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碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

「TV見るべきものは!!」年末拡大版~2016年のテレビ界

2016年12月30日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評



日刊ゲンダイに連載しているコラム「TV見るべきものは!!」。

今回は、年末拡大版ということで、この1年を総括しました。


TV見るべきものは!! 年末拡大版

高市総務相が「電波停止」発言を
撤回していないことを忘れるべきではない

今年2月、衆院予算委員会で高市早苗総務大臣が、政治的に公平性を欠くと判断した場合の「電波停止」に言及した。確かに総務大臣は電波停止の権限をもつ。しかし、放送の政治的公平をめぐる議論の場で、その権限の行使を強調したこと自体、放送局に対する一種の恫喝(どうかつ)であり圧力だ。

放送法第4条の「政治的公平」の原則が政治の介入を防ぐための規定であることを踏まえ、政権のメディアに対する姿勢があらためて問われた。しかも現在に至るまで、高市総務相がこの発言を撤回していないことを忘れるべきではない。

続いて3月には、NHK「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスター、TBS系「NEWS23」の岸井成格アンカー、そしてテレビ朝日系「報道ステーション」の古舘伊知郎キャスターの3人が降板した。いずれも毀誉褒貶(きよほうへん)はあるものの、特定秘密保護法、安全保障関連法など、この国のかたちを変えようとする政治の流れの危うさを、テレビを通じて伝え続けた人たちであることは事実だ。

こうした“もの言うキャスター”が時を同じくして画面から消えたことは、政権が目指すメディア・コントロールの“成果”でもある。実際に各局の報道番組はマイルドになり、たとえば南スーダンへの自衛隊「駆けつけ警護」などについても、本質に迫る報道が行われているとはいえない。来年は今年以上に、報道番組が何をどう伝え、また何を伝えないのかを注視していく必要がある。

■断然光った「逃げ恥」

ドラマでは、先日最終回を迎えたばかりの「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS系)が断然光った。今どきの恋愛・結婚観というテーマへのアプローチの仕方が秀逸で、エンディングの“恋ダンス”も人気となり社会現象化した。同じTBS系では、漫画家の世界やコミック誌の現場をのぞかせてくれた黒木華主演「重版出来!」(脚本は「逃げ恥」の野木亜紀子)、前田敦子が新境地を開いた「毒島ゆり子のせきらら日記」なども挙げたい。

また、石原さとみ主演「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」(日本テレビ系)は、出版社の校閲部という舞台設定が新鮮だった。石原のファッションがインスタグラムなどSNSを通じて話題となり、若い女性たちを番組へと誘導した。この秋から、テレビ番組を録画で見る「タイムシフト視聴」の本格的調査・運用が始まったが、「地味スゴ」は、「逃げ恥」と並んで録画視聴の多さが目立ったドラマだ。

深夜枠ながら存在感を見せた「黒い十人の女」(日本テレビ系)は、市川崑監督が半世紀前に映画化した作品の現代版リメークだ。TVプロデューサー(船越英一郎)が抱える9人の愛人と妻(若村麻由美、快演)、合わせて10人の女たちの“たくましさ”がリアルで笑えた。

最後にNHKだが、大河ドラマ「真田丸」は三谷幸喜の脚本が功を奏した。全体は、いわば“三谷流講談”であり、虚実ない交ぜの面白さがあった。真田信繁(堺雅人、好演)をはじめとする登場人物たちのキャラクターも含め、歴史の真相は誰にも分からない。史実を足場に、ドラマ的ジャンプを試みた三谷に拍手を送りたい。

来年の「井伊直虎」は、近年ではすっかり鬼門となった、女性が主人公の大河である。1年後、「あれは杞憂だった」と言える内容と出来であることを祈るばかりだ。

(日刊ゲンダイ 2016.12.28)

年末特集! 今年出版された、「映画」がもっと楽しくなる本

2016年12月30日 | 本・新聞・雑誌・活字



本のサイト「シミルボン」に、以下のコラムを寄稿しました。

https://shimirubon.jp/columns/1677032


年末特集! 
今年出版された、「映画」がもっと楽しくなる本

2016年もあと数日。ほんと、早いですねえ。年齢を重ねるごとに、1年が過ぎるのが加速度的に早くなっているような気がします(笑)。

というわけで、年末でもあり、今年出版されたエンタメ関係の“オススメ本”を紹介してみます。今回のジャンルは「映画」にしました。


『健さんと文太 映画プロデューサーの仕事論』
日下部五朗 (光文社新書)


今も週に1度は映画館のスクリーンと向き合うが、最も映画館に通ったのは70年代の学生時代だ。ただし、封切りを観るのはバイト代を手にした直後のみ。普段は二番館や三番館、そして名画座が定番だった。特に、数百円で2、3本の映画を観ることができる名画座は、学生には有難かった。

