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生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

Schumann Dichterliebe Der Rose, die Lilie, die Taube, die Sonne  ばらに百合に鳩に太陽

2014-12-07 15:48:26 | シューマン
 宣伝させて頂いている通り、12月28日(日)に日暮里サニーホールのコンサートサロン(定員100名)で、シューマンの詩人の恋を持ち時間で歌える範囲で1曲目から順に歌います。一度ピアニスト氏とあわせ練習していて、まずまず破綻することはないと、その後あまり練習していませんでした。さすがに迫って来ましたので前半の8曲の楽譜をスキャナで読み込み、カワイのスコアメーカーで音源化しました。特に一番準備しなければならないのは3曲目の「バラ、百合、鳩」ですね。早口言葉で舌が回りません。こういう時はパソコン音源はテンポを自由に変えられるので練習には最適です。言葉の方は「バラ」、「百合」、「鳩」等が繰り返し出てくるので頻出単語はむしろ覚えやすいのですが、数回しか出てこない単語を含むフレーズがフェイントの如く空かされてしまい勝ちで、なかなか覚えきれません。

 そうは言っても繰り返し歌って、口ずさんで、憶えるまで回数をこなすしかありません。憶えられないと言う暇があれば兎に角回数をこなすことです。もう一つ、早口言葉で歌詞にばかり注意が行っていると音程が結構あやしくなります。特に経過音が低めになったりしがちなので、音源をゆっくりのテンポに設定して音程を確認しつつ歌詞を確認しつつ、体に覚えこませましょう。

 本番までには仕上げますので、お時間を作っていただける方は是非お越し下さい。






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 さて宣伝です。詳細は未定ですが12月28日(日)13:00~16:30 日暮里サニーホールのコンサートサロンにて大人の学芸会の弾く忘年会があります。

 シューマンの連作歌曲「詩人の恋」を1曲目から持ち時間の許すまで歌う予定です。おそらく1曲目から4曲目乃至6曲目ぐらいかと思います。

 詳細はわかり次第お知らせしますので、このブログに興味を持たれた方、是非聞きにいらしていただければ幸いです。

Robert Schumann  Das Paradies und die Peri, Op.50   シューマン  楽園とペリ 作品50

2014-11-30 23:14:19 | シューマン
 タイマーをセットしたNHK-FMを毎朝の目覚まし時計代わりにしています。ニュースの後、「ビバ!合唱」でシューマンのオラトリオ「楽園とペリ」を取り上げていました。といっても「楽園とペリ」は100分ほどかかる大作なので番組はもちろん抜粋で紹介していました。ロマン派といえどもドイツ音楽の主流派ですから輪郭のはっきりとした構成と言いますか、しっかりした構造にゆるぎはないと言いましょうか、骨太の骨格の上に流麗なロマン派の音楽が流れていきます。器楽による前奏がひとしきり流れたところで天使役のアルト独唱が始まります。すると直ぐに演奏が中断して、MCの大谷研二氏のしばらく独唱が続くので割愛して合唱が始まる部分に飛びますと言うようなコメントがありました。そりゃ番組が「ビバ!合唱」だから独唱よりも合唱に注目するのは仕方ありませんが、フルコースのお食事に招待されてテーブルについて待っていたら美味しそうなオードブルが出てきて、さっそく手をつけようと思ったら間違いでしたと下げられてしまった様な気分ですよ。特にソプラノやテノールの独唱なら普段から沢山聞いているから我慢も出来るというものですが、なかなか聴く機会の少ないアルトの独唱、それも途中まで聴けた部分から言えば中々に名曲です。格調高く、と言って気難しくも無く、しっかりとした土台の上にしなやかに流れていく、いやーアルトの独唱だけでなく、冒頭部を聴いただけでもこの作品全体の完成度、格調の高さ、品格を十分に期待させてくれます。

 ということで寝具の中で聴いていましたが、欲求不満を抑えきれずに起き出してパソコンを立ち上げ、ざっとネット上で「楽園とペリ」に関する情報を漁り、例によってペトルッチ(IMSLP)のサイトで楽譜も見つけました。有難いことにオーケストラ版のフルスコア1種と独語と英語と抜粋版とヴォーカルスコアが3種公開されています。オーケストラ版は全243ページ、ヴォーカルスコアでも150ページ前後ありますね。

 さてNHK-FMでカットされた独唱部の続きをどうやって聴こうかと思い、最近毎日渉猟しているネットのオークションサイトのCDコーナーに行きました。何枚か出品されています。その上でAmazonも見に行きました。こちらも新品、中古と何種類か出ています。送料まで考えるとAmazonの方が安いかも、それでも最近はCDの購入をオークションサイトに頼っているのでCDに1,000円以上出費するのに抵抗を感じます。逡巡している時に漸く思い浮かびました。そうです、動画サイトですよ。今もこの記事を書きながら聴いていますが、複数の音源がアップされています。全曲をアップしているものもあれば部分に分けてアップしているものもあります。とはいえ明日から師走と言うこの時期に100分を越す大曲を動画サイトで鑑賞するのも辛いので、残念ではありますがこの記事をアップし終わったらそこで鑑賞もストップすることにしましょう。

 毎年、年末年始の休みはオペラのBlu-RayかDVDを2~3枚購入して見る様にしています。今年はオペラのBlu-Ray(DVD)を減らしてシューマンの「楽園とペリ」をじっくりと鑑賞することにしましょう。そう言えばシューマンの交声曲の大作としてレクイエムがあるのは知っていますがこれまで聴いたことはないので、シューマンのレクイエムも聴いてみることにしますか。

Schumann  Dichterliebe Op.48  シューマン 詩人の恋 作品48  論文  若山俊介

2014-10-29 23:05:04 | シューマン
 宇都宮大学国際学部研究論集 2002、第13号 187-212 若山俊介氏による「シューマンの歌曲集『詩人の恋』にみる詩と音楽の融合」という論文があります。先日紹介した板橋江利也氏の論文よりも、背景や詩の解釈等に具体的な示唆が多いように思います。例えば1曲目の「美しい5月に」では時制は現在完了形で書かれているが、ドイツ語は他の西欧諸語に比べ単なる過去を現在完了で記載する傾向が強いという指摘をするとともに、「愛を告白した」という歌詞になっているが、ハイネ(そしておそらくシューマンも)は「愛の告白」などしていない、夢の中での告白と捉えることもできる、と言っています。確かにそう言われればそう考えることは出来るし、興味深い視点だと思えるし、そうは言ってもそこまで言うなら何とだって言えるとも思います。

 しかし全16曲のそれぞれの歌詞の時制を確認することは、板橋氏の表現を借りれば「標題音楽的アプローチ」の第一歩と思えます。更に各曲の主語が Ich なのか Er なのか等も当然確認しておく必要がありますね。直ぐに思い浮かぶのは11曲目の Ein Jungling liebt ein Madchen には Ich も dich も出てこないので、11曲は一人称=主観的に歌うのではなく、こういう物語があるよと説明する様に歌う意識を持つことになります。

 若山論文を読む前は、1曲目は恋を告白したその自分の行為自体に感動している恋の喜びかと思っていました。そして自分の行為を喜んでいるところから更に恋自体を喜ぶのが2曲目、3曲目は舞い上がってバラ、百合、鳩、太陽すらも色あせる興奮を歌い、4曲目が少し冷静になってこの歌曲集全体の中で最もしみじみと恋の喜びを味わうクライマックスになっていて、5曲目で実は恋の破局の予感があるのに気付かない振りが忍び込んできて、6曲目で避けられない恋の破局が迫っているのにその予感から必死になって目をそらしている、そして7曲目でどうしても認めざるを得ない恋の破局を終に認める、とこういう流れかなと感じていました。この解釈はかなりいい線行っていると思うのですが如何でしょうか?

