マーラーと言ってもグスタフ・マーラーではなく妻のアルマ・マーラーです。魔性の女ですよね。天は二物を与えずといいますが、二物あるいは三物を与えた女性だったのかも知れません。当初は作曲活動を諦めさせたグスタフ・マーラーも、アルマの気持ちを引き止めるために作曲活動を許し楽譜も出版させたとのことで、ペトルッチ(IMSLP)のサイトには2つの歌曲集(4Liederと5Lieder)が公開されています。今日に残るアルマ・マーラーの作品はその他に5GesangとLeise weht ein erstes BlühnとMeine Nächteという単独の歌曲の、合計で16の歌曲の様です。丁度1枚のCDに収まる量で、ソプラノのイザベル・リピッツ、ピアノ伴奏がバルバラ・ヘラーの組み合わせで、フィリップスレーベルで発売されている国内盤をネットのオークションサイトで落札しました。
非常に魅力的なアルバムです。アルマ・マーラー自身はツェムリンスキーに師事していたとのことで、グスタフ・マーラーの曲想との親和性は特に感じません。しかし19世紀の世紀末から20世紀の初頭、普仏戦争から第一次世界大戦までのフランスではベル・エポックと言われた時期のウィーンの音楽の雰囲気が伝わってきます。ところどころ古典派的な保守的な構造を特にピアノパートに鳴らすことはあるものの、ロマン派後期、あるいはロマン派の枠組みから溢れ出て崩壊に至る過程に足を踏み出すところまで行っていると思います。
ピアノパートが単なる伴奏パートに終わっていないのは優れた作曲家の常ではありますが、アルマ・マーラーの歌曲の場合はピアノが雄弁というのではなく、才能・センスを生まれながらに持っている天才がサラッと書いてしまったというイメージで、凡才が苦労して完成させたというような重苦しさは微塵もありません。梅ヶ丘歌曲会館では今日伝えられている16曲全てについて邦訳が紹介されています。
動画サイトでアルマ・マーラーで検索すると多数の音源がヒットしますので、世界では十分に認知されているように思われます。が日本ではこれまで声楽教室の発表会などで聞いた記憶はありません。声楽家のリサイタルでも聞いた記憶はありません。今日に伝わる作品はわずか16曲で、今回私が入手したCDアルバムに収録されているのは14曲ですが、それぞれの曲の曲想のヴァリエーションが豊かで、似たような曲というものがありません。この意味でもアルマ・マーラーの才能を感じざるを得ません。声楽教室の上級のアマチュア愛好者レベルで十分に歌いこなせる作品もあると思うので、もっと歌われて良いと思いますが、そういう人たちはオペラのアリアを好むんでしょうね。個別の歌についてはもう少し聴き込んでからあらためて紹介しようと思います。
非常に魅力的なアルバムです。アルマ・マーラー自身はツェムリンスキーに師事していたとのことで、グスタフ・マーラーの曲想との親和性は特に感じません。しかし19世紀の世紀末から20世紀の初頭、普仏戦争から第一次世界大戦までのフランスではベル・エポックと言われた時期のウィーンの音楽の雰囲気が伝わってきます。ところどころ古典派的な保守的な構造を特にピアノパートに鳴らすことはあるものの、ロマン派後期、あるいはロマン派の枠組みから溢れ出て崩壊に至る過程に足を踏み出すところまで行っていると思います。
ピアノパートが単なる伴奏パートに終わっていないのは優れた作曲家の常ではありますが、アルマ・マーラーの歌曲の場合はピアノが雄弁というのではなく、才能・センスを生まれながらに持っている天才がサラッと書いてしまったというイメージで、凡才が苦労して完成させたというような重苦しさは微塵もありません。梅ヶ丘歌曲会館では今日伝えられている16曲全てについて邦訳が紹介されています。
動画サイトでアルマ・マーラーで検索すると多数の音源がヒットしますので、世界では十分に認知されているように思われます。が日本ではこれまで声楽教室の発表会などで聞いた記憶はありません。声楽家のリサイタルでも聞いた記憶はありません。今日に伝わる作品はわずか16曲で、今回私が入手したCDアルバムに収録されているのは14曲ですが、それぞれの曲の曲想のヴァリエーションが豊かで、似たような曲というものがありません。この意味でもアルマ・マーラーの才能を感じざるを得ません。声楽教室の上級のアマチュア愛好者レベルで十分に歌いこなせる作品もあると思うので、もっと歌われて良いと思いますが、そういう人たちはオペラのアリアを好むんでしょうね。個別の歌についてはもう少し聴き込んでからあらためて紹介しようと思います。
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