ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

日曜新聞読書欄簡単レビュー

2010年05月30日 13時37分13秒 | Weblog
日曜読書欄からの恒例の記事だが、話題作は同時に書評が複数でることがある。産経、日経に掲載された小川国夫『弱い神』(講談社、3999円)もそうだ。書評はいずれも名だたる文芸評論家だが、日経の方が優れている。それは根幹にある小川文学のテーマを抽出しているからだ。暴力と愛。評者高橋英夫は小川文学の核心をこう表現する。作品は小川作品でおなじみの藤枝、大井川河口周辺である。紅林鋳造所の3代記だが、登場人物に確執や喧嘩が多いこれまでの作品のように、この作品もそうだ。高橋は「太陽の光、海の波が原初このかた変わりないように、人間も肩をぶつけあい、痛みを感じ、様々交わりつつ生きているので、読者にそう感じさせる文体と語感がその力を生んでいる」との趣旨の文を書き、暴力と愛、これが人間行動の原型であり、本書にもその原点をみる。小川が書き続けることで何を求めたかは、最終章「未完の少年隊」のウエートが重いかもしれない。救いの問題である。3代目の與志は文学や思想に目覚めるが結核により夭折する。キリスト教の私塾を開く人物が登場するが、そこに救いがあるのかを投げかけてもいる。

細田衛士『環境と経済の文明史』(NTT出版、1800円)ー日経ーは、経済成長と自然破壊がテーマだ。現代思想をとくカギは欲望でもあるが、この欲望を保障するのものは、本書のキーワードである余剰生産物である。豊かさの裏返しでもある余剰生産物は自然破壊をして人間がほしいものを産み出してきた。しかしこのまま自然破壊を続けていいはずはない。如何にして「成熟した社会」を作り出すのか。それは知識や美に余剰を感じる欲望を求める社会であると説く。「余剰生産物の増加を求める豊かさの中身を転換する必要があり、自然環境への負担をかけずに余剰生産物をつくる」と評者植田和弘はまとめている。

 毎日では丸谷才一、山崎正和による井上ひさし論が展開されている。毎日は太宰治、松本清張らが生誕100年を迎えたことから見開きの作家論のページを2人の論者により組む特集をしたが、その手法が今回の井上ひさし特集に反映された。ほかにはない読みごたえのある欄となっている。井上における「やさしさ」「母なるものの憧憬」を感じていた私は、両者の評論に感じるものが多かった。

 池澤夏樹個人編集『世界文学全集』がギュンター・グラス『ブリキの太鼓』でⅠ、Ⅱの刊行すべてを終えて、ギュンター・グラスの作品の訳者池内紀との公開対談を紹介している(毎日)。池澤の世界fだという池内に池澤はドキュメントがないとⅢの6巻を加えた話が掲載されている。文中敬称略


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普天間基地移設問題と社民党 4;川瀬俊治

2010年05月29日 20時03分06秒 | Weblog
 普天間基地移設と韓国の関係は意外と論及されていないが、29日の済州島での日中韓の首脳会談で李明博韓国大統領が「普天間の移設でよく決断された」との趣旨の内容の発言を鳩山首相にしたと報じられたことは、韓国側が沖縄の米軍基地移設を歓迎したことを明確に物語っているようだ。

 韓国哨戒艦「天安」事件が朝鮮民主主義人民共和国によるものとの断定した韓国政府だが(しかし韓国国内の世論調査では30パーセント近い人々がこの断定には満足していないと伝えられている)、鳩山首相が「抑止力を勉強した」と言いはじめた背景に、この「天安」事件と韓国側の何らかのアプローチがあったと想定されるところだ。

 朝鮮半島での有事での沖縄の米軍基地という使い古された安保観。この考えの根強さをどう越えられるかが今後の新たな転換のカギだといえる。社民や普天間基地を抱える宜野湾市長らが実現を求めるグアム移設案。現実的判断として越えねばならない課題である。