 ところで動画サイトで「詩人の恋」の音源を種々聞いていますが、全曲を通してアップしてある音源でこれだと言うのが見つかりません。フィッシャー=ディースカウもヴンダリッヒもスゼーもありますが、録音の質がどれも満足できません。最近の音源としてヨナス・カウフマンも聞いて見ましたが、ディースカウやヴンダリッヒの歌唱と比べると、カウフマンは喉の脱力が下手ですね、アクートが上手く脱力している洗練されたアクートに聞えず、力任せで搾り出している高音に聞えてしまいます。

 それにしても連作歌曲16曲でちょうど30分ほど。オペラのアリアと違って1曲目を歌いだしたら16曲目を歌い終わるまで殆ど休みがありません。これは半端な体力、半端なテクニックでは歌い切れませんね。今の私には相当チャレンジングだと思いますが、力任せでなく上手く歌えれば、また一つ新しい段階に進めるかもしれません。またこの詩は男にとって感情移入し易いですよね、余りに主観的に歌詞の世界に飲み込まれてしまうと歌詞の重みに耐えるだけでヘトヘトになってしまいそうです。本番で全曲を通して歌いきったら、また1ヶ月間ぐらい歌を辞めてしまいたくなるかも知れません。いや2ヶ月ぐらいかな。

Schumann  Dichterliebe Op.48  シューマン 詩人の恋 作品48  論文  板橋江利也

2014-10-27 22:13:25 | シューマン
 仕事柄学術文献を当たり前の様にネットで検索しています。検索エンジンは圧倒的にグーグルです。ところで学術文献はPdfでネット上に公開されていることが多いので、グーグルの検索オプションでファイルタイプをPdfに指定します(グーグルの検索ボックスの中にキィワードと”filetype:pdf”と入力する)。そうするとキィワードと検索オプションだけで高率で学術文献のみをピックアップすることが出来ます。

 音楽関係で検索するときもファイルタイプをPdfに指定します。そうすると一般的な学術文献を検索したときとは異なり、演奏会のプログラムやチラシをPdf化したもの等がわんさか出て来ます。それでも、それらに混じって音楽関係の学術論文が出てくることもあります。そんな中で、「詩人の恋」を検索すると、他の音楽関係のキィワードで検索したときよりも顕著に多くの学術論文が出て来ます。やはり「詩人の恋」は人気のある作品だと思います。

 佐賀大学文化教育学部の板橋江利也氏が、大学紀要でしょうか、2005年と2006年に「詩人の恋」の演奏分析に関する論文を2報公開しています。

 2005年 ”ロベルト・シューマン作曲『詩人の恋』のフリッツ・ヴンダリッヒによる演奏の分析”

 2006年 ”ロベルト・シューマン作曲『詩人の恋』のディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウによる演奏の分析
        -フリッツ・ヴンダリッヒの演奏との比較ー”

 板橋氏に依れば、歌曲の演奏、表現のアプローチには、歌詞の内容と旋律やモチーフの意味する内容を対応させる等の「標題音楽的アプローチ」と、歌詞の内容や登場人物の感情等を説明的に表現することなく歌曲の作品全体を音楽と歌詞を1つの融合したものと捉えて音楽を全体として解釈する「絶対音楽的アプローチ」とがあり、実際の演奏では「標題音楽的アプローチ」と「絶対音楽的アプローチ」とが同居しているもののどちらかが優勢になっている、というような認識を示しています。そしてヴンダリッヒの演奏は「絶対音楽的アプローチ」優位でフィッシャー=ディースカウは「標題音楽的アプローチ」が優位と評価しています。論文の中では当該論文が論じている演奏が具体的に何時の録音か特定されています。以前ならレコード屋に注文しなければ聞けないところでしょうが、今やインターネットの動画サイトを検索すれば容易にヴンダリッヒの「詩人の恋」が聞けます。ただ、悲しいかな動画サイトで聞けるヴンダリッヒの音源が板橋氏が論じている音源と同一かどうかは必ずしもわかりません。

