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生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

我が家の愛犬 ロングコートチワワのリリ姫 今日は月に一度のシャンプー

2016-11-20 22:59:21 | ワンコ

 犬は犬種(主に短毛種か長毛種か)に依るとも思いますが、夏以外でも月に一度、夏では週に一度程度のシャンプーが望ましいようです。シャンプーしないでいると次第に獣臭さがしてくるので、自然と月に一度程度の頻度でシャンプーがしたくなります。とは言え我が家のリリ姫は夏でも特に獣臭さが強くなる気は全くしなかったので、7月8月も月に一度の頻度で通してしまいました。

 犬種というよりも個体差の方がはるかに大きいようですが、シャンプーが大好きな犬もいれば大嫌いな犬も居るようで、嫌いな犬をシャンプーするのは本当に大変な様です。飼い主がシャンプーの用意をし始めただけで逃げ回る犬も居るようです。我が家のリリ姫は大好きというほどでもありませんが嫌いでもなさそうで、シャンプーの準備を始めても特に逃げも隠れもしません。こちらがぬるま湯のシャワーを当てても嫌がりませんし、シャンプーを泡立てて全身を優しく洗っても機嫌を損ねては居無さそうです。喜んでいるというふうでもありませんが、素直にされるがままという感じですね。体を洗うよりもその後の乾燥の方が大変で、高吸水性のタオルで良く拭った後でドライヤーで逆立てるようにしながら毛の根本に温風を送って乾かすようにします。大分乾いたと思って開放すると全身をプルプルと震わせて水気を飛ばします。大粒の雫はありませんが、結構なミストが飛び散ります。

 夏の間はシャンプーをすると体色が薄くなるような感じがしましたが、夏毛から冬毛に生え変わったからでしょうか、今回のシャンプーでは体色がシャンプー前より濃くなった気がします。また、犬は肛門の左右に肛門腺という器官があって臭い脂が溜まるのでシャンプーの度に絞ったほうが良いと言われています。我が家のリリ姫は排便の度に少しづつ一緒に排泄されるのか、肛門腺絞りをしても殆ど臭い脂が出てきません。

 と、まあ犬のシャンプーはこんな感じですが、長毛種や短毛種でも大型犬になると素人の手には負えずにお金を払ってプロに任せる飼い主も多いと思います。我が家でも冬の寒い最中は業者にお願いしようかとも思っていますが飼い主にとっても大変ではありますが楽しいイベントでもあるので、他人に任せるのは(費用ではなくて機会を失うという意味で)もったいないとも思います。頼むのであればシャンプーしているところをガラス越しでも良いので見学できて、洗い方、肛門腺絞りのやり方、乾かし方等を見学できるところにするつもりです。

 シャンプーし終わった後は、さすがに暫く興奮して駆け回ったりしています。良く洗いだつもりでも人間が嗅いでシャンプーの残り香を感じます。人間より遥かに嗅覚の優れた本人ならぬ本犬にとっては、自分の体からシャンプーの香りがするのはどのような感じなのでしょうか。応えてくれないのは判っていますが、聞いてみたいものです。


NHK-ETV 「ラララ♪クラシック:楽器特集 ビオラ」

2016-11-19 23:02:05 | TV番組など

 NHK-ETVの「ららら♪クラシック」の今日のコンテンツは「楽器特集:ビオラ」でした。SDA48という存在を初めて知ることが出来、またビオラの魅力を堪能できました。

 さて、番組の途中で人間の声に近い楽器ということで、チェロだトロンボーンだいやサキソフォンだという問いかけがあり、トロンボーンとアルトサキソフォンとビオラの楽音のスペクトル(正確にはフォルマント分析というやつだと思います)が例示されていました。結論としては高音の倍音領域(フォルマント)の比較で、トロンボーンは高音成分が殆ど無しで人間の声には最も似つかわしくなく、アルトサキソフォンではトロンボーンよりは高音(確か5kHz領域と言っていたかと)が出てはくるものの、ビオラの高音成分が最も出ていて人間の声に近い、という結論になっていました。

