kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

「情」

2014-04-15 | Weblog

空はどこまでも青く、桜吹雪の中元気よく泳ぐ鯉のぼりに、

季節の移ろいの早さを感じおります。



清々しい目の前の景色とは裏腹に、

今日も何処かで命が奪われたニュース。

毎日流される非日常の出来事に歯の治療で麻酔を打たれた感覚にならないよう

常に心乱さず考える時間を持ちたいとおもっています。


人は「情」を持って生きています。

むしろ人は生きて行く人の中で「情」を育む訓練をしているのかもしれません。


人は毎日現実と事実の間を彷徨い、善人と悪人の狭間でもがき、

時に無関心を装い、自分を見失っています。


以前から裁判とはなぜ当事者が裁くことをせず、

赤の他人が論じ判断を下すのか考えていました。

もちろん立場によって考え方もかわり、

どれが正しいのかわからないこともありますが、

最近わかったことは、当事者だけで現実と事実のみ事を進めて行くと

全てではありませんが、そこに「情」が湧いてこないということ。

やった!やられた!のみが存在し『情状酌量』という言葉がなくなってしまい、

常に善ではない人が、何処かで許されている自分の心が救われない。

そんな気がしています。


「情」は人のためにならず。

そんなことわざがありますが、「情」があるからこそ

信じたいおもいの中で生まれた言葉ではないかとおもうのです。


毎日繰り返される出来事の中で自分を見失わず、

一歩踏み出せることは本当に有難いことであると、

しみじみ感じています。


思いは一つ。

穏やかで、争いの無い世界で生き抜きたいということ。

生き抜いてほしいということ。

先に旅立った多くの命もきっとそう願っていると思います。