クラシック分野に限らずあらゆる分野の作曲家を対象として考えたとしても、作曲した作品の全てが何度も演奏されるということはないですよね。中には一度も演奏されずにお蔵入りになる作品だってある(というよりも少なくない、むしろ多い?)と思います。モーツァルトやベートーヴェンのような音楽史上の巨人の作品といえども、その様な不人気作品の一つや二つ(3つや4つやそれ以上)あろうかと思います。
クラシック作品の中でも人気部門と思われる交響曲=シンフォニーに限っていっても、ベートーヴェンの交響曲でも3番「英雄」、5番「運命」、6番「田園」、7番、9番「合唱付き」以外の作品が演奏される機会はかなり珍しいのではないでしょうか?モーツァルトの番号付き交響曲ではっきりと認識しているのは40番のト短調交響曲と38番の「プラハ」は印象に残っていますが、39番と41番も少なくとも録音では聞いているはずですが、たった今現在ははっきりとは思い出せません。交響曲の父と呼ばれるハイドンの作品に至っては、100曲以上ある中で、「告別」や「驚愕」ぐらいしか印象に残っていません。
録音を含めてというか録音が殆どですが、私が好きで最も回数多く聞いた交響曲は間違いなくチャイコフスキーの5番です。6番「悲愴」よりも遥かに好きな作品です。チャイコフスキーの番号付き交響曲6作品でも人気が高いのは後半の4・5・6番ですね。ショスタコーヴィチの交響曲全曲盤のCDボックスセットもオークションで購入して、少なくとも一回は全曲を聞きましたが、2度と聞かない作品の方が多そうですね。聞いた話ですが、日本のアマチュアオーケストラで演奏される頻度が最も多いのは、シューベルトの「未完成交響曲」とのことですね。アマオケのベテラン楽員ともなると、何度も「未完成交響曲」を弾いているのだそうです。これがオーケストラの舞台で歌う機会がある合唱団にとってということになると、俄然ベートーヴェンの第9交響曲「合唱付き」になるのは誰もが納得していただけると思います。中には第9を100回歌った等と回数を自慢する方も居たりするのですが、私が音楽に求めるものとは違うものを求める人も居るのだなと思って近づかないようにしていました。
マーラーの交響曲はその点で全ての作品に人気があるように思います。とは言え第8番「千人の交響曲」は人気はあるものの実際に演奏される機会はあまり多くない(舞台装置が大掛かりに鳴らざるを得ず、なかなか演奏会で取り上げられない)というハンディを背負っているように思っています。それでも日本全国でみれば数年に1回は演奏会で演奏されているように思います。中には一年間に複数回演奏された歳もあったかと思います。
ことほど左様に、人気分野の交響曲と言えども作曲家が残した交響曲全てが頻繁に演奏されているという作曲家は殆どいないと申し上げたいところではありますが、例外的に全ての作品が頻繁に演奏される作曲がいました。そうです、ヨハネス・ブラームスですね。ブラームスの交響曲は1番から4番まで、たまたま耳に入って来たと言うような状況でも、ああ、ブラームスの交響曲だな、とは直ぐに識別出来ます。もう少し若い時ならブラームスの交響曲何番の何楽章のどの辺りまで、認識出来ていました。何と言っても4曲しかなくて、しかもその4曲の何れもが完成度・充実度で比較しても何れも勝るとも劣らない傑作で、ブラームスらしい華美ではないが構成がしっかりしているので音楽の流れに見を委ねていれば安心して(過剰な集中力を求められずに)フィナーレの興奮にまで連れて行ってくれる。
この記事の中に引用した交響曲作曲家のそれぞれの作品を見ると、それなりにそのスタイルにヴァリエーションがあって、それぞれの交響曲毎に新しい手法や表現様式などに対する様々な試みが行われているように思います。マーラーの作品では声楽無しの純器楽作品と声楽付き=交声曲とが混在しています。その様な中であらためてブラームスの4つの交響曲を思い浮かべると、ブラームスの4つの交響曲それぞれに確固たる個性があるので、聞きさえすれば何番の交響曲か間違えることなく識別できるものの、他のどの交響曲作家が作曲した複数の交響曲を比較したときよりも、ブラームスの4つの交響曲の構成には非常に統一感があるような気がしませんか?
ベートーヴェンの3番、5番、6番、7番、9番は何れも構成という点で類似点よりも相違点の方が目立つように思います。チャイコフスキーの4番、5番、6番もそれぞれ同じスタイルで作曲されているとは言い難いように思います。マーラーにしろショスタコーヴィッチにしろ、交響曲ごとの構成については、統一性があるというよりも、様々な構成に変容させても自在に作曲できる能力を誇示しているようにすら思えます。
その点、ブラームスは、各作品の構成という点においては変に奇をてらうことなく、クラシック音楽にある程度聞き馴染んだ耳の持ちてであれば、安心して音楽の進行に見を委ね、和声の展開=響き=サウンドという波のうねりの上に展開されるやや牧歌的というか農村的というかそんな旋律を辿っていくと、自然と盛り上がっていつしか一つの大きな作品が最後の終止和声を鳴らしている瞬間に立ち会っている自分を見出す。だから交響曲作曲家の中でブラームスが一番好きという人は実際には居てもおかしくは無いと思うのだけれど、どちらかというと密やかにブラームスの交響曲を愛している人たちですね。マーラーやベートーヴェン等の交響曲は、もう絶対にマーラーやベートーヴェンの交響曲が最高で、他の作曲家の交響曲はこの世に無くても大して困らないぐらいは平気で吹聴するコアなファンが多いのではないでしょうか。
ブラームスの交響曲は嫌い、少なくとも好きではない、というクラシック音楽愛好家には私はあったことがないですね。ブルックナーの交響曲は長すぎて飽きるとか、マーラーは情念重すぎるとか、ショスタコービッチは政治的すぎるとか、まあ好きでない作品は聞かなければ良いだけの話です。その点ブラームスの4つの交響曲は様々な特徴に100点満点の120点はないけれど、どの特徴も80点以上、いやいや95点以上。非常にドイツ的な構成のはっきりした建築のような作品ということで、実は骨格がしっかりしているからこそ内装や家具の配置等で明るさ・軽さを表現することにも成功している、それでいて骨格のしっかり感も聴衆に間違いなく伝えている。これはやはりブラームスよく似合う、「いぶし銀」の魅力ということなんでしょうね。