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生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

暗譜で歌う・演奏するということ

2016-02-12 23:25:39 | より良く歌うために
 暗譜で歌う・演奏するということは、楽譜を見ないで歌う・演奏するということだと思います。歌うという立場からすると、歌詞を覚えることに比べると音程はものすごく簡単に覚えることが出来ます。なので歌を歌う立場からすると暗譜するということは歌詞を覚えることと殆ど同義です。音程を覚えることに比べると数十倍から数百倍苦労するというのが実感です。ところで日本の器楽界は明譜で演奏するのが殆ど当たり前であるのに対して、声楽界は暗譜で歌うことに至上の価値を見出しているかの如く思われます。一つは声楽の最高の演奏形態であるオペラであっては暗譜で歌うことが当前のこととして求められているという事情があると思います。ところが欧米のオペラ公演ではプロンプターと言って暗譜が怪しい歌い手に対してプロンプターボックスに潜んだ担当者が聴衆には聞こえない様に歌い手に対して歌詞を教える役割が確立していたりします。日本でもプロンプターありの公演が実はあったりしますが、そもそも日本の劇場にはプロンプターボックスが無く、実は指揮者が歌手に対して歌詞を怒鳴っていたりするのが実情であったりします。

 日本の自主公演オペラであっても、あるいはだからこそ?、演目は人気のあるものに集中しているという実情がありますし、そうでなくてもヴォーカルスコアを持参している熱心な聴衆もいたりします。そうすると何よりも歌詞を歌うことが必須条件ともなりますが、歌詞を歌うことが必須条件になっているだけの演奏では満足できませんよね。歌詞を単なる発音記号として歌っているだけの演奏と、歌詞の意味を理解して歌っている演奏の間には非常に大きな違いがあると思います。ある意味歌詞の意味をその言語のネイティブと同じ程度に理解して歌っているのであれば、楽譜に書かれた強弱記号その他の音楽記号については何ら意識しないで歌っても、聴衆に思いが届くのではないかと思います。

 しかし、世界中の言語の中で日本語という特殊な言語を話す日本人としては、なかなかオペラや歌曲の歌詞について、ネイティブと同じレベルで理解して歌うということは困難だと思います。そこで次善の策として強弱記号や様々な音楽記号を併せて覚えて歌うべきですが、私自身の反省としてどうしても歌詞を覚えることを優先せざるを得ないことから、強弱記号やその他のアーティキュレーションまでは覚えきれずに歌っているのが現実だと思います。例えばベートーヴェンの声楽作品におけるスフォルツァンドや、スタッカートの有無など、歌詞の意味をネイティブと同じレベルで理解できていれば意識しないでも良いかもしれませんが、歌詞を発音記号としてしか意識できない演奏者の場合は、歌詞の意味を逐語的に理解できないからこそそれを補うための強弱記号やアーティキュレーション記号を作曲者の意図に寄り添うまでのレベルで覚えて歌うという例は、残念ながら稀ではないかという気がします。

 なので私は歌をうたう際に暗譜が最高の演奏形態だとは思いません。強弱やアーティキュレーションの表現に少しでも不安があれば暗譜よりも明譜で歌う方が良いと思っています。暗譜はより良い演奏を目指すための手段であって、暗譜で歌うということ自体が目的ではない、というのが私の思いです。一つの作品を歌うという行為を納得できるまで練習した結果、全て覚えてしまったというのが理想であって、暗譜で歌うことが目標ではなく、暗譜であろうが明譜であろうがどれだけ作曲者の意図に近づいた歌唱が出来るかを追求することだけが、歌い手の追求すべきことだと思っています。

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