よく「アレアハングル」で添付原稿として送られるものがある。これが弱る。アレアをもたないと開かないのだ。

 これが悩みの種で、知人に「アレアお持ちですか」と依頼してワードか何かに変えて送り返してもらう。


 ところが2万7000円で買ったノートパソコンはワードもない機能なのだが、これが簡単に開いたのである。

 一か八かでアレアのまま開けるかどうか試みたら、これが開けた。韓国語の枚数にして30枚ある長文が
開けたのだ。

 どういうことになっているのか知らないが、本当に助かった。これで百人力だ。

 わけがわからないのがコンピューターの世界か。
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24時間駐車して3000円とは驚いた

2011年01月02日 23時57分45秒 | Weblog
京都で駐車場に入れて驚いた。

 奈良では24時間で最大いくらとなり、だいたい600円から700円しか利用しない。

 ところが京都は昼間は1200円とか900円とかで、午前0時からは1時間100円くらいで計算される。

 京都の左京区の住宅街で駐車場に入れて24時間後にとりに行くと、これがなんと3000円。たまげた。


 昼間最大の1200円に深夜分が重なり、さらに深夜値段ではない翌朝の分を入れて合計3000円という計算だ。

 路上駐車だと駐車違反で摘発される。かなり京都は厳しい。ということではないが、だいたい奈良でも、京都でも、大阪でも、駐車場に少しの時間でも駐車するが、京都の24時間は今回が初めて。駐車ゲージに出た3000円は大阪の中心街である梅田でもない。

 ものすごい値段にただただア然とする。奈良方式の24時間で1000円を下回るところが出てこないのか。観光で全国からたくさんの方が来られ、その「弊害」ではないのか。もっと料金をダウンした業者がでてきて価格破壊をしていただきたい。
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