 沖縄の島ぐるみ闘争になった普天間基地移設問題。結果として鳩山首相は沖縄の民意を無視した中で日米合意に「辺野古」が盛り込まれた。歴史的、国際的、軍事的論及から課題克服の道筋を明らかにする必要がある。前政権路線を踏襲した現実に向き合い、積極的な代替基地問題を示す必要がある。
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普天間基地移設問題と社民党 3

2010年05月29日 10時09分45秒 | Weblog
 社民党の福島党首の行動は社民存続を占う意味とともに、沖縄県民の意志の受け皿を考える上で大きな意味を持っていた。私は現実的判断で「連立離脱はない」と過去のJ-NETの記事で書いていたが、その読みは少し修正しなといけないと、今思う。

 どうして現実的判断をしていたかは、社民の連立政権での成果を聞かされていたからだ。国労問題での解決を図ったのに大きな力となったのは社民連立の成果であり、国交省の辻元副大臣が尽力したことを集会で聞いた。無論、辺野古移設決定の先延ばしも昨年12月の福島党首が「連立離脱」をちらつかせる発言がカウンターパンチになったことも事実だ。

 こうした中でたとえ福島党首が罷免になっても連立離脱は、社民としての存在感を消去する政治的選択はとらないとみた。しかし、社民関連の友人に聞くとかなり連立離脱に傾いているという。党首が「クビ」をきられて連立に留まるのは首尾一貫していないというわけだ。その意見が強くなっているという。

 それにしても、鳩山首相はどうするつもりなのか。地元の賛成などまったくないのである。辺野古回帰は。抑止力問題で韓国側が在沖縄米軍基地の重みを評価していると聞く。本日の日中韓首脳会議(済州島)でどうした話が出るのか。哨戒艦「天安」事件について話が出るものの、日本の国内問題であり、また中国との関連ではナーバスな米軍基地問題は出ないだろうが、韓国の反応は何らかのかたちで伝わってくるだろう。

 私は沖縄に新たな基地をつくらせないとして首尾一貫した主張を貫いた福島党首の行動に社民の存在感を示したと賛辞を送る。ただ社民よ、もっと日常活動で足腰の強さをと叫ばざるをえない。それと積極的な代替基地問題を理論的・実際的にも示さないかぎり、沖縄・辺野古基地建設による抑止力発揮論に押されてしまう。ここは社民党をサポートするシンクタンク側の肩に大きくかかる問題である。
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普天間基地移設問題と社民党 2

2010年05月28日 10時58分29秒 | Weblog
普天間基地移設をめぐり社民党の福島党首が辺野古移設反対の急先鋒に立っている。この分析はすでに本特集で書いたところだが、社民存続の剣が峰に立つからこそ「突出」した日米合意案反対に立つからで、党存続のパフーマンスというよりそうせざるを得ない状況に追い込まれている。いや社民ならその選択しかないのだ。

鳩山政権では可能性が強いのは福島党首の大臣罷免であろう。社民の分裂と連立政権離脱はないとみるのだがどうか。分裂と離脱はないから自ら「捨身」して罷免状況を現出しているのが福島党首の行動ともうるつのだが。

「沖縄密約」では辺野古に核施設があると明記されている。だからこそアメリカは辺野古に固執する。毎日新聞27日朝刊の専門編集委員のコラムでもこのことにふれていた。言いたいことは、こうした隠れた部分にメスを入れられない日米の抑止力はいつも灰色なのだ。

朝鮮半島は緊張側面があるが、秋には収束していくという見方がある。緊張側面を長く維持して経済的損失を膨大にする選択を北の政府はとり続けるはずはないという現実的見方が一方で根強い。朝鮮半島が緊張したとして、踊らされるのは控えねばならない。韓国の友人に電話したが、「沖縄の米軍基地問題に影響があるとはおそれいる」と履き捨てた。われわれはあまりにも一国主義的安保感で右往左往しすぎだ。
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ながびく腰痛