 まあいずれにしても動画サイトで聞いたヴンダリッヒの演奏もかなりアゴーギクが大きいように思えて、私のセンスでは十分に「標題音楽的アプローチ」優位の様に思えるのですが、板橋氏が論じている中身は単なるアゴーギクの大きさではなくて、結果としてのアゴーギクの原因となる必然性を歌詞等に求めるのか、それとも曲の構造的な分析に基づいて行うか、という様なことかと思います。そこまで行くとその議論に首を突っ込む程の能力は今の私には無さそうです。

 それにしても、ヴンダリッヒにしろフィッシャー=ディースカウにしろ、聴いている途中から小難しい理論等いつのまにか忘れて引き込まれてしまう説得力がありますね。またシューマンの曲自体がもつ魅力、力も大きいですね。もちろんハイネの詩の魅力も。この曲を歌わずには死ねないという気がして来ました。

Robert Schumann   Dichterliebe Op.48  シューマン 詩人の恋 作品48  ピアノ合わせに行って来ました

2014-10-26 21:25:02 | シューマン
 大人の学芸会の練習会に行って来ました。ピアニスト氏とシューマンの「詩人の恋」の1曲目から6曲目までを初めて合わせました。結構合うものですね。ピアニスト氏も準備を整えて来てくれていたようです。実は私の方が準備不足と言いますか、楽譜を眺めたところ、○十年前の合唱を始めたころに「詩人の恋」の楽譜を買って譜読みをしたころの記憶が結構蘇ってきて、歌えそうな気がしたこと。もう一つはパソコン音源で練習しても生ピアノとの合わせは別物ということも解っているので、覚悟を決めて譜読みだけで殆ど歌わずに合わせに望みました。高校時代に曲がりなりにも歌いこんだことがあったので、細かい部分、難しいリズムパターンや早口言葉については返して確認する必要がありましたが、先ず先ず70%以上の仕上がりと言って良いかと思います。

 1番「Im wunderschoenen Monat Mai」ですが、何回か返し練習する中で、一度思いっ切りネチッコク、しつこく、くどく、やり過ぎなぐらいに表現してみようと言うことになりました。ピアノと歌と、それぞれが思い切りネチッコクやったにも関わらず、歌い終わった瞬間にピアニスト氏ともども、結構良い感じ、けっして歌の品格が落ちていないことを確認しました。思いっきりロマン派のシューマンと言えども、ドイツリートの本流だからか、崩そうとしても崩れない骨格の確かさを初めて確認しました。恐れを知らないアマチュア同士(ピアノと歌)だからこそ、こんな極端なトライアルも出来ようと言うものでしょう。

 3番「Die Rose, die Lilie, die Taube」は短い曲ですが初めから終わりまで早口言葉です。5番「Ich will meine Seele tauchen」はピアノ伴奏が最初から最後まで32部音符の早いアルペジオが続きます。この2曲が合わせるのに苦戦するかなと予想していましたが、割とさらっと合ってしまいました。

 合わせることよりも曲想をどう捉えるかについての話が長くなったのが、6番「Im Rhein, im heiligen Strome」です。5番までは全て長調で愛の喜びを歌う歌詞です。6番は歌詞の内容は恋人を聖母に例えているのですが、曲想は短調です。そして7番以降は短調で失恋の苦しみを歌っています。ピアニスト氏に言わせると、6番のピアノだけ弾くと葬送行進曲だとのことです。はい、笑っちゃうほど葬送行進曲ですよ。ライン川の波を表しているという説もありますが、確かに疲れきっていやいや重い足を引きずって歩く姿が思い浮かびます。7曲以降の短調の失恋の歌を予感させるための、後半への序曲として、やや抽象的に恋人を聖母に例える歌詞を葬送行進曲に載せていると言う解釈も成り立つのでしょうか。この問題は宿題になりましたが、この6曲をどのように捉えるかで、全体の構成の捉え方も変ってきます。ここまでピアニストしに突っ込まれると歌い手としてはタジタジではありますが、非常に刺激的で楽しい1時間があっという間に過ぎてしまいました。
合わせるまでは「詩人の恋」について声楽教師のレッスンを受けた方が良いかなと思っていましたが、この調子だとピアニスト氏との二人三脚で全て仕上げてみたいと思っています。次の合わせが楽しみです。