……私の意を解した彼女は、上司と相談してくると言って席を外しました。戻って来た時、ゼネラル・マネージャーと一緒でした。彼女から話を聞いた彼は、私と直接話がしたかったようです。彼は、サービス商品の開発から顧客開拓、それに人材育成や労務管理のすべてを任されているとのことでした。
二人の協力を得ることになった私は、急いで「喫茶ルーム」へ戻ったわけですが、みなさんを待たせていたことなど少しも気になりませんでした。
「宿泊部屋」に案内したみなさんの反応は、私の想像を超えていました。私はただ“あるがまま”を見ていただくという態度を貫いたつもりでした。そのため自分の感想や考えは一切控え、また『どんなことがあっても社員を責めない』と自分に誓いました。会長、社長、専務に対してもその気持ちは変わりませんでした。気がついたとき、私は若手女子が宿泊した部屋の「ゴミ」を、ビニール袋に移していたのです。なぜあのようなことができたのか……自分でもよくわかりません。
しかし、私にとっての最大の難問は、研修以後のことでした。ことに“宿泊部屋の一件”をどういう形で社員に伝え、それをどのように活かしていくか……。ところがその答えは、「ルームメイクの女性」からのアドバイスによって、比較的簡単に見出すことができたのです。
その結果、あの翌日に最古参の女子社員(総務)に一部始終を打ち明けることができました。彼女も私と同じように、地に足がつかない会社の雰囲気や社員の動きを感じていたようです。というより、社会や業界全体の動きが、尋常ではないと思っていたのでしょう。
紆余曲折はありましたが、彼女の尽力によって「QC委員会」と「QCレター」が実現したことは大きな成果といえるでしょう。いずれも社員の自主運営によるものであり、メンバーの多くは若手の男女です。そして、その中心メンバーこそ、『あの若手女子諸君』でした……。
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あれから20年――。S常務を想い出すたびに、企業における問題提起とその対応について考えさせられる。何よりも、“人を動かす力”の偉大さと“人の縁”の不思議さを痛感するばかりだ。一人の人物が“きっかけ”となり、そこにいろいろな人が絡み合いながら、一つの試み、そして問題解決へと進んでいったのだろう。
“ネクタイピン”から始まった“社員研修”。いや“役員研修”でもあったのかもしれない……。
当時、世は地価や株価の上昇が連続し、その資産価値が実体経済から大きくかい離した、いわゆる“バブル”膨張の一途を辿っていた。“土地神話”の絶頂期であり、怪しげな「地上げ屋」が跋扈する一方、土地や中古の戸建・マンション等の「投機買い」が異常に進んでいた。不動産業者のもとには「一億総不動産屋」といわれるほど、浮利を貪る一般のサラリーマンや主婦までもが門前市をなしていたのだ。
しかし、それからほぼ1年後(5月)。景気過熱によるインフレ抑制のため、数次にわたって公定歩合の引き下げが実施された。それに連動して土地関連融資の「総量規制」が始まり、やがて地価や株価の急落、すなわち“バブルの崩壊”が始まった。この崩壊は、企業倒産、中小金融機関の破綻、不良債権問題等を引き起こし、消費の低迷と失業者の増大を生み出しながら深刻な不況をもたらし始めた。そしてその影響は、S常務の会社にも深く静かに及び始めていたのだった。
だがこの“バブルの崩壊”は、実はほんの“プロローグ”にすぎなかった。[了]