 人間の声に近いかどうかをフォルマント分析で比較するということは、主観を避けて科学的事実で比較するということで望ましいと思います。さて無理やり数式で表すと、トロンボーン<アルトサキソフォン<<ビオラ≒人間、という感じになるかもしれません。ザックス=ホルンボステル分類では、吹奏楽器であるトロンボーンとアルトサキソフォンは気鳴楽器で、ビオラは弦鳴楽器と言うことになります。トロンボーンは音程変化をスライド機構によって行うため、マウスピースからベルまでの中間部に長い直線(管径が変化しない)部分が存在します。と言うことは倍音成分の高音側が出にくいということがあるのでしょうか?同じ音域のユーフォニウムの方が柔らかい音色を持っているという印象がありますが、トロンボーンとユーフォニウムとでは音色の違いよりも音程制御機構がバルブによるかスライドによるかという根本的差異によるイントネーション(トロンボーンはポルタメント的になりがち)で聞き分けているような気がして何とも言えません。

 人間の声だって気鳴楽器みたいなものだから、アルトサキソフォンの方が人間の声に近くても良いような気がしますが、アルトサキソフォンではマウスピースからベルまで管径が滑らかに拡大して行くのに対して、人間の共鳴腔は極めて複雑な形状をしているため、アルトサキソフォンのフォルマント分布とは大きく異なっているのかなと思いました。トロンボーンにしろアルトサキソフォンにしても一定の音程を吹いている時は定常状態にある気柱共鳴の自然倍音の分布様式のみで音色が決まっていると思います。共鳴の基は一つだけです。一方でビオラには弦が4本張ってあり、更に1本づつの弦も演奏に用いている部分の他に駒とテールピースの間の弦も共鳴に寄与しています。また表板、裏板、横板のそれぞれが分割振動します。此処で言う”分割振動”の様式こそがトロンボーンやアルトサキソフォンの単一の気柱共鳴に含まれる自然倍音の分布様式に該当すると考えて良いと思いますが、少なくとも弦鳴楽器であるビオラの場合は音色を決定づける倍音の基としては真に擦弦して振動させている弦の他にも他の3本の開放弦や駒とテールピースの間の弦すらも、強度的には弱いとは言え音色に寄与できるとは思ったんですよね。

 人間の声の共鳴は口腔の他に鼻腔と副鼻腔も関係します。特に副鼻腔は数え方にも寄りますが、前頭洞(左右に二つ)、篩骨洞、上顎洞(左右に二つ)、蝶形洞の4種6腔複雑に空いた孔が関係してくるので、ビオラとの類似性があるのかなと思ったり。まあ少々頭でっかち過ぎましたかしら。ただ番組の中では人間の声の男女差には全く触れて居ませんでしたが、比較対象がテナーサキソフォンではなくアルトサキソフォンであったことからも、ビオラに近いのは女性の声で、男性の声に近いのはビオラの1オクターブ下の音域をもつチェロと考えて良いのでしょうね。またサキソフォンについてもアルトサキソフォンに近いのは女性の声で、男性の声に近いのはテナーサキソフォンかアルトサキソフォンの1オクターブ下のバリトンサキソフォンということでしょうか。だとすると(テナー)トロンボーンに近いのは男性の声で女性の声に近いのはアルト・トロンボーン?


声は聞き分けられるけれども(楽)音は聞き分けられない?

2016-11-18 23:59:04 | 思うこと

 声を聞いただけで誰の声か判ることはありますよね。家族・友人・知人に限らず、俳優や声優の声、歌手の声も聞き慣れていれば聞き分けられることが十分に出来ます。

 では楽器の音はどうでしょうか?ピアノの音かヴァイオリンの音か?と言うような異なる楽器を聞き分けることは出来ます。それは倍音の分布特性の違いを聞き分けていて、それ程聞き馴染んでいなくても可能です。では同じ種類の楽器の個体差を聞き分けられるかというと、殆ど不可能ではないかと思います。良い音と悪い音とを聞き分けることは可能ですが、同じ楽器を上手い人と下手な人が弾いているのかもしれません。ヴァイオリンなどでは大いに有り得ることです。ピアノの場合は音色で聞き分けるのはかなり難しいように思います。ワンフレーズ聞けば技巧の巧拙を聞き分けることは難しくありませんが、聞き分けられるのはあくまでも技巧の巧拙であって音色ではないと思います。

