若い女優だけの難しさと課題
最後に今後の課題として、次の点が残ったと言えるでしょう。
それは「一人二役」の俳優が四人いたことについて――。
四人各自の「A」または「B」役の区別が、演劇に不慣れな一般の人々には判りにくかったかも知れません。なにしろ「俳優」すべてが、「同世代の若き女子大生のみ」ということですから。
つまりは、「性」と「世代」と「身分・地位」の違いを、どうやって観客に判って貰うかという問題です。「衣装」を変えたり、「立位置」を工夫したり、さらには「立ち居振る舞い」の違いを際立たせる演出といっても限界があるでしょう。
無論、「舞台背景」や「小道具」、それに、お得意の「照明」や「音響」の繊細なプランや操作といっても、やはりそれだけでは容易に解決できない問題です。
もちろん、「岩井ゼミ」を中心とするこの舞台の「キャスト&スタッフ」は、「芸術学部演劇科」ではなく、あくまでも「人文学部表現学科」の学生ですから、いろいろな意味においも、どこかで“一線を画す”必要があると思います。
つまりは、「演劇舞台」の表現を唯一最大の専門にしている訳ではないということです。そう考えると、以上のハンデを百も承知の上で挑戦をしていることになり、それだけですでに凄いことをやっていると筆者は思いjます。
それだからこそ「欲が深い筆者」は、それをあえて承知の上で、この「ゼミ」そして「学校」に、秘かに期待するものがあるのかもしれません。
☆
「シェークスピア」の戯曲は、どれもかなりの数の「人物」が登場します。しかも、身分や地位や職業の違いは実にさまざまであり、王様も王女様も、聖職者も殺人者も。老いも若きも、子供も若い娘も、女も男も。善人も悪党も。非情な人間も慈悲深い人間も。富んだ人も貧しい人も。と、どのキャラクターも個性に富み、存在感を持った人物として描かれています。
これこそが「シェークスピア演劇」の特徴であり、魅力でもあるわけです。しかもそれらの「登場人物」は、この現代世界において、さまざまな形を変えて営々と生き続けています。だからこそ少しも古びることなく、その時代、その民族の共通認識として、共感を呼び、感動をもたらすことになるのでしょう。
この舞台を観た直後、筆者は新潮文庫により『あらし(The Tempest)』(訳:福田恒存)を読んだわけですが(※おそらく、20数年ぶりでしょう)、今回、独自に「台詞」や「舞台進行」をアレンジしたことは賢明な選択でした。
誰の翻訳を元にしたのかは解かりませんが、とても “聞きやすい言い回し”に直し、また、ある程度シーンを “カット” したことがよかったと思います。
演出家の言葉
当日プログラムの演出の言葉に、共感しました。
《 人は、誰しも何らかのしがらみの中で生きているのではないでしょうか。大学生である私たちもそれぞれに悩みやストレスを抱え日々過ごしています。そこから救われる方法は人によって異なりますが、『こんな世の中でも、素晴らしいことはたくさんある。人間は、愛は、やはり美しい』と思える瞬間が一度は訪れるはずだと私は信じています。その瞬間を、少しでも表現できれば嬉しい限りです。》
読者の多くが、筆者と同じように“共感”することでしょう。ここに、あの突出した演技や歌やダンス、そして優れた感性とイマジネーションとクリエイティビティを遺憾なく発揮した岡崎嬢の、もう一つの顔があるようです。等身大の、何処にでもいる「一人の女子大生」であり、「一人の若い女性」です。
人は誰しも日々の迷いや苦悩の中で、精いっぱい生きて行くことを宿命づけられているのでしょう。それこそが“人間であるとして”。
思うに、素晴らしいことは、きっと一度のみならず二度、三度、そして四度五度、いえそれ以上、何度でも訪れるのかもしれません。そして、その瞬間、瞬間において、人との出会いという素晴らしいときが、そして、それに伴う愛というものがあるのでしょう。要は、訪れたその何でもない瞬間を、自分がどのように受取るかにかかっていると思います。
筆者なりに、今回の舞台に込められたものを理解するとき、それは「演出家」のいう “人間は、愛は、やはり美しいと思える瞬間” であり、その瞬間を、真に愛ある、そして美しいと思える人間の心というものかもしれません。そのきわめて人間的な表現として、この舞台においては、“赦し” があり、“祈り” があると思うのですが。もちろん、それを導き出しのは、シェークスピアの中に流れる Christianiy というものでしょう。
福岡女学院というmission school なればこその、 spiritual need のなせる業……筆者はそう受け止めています。
以上に関連して、実はこの舞台の「案内チラシ」が素晴らしセンスとメッセージでした。ある会場で貰った中に、A4判の表面に、縦二行の文字が筆者の目に飛び込んだ来たのです。
《我々人間は夢と同じもので織り成されている。
はかない一生の仕上げをするのは、眠りなのだ。》
もうこれだけで、即、観に行こうと決めました。筆者の乏しい知識でも、何となくシェークスピアっぽいかなと思いつつ、チラシ下の横書き文字が「福岡女学院大学12期岩井ゼミ卒業公演」となっていたため、やっぱりと思いました。そして裏面を見ると、『The Tempest』、原作:William Shakespeare ……。
「シェークスピア」だったと、ほっとしつつも、哀しいかな Tempest? ……今度は英単語健忘症に悩まされ、何とも出てこない……。こんなのあったのかよ……。しかし、かすかな記憶の底に、「temp.」=「気温(温度)」との認識あり。それでもう一度「表面」に戻ってよく見ると、何やら「星座表」らしきものと、「天体図」が見えるではないか! よっしゃあ! それで筆者の脳は、Tempest を「嵐」と読み取ったのです。やったぜ!
演劇の素晴らしさを堪能
今回の舞台は、観劇から7月近くも経過しているにも関わらず、“これはといういくつもの場面” が鮮やかに甦って来ます。そして、そうした、いくつもの “鮮やかな瞬間の記憶” があったからこそ、何としてもこの感動を留めたいと “想い続けることができた” と思います。
これからも、この「舞台」については、機会あるごとに “想い続ける” でしょう。この原稿を綴っているこの瞬間においても同じ気持ちです。
筆者の正味14年の学生演劇公演歴において、この『The Tempest』は、「学生演劇」のさらなる可能性と高い精神性を、さらに強く印象付けてくれた作品です。 (了)
★ ★ ★
『The Tempest』
■原作/William Shakespeare
■作/岩井ゼミ
■演出/岡崎沙良
【キャスト&スタッフ】
大塚愛理(ミランダ&セバスチャン):宣伝美術
岡崎沙良(エアリエル)
藏園千佳(アントーニオ):小道具
橋本美咲(アロンゾー&トリンキュロー):宣伝美術・メイク・衣装
畑島香里(ゴンザーロー):制作
濱畑里歩(ファーディナンド&ステファノー):衣装
本山真帆(ブロスベロー&キャリバン):舞台監督
【スタッフ】
■照明:鮫島強志、高尾美悠、藤木沙織、早良夢華
只松未友希、佐々木春乃、当間琴子
■音響:黒木真里奈、末永名安莉、太田千智
■全体補佐:柳川千尋 ■会計:福川由理
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
最後に、「岩井ゼミ」の岩井眞實教授をはじめ、この舞台公演に携わったすべての「キャスト」及び「スタッフ」各位に対し、感動的な舞台を創造されたことに感謝と敬意を表します。
あわせて、この舞台が持つ高い芸術性と、各位の真摯な研究や学習が、いっそう地域社会の人々に伝えられて行くことを心から願うものです。
花雅美 秀理
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★