件の騒動から既に丸三年立っているのですね。件の騒動というのは現代のベートーヴェンとまでもてはやされた佐村河内守氏の作品は、実際には新垣隆氏の作品だったという騒動のことです。新垣氏がカミングアウトするまでは国内の多くのクラシックファンの注目を佐村河内氏が集めており、特に交響曲第一番「HIROSHIMA」だったと思います。私の親類の中にも複数回演奏会に通ったものがおり、いたく感激しておりました。私も何となく評判を聞きつけて先ずはCDを購入しようかと思いネットの通販サイトで欲しいものリストに加えていたものの、何となく他に先に購入すべきCDがあると思い発注するには至りませんでした。
そんな中で公共放送が佐村河内氏を取り上げたドキュメンタリー作品『魂の旋律〜音を失った作曲家〜』を見て、更に違和感が昂じたため購入優先度は更に下がったものです。そうこうする内に新垣氏がカミングアウトしたと思ったら、確かその日の内にネットの通販サイトでは購入できなくなったと記憶しています。当然著作権の問題で、おそらくJASRACが販売中止を要請したのか、著作権で後々もめるのが嫌で通販サイトが独自判断したのかまでは、今もって私は確認していません。ところが当該通販サイトでも米国や英国のサイトでは販売は継続しており日本から注文することも出来る状態が続いていました。また当時の私の判断としては、数か月もすれば100円ぐらいに値段が下がって大量にオークションサイトに出回るだろうと思っていました。しかし私の予想に反してむしろ価格にはプレミアムがついて高騰し、なかなか値段が下がらなかったことを覚えています。
やっとネットのオークションサイトで100円とまでは行かないもののワンコインでもおつりがくるぐらいの出品があったので、ここまで価格が下がったのなら購入して見ようかと思って落札したのが、「無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌ」です。表題作品の他に、「ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ嬰ハ短調」と、「弦楽四重奏曲第一番」、「弦楽四重奏曲第二番」。そろヴァイオリンは全て大谷康子女史、四重奏は大谷康子弦楽四重奏団、ピアノは藤井一興氏。
再生して一曲目の「シャコンヌ」の冒頭の音が耳に飛び込んできたところで、正直に言うと”なんだJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」に良く似てるじゃん、結局J.S.バッハの掌の殆どど真ん中辺りを飛び回って喜んでいる孫悟空ぐらいの作品か・・・”というものです。しかしこの印象は聞いていくうちに、直ぐにとは言いませんが徐々に変わって行きました。冒頭の印象がJ.S.バッハの”無伴奏ソナタとパルティータ”に似ているとしてもそれはJ.S.バッハも新垣隆氏も、それぞれがヴァイオリンという楽器の特性・特徴を十分に理解した上で自身の音楽を開花させているという、収斂進化の結果ではないかと思い直した次第。ちなみに収斂進化とは生物進化の結果、生物学的には類縁ではない種が似た様な形態を持つようになることです。例えばサメは魚類でイルカは哺乳類で、サメとイルカが類縁種とは言えませんが、外観はよく似ていますよね。
演奏が進むにつれて、ワインの産地を呼ぶ”テロワール”というか、属知性というか、時間軸の違いよりも地球上の何処に位置するかによる相違がある様に感じられてきます。具体的にはJ.S.バッハの「無伴奏ソナタとパルティータ」は乾燥した風土が感じられます。それに比べると新垣「シャコンヌ」はより湿度が高いというかしっとりとした感覚がある様な。今の私では逆立ちしても演奏できるような曲ではありませんが、いつかこの曲を弾けるだけの技術を身に付けられたなら是非にも弾いてみたい曲ですね。今回ネットオークションで中古CDを購入したことでこの曲を知ることが出来ましたが、その後佐村河内氏と新垣氏(更にはJASRACも?)の間で著作権問題が解決したという様な話は聞いていないので、現在でもこの曲の楽譜を入手して演奏することは誰にとっても出来ないのでしょうか。まあ動画サイトには画像付きの音源が複数アップされているので、聞いて見たい人は何時でも聞ける状況にはあります。また、O村T洋氏というヴァイオリニストの動画も公開されていますが、著作権についてはどうなっているのでしょうか。ただ、著作権については仕事柄一般の方々よりは多少は理解しているつもりなので、別稿で一度著作権について私なりに整理しておきたいと思います。
「シャコンヌ」、「ソナチネ」、「弦楽四重奏曲第一番」と「同二番」の四作品が収録されていますが、佐村河内氏の指示が最も薄く、新垣氏が自身の思いを最も自由に羽ばたかせて作曲したのは「弦楽四重奏曲第一番」だと思います。判りやすく言えば、現代曲的な雰囲気に最もあふれていると言えるでしょう。ところで、その”現代曲”ですらもはや100年ほど前の曲になっていますね。おそらく「弦楽四重奏曲第一番」を新垣氏が完成させて佐村河内氏に納品した後で、佐村河内氏から新垣氏に対して「弦楽始終消極第一番」はこれで良しとするが「弦楽四重奏曲第二番」についてはもう少し”現代音楽的”な印象を薄めて、もう少し保守的というかオーソドックスに仕上げて欲しいという要望が出されたのではないか、等と想像しています。いずれも新垣氏の人柄を反映した真摯で誠実な素晴らしい作品だと思います。まだ聞いていない方はゴーストライター問題は気にせずに、是非一つの音楽作品として聞いてみて下さい。