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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

ある勝負師の生涯 将棋一代

2021-12-26 18:44:56 | 読んだ本

木村義雄 1990年 文春文庫版
前に先崎学九段の『摩訶不思議な棋士の脳』を読んだときに、
>将棋は木村義雄という人が初代の名人になった。私の尊敬する大棋士である。棋力も人格も素晴しく、「将棋一代」という本は今読んでも素晴しい名著である。復刊ドットコムあたりで復活してくれないかしら。(『摩訶不思議な棋士の脳』p.219)
という一節があって。
いや、前に古本屋の均一棚でたしか見かけたことがあったはずなんだけど、あまりに古い感じだし、特に木村十四世名人に興味あるわけでもなかったんで、見送ったんだけど。
そんなんいい本だったんなら買えばよかった、と後日のこのこ見に行ったんだけど、もう無かった、まあしかたがない。
で、この9月頃のある日、地元の古本屋であてもなく文庫棚を見てたら、これを見つけて、「まえがき」のところ開いてみたら、
>この本は昭和二十七年刊行の『将棋一代』(世界社)を底本とし、著作権継承者の了解を得て将棋界の専門家しか必要としない章などを一部カットさせていただいた。(p.4)
とあったので、そうか、これでよいのかとサクッと買った。
手元に置くとそれで一安心して読まないのはいつものことだが、最近やっと読んだ。
なかみは、明治38(1905)年生まれの木村名人が、小学生のころに将棋をおぼえて、まわりの大人に認められて、12歳で関根名人に入門するところから、昭和24年に塚田名人に勝って名人復位するところまでの一代記。
中学生のときには柳沢保恵伯爵のところで住み込みの書生をしてたなんて話は興味深いものあった。
それにしても、たとえば、
>ある日夕方家にいると、ぬっと戸の前に立った人がある。
>今でもたまには見かけるが、その頃の下町には、表戸を卸す家が多かった。王朝時代の蔀から転じたもので、関西地方では蔀張といったそうだが、縦溝のある柱へ、横にはめ込む二枚戸で、私の家もそれだった。(p.33)
みたいな戦前の東京、っていうか関東大震災前だから江戸が続いてんだ、その下町の雰囲気の描写が、なんともいい、江戸の風が吹いているってやつだ。
>縁台将棋では、とうとう相手がなくなったので、いよいよ将棋会所へ通うようになった。父の知っていた三笠町の椎名という会所だの、近所の八百屋に連れられて、割下水の会所だのへ行き、そこでも大人を負かすので、会所の方でも珍しがり、確か三銭だった会費を、大抵一二度払ったきりで、あとは会費に及ばぬから、いつでも遊びに来るようにという、特別待遇を受けたものだ。(p.20)
みたいな語り口もリズムよくて、なんか『坊つちやん』を彷彿させるようなもの感じた。
後半はものすごく難しい単語や言い回しも出てくることがあるんだけど、文章については報知新聞の嘱託になってから、いろいろ教わったり、見よう見真似であったり、いろいろ書籍を読むようになったりで、書き方をおぼえていったらしい。
肝心の将棋に関することについては、後半の名人戦を連覇しているときくらいから、いろいろと考えを示してくれている。
>直感には往々独善が伴ないやすいから、これをいましめて大成を期するには、いかなる天才も努力しなければならず、天才的でない努力型は、直感の点で劣るからたまたま迷路に陥ると、疑惑を生じて決断を欠くが、修行によってこれを克服し得る時は、往々天才のひらめきを見せるから、第三者から混同されることもめずらしくない。天才型と努力型と所詮は紙の裏おもてだが、先行する天分において、前者のまさることはいうまでもないから、その上に努力が加われば、鬼に金棒である。(p.226)
とか、
>研究ということになると、どこまでも理詰めに説き進んで、相手の納得するまでは止めないので、よく世間から『木村は一番の将棋を何番も負かす』と評判された。盤上で負けた上に感想談で負かされ、読みの話合いになると、それでもまた負かされるというので、一時「勝負の鬼」などと宣伝されたのも、そんなところから出たのだと思うが、よいか悪いかの問題でなく、いやしくも研究である以上、アヤフヤにはできない性分で、必ずしもかたくなのためだとは思わない。(p.256-257)
とか、
>棋道において技術の錬磨は、心境の進歩と併行するので、新生面の必要なことは、各界ともに同じだから、いやしくもこの道に志すものは、旧道に対する考えの外に、新しい戦術の発明があって然るべく、すくなくとも定跡の一つぐらい創造することは、専門棋士の責務だと思うにつけても、これを発表普及するには、信用ある土台がなくてはならぬ。土台に対する信用のバロメーターが、平素の心構えである。(p.259)
とか、
>技術のみで勝とうとすれば、容易でないにきまっているけれど、それだけが棋道のすべてではない。人と人との戦いである以上、全面的に反映するのは、人間そのものでなくてはなるまい。人としての全体が盛上る時、あらゆる力はその中に包含される。技術上の争いは末で、原動力はもっと高く、あるいは広く深いところから発する。つまり人間そのものであるべきだ。(p.283)
などというように、すごいことをおっしゃっている、単なるボードゲームぢゃなくて、「棋道」なんですね、将棋は。
今後も何度か読み返すような気がする一冊でした。
章立ては以下のとおり。
町将棋
新天地
初奉公
転換期
好敵手
通勤
流寓時代
曙光
新気運
再転期
大成会
新修行
闘病
未断惑
新構想
再試練


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