NOAの設計士は名建築家だろうけれど、私の方はコンテナの迷人である。
迷建築「ノアの箱家」の迷建築ぶりを記録しておくため、11月7日付けの迷建築「ノアの箱家」物語⑱の続きを書いておこう。
メルマスのリサイクル御殿
昔、三宮にメルヘンというスナックがあった。
そこのマスター(メルマス)の自宅は、ほぼ拾ってきた物・貰った物でセルフビルドした家だった。
夫(彼も手伝っていた)と子ども達を連れて泊りがけで遊びに行ったが、それはそれは見事なものだった。
みすぼらしさは微塵もない。絵心のあるメルマスのセンスの勝利だった。
建築雑誌やテレビで「リサイクル御殿」と紹介され、メルマスはとても嬉しそうだった。
はからずも、今、私も彼と同じように拾ってきたもの・貰ったものをフルに活用して家を建てようとしている。
勿論、新規に購入しなければならなかったものは多い。
が、アトリエ・NOAの本庄正之氏に当初語った通り、リサイクルがコンセプトであるというのは間違いない。
「KOKKOちゃんにお金があったら、こんな面白い家にはならなかったと思う。」
ムサシ・タケシ・タカシが言った。
その通りに違いない。
セルフビルドは、前の建築家の背信により多額の損失を出してしまった私の、追い詰められての選択でしかなかった。確信的選択ではなく、結果的にそうなっただけなのである。
お金があれば、間違いなく人任せになり、ありきたりの家になっていただろう。
勿論、内部のインテリアについては、私の今までの習慣が大きく影響していたはずだし、“竹”のこともあり、一般住宅そのものというわけにはいかなかっただろう。
だが、怪我の巧妙とでも言おうか多くの人との出会い、あれこれ知恵を絞り、“おままごと”的に建築を楽しみ、失敗も重ね、しんどくとも実に楽しい7ヶ月だった。
まだ内装も外壁も手付かず状態だし、完成までには植物の力を借りるため、どんなに少なく見積もっても4~5年はゆうにかかってしまう。外観もどんどこ手を加えていくから、10年スパンで考えなければお話にならないのではないか。
もの創りの楽しさについては充分知っているつもりではあるが、まさかこの私が家を造ることになるだなんて、想像だにしていなかった。
建築の過程で、ドリトル先生動物園倶楽部事務猫“白足袋”の飼い主君こと、石山修武という超一級の面白い建築家の存在を知ったのも、私にとっては大きな収穫であった。
今、私の目の前には、建築という未知の世界が広っている。
これからも私は、建築の世界を波間に感じながら「ノアの箱家」に乗って航海し続けていくことになる。
どんな旅になるのだろう。
だが、ひとつだけはっきりしていることがある。
ノアの箱舟はアララト山に漂着して旅を終えたが、「ノアの箱家」は約束どおりポンポン山に漂着した。が、その後、再び漂流し続けるということである。
ここまで私を導き、漂流のチャンスを与えて下さったアトリ・NOAの皆さん方に、改めて感謝と敬意をこの場でお伝えしておきたい。
NOAの皆さん方、メリークリスマス!!
アトリエ・NOA