2010年05月28日 00時43分56秒 | Weblog
 治療に入り4日たつが、あいかわらずの腰痛である。「クの字」型で歩行する姿からはまだ解放されていない。だから大阪など出られない。

 限界にきていたのに、鈍い私は察知していなかった。兆候はいくらでもあったが、ここまでの症状に進むとは思っていなかった。

 本の行商がもうできないだろう。20キロちかい本をコンビニに持ち運んで行くことなどできない。朝鮮語の辞書をもち歩くのも控えねばならない。

 宅急便の方の腰痛はさぞかしひどいだろう。

 ストレッチ運動をやるのもいいだろう。それがだいいたいズボラだから、そういうしゃれた運動を何も知らない。

 治療院に通院されるのはだいたい50歳以上の方が多い。

 意外と運動しすぎて足腰を痛めておられるか方を見かける。
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インタビュー 大阪コリア文化サラン房「ダルマジ」をオープンさせた高貞子さん

2010年05月26日 07時38分16秒 | Weblog
<form mt:asset-id="698" class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">IMGP4016.JPG</form>

  -「タルマジ」と名付けられた韓国伝統茶房はオープンから1か月たちますが。
高貞子さん 焼肉店「高橋」3階にオープンさせたのが「タルマジ」です。そのオープン記念で4月25日に京畿道立のサムルノリのコンサートを企画しました。生野区民ホールは満杯で成功裏に終わり、5月14日の新井英一ライブは、これも「タルマジ」満員の新井ファンがつめかけ盛り上がりました。少し胸をなでおろしているところです。

  -「タルマジ」の計画はいつごろからですか。
高貞子さん 韓国の伝統音楽を現代的によみがえらせた「スルギドン」の音楽に出会ってからです。こんな素晴らしい世界を子どもたちに、ハルモニ(おばあさん)、ハラボジ(おじいさん)、日本の近隣の皆さんに伝えたいと、今回の茶房を計画、昨年10月から準備に入りました。韓国の伝統家屋を再現するため箪笥、椅子、窓枠などのほか、床に敷く伝統的な紙に至るまで訪韓して買い求めました。そしてオープンしてからは、韓国映画を5月初めの3日間にわたり上映しました。そして14日の新井英一さんのコンサートです。今後は安聖民さんのパンソリをこの30日に聞くほか、ソリストアカペラリアブ(6月6日)、民俗文化牌マダン公演(6月27日)「いかいの寄席」と名付けて落語会(7月31日)も予定しています。安さん、落語会とも定例化する予定です。

 -「タルマジ」で出される伝統茶にいて話してください。
高貞子さん 韓国で求めたもので、今回の「タルマジ」の特徴でもあります。本ものの韓国のお茶を飲んで、パンソリなど鑑賞していただきたい。

 -高貞子さんといえば済州島の民話の発掘で本も出されていますが、創作活動の方ではどうですか。
高貞子さん 済州島の民話をもとに創作をやりたいと思っています。いまは「タルマジ」のことで頭が一杯ですが、近々作品を書くことを始めたいです。(聞き手 川瀬俊治

 ※ タルマジとは 陰暦正月15日の月見のこと。村人がこぞって外に出て月を迎えたという。そういう場になるとこを願い名付けられた。
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普天間基地移設問題と社民党

2010年05月26日 07時32分19秒 | Weblog
社民党が連立離脱の危機にある。沖縄での社民の強さから、「社民は沖縄にあり」とまで極論されるほど存在感があり、だからこそ28日に発表される日米合意案には真っ向からぶっかる。

そうした中、福島党首が25日、沖縄を訪れ中井真知事に「沖縄の民意は明確に示されている。辺野古の海に海上基地を造ることは絶対許されない」と述べた。これをどう考えればいいのか。

