ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

秋穂(あいお)への吟行会です!

2020年01月19日 | 俳句

 このところ天気がイマイチの日が多くて、すっきりとした洗濯日和がありません。その中で先日の吟行会はまあまあの青空で、「寒晴」または「寒日和」といってもいいような日和でした。

  死は狎れを許さぬものぞ寒日和       飯田龍太

 この句はやはり一年中で一番厳しい「寒」が効いていますね。「寒日和」とは、大気が冴え冴えと澄みわたって、空は抜けるように青く、身がピリッと引き締まるような晴天の日なのです。また、ここで「狎れ」(なれ)という字を使ったのもさすがです。この「狎」の字は、〝犬などを自分の意のままにおさえこみ、飼いならす〟という意味なんですよ。「死」とは「慣れ」や「馴れ」のような生易しいものではないのだということ。さらに〈許さぬものぞ〉という断言の強さも一体となって、気魄の籠もった句になっていますが、この緩みのなさはその時の龍太の心境だったのでしょう。どんな状況で詠んだのか興味が湧く句ですね。

 今回の吟行地は、山口市の秋穂(あいお)八十八ヶ所のうち、83番札所「岩屋山地蔵院」と64番札所「阿弥陀寺」、さらに「正八幡宮」とそこに併設されている1番札所「大師堂」へと、盛りだくさんの吟行でした。

 この秋穂八十八ヶ所は、天明3年(1783)に遍明院第8世性海法印が弟子とともに四国八十八ヶ所を巡り、各霊場から御符と敷地のお砂を散布し御符を供えて札所としたのが始まりといわれています。弘法大師の命日にあたる旧暦の3月21日と前日20日に行われる「お大師まいり」では、巡礼の人々に対する地元の人たちの心のこもったお接待が各札所で毎年なされています。

 私もここは自宅から1時間以内で行けますので、何度もお参りに来ていますが、その度に地元の方々の暖かいもてなしにはいつも心が癒されます。菜の花の咲きみだれる田舎道をお遍路さんたちが列を成して歩く昔ながらの風景には郷愁をぐっとそそられますよ。

 私の両親はお大師様への信仰が厚く、幼い頃から朝夕の父の般若心経で成長しました。父が亡くなってからは母が繋いで一日たりとも欠かしませんでしたもの。だからこのお接待の日には、母はいろんな駄菓子を買っておき、孫たちや近所の子や大人たちにも配って、それが母の喜びであり生きがいでもあったような気がします。収入のなかった母は、野菜を売ったりどんぐりを拾ったりしてそのためのお金を貯めていましたね。本当に信心深い父と母に育てられて、何事にも「お陰様で…」という人生が送れているのだと感謝しています。

 さて、83番札所の「岩屋山」の本尊は延命地蔵菩薩で、境内に希有の大岩があります。高さ10m周囲40mもあり人面岩と名づけられ、その下に六地蔵が祀られています。さらにその岩の後ろが〝くぐり岩〟なっていて願を掛けて潜ります。他にもたくさんの地蔵や羅漢、懺悔塔など。また、境内には紅葉や桜、石楠花や牡丹と、それぞれの季節にはさぞ美しいことでしょうから、是非また来たい思うところでした。

 次に行ったのは、64番札所のある「阿弥陀寺」で、本尊は阿弥陀如来。ここには「四国八十八ヶ所御砂踏道場」もあって、ここにお参りすれば、四国八十八ヶ所を巡ったことになるんですよ。だから、お参りするときは土足厳禁!また、道場の横にお大師様が橋の下に横たわっている像がありました。昔四国を巡礼したときに、お遍路さんが橋の上では杖を突かないということを聞いたことがありましたが、その由来がこの「十夜ヶ橋」の説明を読んで分かりました。

 まだ「正八幡宮」と一番札所の「大師堂」がありますが、長くなりますので、それはまた次に…


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