 とはいえ、例えば聴衆にとっては極めて微小な差であっても演奏家にとっては比べようもないほどの大きな違いということもあり得ると思います。ピアノで言えばスタンウェイは綺羅びやかで、ベーゼンドルファーは豊かな低音が魅力とのことです。既に何年も前に廃刊になった月刊誌「オーディオ・ベーシック」はある時期から毎号にCDの付録を付けていましたが、その中にスタンウェイとベーゼンドルファーで同じ曲を同じ奏者が弾き比べた音源が収録されていました。その2曲を繰り返し聞いていると、スタンウェイとベーゼンドルファーの演奏とを区別することが出来るようになった気がしていました。その時点ではブラインドで片方だけを聞かされても100%とは言わないまでも有意な差で当てることが出来たのではないかと今でも思っています。しかしかなりの年月聞き直していないので、今現在ではブラインドで片方だけを聞かされても言い当てる自信は全くありません。

 時々TV番組などで、ヴァイオリンの◯億円のストラディヴァリウスと◯万円の工業製品とを弾き比べて、ゲストや視聴者に当てさせる企画があります。殆どの番組でプロを含めて正解率ほぼ50%との結果になっています。正解率50%とは統計的に区別できないということを物語っています。一方で相当の技能を持ち合わせた演奏家にとっては、ストラディヴァリウスに限らずオールドヴァイオリンの価値は家を売ってでも手に入れたい価値があるのは間違い無さそうです。しかし、いい加減気付いても良いのではないかと思っていますが、演奏家にとっての楽器の価値とは、必ずしも音色だけではないはずです。演奏しやすさ、し易さというよりも反応の良さとか、ほんの僅かの表現の違いを容易に演奏し分けられる敏感さ、等があると思います。ヴァイオリンの音色は、先ず正しい調整がされていることが大前提ですが、良い駒、良い弦、良い弓、に良い演奏技術が作るものと言い切っても良いと思います。

 ピアノや管楽器などでも、それぞれ良く吟味されたパーツとそれらの此処の能力を最大限に活かし切る調整のバランスだと思います。声楽をする立場で器楽が羨ましいことの第一に、楽器を取り替えることが出来る、ということがあります。医学的には声帯移植ということも無くは無い様ですが、声楽家が良い声を手に入れるために生体移植をしたという話は聞いたことがありません。声帯移植にはデメリットが多く、声を失った人等の様にデメリットを受け入れてでもメリットを享受したい人に限られるからでしょう。ヴァイオリンの様に◯億円、◯◯億円で楽器の所有者が代わった等の話を聞くと、声楽はその様な出費を心配しなくて良かったと思う一方で、今より良い声を手に入れるためなら幾らまでなら払えるだろうか、とも思ったりします。声帯を壊したために音楽を諦めざるを得なかった声楽家も過去に何人もいます。そうすると金さえ払えば取り替えられる楽器はやはり良いなと思います。高価な楽器の値段は高価なワインの値付けと似ているとも思っています。その心はヴォリュームゾーン辺りまでは値段と価値が比例しているけれど、ある水準以上は希少価値がその楽器が持ち合わせている性能以上に価格を釣り上げているのではないか、ということです。楽器とワインの価格についてはあらためて掘り下げようと思います。


ピアノの調律 純音とは何か???