政府関係者ほど政府情報を知る人はいない。福島党首は閣僚であるだけに、当然、名護市の辺 野付近への移設という日米合意の内容をつかんでいると見ていい。では、今回の行動をどうみるか。最後のぎりぎりまで普天間基地移設で県外、国外への努力をしたことを「党内向け」にアピールしたと私は見る。つまり連立離脱回避のために、離脱を主張する陣営の説得のための行動とみる。「ここまで努力した」と示して、と。

そうでないと福島党首の行動は考えられない。沖縄の民意に反して政府案が辺野古に回帰した愚行は本当になさけない。アメリカの「国益」の方が沖縄の民意より重かったからだ。そして離脱を回避する福島党首の行動は痛々しい。

社民内部の人から、連立にいるからできた成果のいくつかを聞いた。普天間基地移転に限っては、名護市長選まで結論を延ばさせ、さらに5月末までの結論先延ばしができたのは社民の力だといわれている。連立離脱すれば、将来、その役目を失う。

しかし、沖縄の民意に主軸をおくならこれは離脱して「共闘」を組まねばならないだろう。繰り返すが、日米合意は沖縄の民意に反している。私はこの合意にとても賛同できない。

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腰痛再発

2010年05月25日 08時30分05秒 | Weblog
今回の腰痛はひどい。からだを「くの字」に曲げて歩いている。

 1週間前に引越しで重いダンボールを持ち上げたのがよくなかった。それから快復の
兆しもあった。ところが先週金曜日夜梅田で30年ぶりにNHKの記者に偶然会ってカウンターバーに座り2時間以上も話し込んだのがよくなかった。

 翌日、ハンギョレの記者に会ったが、びっくりして、「昨日まで変には思わなかったが、昨晩何があったのか」といぶかられた。それから快復せずにいる。

 電気治療を昨日から始めた。少しはよくなるかもしれない。この歳になると、ポンコツを自認しないといけない。韓国では「トンチャ」というひどい言葉で比喩的に私のような人間を言うらしいが、スクラップにはなっていないからよしとしよう。

 印刷会社に原稿をとりにいかないといけないし、相手先に届けないといけない。会議もある。すこしざぼることにした。そうでないと腰がもたない。

 今日、朝8時前に大学のキャンパスに入ると柔道の野村選手が朝稽古を終えて車で帰宅するところだった。大変なケガをしているのにさらに金メダルをとるため早朝から稽古で汗を流すなんて……。私の腰痛なんぞちょろいと思えてきた。
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メディア・ウオッチング 代案メデイアの成功が報道改革のカギ

2010年05月17日 21時52分35秒 | Weblog
マスメデイアの報道のありかたに変革を求めるNPOが動き出そうとしている。NPO「ジャクリメド」(仮称)という団体だ。市民参加型の組織で、「報道被害」「集中過熱取材」「一極集中報道」の現状を広範な市民による議論の場を創ろうというものだ。フランスの非営利組織でマスメディアの検証、批判活動をしている「アグリメド」の活動を参考にしているようだ。

 てっとり早いのは、自分たちが代案の報道をして、そのネットなりペーパーが多くの人々に受け入れられることができれば一気に活動は進む。ただそれには推進する社会基盤整備が必要だろう。市民メディアの作品が定期的に公共放送で流れたり、ペーパー発行で安価で郵送できる制度改革がなされたりするという意味だ。アカデミックな研究だけでは不十分だ。

 この日曜日のことだが、社会的事業や街づくりを展開している韓国の朴元淳弁護士にインタビューする機会があった。この内容は雑誌に掲載される予定なので注目してほしいが、私が「韓国の市民運動に影響を受けて日本の運動が動き始めたものがあるが、多くは失敗している」と申し上げたら、「長いスパンで考えないといけない」との即答が返ってきた。たしかにわれわれはせっかちで、すぐ回答を求めすぎる。結論を早く出しすぎるようだ。失敗してもしぶとくやり続けることは重要だろう。

