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碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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「北の国から」放送開始40年  輝き失わぬ人間ドラマ

2021年10月03日 | 「北海道新聞」連載の放送時評

 

 

碓井広義の放送時評>

「北の国から」放送開始40年 

輝き失わぬ人間ドラマ

 

40年前の1981年10月9日(金)、夜10時から、ドラマ「北の国から」(フジテレビ-UHB)の第1話が放送された。

それは見たことのないドラマだった。東京で暮らしていた黒板五郎(田中邦衛)が2人の子ども、純(吉岡秀隆)と蛍(中嶋朋子)を連れて、生まれ故郷の富良野に帰って来る。

連続ドラマを「現地」で撮り続けることなどあり得なかった時代。しかも冬のロケ現場は気温が氷点下20度にもなった。出演者とスタッフの奮闘はドラマ史に残るものだ。

脚本の倉本聰によれば、当時の北海道には3種類の廃屋があった。海岸に番屋の廃屋、山に炭住の廃屋、そして原野には農家の廃屋。かつて日本の繁栄を支えた産業に従事した人々の家だ。高度経済成長を経て構造転換の大波の中で衰退し、国に見捨てられていく。廃屋はその象徴だ。

80年代初頭、都会は24時間稼働し、人々はカネで何でも買えると思い込み始めていた。「バブル崩壊」という結末など想像もせず、繁華街で飲み、食べ、歌い、遊んだ。

そんな光景に背を向けて、廃屋と変わらぬ家に移り住み、自給自足のような生活を始める五郎たち。視聴者も回が進むにつれて倉本が描く世界から目が離せなくなる。「その生き方でいいのか?」という、倉本の怒りにも似た警告とメッセージを感じ取ったからだ。

82年3月末に終了した「北の国から」は、スペシャル形式で2002年まで続いた。そこには20年の時の流れがあり、徐々に年老いていく五郎の姿があった。

同時に大人になっていく子どもたちの仕事、恋愛、さらに不倫までもが描かれる。見る側は、フィクションであるはずの「黒板一家」を親戚か隣人のように感じながら、五郎と一緒に笑い、泣き、悩み、純や蛍の成長を見守り続けた。彼らと並走するように同じ時代を生き、年齢を重ねてきたのだ。

実は今年の夏、倉本は「北の国から」の最新作を書き上げた。あれから五郎はどうしていたのか。そして今、五郎は何を思っているのか。いわば人生の到達点の情景が描かれている。

3月に亡くなった田中邦衛の不在を承知の上で、それでも「五郎の物語」に挑んだ倉本に敬意を表したい。このシナリオが映像化される日が来ることを心から願っている。

思えば、「2002遺言」のラストで五郎は遺言を書いていたが、亡くなったわけではなかった。今も富良野の風景の中を飄々(ひょうひょう)と歩いているような気がするのだ。

(北海道新聞 2021.10.02)