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碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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『北の国から』放送開始から35年、脚本家「倉本聰」の軌跡

2016年06月24日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム



 ドラマ『北の国から』(フジテレビ系)で知られる脚本家・倉本聰さん。その自伝エッセイ『見る前に跳んだ 私の履歴書』(日本経済新聞出版社)が出版されました。

 81歳になった現在も、旺盛な創作活動を続けている倉本さんは、草創期からテレビに携わり、数々の名作ドラマを生み出してきました。この本では、幼少時代の思い出、疾風怒涛のドラマ黄金時代、富良野塾での奮闘、演劇という挑戦、そして自然と環境に対する思いまでを存分に語っています。

 代表作である『北の国から』の放送開始から35年。あらためて、稀代の脚本家の歩みを振り返ってみたいと思います。

 (以下、敬称略)

『北の国から』まで

 1981年の秋に始まった『北の国から』で、倉本聰の名前は広く一般に知られることになる。だが、それ以前、すでに倉本は売れっ子脚本家として大活躍していた。

 最初に挙げたいのは、『文五捕物絵図』(1967年、NHK)だ。松本清張の推理小説群を江戸時代に移し替え、岡っ引き・文五(杉良太郎)の活躍を描いていた。複数の脚本家による競作だったが、たとえば倉本が書いた中の1本である「張込み」は、野村芳太郎監督の映画に負けない面白さだった。

 また、クローニンの『青春の生きかた』を原作に、『わが青春のとき』(70年、日本テレビ系)を手がける。医大の研究所を辞して風土病に取り組む青年医師(石坂浩二)をの物語だが、こちらも原作に忠実なドラマにはなっていない。原作をしっかりと頭の中に入れたら、あとは自分の世界で脚色していくのが倉本の方法だからだ。

 このドラマでは原作の最初の部分だけを読み、残りは荒筋を人にしゃべってもらった上で、原作から離脱している。半ばオリジナル作品だが、原作より面白いドラマになるのだから仕方がない。

 71年に日本テレビの「土曜グランド劇場」枠で放送された『2丁目3番地』は、石坂浩二と浅丘ルリ子という当時の人気役者の初共演が話題となった。美容院を経営する元気な妻(浅丘)。その尻に敷かれることを楽しんでいるような、売れないテレビディレクターの夫(石坂)。都会的な洒脱さとユーモアにあふれた1本で、ここでは向田邦子や佐々木守といった名手たちと競いながらメインライターを務めた。

倉本聰、北の国へ

 そして3年後の74年、倉本はNHK大河ドラマ『勝海舟』という大仕事に挑むことになる。この大河ドラマを途中で降板し、札幌へと向かう予想外の展開とその経緯は、この本にある通りだ。

 ただ特記しておきたいのは、倉本の行動の背後にあるのは、昔も今も、ひたすら「いいものを創ろう」という熱狂だということである。本当の意味でのプロ意識と言ってもいい。この時の「北へ向かう」という行為が、結果的には『北の国から』を生み、脚本家であると同時に劇作家、演出家でもある倉本聰を誕生させることになる。まさに人生はドラマだ。

 札幌に逃避行した倉本を、フジテレビの制作者が探し出し、再びシナリオを書くことを促す。そして生まれたのが『6羽のかもめ』(74~75年)である。

 このドラマの舞台は、内部分裂して、メンバーが6人だけになってしまった劇団「かもめ座」だ。彼らと、彼らを取り巻く人間模様を通じて、テレビ界の「内幕」を徹底的にえぐるという内容は、業界内で大いに話題となった。

 実はこのドラマの最終回に、今やテレビ業界の伝説となった“名台詞”が置かれている。ちなみに、この回のサブタイトルは「さらばテレビジョン」だ。

 放送時から見たら近未来だった1980年という設定の“劇中劇”で、国民の知的レベルを下げることを理由に(台詞では「これ以上の白痴化を防ぐために」)、政府は「テレビ禁止令」を出す。テレビ局は全て廃止。各家庭のテレビは没収され、アメリカの禁酒法時代の酒と同じ扱いになってしまう。

さらばテレビジョン

 ドラマの終盤、山崎努演じる放送作家が、酒に酔った勢いでカメラに向かって自分の思いをぶつける。それは同時に、倉本自身の思いでもあった。

 「テレビドラマは終わったンだ!!
 テレビに於けるドラマの歴史は、くさされっ放しで終わったンだ。
 いいじゃないかその通リ!!
 (中略)
 だがな一つだけ云っとくことがある。
 あんた! テレビの仕事をしていたくせに
 本気でテレビを愛さなかったあんた!
 あんた! テレビを金儲けとしてしか考えなかったあんた!
 あんた! よくすることを考えもせず
 偉そうに批判ばかりしていたあんた!
 あんた! それからあんた! あんた! 
 あんたたちにこれだけは云っとくぞ!
 何年たっても
 あんたたちはテレビを決してなつかしんではいけない。
 あの頃はよかった、
 今にして思えばあの頃テレビは面白かったなどと、
 後になってそういうことだけは云うな。
 お前らにそれを云う資格はない。
 なつかしむ資格のあるものは、
 あの頃懸命にあの状況の中で、
 テレビを愛し、
 闘ったことのある奴。
 それから視聴者――愉しんでいた人たち」