 最初の代案メデイアの問題もしぶとくやれるかどうかにかかる。このジャーナリスト・ネットも創刊して6年目に入っているが、試行錯誤、失敗の連続かもしれないが、ともかく続いている。続けることで市民メディアを模索している。その姿勢は創刊時と変わらない。問題は新たな方向性をどう出していくかである。そこに現状から頭1つ出して言論を、ネットを組み立てていく指導制が求められることはいうまでもない。今後も試行錯誤は積み重ねていくことは言うまでもないが、指導制という部分での弱さを自覚しこれをどう克服するかという結論に私自身は思い至っている。
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コラム「風」 沖縄の記者の第一声をどうとらえるか

2010年05月15日 07時48分49秒 | Weblog
 友人の沖縄の新聞記者に電話をした。「長い闘いになります」が第一声であった。希望的観測も希望的観測である鳩山さんのウルトラC「日本ではとても受け入れられません」として米軍基地海外移転を訴えることがあればなど脳裏に浮かんだが、これは空想中の空想中の理想論。日々現実に対処する沖縄の友人たちはこんな空想論は思いも浮かばないだろう。現政権に対して県内移設反対を地道に進めることに主軸がある。友人の言葉「長い闘い」の重みを改めて知った。

 11日午前に、山内徳信参議院議員は国会前で演説し厳しく鳩山さんの「翻意」を批判した。メディアで報道されたからご存知の方も多いだろう。「自民政権が10何年もかかったのだから、鳩山さんがこの8,9か月でできるはずがない」と連立を組む政権与党からの声も聞こえてくるが、これはいかにも第三者的な発想で、そんな他人行儀なことでは山内参議院議員の行動は理解できないだろう。

 抜き差しならない問題が沖縄の米軍基地移問題であり、またブーメランのように辺野古に返ってくるのは、山内参議院員からすれば信じられない「落としどころ」である。辺野古に何度も足を運んだ私にも思いを同じくするが、敢然と行動される姿にエールを送りたい。しかし、かくも日米安保の枠組みは変更を許されないのか。

 政権交代したのである。それでもダメなら、どの政権を信じればいいのか。しかし、政権交代の選択は誤っていない。今週の大学の講義後、「普天間基地から本土の移設は誰も賛成しない。米軍基地は100年たっても解決しない」とある生徒が意見を述べたが、沖縄の米軍基地が運命のように決まっているなどありえない。

沖縄の視点からの発信を強く続けねばならない。不安定孤は極東ではなく、中近東と見るアメリカの軍事戦略で、どうしていまも沖縄に固執し続けているのかわからない。「官邸に入り安全保障上での抑止力で沖縄の海兵隊の重要性を痛感した」という鳩山さんはどうもこの期に及んでとってつけた言い訳にしか聞こえない。沖縄の負担軽減に努力される姿は賛意を示すが、結果責任を問われるのは政治である。隘路を抜け出す方途を少しでも示すべきだ。

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「なめとんのか」-徳をしたのか損をしたのか

2010年05月14日 18時07分26秒 | Weblog

「今日の5時で特価の時計、宝石販売は終わります。さあ、いまのうちお買い求めください」
 大阪の街角を歩いていると、このかけ声とともに人だかりがすごい。気付いたら、千円で老眼つきのような文字盤が大きい特徴の時計を買っていた。

 ところが、この時計、自分も気に入って、時計を腕にするのは億劫な方だが、毎日外出時には左腕にかけて出かけた。

3月中旬に買い求めて、1か月すぎた。沖縄の4・25の読谷村の県民大会の会場に取材に行き、そこに着くなりどういうわけか、とまってしまった。

 よりにもよってなぜ沖縄で故障するのか。

 それから一度たりとも動かなくなった。

 5月に入りまたその街角を通りがかると、同じ店で若者が時計などを売っているではないか。おなじ掛け声で同じことを。何か言う気力もうせた。ただ黙って通り過ぎるだけだった。

