many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

おやつストーリー

2018-10-14 17:11:31 | 読んだ本
オカシ屋ケン太こと泉麻人 1995年 講談社文庫版
ことし8月に古本屋で見かけて、思わず買ってみた文庫、表紙の画が妙に魅かれるものあると思ったら、安西水丸画伯でした。
著者が泉麻人ってのもいい、こういうことに詳しそうだから。
なんつっても、“街に詳しいひと”として名を馳せたし、私なんかは「私だけが知っている」にはハマるものがあったんで。
オカシ屋ケン太ってのは、当時のコラムにはこの名前で書いてたそうで、同時に別のコラムではミナモト教授って名前を使ってたとか。
で、連載されてたのは「オリーブ」の1982年から1991年までってことだが、さすがにオリーブは読まなかったな、私は。
>セーターを着るとキャラメルがおいしくなる。11月にしては少し寒い北風が吹く銀座の街角などで食べると、なおさらおいしい。そういうことをする日は、ふだんGジャンをはおって髪をスポーツ刈りみたいにしてる女の人も、グレイのフラノ地スカートに紺のカシミアセーターというアイテムをやった方がいい。(p.38「フラノの季節にフルヤのキャラメル。」)
なんて文体はオリーブ向けのものなんだろうか。コラムごとのおしまいには、
>〈フルヤのミルクキャラメルBGM〉
>◆チャリオッツ・オブ・ファイアー/ヴァンゲリス
>◆ジャスト・ワンス・イン・マイ・ライフ/ライチャス・ブラザース
>◆ブルー・ベルベット/ボビー・ヴィントン
なんて具合にそのお菓子食べるとき向けのBGMが並んでたりするんだけど、こういうのもやっぱり80年代オリーブ的なものなんだろうか。
ま、たしかに、お菓子食べるのに音楽かけてることはあったとしても、ひっきりなしにインスタにアップとかってことはしてなかったから、あのころは。
当時のお菓子事情については、
>現在、お菓子には大きく二つの流れがある。一つは『古都の四季』『雪見だいふく』『カレーキャラメル』に見られる、異種フレーバーとの合体、もう一つが『おっとっと』『ぼくらの珍札券』などの、変形菓子の流行である。(p.74「ままごと現象の行方。」)
ということになってたようで、特に雪見だいふくのインパクトはすごかったらしく、その後いろんな取り合わせが生じてくきっかけになったっぽい。
ウケ狙いの変形菓子については、
>日本人は見ての通り、年々幼児化しているわけで、このようにままごと化したお菓子は、今後さらに増えていくことだろう。(同)
と結論づけられている。
新しい味のものに関しては、著者はロッテをいたるところで推していて、
>とにかく、グレープフルーツのガムを作ったのも、ブルーベリーのキャンディーを作ったのもロッテが最初である。キウイはコケたけど、ロッテの初もの開拓精神には拍手を送りたい。(p.149「よろしく、ペピーノ。」)
なんて支持している。
とはいえ、なんせ「私だけが知っている」で博識を披露する著者のこと、目新しいものに飛びつくだけってことはない。
むしろ、むかしっからあるお菓子とかをあらためて紹介するときなんかのほうが、やっぱ冴えてるというか説得力のようなものがあるように感じる。
でも、
>レトロっぽい商品は、お菓子に限らず好きなのだが、ハナっからウチはレトロしてますよ、って感じのモノは何となく近寄りがたい。作り手の勘違い、無意識で、たまたま古臭いムードになっている商品を発掘したりするのは愉しいのだが、堂々と開きなおってナツカシ路線で攻めてこられると、どうも面白くない。それがファン心理というか、この道のおたく心理というものである。(p.362「カレー粉の景色。」)
なんていうのがもっともで、狙った企画ぢゃなくて、自分で発見するとこに価値をおいてるのが、断然賛成できるところで、わかってらっしゃるひとである。
同じようなことを、
