迷建築「ノアの箱家」

ひょんなことからNOAに選ばれし者として迷建築「ノアの箱家」に住むことになったKOKKOの笑ってあきれる自宅建築奮戦記

迷建築「ノアの箱家」物語⑭

2010-09-02 20:03:20 | 迷建築「ノアの箱家」物語

 NOAの設計士は名建築家だろうけれど、私の方はコンテナの迷人である。


 迷建築「ノアの箱家」の迷建築ぶりを記録しておくため、9月1日付けの「ノアの箱家」⑬の続きを書いておこう。

 

1月に本庄夫妻がお見えになられた時、現地調査や業者(鉄工所・大工)との打ち合わせや、俗に言う“役所周り”も一緒にして下さったが、その時青天の霹靂がおきた。

私の土地が埋蔵文化財発掘調査区域に指定されていたことが分かったのだ、仰天。

「重要事項説明書」には記載されていなかった。

「重要事項説明」の記載漏れについてはかなり多いとは聞いていたが、こういったことも我が身に降りかかってきたのか。

さらには、隣の家との敷地境界線を不動産屋も私も隣家の人も正しく理解していなかったことが中間検査間際になって発覚し、ヒヤヒヤドギマギしたりもした。(このことは後述する)

とにかく、迷建築「ノアの箱家」はその名に恥じず、その後も迷建築ぶりを次々発揮し続けてくれることになる。 (“ツートンカラーアルミサッシ事件” “巨大囲炉裏事件” “小便小僧かくれんば事件” etc.)

 

失敗から学ぶ

家の建築などという一生に一回あるかないかという重大なことを全て他人任せにして本当にいいのか? 練習無しのぶっつけ本番、一発勝負。

専門家の“肩書き”を信じさえすれば、すっかり安心して安らかな眠りにつけるだろうが、いったんことが起きれば、私のように地獄を見ることになる。

もっと早くからイエンゴのようなまともな建築家集団の存在を知っておれば・・・。

               イエンゴ  http://www.iengo.ne.jp/

そしたら、私は「建築家なんてみんな敵だ!」などと思わずに済んだだろう。

孤立感に苛まれずに済んだだろう。

そして、かしこいクライアントとして自分を鍛え上げておいてから勝負に臨むことができたのに・・・と悔やまれてならない。

自分の愚かさを人に晒すことは恥ずかしい。

が、隠すまい。

記録として残しておくことで誰かの参考になるのならば、私の経験も無駄ではなくなる。

そう思って、この迷建築「ノアの箱家」物語を書き始めることにした。

この物語は、私の愚かさと苦闘の記録である。

同時に、素晴らしい建築家もいるのだということの記録ともなるだろう。

 

「え~っ! 沖縄の設計事務所!!」

高槻市役所の建築指導課の役人が叫んだ。

「このおばちゃん、今度は沖縄の設計士連れて来たで。そこまでしてコンテナのどこがええねん。」というところだろう。

高槻市役所の建築指導課・開発指導課の人達の間では、この数年私がコンテナのことで頻繁に役所に行っていたので、私は「コンテナおばさん」として有名になっていた。

素人コンテナおばさんがうろうろまごまごしているのが役所内での噂になっていた。

だから、はるか遠方沖縄のNOA設計士とのFAXやメール・電話でのやり取りを役所もOKしてくれ、私にはどうしても出来ないことは役所とNOAとのやりとりになった。

NOAとしては、電話代だけでも相当な負担だっただろう。

肩身が狭くもあったがNOAに頼る以外道はなかったし、本庄氏の対応には、委ねてもいいんだよという安心感があった。

そうしてNOAの設計士とのやり取りを重ね、次々と建築確認申請に必要な必要書類が整っていった。

だが沖縄と大阪という遠距離ゆえに、大阪での行動は実質的には私が行わねばならない。

そもそも、それがセルフビルドなのである。

役所へは頻繁に書類提出・訂正に行くことになった。

時には、職場→役所→職場なんてことも何度かあった。

コピーやFAX、業者とのやり取りと確認etc.で頭の中は仕事と家のことが始終ぐちゃぐちゃ状態。

カオス・チャンプルーだ。

普通は、これを設計事務所がしているんだ。設計士の仕事って華やかなデザインの仕事だけでなく、こんなちまちました地味な仕事も多いんだなぁ。

身を持って知った。

職場では、午後なら比較的自由に動きやすいポジションにあるのが救いだった。


 

  


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