碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

「レンタルなんもしない人」の“特定の誰か”ではない距離感

2020年04月30日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

 

 

「レンタルなんもしない人」は

“特定の誰か”ではない距離感が救い

 

テレビ東京の深夜ドラマ「レンタルなんもしない人」の主人公、森山将太(増田貴久)の「なんもしない」は、家の中でボーッとしているという意味ではない。

たとえば、一人では入りにくい店に一緒に行く。ゲームの人数あわせ。今年はダメだったけど花見の場所取りとか。つまり「誰か一人分」の存在が必要な時に利用できるサービスだ。しかも交通費と飲食代以外は無料。ただし、ごく簡単な受け答えしかしない。そこにいるだけ。なんもしない。

原作は実在の「レンタルさん」が書いたノンフィクション。ドラマでは、契約を切られた雑誌編集者(志田未来)から、故郷に帰る前の「東京最後の日」を一緒に過ごして欲しいと頼まれる。

また仕事でトラブルを抱えて出社するのが怖いという青年(岡山天音)につき合って、会社の周囲を2人で歩き回る。誕生日を一人で迎えたくないという女子大生(福原遥)とは、彼女の部屋でケーキを食べることに。

報酬を得るための仕事ではなく、あくまでもサービスだ。相手の事情には踏み込まないが、「簡単な受け答え」をしてくれる人が目の前にいることで、利用者は自分の思いを整理できたりする。「特定の誰か」ではないからこその距離感が逆に救いとなるのだ。

他者との接触が禁忌となった昨今、実物のレンタルさんはどこで何をしているだろう。

(日刊ゲンダイ 2020.04.29)