>「駄菓子屋」というと、条件反射的に「下町」を思い浮かべる。千住や荒川あたりのひなびた駄菓子屋さんで、ラムネの立ち飲みなどして江戸風情を愉しむ―― ま、それは確かに一つのスタイルではあるが、僕は、どうももう一つ、そういった“はまり過ぎた駄菓子屋アソビ”ってのが好きになれない。(略)
>よって僕は、古物商も駄菓子屋も、ちょっとハズレた地域でマニアに媚びることもなく、細々と地味に営んでいるようなタイプが好みである。(p.236「桜台のシャンペンサイダー餅。」)
なんていうふうにも言っている、これでなくては街に詳しいひとにはなれない、さすがだ。
この章では、西武池袋線桜台駅北口の商店街で、店頭に南京豆やヌレ甘納豆のガラス箱を並べた渋い菓子屋を訪れてるが、別の回では、
>日暮里駅から西方向に歩き、台東区谷中と荒川区西日暮里の間を走る道路沿いに「谷中銀座」という下町情緒のある商店街がある。この商店街の入口付近に「後藤の飴」という、自家製の飴やクッキーを古くから販売している店がある。(p.184-185「谷中の薄荷飴。」)
なんて、これまた渋いところを紹介している。
いいなー、こんなこと書いても、紙媒体のメディアで知っているひとだけが知り得る話、あっという間に拡散して次の日には行列で大騒ぎ、なんてことはなかったに違いない、そういう時代のほうがやっぱよかった。
ところで、お菓子をとりあげるコラムなのに、1984年ころに、やおら“ゴハン部門”をつくって、フリカケとか『江戸むらさき』なんかについてもマニアックな評論してたりする。
そんななかで、
>しかし、食べ物には、下品に食べたほうが美味しいものがある。(略)温かいゴハンにサーディンを3尾ほどのせて、たまっている油と醤油を少々たらしてグチャグチャにかき混ぜて食すのも、なかなかいける。汚れながら食い潰す――これがオイルサーディン食法のコツである。(p.121「ときには油まみれ。」)
なんて恥ずかしげかもしれんが、うまくて何が悪い、みたいな堂々とした論調がおもしろくて、なんだか久住昌之の『食い意地クン』を思い出した。
似たようなのは、
>ヤキソバパンの良し悪しは食べ方によって決まる――という説もあるくらいだ。
>基本は「ヤキソバの分散」にある。いくらヤキソバの状態が良くても、力の配分を誤って、後半部にパンだけを残してしまった場合、「まずいものを食べた」という嫌な思い出のみが残る。(p.174「黄昏のヤキソバパン。」)
なんてのにもみられて、それってけっこうダンドリくんだなと思う。
こういう小学校の放課後に腹が減って買い食いしてみたいなネタを出してくるが、いいところの子どもだったはずで、そのへんはビンボー遊戯なんである。
その前の章でも、『お子様せんべい』をとりあげては、
>(略)このせんべいの味は、まさに、哀しいくらいに「薄味」なのである。(略)
>(略)貧しいほどにサッパリした味覚が、逆に“新しい”ものに感じる。「おいしいものを食べ過ぎて、飽きてしまって、素朴なものに走る」そんなニュービンボー時代にピッタリのシブいお菓子だと思う。(p.171「貧しいほどライトな……。」)
とかって遊び心のビンボーっぽいの楽しんでる。
どうでもいいけど、登場するなかで気になったお菓子のひとつが、ジャーマンベーカリーの『ネコのシタ』ってチョコ。
ドイツの“KATZEN TUNGEN”由来の猫の舌の形のチョコで、横浜の弁天通りに1号店が大正12年に開店したときから売ってきたっていうんだけど、知らなかった、その形のチョコってデメルのもんだとばっかり思ってた。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 55歳からのハローライフ | トップ | ひとり大コラム »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

読んだ本」カテゴリの最新記事