一昨夜は…炬燵でうつらうつらして目が覚めてみると、何だか地震のような報道が…。福島・宮城という文字が目に飛び込んで、エッ、まだ先日の東北大震災のことをやってるのと、一瞬思ってしまいました。目を擦りながらよく見ると、今し方起った様子…時計を覗くと夜中の12時前でした。
昨日の朝起きて一番にニュースを見ると、夜中で状況がまだ分っていなかったのが徐々に分かり…やっぱり震度6強という被害は相当大きなものでした。それを見るにつけ被災された地域の皆様方には度重なる震災で、何と言っていいものやら言葉が見つかりませんが、とにかく心からのお見舞いを申し上げます。
新幹線の脱線や高速道の通行止めなど、また断水で困っている人々をニュースで見ていると、今回は東北大震災のような大きな津波やそれによる死者などはないと…それで少しはホッとしました。でもあちこちでの数々の被害を見ていると、〝私たち4度以上の震度を知らんから6強というものがどんなものか分らんのやけど…何だか申し訳ないようやね~〟と、お婆ちゃんと話し、地震に余り縁の無い所に住んでいるのを感謝することしきりでした。
さて、今日は先日の句会で気になったことを…。その前に昨日のアクセス解析のトータルアクセス数を見ると、〝トータル閲覧数1000789PV・トータル訪問数544028UU〟になっていました。最近気になってちょこちょこ見ていたのですが…とうとう閲覧数が100万を超えていました。訪問数も既に50万は超えていましたが…、やっぱりウレシイ!読んで下さった方々、有り難うございます。
5年ばかり前、思うところがあって急に始めたブログ、それも見よう見まねで最初はどうなることやらと心配しながら。でもどうにか今日まで続けてこられたのも、ひとえに皆さまの閲覧があったればこそ。心から感謝、感謝!です。いつまで続くか分りませんが、これからも頑張りますのでよろしくお願い致します。
では、句会で気になったことを…それは、漢字の読み方なんです。例えば昨日の投句の下五に〈…右左〉という句がありました。これは間違いなく〝みぎひだり〟と読みますね。ところがこれを上五に〈左右へと〉としたらどう読みますか?〝さゆうへと〟ですよね。このように意味は同じでも置かれた場所によって読み方も変わり、それでイメージが変る句も多々あるのです。
私の句に〈一山を日溜りにして蜜柑黄に〉と〈月掲げ一山一寺おぼろかな〉〈一山の秋気集へり千木の空〉というのがあります。それぞれ順番に〝ひとやま〟〝いっさん〟〝いちざん〟と読みます。
実は私の第二句集『甘雨』には、第一句集の反省から全ての句に読みを付けています。それは、初心の方たちや友人たちが、句集を貰ってもどう読んでいいのか分らないのが多いと言っていましたから。だから鑑賞する以前のところで躓いていたのです。読めさえすれば意味も調べられますが、漢和辞典で調べても読み方の分らない言葉が俳句では屡々出て来ます。それで私も散々苦労しましたのでよく分ります。そのため第二句集は初心者の方々の勉強にでもなろうかと全てに読みを付けたのでした。
だから教室の生徒さん達にはとても喜ばれました。が、プロの句集としては邪道だとも…。でも、私はわたしですもの。それで十分に所期の目的を達しましたから満足です。
先ほどの「一山」も、二番目の句のように〝いっさん〟と読むと、〝同一の境内にある本寺、末寺などすべてを含めた寺院の集合体。全山〟という意味になり、単なる一つの山ということではなくなるのです。また、最初の句は〝ひとやま〟と読ませることによって、〝くだものなどを山の形に積み重ねた一かたまり〟の意味を含ませて、蜜柑山がまるで蜜柑の〝ひとやま〟のように日を受けて、オレンジ色に染まっているという情景を思い浮かべて欲しくて詠んだものなんです。最後の句は季語「秋気(しゅうき)」という音に呼応しての読み方なんです。
このように、読み方にもあれこれ考えて作句しているのですから、読者に正しく読んで貰えないというのは作者にとってはとっても残念なことなんですよ。
他にもまだ書きたいことがいろいろありますが長くなりましたので、この続きはまた。今日はこれから午前と午後とダブル句会がありますので…オシマイ。
写真は、ときわ公園にある椿苑のいろいろな〝椿〟、春の季語です。花言葉は「控えめな素晴らしさ」「気取らない優美さ」、いいですね。
いっさん・いちざん・まで頭が回りません。
新聞の投句を見ても、読めない漢字がたくさんあって、理解できないです。
カナをふって頂くと、ありがたいです(^^♪
ちわきさん・午前・午後とお忙しいですね。
ミルクさんも詩を書くときは、ことばを選ぶでしょう?
同じような意味でもニュアンスが違いますから。
それと同じように俳句では最も短いが故に…ことばを選びに選びますが、それ以上に韻律を大事にします。
それが短歌や俳句のもう一つの特徴なんですよ。
詩でも定型詩にはそういうところがあると思うのですが、今は殆ど自由詩になっていますから、それほど重要視されないんでしょうか?
ブログに載せる句にも、俳句でない人が読むかも知れないのだから、全部かなを付けようかとも思ったことはあるんですよ。
でも、俳句をしている人たちには余程の読み方で無いと煩わしいものなんです。それでこれは…と思うのだけに付けたりしています。
ところで、息子さんコロナでなくてよかったですね。でも、原因の分らない高熱ではまたまた心配ですよね。
お大事になさって下さい。
最近は頭の痛いことばかり…いや、本当の頭痛がしょっちゅう起って、自分でも少し気になっているのですが…