わが「古書鑑定能力」やいかに
「BО店」に持ち込もうとした「C:原色日本の美術」(小学館)は、「全30巻揃い」で手入れは良好。購入時は、1巻3,800円で全巻114,000円。その金額にあらためて驚いた。しかもそれは、42年前の刊行となっている。
「物」の扱いは少々ぞんざいといわれる筆者だが、こと「書籍」に関しては自負するものがある。ましてやそれが「美術全集」ともなれば、自分でも感心するほど行き届いた取り扱いをしている……と思っているのだが。
ともあれ、ネット上の各種「販売価格」の実態からして、「1巻:150円から200円」くらいは行けるのでは? そうなれば、30巻で4,500円から6,000円……というところだろうか。間をとって「175円×30巻=5,250円」。まずまずというべきか。
ふと思った。ひょっとしたら筆者は「古書鑑定能力」なるものが、本人も気づかぬうちに育っているのかも知れないと。何と言っても大学時代、世界有数と言われる「神田神保町の古書店街」に足げく通っていたのだ。かくて、わが身一人の思惑は、際限もなくオプティミスティックに広がり始める。夢と希望をさらに膨らませながら……。
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「BО店」に到着した。実はこの店にはこれまで本を「買いに行った」ことも、「売りに行った」こともない。そのためだろうか、さきほどの武者震いが再び全身を巡った。そしてその武者震いは、応対の「女性スタッフ」を見た瞬間、ある種の “不安” へと変化し始めていた。
彼女は若かった。どこか初々しさの残る感じに、新卒のような印象を受けた。たえずニコニコと愛想は申し分ない。だが “美術全集について、どこまで理解しているのだろうか?” との疑念を取り除くことはできなかった。
彼女は30巻を手に取ってしげしげしげと眺めたりはしない。全体の巻数を確認しながら、十数巻をカウンターの上に並べる程度で、特に精査している様子は見当たらない。その代わり、パソコンや資料を覗き込んだり、誰かと携帯で連絡を取りあっているようだった。
“どこからかベテランの査定人が現れるのだろうか?” 期待と不安相半ばしながらも、少し落ち着き始めたとき、彼女は、やや緊張した面持ちで筆者に言葉を発した。
『500円になりますけど……』
――(筆者は考えた)そういえば「人気のある巻」は、バラでも1巻500円~1,250円ほどで売りに出されているものもあり、「不人気の巻」は30円~60円というものもあった。ということは「1巻平均:500円」という評価なのか。つまり《 500円×30巻=15,000円》……。そこまで考え及ぶのに5秒とはかからなかった。
――いやまてよ! ネットでの「販売価格」の大勢からみても、「BO店」が「15,000円」で「仕入れる」ことなどありない。だが次の瞬間! 一つの “疑念” がよぎった。
ーー彼女は、何かとんでもない勘違いをしているのかもしれない。社会経験と書籍に関する知識不足のため、的確な「価格査定」とはならなかったのでは? となれば、天性の「古書鑑定能力」を持つ筆者が、己の利益享受のために知らんぷりするなど、如何なものだろうか……。
と一瞬そう思ったものの、さきほどの我が最終試算の「175円×30巻=5,250円」が再び脳裏を掠めた。それを3倍近くも上回る15,000円などありえないのだ。となれば、こちらのとんでもない勘違いということに……。
そう思い直して彼女を見た。笑顔ではあるものの “どこか申し訳なさそうな下向き視線”となっている。その “俯き加減” に “胸騒ぎ” を覚え、はっと我に返った。そして筆者はしっかりと彼女を見据えたまま、おもむろに尋ねた。
『500円というのは1巻の値段ですか? それとも全30巻という意味でしょうか?』
『…………全巻です』
その答えまでに “ひと呼吸” あったことが、今思えば救いだったのかもしれない。だがそう思いながらも同時に、「500円÷30巻=16円66銭」という厳粛な「計算式」が、何度となく脳裏にフラッシュバックした。
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出版時とさほど変わりない保存状態の全集――。美術全集1巻のサイズは「縦37㎝×横27.5㎝×厚さ3.5㎝」。それに「重さはジャスト3㎏」。……その「美と知と感性の書」の価値が、10円玉と5円玉と1円玉2個にも満たないとは。我が人生において、これほど惨めな計算の記憶はない……。
筆者は言いたいことをすべて封印し、穏やかな笑顔で彼女に丁重に語りかけた。
『申し訳ないけど売るのを中止して、このまま持って帰りましょう。お手数をおかけしました。ごめんなさいね』
彼女はとまどいながらも、申し訳なさそうな笑みを見せた。筆者はカウンター上の十数巻を段ボールに入れ、残り5つの段ボールとともに車に積み込んだ。
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帰り道、「A、B、C」3つの美術全集は絶対に手放さないことを心に誓った。のみならず、いつでもそれらを自室で楽しめるよう「専用書架」の購入も決意した。
だがこの “決意” こそ、「演劇鑑賞ノート」紛失の「第一楽章」となったのだ。(続く)