 仕方なく故障修理のため時計屋さんを探すが、行く先々で目をこらすものの、これが時計屋さんがない。どうも商売としてはとても生計をたてられるほど悠長な時代ではないようだ。厳しい時代だ。

 14日に京橋で知人と会い、遅めの昼食をとるため駅前から少し離れたうどん屋さんでうどん定食(350円)をとり、食べ終えてから、運命が大きく変わった。店のおばさんに、「この辺に時計屋さんあらへん」と尋ねると、「時計の電池換えるの?」と言われて、頷くと、その店の3軒隣りが、合鍵屋さんで、そこで時計の電池を交換しているらしい。

なんと幸運なことか。

店に入ると、合鍵屋の主人が、「さきほど、同じ時計をもってこられたところですよ」と言う。「へー。1000円で買って、1か月で動かなくなった」と正直に言う。すると合鍵屋の主人は、「開いてみて電池を入れ替えたりしないと、電池がないのか、それとも時計自体が故障しているのかわからない」と言う。

おまけに店の主人は「先ほど同じ時計の電池を変えたばかりだから言えるんですが、電池は2個要りますよ。一個840円です。1680円ですが換えますか」

 「もし電池が原因でないとわかれば、電池は買わなくてもいいですか」
「いったん電池を使ったことになりそれはできないですね。もと買ったところで故障のことを言われるか、時計屋さんに相談したら」

 商売気のない人だ。

 結局、時計屋さんに持っていくことにした。それから地下鉄に乗り、たまたま下車した堺筋本町駅周辺の船場商店街一階に時計屋さんがあることがわかった。

ところがである。やっと探し出した時計屋さんの前にたどり着くと、なんとその3週間動かなかった時計が動きだしたのである。どういうことなのか。なぜ時計屋さんの前で動きだすのか。本当になめてんのか!!わからない。人間の運命というものは。いや時計の運命というものは。

いま顛末を書いている段階でも動いている。徳をしたのか、それとも損をしたのか。
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日曜新聞読書欄簡単レビュー

2010年05月09日 12時09分51秒 | Weblog
 今週は読売、産経、毎日、日経、朝日の5紙から。
 サスペン作家である道尾秀介が人間の交歓をテーマにした小説を書いた。今週のいちおしでもある。『光媒の花』(集英社、1400円)ー読売ーがそれだ。心に暗い陰をもつ登場人物を描いた6つの短編なのだが、評者堂目卓生によれば「驚くべき巧みさによって、つなげてみせる」という。何げなく交わした言葉、眼差しが、それぞれの心に小さな光を灯すという。光媒とは光を媒介にすること。虫や風にたよらずとも光により自分の花咲かせる。それも「人は意図しなくても、存在するだけで他人に光をもたらすことができる」と評者は書く。若いこの作家の作家のテーマがこの作品群でいかんなく結晶したのかもしれない。実際に私もこの作品群に引き込まれた。「隠れ鬼」「虫送り」「冬の蝶」「春の蝶」「風媒花」「遠い光」の連作を著者自身、「この全6章を書けただけでも、僕は作家になってよかったと思います」と本の帯で書いている。この作家の造形力とテーマのたしかさはホラーなりミステリー小説で培われたものだ。この民衆の心の声と一条の光を書きたいために作家になったと私はみる。

 河上肇が経済学者の側面だけで論じられないことを論じたのが『一海知義著作集6 文人河上肇』(藤原書店、8400円)ー読売ーだ。晩年の河上は宋代の詩人陸●(さんずいの遊)の執筆であり、現在、その研究者が一海なのだ。陸●(さんずいの遊)の詩は「自己のもつ矛盾の、作為的な隠蔽ではなく、正直で赤裸々な漂白」をした人だからこそ河上が傾倒したのであり、もう1つの自叙伝だったとみる。河上の漢詩への向き方に一海は敬愛の念をこの書でいかんなく著している。「珠玉の文章が本書を彩る」と評者野家啓一は書く。なお1週間後にはネットhttp://www.yomiuri.co.jp/book/
で読売に書評が読める。