2016-11-17 22:30:37 | 器楽・楽器

 ヤマハ株式会社(以前は日本楽器製造株式会社だったと思います)のWebSiteに、楽器解体全書PLUSというコンテンツが公表されています。その中に、「音を豊かにする弦の工夫」というコンテンツがあります。ピアノの弦は、低音側は一つの音について弦が1本あるいは2本ですが、中音域から高温域では一つの音について3本の弦が張られていいます。そしてそれら3本の弦は意図的に全く同じ音程ではなく、0.5~1.5セント程度、正確な音程を鳴らす中心の音を挟んで上下(高低)にわざとずらしたチューニングにしているそうです。

 そのページには4種の音源が公開されていて、3弦が全く同じ音程の場合、±0.5セント、±1.0セント、±1.5セントとなっています。解説文に書かれているように、3弦が全く同じ音程だとむしろ痩せた音色に感じます。0.5~1.5セント程度音程をずらすと、確かに響きが豊かになった様に聞こえます。平均律と純正律とでの第3音の音程差はもっと大きいですから、ピアノの一音一音の音程に幅があったとしても音律を気にするほどではありません。

 弦バスを含むヴァイオリン属の弦楽器では、モダン奏法では開放弦以外ではヴィブラートを掛けるのが当たり前になっていますし、これらの楽器でも最低音以外では低弦のハイポジションを使うことで高音側の弦の開放ポジションの音程であってもヴィブラートを掛けることは可能です。また、管楽器や声楽では基本的には如何なる音程であってもある程度のヴィブラートを掛けることは出来ますし、逆に意図せずとも自然にヴィブラートがかかるとすら言えます。むしろ完全なノンヴィブラートで演奏することは出来ないとすら言っても良いのかもしれません。

 古楽奏法が再評価されるようになってから、古楽奏法をピリオド奏法とかノンヴィブラート奏法と呼ぶこともあります。ところで古楽奏法の先駆者の一人であるマエストロ・サー・ノーリントン氏であったと思いますが、氏自身はピリオド奏法ともノンヴィブラート奏法とも呼ばずに、ピュアトーンと読んでいました。ロマン派音楽が次第に演奏集団の規模を拡大しサウンド=音響の量・質ともの充実、拡大が志向されました。その流れが20世紀の後半にまで及んでいたということでしょうか。日本の合唱界でも少なくとも1970年代は歌声にかけるヴィブラートは深ければ深いほど良いという風潮が確かにあったと思います。1970年代後半頃から、あまりに深いヴィブラートはハーモニーを濁らせるデメリットの方が大きいという反省が前面に出始めて、その後必要に応じた適正なヴィブラートの深さを指向したり、出来るだけヴィブラートを排除してハーモニーの美しさを思考する等、選択肢が増える方向に進んでいるのは好ましいことと思っています。

 さて楽器の話に戻りますが、オーケストラは演奏前にオーボエのA音に合わせてチューニングしますが、演奏中でも自らの楽器の音程が狂ってきた(演奏中に少しづつチューニングがずれる方が当たり前)と思えば調整することは可能です。打楽器であるティンパニですら演奏の途中で調整し直しているところを見ることもあります。

 そうしてみると、演奏中にはチューニング出来ない鍵盤楽器というものは、何とも不自由な楽器と思います。ピアノだけではありませんね。オルガン、木琴、鉄琴、ハープ、チェレスタ。これらの楽器の音程は演奏中に狂うことは少ないのでしょうか?チェレスタは鉄琴と同じでしょうか?オルガンはパイプの温度が変われば多少は音程が上下するのではないかとも思います。ピアノとハープは弦を張り替えた直後は落ち着くまで弦が伸び続けて音程が下がりますよね。ピアノ協奏曲等では本番までに弦が落ち着くように予め弦を交換した上で引き込んでおいたりするものなのでしょうか?他の楽器の弦に比べれば切れにくそうなので、本番の度に新しく張り替えるわけでも無さそうですね。殆どの場合調律のみ行うということなのでしょうね。

 オーケストラの上手い下手というのは、表現力の大きさということもあるとは思いますが、奏でられるサウンドの透明感も重要な要素で、私ごときでもある程度聞き分けが付きます。むしろ同じオーケストラでも演奏会毎にサウンドの透明感が違うような印象を受けることもあります。マエストロ・セルジュ・チェリビダッケは練習を始める前のチューニングのみに数時間を掛けたこともあるという話も聞いた記憶がありますが、本当でしょうか。その為に楽員に嫌われてベルリン・フィルの主席指揮者の座をカラヤンに拐われたとか???