 これが1975年当時の倉本の叫びだ。そこには、「こんなふうになってはいけない」というテレビへの強烈な訴えがある。また、「俺に、さらばテレビジョンなどと言わせないでくれ」という、テレビに携わる人間たちへのメッセージでもあったのだ。

 後年、倉本は記念すべき初エッセイ集を出版する際、その本に『さらば、テレビジョン』のタイトルをつけた。倉本が、ドラマの中のドラマという二重構造に仕込んで投げつけた時限爆弾は、放送から40年を経た現在もなお、そのカウントダウンを続けている。

 北海道へと本格的に拠点を移した倉本は、次々と傑作を書いていく。『前略おふくろ様』(75~76年、日本テレビ系)、『うちのホンカン』シリーズ(75~81年、北海道放送)、 『幻の町』(76年、北海道放送)、『浮浪雲』(78年、テレビ朝日系) 『たとえば、愛』(79年、TBS系)などだ。

 のちに20年もの長きにわたって放送され、北の大地を舞台にした大河ドラマともいうべき『北の国から』のスタートは、もうすぐそこまで迫っていた。

(ヤフー!ニュース個人 2016年6月12日)

書評した本: 高杉 良『最強の経営者 小説・樋口廣太郎』ほか

2016年06月24日 | 書評した本たち



「週刊新潮」の書評欄に書いたのは、以下の本です。

高杉 良
『最強の経営者 小説・樋口廣太郎
 ~アサヒビールを再生させた男』

プレジデント社 1728円

NHK連続テレビ小説(通称、朝ドラ)で、実在の人物をモデルやモチーフにした“実録路線”が好調だ。

6年前の「ゲゲゲの女房」(漫画家・水木しげるの妻)をきっかけに、「カーネーション」(デザイナーのコシノ3姉妹の母)、「花子とアン」(翻訳家・村岡花子)、「マッサン」(ニッカウヰスキーの竹鶴政孝夫妻)などが続いた。

さらに「あさが来た」(実業家・広岡浅子)や、現在放送中の「とと姉ちゃん」(「暮しの手帖」の大橋鎭子)も同様だ。いずれも濃密な人生を送った女性の一代記であるだけでなく、その多くが一種の“企業ドラマ”となっている点に特色がある。

思えば、企業活動ほど波瀾万丈なものはない。発想と実現、知恵と工夫、挑戦と挫折、そして失敗と成功。朝ドラの実録人気の背景には、ふだんは窺い知れない企業の内側と、そこで展開される極めて人間的な喜怒哀楽への興味がある。企業ドラマは熱い人間ドラマでもあるのだ。それは優れた企業小説にも通じている。

“ノンフィクション小説”とも言うべき本書の主人公は樋口廣太郎。大正15年に生まれ、平成24年に没した。享年86。樋口は住友銀行で副頭取まで務めた人物であり、後にアサヒビールの社長に就任した。最大の功績はスーパードライのヒットだ。当時、「夕日ビール」などと揶揄されるほど低迷状態にあった会社を業界トップへと押し上げた。「アサヒビール中興の祖」と呼ばれる所以だ。

物語は、樋口が磯田一郎・住友銀行会長からアサヒの件で呼び出される場面から始まる。読みどころは、新たな戦場に飛び込んだ樋口が、果敢に社内外の人心を掌握していく過程だ。

経営とは「顧客の創造」と信じ、時には前例など無視して部下たちのプロジェクトを応援する。また時には厳しい人事を断行する。俯瞰と近接、その複眼の思想が改革を可能にした。企業を支えるのは「ひと」であることを熟知した男の軌跡を描く、逆転の成功譚だ。



三波美夕紀 『昭和の歌藝人 三波春夫』
さくら舎 1620円

「東京五輪音頭」「世界の国からこんにちは」などの曲名を聞くだけで、高度成長時代の光と影が甦る。その歌声の背後に厳しい抑留体験や貧困があったことを、長女でありマネージャーも務めた著者が明かしていく。新たな芸と歌に挑戦し続けた男を描いた労作評伝だ。


洋泉社編集部:編 『世界の魅惑のトンネル』
洋泉社 1728円

鉄道、鉱山、洞窟、さらに竹林の小径まで、90点以上も並ぶトンネルが美しい。だが、同時に感じる妖しい胸騒ぎは何なのか。異空間の衝撃。過去や未来へのワープ。いや、一種の胎内回帰願望かもしれない。見る者の想像力によって千変万化する異次元トリップだ。


高橋秀美 『人生はマナーでできている』
集英社 1620円

もちろんマナーの教則本ではない。意識さえしていなかった日常の所作や行動の奥にある、意味や価値やおかしみを探っている。実は失礼な「ありがとう」。ベジタリアンとジロリアン(ラーメン二郎の愛好者)から考える「食べ方」。異色の日本人論でもある。


國分功一郎 『民主主義を直感するために』
晶文社 1620円

著者は鋭い現代社会分析で注目される哲学者だ。権限さえ獲得すれば何をしてもいいと考える政権。特定の話題に触れることを忌避するメディア。今こそ民主主義を「具体的に体で感じ取る」ことが必要だと説く。辺野古を直感するための旅の報告も刺激的だ。

(週刊新潮 2016.06.23号)