4月22日朝日新聞「戦没者追悼と靖国問題」というタイトルで、評論家・宮崎哲弥氏、小説家・目取真俊氏、大阪大名誉教授・子安宣邦氏の見方が掲載されました。この中で、私は目取真俊氏の見方に共感を覚えました。私の信条である「手ざわり生活実感的」に見ておられるからです。
以下、目取真俊氏の文。小見出しは川本がつけました。
◇軍服で行進するお年寄り
昨年の8月15日、初めて靖国神社に行った。鳥居をくぐってさざれ石を見学し、参道を歩いていくと軍服を着たお年寄りのグループが隊列を組んで行進してきた。参道横の休憩室では別のお年寄りのグループが「海ゆかば」を歌って涙している。
◇沖縄戦の真実を隠す
そういう様子に面食らいながら人込みの中を歩き、本殿から遊就館へと足を運んだ。説明文を逐一読んで展示物を見、外に出て改めて参道を埋める人込みを眺めたとき、沖縄では目にできない空間のかもし出す雰囲気に、違和感が募ってならなかった。
遊就館では日本の近代以降の戦争についてさまざまな遺品や写真などが展示され、沖縄戦についても触れられている。しかしそこでは、皇軍兵士たちが沖縄で行った住民虐殺や食料強奪、壕追い出しなどについては記されていない。傷ついて歩けない兵士たちに青酸カリ入りのミルクを渡し、置き去りにして敗走していった日本軍の姿も伝えられず、また敗残兵となった日本兵に住民が抱いた恐怖も記されない。
◇「英霊」のイメージ作り
そういう事実からは目をそむけることによって、死んだ皇軍兵士たちは「英霊」とたたえられる。逆に言えば、「英霊」のイメージを壊す沖縄戦の実相は、靖国神社では触れていけないタブーなのだろう。
それは沖縄戦だけではない。日本が植民地とし、戦場としたアジア諸地域の戦争の実相もそうだ。私には靖国神社や遊就館が、皇軍兵士による住民虐殺や略奪や暴行など、侵略と加害の歴史を忘却させ、侵略者としての皇軍兵士の死を殉国美談の物語に仕立て上げる巨大な装置としか思えなかった。
略。
◇戦争被害の体験と戦争加害の歴史
その(注:沖縄戦)体験は親から子へ、祖父母から孫へと語り伝えられてきた。私の祖父や父は日本兵に殺されかけた体験を話していたが、その記憶を私も忘れはしない。
韓国や中国の「反日」デモについて、日本のメディアは「愛国主義教育」の影響を喧伝するが、私には「口伝え」に伝えられる「記憶」や「歴史」の力について認識が弱いように思える。
日本人がいくら目をそむけても、日本が行った侵略と虐殺、略奪の歴史を消せはしない。-略-。歴史の過ちを反省する姿勢が日本人の中にない限り、アジア諸国の民衆から理解を得られまい。
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