 


ストラディバリの謎???

2016-11-16 22:58:10 | 器楽・楽器

 ヴァイオリンに限らずギター等でも、広葉樹の天然木材を用いた楽器の木目に現れるものに虎杢(とらもく)というものがあります。広葉樹にしか入らない杢という特殊な木目のため、ヴァイオリンの表板(針葉樹材:スプルース)には入らず、広葉樹(カエデ)を用いる裏板と横板(とネック)にのみ見られるものだそうです。

 ヴァイオリンにしろギターにしろ、裏板は左右2枚の板を対象に貼り合わせたものよりも、一枚板=単板の方が一般的には高級と考えられているようです。しかし、よく出来た2枚板と出来の悪い単板とでは出来の良い2枚板のほうが鳴りが良いことは珍しいことではなく単板だから良い=2枚板は悪いと単純に決めつけられるものではありません。

 虎杢の虎は、あたかも虎の縞の様に見えるから例えられているのだと思います。虎杢が入っているからと言って、音響的に有利という証拠は何も無いそうです。ただ、見る人殆どがきれいな虎杢が入っている材を美しいと思うようで、希少価値があるそうです。また楽器の良し悪しを判定できない人にとってもきれいな虎杢が入っていると、高価な楽器だと思われて取扱が丁寧になることが期待できるとのことです。この効果が結構無視できないようで、木工製品である弦楽器にとっては保存状態がその楽器の演奏能力に及ぼす影響が無視できないため(全ての楽器で無視は出来ませんが)、虎杢の入っていない楽器よりきれいな虎杢が入っている楽器の方がありがたく思われるし、値段も高くなるような気もします。

 ヴァイオリンの裏板について言えば、単板であっても2枚貼り合わせであっても、虎杢が楽器を立てた時に水平に走る様に木取りされているものが多いと思います。2枚貼り合わせの楽器では虎杢が斜めに走っていて、中央が高く左右に下がる逆V字が多いように思います。私自身は中央が低くて左右が上がるV字型に虎杢が走る楽器は見たことが無い様に思います。単板の場合は右上がりまたは左上がりに斜めに走る楽器もある様です。これらの虎杢の走り方の違いに何か相違があるのかと思い、ネットを彷徨っていた時に見つけたのが、「http://www.decagon.it/jindex.htm」という日本人ヴァイオリン製作者によると思われるWebSiteです。

 ザッと見たところだけで、これまで世界中で騒がれてきたストラディヴァリウスの秘密に対する解明は、極めて現代的な時間軸でしか判断されておらず、単に外形だけをコピーしているだけ、むしろきちんとした外形のコピーすらされていない、と言う問題点が縷縷素敵されているように読めました。結構ショックです。記載内容について事実確認は全く行っていませんが、私レベルでの情報収集でも可能な水準で当該WebSite作成者であり弦楽器製作者である坂井克則(ヨシノリ)氏の主張を確認して行きたいと思います。たった今現在読んだ限りの情報では、氏の主張に大きな誤りがある様には思えません。むしろかなりの説得力があるように思います。

 クレモナのヴァイオリン(弦楽器)製造の伝統は一度完全に失われ、第二次大戦時のイタリアを主導したムッソリーニが過去の名声のみに依存して無理やりクレモナに弦楽器製作学校を創っただけで、現在のクレモナの弦楽器製作学校には全くアマティ、ストラディヴァリ、グァルネリ当時の技術や経験は伝わっていないとのこと。ストラディヴァリはヴァイオリンの横板の虎杢の木取りも左右対称に取らなかったとのこと。まあ、その記事から当該WebSiteを見つけたわけですが。興味のある方は是非当該WebSiteの記事をご自身でご確認下さい。現在の入門用ヴァイオリンを卒業して次の楽器を選ぶときには、是非坂井克則氏の楽器にしたいという思いが生じましたが、私ごときの手が届くような楽器では無い可能性のほうが高そうですね。