今日は天気予報通りよく晴れていましたが、外に出ると寒い!最高気温が14度ですもの、仕方がありませんねえ~。でもこれだけ快晴で風も余りありませんからきっとだんだん暖かくなるでしょう。大丈夫!
いつも通り9時に集合して出発です。今回は欠席と現地集合の人がいるので、5人の車1台で出かけました。行く先は、近場で山陽小野田市。宇部からは30分弱で本山岬へ到着。現地集合の2人と合流して早速吟行開始です。
先ず本山岬公園にある「金毘羅宮」へ。ここの狛犬さんはナントお化粧をしていてビックリ!眼と赤い口がとても印象的でした。今まで何度も来ているのに…全く気が付きませんでした。もしかしたら最近出来たのかしら?もう一つ気が付かなかったことが…「蛇神様」が祀ってあったのです。昔からこの辺りには〝ハミ〟、蝮(まむし)のことですが、たくさんいたんですって。オオコワッ!よ~く拝んどかなくちゃあ…。右が蛇神様で、左は観音様なんですって。
この岬端の展望台からは対岸の九州が見えるのですが、木が生い茂ってちょっとしか見えませんでした。空気が澄んでいたら確かに関門橋が見えるはずなんですけどね~
次に、周防灘に突き出るように海に面している岬の海岸へ下りていくと、自然が作りだした奇岩〝くぐり岩〟があります。古墳時代にこの地域で盛んに作られたタコ壺が打上げられていることもあるそうですよ。満潮の時は無理なのですが、ちょうど潮も引いてくぐり岩まで行って岩を潜ることが出来ました。よく晴れていたのにやはり潮風は冷たくて、頬を刺すようでした。でも対岸の九州もよく見えていて、〝あれが関門橋?〟などと言いながら次へ向いました。
次に向ったのは、JR西日本の小野田線支線(通称・本山支線)の終着駅の「長門本山駅」。車止めに向かって左側に単式ホーム1面1線のホームを持つ海の見える駅で、来た列車がそのまま折り返すだけの構造となっています。かつてはここも炭坑で賑わった時があったのでしょうが、もちろん無人駅。自動券売機等の設備もなく列車も一日3本だけ。以前は駅舎があったのも取り壊され、今は待合室とホームのみとなっています。しかし、駅の向こうにははるか一面にキラキラと輝く周防灘が開け、風が吹けばそれに乗って潮の香りが…目の前の家には蜜柑が黄色に熟れていました。こんなひっそりとして長閑な駅は、きっと鉄道マニアにはたまらないのではと思ってしまいました。ちなみに電車が通るのは、朝の7時台に2本、夕方18時台1本の3本で、恐らく通学でしょうね。自転車が2,3台置いてありました。
次は桜の名所でもある「竜王山」へ行くんですが…。でも、もう遅くなりましたし、疲れていますのでつづきはまた明日にでも…。ではオヤスミナサイ!
詩吟があったな
声を出すことは良いな
腹の底から声を出すことは精神にも健康にも良いだろう
昔の運動部や応援団などは大声を出すことが日課だな
だから声が枯れてくる
もっとも、歌い手もそうかも知れない
声を出して声を出して、そのうちに分かることもあろうな
酒だけで無く、風景に景色に酔えることもあろうな
風土という言葉がある
風景と土着を一緒にしたものだな
その土地に住めば、その気候や住民に感化され顔まで変わって地元民と似てくることもある
>関東者…なんですか
関東と言っても広いな、大きく言えば関東だな
箱根駅伝も全国的かなと思ったが、関東学生連合なんだな
西方では馴染みが薄いだろうな
俳句とは
(文章)表現として、小説、随筆、あるいは絵画、写真と色々あるな
その中で人を対象としていないのは、俳句じゃないかな
いや、人の雰囲気はあるんだが、情景や風景が主だな
(和)歌などは、7.7と続くから人の感情や思惟が表れることはあるが、俳句は人が読むんだが、情景が主だな
情景の裏の思いは感じるが、やはり風景、情景を詠むんではないかな
だから、しきたりとして季語を入れる
季語にしても、少なくても5文字か
そうすると、後残りは12文字しかないな
そうすると、思想どころではないように思うな
「ちわき」とは雅号ではないようだ
小生などは、山田風太郎ではないが、風をもじって「風の盆」だな
もっとも八尾の風の盆も意識はしているが
あれは胡弓の音色と、メリハリのある男踊り、若い男の踊りだろうな
まあ、優雅な女踊りも良いとみる者もいるが
踊りは若者、胡弓や三味線や歌い手は年配者
世代が繋がってるな
まあ、長州の風景の題材だが
今じゃ長州は「桜を見る会」で報道を賑わしているが
まあ、公私混同と言われているが、官邸そのものが公私一緒なんだな
立法府と行政府が一緒の感があるな
俳句は〝一瞬を切り取る〟そして、その一瞬の中に真実を、不易を求める…しかし、その自然(人間も自然の一つに過ぎない)には必ず〝生と死〟がある。それを見つめるのは人間だし、その人間にはこころがある…だとすれば、景物を切り取ってそれを見つめる見方に、その人のこころが現れてくる。その心を感じ取ってこそ〝俳句〟になると…
ただ〝美しい〟だけじゃ、み~んな同じになってしまうでしょう。隠された作者の眼に気が付いた時その風景は独自のものとして輝くのですし、それに共感できたとき初めて鑑賞したということになりますかしら…
偉そうなこと(?)を言ってしまいました。ゴメンナサイ!
ちなみに短歌は「叙述」の文学、俳句は「描写」が命で述べてしまっては(説明しては)ダメなんです。私は〝言わずに語る〟余白の文学が俳句だと思っています。桑原武夫は第二芸術論を掲げて俳句を攻撃しましたが、外山滋比古は〝省略の文学〟とも…難しいことは???、
さて山口県は「周防」と「長門」に分れていて、ここ宇部はその境目のところなんです。だから長州というのは日本海側の長門の国。安部さんはそちらの出身ですので、選挙でもお目に掛かったことはないし、余り同県人だという親愛感は持っていません。フウ~ンという感じ。まあ、そもそも私は長州人でもありませんから…
昔よく歌っていたのに…
〝先生~先生と威張るな先生。先生~生徒のなれの果て〟というがあって、それをいろいろに替えて歌っていましたが、結局はそういうことかも…
まあ、人は、イヤ人だけでなく、〝死ぬために生きている〟のですからね。
ああ、そんなことより…俳句詠まなくちゃ!〆切が迫ってる。いつものことながら…