 松浦玲『勝海舟』(筑摩書房、5145円)ー産経ーは、評者が太田治子。歴史家ではなく作家だから、単刀直入の評がおもしろい。勝が大好きな太田は、福沢諭吉との関係に論をさいている。勝とは最初からウマがあわなかったのだと。福沢のナショナリストと勝の平和主義。実に対局にある2人に焦点をあてている。日清戦争を文明・日本の野蛮・清国に対する戦いとみる福沢と、不義の戦争とみる勝。足尾銅山鉱毒問題でも元が間違っていると新聞に書いたのは勝だ。太田はこうした事例をあげながら、「いよいよ好きになった」と勝について述べる。産経の論調とは、読書欄は別のところもある。いや新聞は党派の機関紙ではないのだ。違った意見、論説も当然掲載される。

 レーニン研究でデビューした白井聡が『「物質」の蜂起をめざして』(作品社、2730円)ー毎日ーを出した。1977年生の今年33歳の俊英は、レーニンが資本主義の外部を露呈させたことを本書にいかんなく論究している。「同時代の精神分析や前衛芸術、現象学哲学と同じ土壌から生まれた」と評者は書く。根底に何があり、その夢はどうした結果を招いたのか。本書はその検証するとき、大きなヒントを与えてくれる。
 
 イアン・シャピロ『民主主義理論の現在』(慶応義塾大学出版会、3200円)ー日経ーでは、民主主義論の現在がよくわかる。民意を集約する集約論、共通善に収斂する熟達論、この2つを対比させ、合理的集合的決定を不可能とする悲観主義や市民参加の理想主義にも与(くみ)しない。その理由を評者加藤淳子は「それは民主主義的決定を必ずしも根本的に覆すものではないし、市民が意見を交換する熟議も戦略的操作の対象になるからだ」と評している。シュンペーター主義的民主主義理論再評価し、代議民主主義が前提とする規範が内包する矛盾を喝破している。

 朝日の書評では福家崇洋『戦間日本の社会思想 「超国家のフロンテイア」』(人文書院、6090円)がおもしろそうだ。評者は中島岳志。戦間期の高鼻素之の国家社会主義が国家を超えるものかどうかを抽出した著者の作業を評価している。「既存の対立軸を溶解させる取り組み」とだった。喧々諤々、喧々囂々たる論日がファシズム世界はこの取り組みは成功しなかったのだが、そのアイロニーを顛末をどう見るかと評者は問いかけている。 
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強制動員真相究明ネットワーク事務局長福留範昭さんの急逝

2010年05月08日 21時50分21秒 | Weblog
 相次ぐ訃報で気持ちが重い。強制動員真相究明ネットワーク事務局長福留範昭さんが5日未明、急性心不全で亡くなられた。信じられない。まだ60歳で、仕事に一番あぶらがのられていた。

九州に行くと必ずお会いして話し込んだ。昨年6月の日韓の歴史研究交流でも下準備をされ、成功に導かれた。その仕事ぶりに、参加した私はそばから敬服して見ていた。韓国語がよくできて、うらやましい限りだった。日韓の運動体との関係もバランスがよくわかる方だった。

昨年10月の沖浦和光先生を中心として大学同教の研修でも、スタートの時間を惜しんで博多でお会いした。それが最後になる。昼食とコーヒーを飲み、「九州に来たんだから」とごちそうに供された。

 今年はメールのやりとりで、『ろうそくデモを越えて』という本の共同執筆者での連絡だったが、韓国の参与連帯が書評をしてくれて、その内容を送ると、「韓国の識字運動を取上げたのが評価されてよかった」と返事をいただいた。3月のことだ。

