ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

食べ損なった〝牡丹餅〟や~い!

2018年03月22日 | 俳句

 お彼岸が過ぎたというのに今日も寒い一日でした。朝のうちは雨が残っていましたが、午後からは時々日が差してきたりして…明日からの天気の回復を実感させました。

 ああ~そうだ、昨日はお彼岸だったのに、買物に行かずにとうとう〝ぼた餅〟を食べ損ねました。残念!

 そうなんです、おはぎのことなんですが、本当は春のお彼岸に食べるのが〝ぼた餅〟で、秋のお彼岸には〝おはぎ〟というんです。皆さん知っていましたか?そもそもは同じものなんですがね。また、時期は関係なく粒あんを〝ぼた餅〟漉し餡を〝おはぎ〟と言っている人もいますが、本当はぼた餅は「牡丹餅」、おはぎは「萩の餅」からきたもので、小豆を牡丹の花や萩の花に見立てて言われたものでした。だから牡丹が春で(季語では牡丹は夏ですが…)萩が秋ということになるのです。また、秋には新小豆がとれるので、皮も柔らかくそれで「粒餡」を、春は古小豆の皮が固いので「漉し餡」を作っていたようですが、今ではどちらでも好きな方を食べるようになったのです。

  牡丹餅の昼夜を分つ彼岸哉   正岡子規

  病牀に日毎餅食ふ彼岸かな     〃

 子規が甘党で大食漢だったというのは有名な話。この二句ともお彼岸の〝牡丹餅〟を詠んでいますが、前句は明治29年、後句は34年です。特に子規は明治35年9月に亡くなったんですから、後句はその1年半前の句ですよ。牡丹餅を「日毎食ふ」なんて…スゴイですね。

 私の母は春でも秋でもいつも〝ぼた餅〟と言っていましたね。〝おはぎ〟という言い方は上品ですが、〝ぼた餅〟の方は何となくどんくさいでしょ!田舎の感じがして。でも畑を耕して逞しかった母の手にはそれがとてもよく似合いました。

 大きな母の作る〝ぼた餅〟!子供の頃からの一番のご馳走で、お彼岸が来るのがとても待ち遠しかったなあ~。前の日から小豆を煮て、餡をつくる…その匂い…我家は漉し餡でないと父が気に入らなかったので、いつもそうでした。今思えば大変な手間が掛かっていたんですが、そんな母の苦労など思いもせず、兄弟みんな喜んで食べていました。食べる人間が10人もいたんですから…あの餅搗きの時のもろぶたにいっぱい並べて、さらにその蓋にまで並べていましたから…想像できるでしょう、その大変さは。もちろん作るときは手伝っていましたよ。私は餡をべったり付けたのが嫌いで、いかに薄く、でもハゲにならないようにと…結構器用で上手だったんです。だからいつも手伝わされていました。ハイ!

 結婚してからは、お彼岸の頃帰郷すると私のために必ず作ってくれました。母の作ってくれる〝ぼた餅〟は本当に格別の味でした。あのしっとりした餡の具合といい、餅米のつき具合といい、なんともいえません。どこを探してもあのようなのには出会えないでしょうね。

 誰かからもう一度食べたいものは?と聞かれたらきっとあの母の〝ぼた餅〟と答えるでしょう。こんなこと書いてたら、ああ~ホントに食べたあい!お母さ~ん!

 写真は、母の〝牡丹餅〟に一番よく似ている写真をお借りしました。母のはもう少し大きかったかなあ~。


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