kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

83。

2014-11-19 | 考える事



高倉 健さんがこの世から居なくなった。

しかも最後まで「高倉 健」として人生を全うした。

既に近親者のみで荼毘に伏されたという。。。

親交のあった人や知り合いなど

訃報を聞けば手を合わせたいとおもうのは当然だとおもうのだが、

誰もしらなかった?というニュースに、

また、改めて考えた。

呼ばれた、呼ばれない。香典は?等と下世話な感情は抜きにして、

義理の付き合い的な合掌は抜きにして、

全く知らない仲でなければ、

亡くなったと風の便りを聞けば可能な限り馳せ参じたいのが

お別れというもの・・・

それでも近親者のみで。といわれれば

近親者の外枠にいる者は何もできない。

「近親者のみ」いう文句を最近良く耳にする。

芸能人なら有志が集まって「お別れ会」や「偲ぶ会」などを

開いてくれることもあるだろうが、

一般的には近親者のみで(家族だけ)済まされる葬儀に、

後から訃報を聞いてもどうすることもできない、

何とも複雑な感情をどうして良いかわからない人がいるのも事実だ。

確かに声をかける仲じゃないと遺族が判断されればそれまでだ。

しかし、家族も知りきれない交友関係があることも

残された人たちは理解してほしいと願う。

葬儀に参列することだけがお別れの意を表することではないが、

残された家族が当人に成り代わり

生前の厚情に感謝するという人生のバトンタッチとしての

意味深い時間があることを知っていて欲しいとおもう。


個人の意思を尊重することが一番の供養であることは

私も重々承知するところではあるが、

人はひとりで生きてきたわけではなく、

どんな形であれ誰かの手を借りて生きているのが私たち。

最後の終焉の幕引きに代理の人が

頭を下げることぐらいはしても

バチは当たらないとおもう。

近所と言うだけで付き合いのなかった人や、

面識のない義理の方にきてもらうことは、

想像以上に心労があり、手間暇もかかることではあるが、

365日、24時間そのことに拘束されるわけではないので、

その人の生き様を残された人が語らい繋いで行くことは、

とても大事な実感であるといつも考えている。

全てが良好な付き合いの元で生きているわけでないので、

実際、葬儀を出すことさえためらわれる別れがあることも承知。

決して感情を無視して送り出すこをしなくても、

良いとはおもう気持ちもあるが・・・

(顔も見たくない!そんな身内が誰だって一人くらいいるものだし)

スッキリ綺麗ごとでは進められないジレンマはあるが、

何はともあれ高倉 健さんありがとうございました。

改めて合掌させていただきます。


奇しくも高倉健さん 83歳の訃報を知った番組では

別のニュースで83歳の男が戦前のいやらしい写真を

蚤の市で買い、デジカメで複写、それをオークションで売っていた

という容疑で逮捕。。と流れた。



5年間で60万円ほどの稼ぎがあったとのこと・・・

年金だけでは食べていけないのでやった。とのこと。


事実に「あ~~~ぁ」ですが、

83歳でネットオークションをやっていたことも

犯罪の波は年齢に関係なく現実を突きつけてくることに・・・


ただ、行なっていた行為は逮捕に当たるとおもいますが、

コンビニやネットではもっと取り締まってほしい本や、

雑誌などはゴロゴロしてるのに、

そのことも重要視してほしいとおもうんですよね~~~~~


83歳。

確実に長寿国であることは間違いない。