 光州事態から30年のシンポには私は参加できなかったが、福留さんは遺骨返還運動のこともあり4月26日から参加され、光州シンポに合流されたと聞いている。体調をこわされて無理をされていたのか、3日の帰国後どうなったのかしらないが、4日夜に緊急入院され、5日未明に亡くなられた。私がその情報を知ったのは、7日の葬儀の日だ。

 混乱して何が何んだかわからない。どうして急性心不全になられたのか。本当にわからない。秋の遺骨返還のシンポの計画を進められていた。そのための訪韓でもあったのに。私も事務局員の1人である強制動員真相究明ネットワークはこれからどうなるのか。ぽかんとあいた空洞はとても埋まるものではない。

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著者100人に連絡を

2010年05月06日 21時31分54秒 | Weblog
この1週間に、これまで編集してきた本の著者に連絡しないといけない用事ができたが、これが大変。

 著者は総勢100人はおられるが、病気療養中の方とか、ご遺族に連絡しないといけないとかで、なかなか進まない。時は残酷で、様相を一変させる。

 そのときは懸命に編集してきた本だが、だいたい粗忽者の私には、あとから「こうしたらよかった」とかが多い。

 また著者と編集者の関係は、最良の批評家である編集者の関係が、主従の関係とかになったりもある。そのあたりの苦い思い出はなかなか消化しきれない。

 フラットな関係はお互いに尊敬するということが原点。それが一番長続きする関係である。

 少しでも手を抜くとあとでとんでもないしっぺ返しをくらう。「少しでも」というのは、最後の最後の段階でのミスが意外と多いことだ。奥付けで著者の英語表記を誤ったり、最後の最後で本の大きさ(版形)を間違われたこともある。

 著者と電話で話すことが出来ればラッキーで、どこにおられるのか、その場所もわからない場合もある。時は空間をも侵食していく。
 
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NHKニュースがはからずも露呈した沖縄の視点

2010年05月04日 22時33分50秒 | Weblog
 メデイア・ウオッチングのコーナになるかもしれないが、今日の夜9時からのNHKのニュース総合テレビを聞いてびっくりした(私はテレビは機能せずラジオに入るNHKニュースを聞く)。

 キャスターの男性が「基地問題解決で何が重要か」と、自らに課した設問で、1つは指導者のリーダーシップ、もう1つは国民が基地問題に関心をもつこと、をあげた。

 少し待ってほしい。なぜ沖縄が置かれてきた歴史、差別性をあげないのか。なぜ沖縄の問題を中心にして発想しないのか。担当キャスターが独自の視点を解説するのがNHK9時のニュースの売りらしいが、問題の核心をはずすような解説には驚いた。

 万事がそうだ。沖縄が置かれてきた二重性をとりあげようとしないのか。平和憲法の埒外におかれた米軍支配にあった本土復帰までの期間。本土の海兵隊基地反対から、「では沖縄へ」ではないが、結果的に沖縄に集中させてきた経緯。こうした沖縄が置かれてきた姿をまず基地問題解決の中心にすえねばならない。

最も影響力が大きいのがNHKのキャスターだろう。しかしおそまつすぎる。ほかのメディアも同様の視点で鳩山さんの後押しをすべきだった。

 4月25日の沖縄の県民集会の翌朝、『琉球新報』の1面コラムは「鳩山さんを応援したい」というニュアンスで結ぶコラムを書いた。ここにいたっても「県外移設」を主張し続けていたからだ。

 本土メディアにはない視点である。本土メディアには沖縄の視点が抜けている。これは言いすぎかもしれない。浮上ない。4日夜のNHKのニュースキャスターの解説を聞いて、思わずラジオに耳をあてた。「この視点でいいのか。ほんとうかよ」と。


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