おかげで小中学生の頃に公開された高倉健の任侠映画も、オールナイトの特集でほぼ全作を追いかけることができた。

思えば60年代の後半の東映は、『日本侠客伝』『昭和残侠伝』『網走番外地』という3つのシリーズを同時進行で製作していたのだから、健さんも、東映も尋常ではない。いや、狂気の沙汰だ。

一方、73年に始まった『仁義なき戦い』シリーズはリアルタイムで観ている。映画館いっぱいに罵声と銃声が響き渡っていた。菅原文太は本物のやくざじゃないかと思ったものだ。

毎回スクリーンに映し出される筆文字で、「日下部五朗(くさかべ ごろう)」という、どこか凄味のある名前を覚えてしまった。こんなトンデモナイ映画ばかり作るのは、一体どんな人なのかと想像していたが、やはりトンデモナイ人(もちろん褒め言葉です)だったことが本書でわかる。

著者は、「プロデューサーは自分のコントロールできない監督、俳優と組んではいけない」と言う。何より「自分の意志が通せるかどうか」が問題なのだと。そこにあるのは、映画はプロデューサーが作る、という自負と自信だ。

こういう人物が語る高倉健や菅原文太が、面白くないわけがない。「健さんが制服の男とすれば、さしずめ文太は普段着の男」などと、さらりと言ってのける。ここでは紹介できないような秘蔵エピソードも満載だ。


『映画を撮りながら考えたこと』
是枝裕和  (ミシマ社)


『幻の光』で監督デビューして21年。今年公開された『海よりもまだ深く』は、是枝監督にとって12作目にあたる。本書は、テレビディレクター時代から現在までの取り組みを自ら総括する一冊。時に「ドキュメンタリー的」と評される作品が生まれる背景が興味深い。独自の創作・表現論でもある。


『ダルトン・トランボ~ハリウッドのブラックリストに挙げられた男』
ジェニファー ワーナー:著、梓澤登 :訳 (七つ森書館)


第二次大戦後、ハリウッドで吹き荒れた赤狩り旋風。売れっ子脚本家だったトランボも直撃を受け、仕事を奪われた。しかし彼は偽名で傑作を書き続け、『ローマの休日』などで2度アカデミー賞を受ける。あふれる才能と不屈の精神。闘い続けた男の70年の生涯は、この本を原作に映画化され(『トランボ~ハリウッドに最も嫌われた男』)、日本でも今年公開された。


『「世界のクロサワ」をプロデュースした男』
鈴木義昭 (山川出版社)


『生きる』、『七人の侍』など数々の黒澤明監督作品で、プロデューサーを務めたのが本木荘二郎だ。しかし、黒澤自身が語りたがらなかったこともあり(その理由は本書で)、日本映画の“正史”から置き去りにされてきた。この本は、本木の初の本格評伝であり、起伏に富んだ映画人の軌跡を明らかにする労作だ。高校時代にお世話になった“歴史と教科書の山川出版社”から出たことも、何やら嬉しい。


『鬼才 五社英雄の生涯』
春日太一 (文春新書)


1960年代に、『三匹の侍』(フジテレビ系)でテレビ時代劇の既成概念を打ち破り、80年代には、『鬼龍院花子の生涯』『極道の妻たち』などの大ヒット映画を生んだ五社英雄監督。毀誉褒貶の激しい63年の人生を、作品分析、本人の言葉、そして取材による事実の掘り起こしで見事に再構築した、熱い快作である。


『いつかギラギラする日~角川春樹の映画革命』
角川春樹、清水節 (角川春樹事務所)


つい最近も、カップヌードルのCMが見事なパロディにしていた映画『犬神家の一族』。その公開から40年が過ぎて、「製作者・角川春樹」も74歳となった。本書は70本にもおよぶ「角川映画」の流れをたどり、その意味を探るノンフィクションだ。元々は書籍の販売戦略だった映画製作が、目的を超えた文化運動へと転化し、やがて時代を動かしていくプロセスが明かされる。


『最も危険なアメリカ映画~「國民の創生」から「バック・トゥ・ザ・フューチャー」まで』
町山智浩 (集英社インターナショナル)


映画は社会の“合わせ鏡”だ。テーマや内容は、そのときどきの時代や社会を映し出している。たとえ、それが隠されたものであっても。著者は過去のアメリカ映画を検証し、トランプを次期大統領に選んだ国の本質に迫っていく。中でも『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が、意図して“描かなかったこと”の分析は出色。どの作品も見直したくなること必至だ。


『怪獣から読む戦後ポピュラー・カルチャー~特撮映画・SFジャンル形成史』
森下 達 (青弓社)


大ヒットが続いている『君の名は。』と並んで、今年の映画界を席巻した感のある『シン・ゴジラ』。62年前の『ゴジラ』公開から現在まで、「特撮映画」とその解釈はいかに変遷してきたのか。気鋭の研究者である著者は、SFという文化と交差させながら、「非政治性」をキーワードに解読していく。