J OKAYAMA ~岡山スポーツの桃源郷へ

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頑張る町田ゼルビア3

2015-12-10 00:01:23 | サッカー(Jリーグ(J1・J2)・国内)

 事例紹介コラムです。
 ここ最近ずっと昇降格したクラブの記事が続いています。そういう時期ということでしょうか。今度はこの度、J2・J3入れ替え戦でJ2大分に勝って、見事J2昇格を勝ち取った町田さんです。おめでとうございます。町田さんがJ2にいた頃のこと、はっきり覚えています。ホーム戦で確か岡山が勝てると思って勝てなかったと思います。まずは「『人生ぶつかるJ3』の町田ゼルビア、心の消耗戦に勝ってJ2へ」というタイトルのWeb Sportivaの記事です。以下、抜粋して紹介。
   
 J3町田はホームで2-1で勝ち、2015年12月6日のアウェー第2戦でも1-0で勝ち、トータルで3-1で勝利し、3年ぶりのJ2昇格が決定。
「J3は生半可なリーグではない。仕事を抱えながらプレーしている選手たちが、試合になると、人生をぶつけてくる。ちょっとうまいだけの選手はひねられてしまう。自分たちはJ3という場で、一つになって戦うということを学んだ。(昇格の分岐点と言える試合は)9月20日の山口戦で負けたこと。あそこで後がない状況になって、チームとして一段上がった。J3という厳しいリーグを戦ってこそ、今日があったのだと思う」と相馬監督のコメント。
Web Sportiva該当記事:http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/jfootball/2015/12/07/post_1018/

 町田さんは今は相馬監督だったのですね。ちょっと相馬監督について調べてみました。長くJ1鹿島で活躍し、2005年に現役引退。引退後はサッカー解説者として活躍し、2006年からはJFAアンバサダーやJ1川崎のクラブアシストパートナーとしても活動。2009年にU-20日本代表のナショナルトレセンコーチを務めた他、S級コーチライセンスを取得。2010年に当時JFLの町田監督に就任。J2参入条件を満たすリーグ3位になったが、Jリーグ基準を満たさなかったため断念。クラブからの慰留を辞退して1年限りで監督を退任。
 2011年、J1川崎の監督に就任したが、成績が低迷して、2012年に監督契約を解除。2013年に山形のヘッドコーチに就任したが、1シーズン限りで退任。2014年よりJ3町田の監督に就任し、現在に至る。こうしてみると、それほど特徴ある経歴ではなかったですね。J1やJ2よりもJ3の監督が性に合っていたのかもしれませんね。
 
 町田さんの最近の特徴としては、総合型スポーツクラブを目指す手段として、「アスレチッククラブ町田」とともに「AC町田スポーツスクール」を運営されています。トップ選手たちがコーチとして幼稚園児や小学生を始め500人以上の生徒を抱え、週5日のスクールに加えホームでの試合後にそのままサッカー教室を行うなどしているとか。当ブログ好みのクラブですね。
 当ブログとしては、やはり選手による子ども達への絵本の読み聞かせ運動と、ゼルビアキッチンのイメージが強いです。また、セカンドチームとして「FC町田ゼルビア・ツヴァイテ」があり、都リーグで戦っているとか。

 J3から上がってきたチームはどこもJ2でひと暴れしていますね。長崎さんしかり、金沢さんしかりです。特に長崎さんは何と2度もJ1昇格プレーオフ(J2・1年目でも)に出場しています。山口さんといい、来シーズンは目が離せませんね。くれぐれもお手柔らかに一つ。あと、ネットを見ていたら、「FC町田ゼルビアの美学」という書籍があるようです。機会があれば一度読んでみたいですね。
J3町田関連③:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20150820
  〃   ②:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20150807
  〃   ①:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20120510

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