ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

台風の次は地震だって!

2018年09月06日 | 俳句

 今日は一日フリーだ…さあ何をしようかしらなどと考えていたんですが…。朝起きると、主人が北海道は大変なことになっとるぞ~と聞かされて、てっきり台風21号が今度は北海道の方へでも曲って来たのかしらと思ったら、とんでもない地震のニュースでした。

 昨日のブログに書いたばっかしですよね…いつどこで何が起こってもおかしくないと。それで今日は一日中北海道の地震のニュースばかり見てしまいました。ホントは今日までに作らないといけない俳句があるんですが、そんなことしていていいの~という気がして、心がノリマセン。でも、人間って免疫ができるんですね。あの東日本大震災の凄絶な映像を見ているので、少々のことには驚かない自分になっている、それがコワイ!あの時も震度7だったから同じ規模だと言うことです。それだけでスゴイことなのに…

 昨日の関空といい、今日の新千歳空港といい、空の便ももうズタズタですね。交通網や停電なども…、もう云いようがありません。我が身に降りかからないからいいなんて、そんなこと言っちゃあいけませんよね。でもこうも災害が続くと、日本がボロボロになっていってるようでとても恐ろしい!だからといってどうしていいかも分かりません。ああ、神様、仏様…私たち人間の奢りを許して下さ~い!

 『戦況が悪化をたどり、疎開する人がふえた。神田三崎町の水原病院の周囲からも、段々と人が移っていく。表通りの印判屋の少女も、利根川べりの母親の田舎へ行くと挨拶に来た。小学校に入学したかしないか位の頃から、裏木戸をあけて、出入りする、人なつっこい子で、大学生の春郎を「大きいお兄ちゃん」、弟の富士夫を「小さいお兄ちゃん」と呼んだ。可憐な子で、それだけに、いじらしかった。長女の千枝子がお嫁にいき、富士夫を失った後の家の中の寂しさを、わずかだが、慰めてくれていたのかも知れない。〈髪撫でてうなじの日焼あはれなる〉〈服しろき面影のこれ鳳仙花〉戦後すぐの頃、日本橋の前の市で、茣蓙のむこうに坐っている少女を見つけて、思わず声をかけたが、少女は俯いたまま、返事をしなかった。それ以来消息を知らない。』

 これは、『秋櫻子俳句365日』(梅里書房刊) の今日、9月6日のページで、その句は〈柿あかき野に生ひ立てよまた会はむ〉でした。

 これ読んでいて、何となくこの少女の身に起こった環境の変化が、昨今の災害を受けた方々とダブって見えました。いつの時代でも〝生きる〟ということには辛いものがありますね。

 写真は、〝萱草の花〟で、晩夏の季語です。ユリ科の多年草。重弁のものが藪萱草、単弁が野萱草ですから、これは野萱草です。余りにも雨が降らなかったので、やっと咲きました。とすると、〝秋の萱草〟と詠まなくてはいけないのかしら?

  萱草が咲いてきれいな風が吹く   大峯あきら


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