ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

今日は、さあ〝巌流島〟へLet'sGo!

2021年12月29日 | 俳句

 とうとう後2日で今年も幕を閉じ、新しい令和4年が始まりますね。一体どんな年になるのでしょう。コロナのオミクロン株が今後どうなるのかなど不安な材料がたくさんありますし、北京の冬季オリンピックなども…。しかし、さしあたっての私の不安は、1月29日東京での〝馬醉木創刊100周年記念大会〟が無事開かれるのかということ。だってもう飛行機やホテルなどは手配済なんですから…困ります。 

 さて一昨日の朝は起きてビックリ!確かに夜は-1度と…でもこんなに真っ白になるなんて思ってもいませんでした。初雪ではないんですが、積った記念に写真を…と思いつつ、余りの寒さでかなり溶けた10時過ぎのものですが。

 昨日は、ラジオ体操が今年の最後だというので行って、お土産を貰って帰りました。エッ、何を貰ったかって?ウッフッフ…お菓子ですよ。

 午後からは、今年最後の俳句教室がまだ残っていましたので、それが済んでから新年を迎える準備をしようと…、でも、またこうやってブログを書いています。主人に睨まれそう…(@^▽^@)

 実は今年中に書いておかなくてはいけないことが一つあるんです。それは先日19日の日曜日、福岡の友人が一緒にどこか吟行へというので、こちらの友人も誘って、下関の〝巌流島〟へ行ったことなんです。

 11時に下関の唐戸で合流し先に食事。友人の娘・Mちゃんは巌流島へは行かず海響館(水族館)を見学するとということに。それで私たち4人は関門汽船の一日乗り放題のフリーパスを買って、いざ〝巌流島〟へ…です。

 ここでちょっとお得な情報を…。この巌流島へ行くには下関側・門司港側からと二通りあって、どちらから行っても所要時間は10分、往復運賃900円です。ところが、下関~巌流島~門司港のトライアングルフリーパス(1日乗り放題)は1000円なんですよ。たったの100円の上乗せでどちらからでも何度でも行ったり来たり出来るんです。だからもし行かれる方はこれを買って朝早くから1日遊ばれるといいかもですよ。

 さて、その巌流島ですが、皆さまよくご存じのあの有名な、二刀流・宮本武蔵と剣豪・佐々木小次郎の決闘が行われた島です。それは1612年(慶長17年)、江戸時代初期のことですが、敗れた小次郎の流派の名が「巌流」といったそうで、その名前から巌流島と呼ばれるようになったと言われています。

 そもそもは、関門海峡に浮かぶ無人島で、正式名称は船の形に似ていることから「船島」、大きさは10万㎡です。もともとは1万7000㎡ぐらいで、明治以降に何度も埋め立てられて、今では6倍にもなったんだとか。嘗ては島の隣に岩礁があり、船の難所としても恐れられていた所なのです。

 昔から関門海峡は幅が狭く、1日に4回も潮流が変化するという難所でしたから、さらにここに岩礁があっては航行する船もきっと大変だったことでしょう。あの豊臣秀吉もこの岩礁で船が座礁したことがあったんだそうですよ。

 今はこの岩礁も爆破され、埋め立てられて島の一部になっているとか。また戦後は人が住んでいて、30世帯ほどあったらしいのですが、今はその痕跡はどこにも見当たりませんでした。

 意外と知られていないことが…私もここに来るまで知らなかったのですが、慶応3年(1867)、龍馬は下関伊藤助太夫家を借りて亀山社中(後の海援隊)の拠点を置き、お龍はここで妹・起美と日々を過ごすようになり、下関滞在中、龍馬とお龍はこの巌流島で花火を打ち上げたり、歌会に出席して楽しんだんだそうです。

 船着場の傍には「舟島神社」がありました。
 

 島の少し奥まった所に、「佐々木巌流之碑」がひっそりと佇んでいます。島の埋め立て完成を記念して明治43年に建立されたのだと。

 広々とした展望広場まで来ると、あの有名な武蔵と小次郎の決闘の像が建っています。なかなか格好いいでしょう。〝風雲急を告げる〟ような感じで……

 この武蔵像は2003年4月、小次郎像は2002年12月に建立されました。宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘を行ったという砂浜も再現され、武蔵が巌流島に渡る時、乗ったであろうと思われる小舟まで再現されていました。 

 船着場へ戻るとき「巌流島文学碑」があります。画家・古館充臣氏が書いた武蔵と小次郎の姿が描かれたイラストと、村上元三作「佐々木小次郎」の一説が刻まれた舟型の石碑です。

 上の碑は、2018年12月に山口県下関市で行われた「第31期竜王戦七番勝負第7局」の開催を記念して、羽生善治竜王と挑戦者・広瀬章人八段(いずれも当時)の手形をかたどった銘板です。3勝3敗で迎えた最終局を翌日に控えた12月19日に、二人が「決闘の聖地」として知られる同島を訪問したことを記念するもので、2019年3月に除幕し、「小次郎・武蔵像」の前に設置されていました。

この島に二人降り立ち闘ひしむかしの男恋ほしかるかな   

 この歌碑は、直木賞作家・古川薫氏の妻で、歌人・森重香代子さんの歌を薫氏が書いたもの。石碑の底に「古川と私の爪などを埋めました」と森重さん。

 この島には休憩所とトイレぐらいで、本当に何もありません。食べ物やお土産などを売っているお店も一つもありませんので、1時間も見学すれば十分かな。それにこの日は雪催いの風の強い日でしたので、早々に引き上げて門司港へ渡ることにしました。

 島には、まだ紫陽花が枯れずにこんなに…、また椿の白と肥後椿(?)が満開で綺麗でした。

 また、この島には何も邪魔するものがないので見晴らしが良くて、関門海峡と海門橋が真正面にすっきりと見渡せます。

 では、その続きは、…長くなりましたので、またにしますね。これで今年のブログは…いや続きを書いて終りになるかしら。 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする