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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

ガセネッタ&シモネッタ

2021-02-06 19:07:24 | 読んだ本

米原万里 2003年 文春文庫版
丸谷才一が文庫版解説として書いた「わたしは彼女を狙つてゐた」を別の随筆集で読んで、米原万里さんを読んでみたくなった。
いきなり件の書評集を読むというのもなんだから、なにかエッセイのようなものを先にと思い、時系列がよくわからないから、とりあえず同じ文春文庫で発行がいちばん前みたいなんで本書を選んでみた、先月買った中古の文庫。
タイトルの「&」は「と」と読むんだそうで、「ガセネッタ・ダジャーレ」がダジャレ得意なスペイン語通訳の大御所に与えた芸名、「シモネッタ・ドッジ」が下ネタの傑作を連発するイタリア語通訳の大横綱に献上した屋号なんだという。
著者はロシア語通訳で、通訳業界のおもしろい話を世間にも教えようとエッセイを書いたということらしい。
ちなみにダジャレは訳すのが困難なので天敵のはずなんだけど、通訳者たちはダジャレを好むひとが多いという。
>「国際会議でインド人を黙らせ、日本人に語らせることができたら、議長として大成功」という真理は、インド人のところをそのままロシア人に差し換えても真理だ。(p.63「寡黙と雄弁の狭間で」)
っていうのは、10分の予定でゴルバチョフの演説の同時通訳を引き受けたら、延々3時間20分しゃべられたので困ったっていう話、おもしろい。
通訳業の特徴については、
>自由業のはしくれ。基本的に自分自身の技能だけに頼って生きるしかない一匹狼。(略)わたしの周囲の通訳仲間を見回しても、普通の会社で一カ月以上やっていけるとは到底信じられないタイプばかり。(p.93「理想は透明人間」)
なんて言ってる、私は以前仕事で数人の方とご一緒したことあるが、そうかなあ、よくおぼえていない。
さらには、
>(略)同じ通訳といっても、ロシア語と英語の通訳は同じ職種に属するのだろうか、と思うことがよくある。こちらは旧石器時代後期、あちらはもう二一世紀初頭あたりなのでは。(p.155「田作の歯ぎしり」)(※註:初出は1998年の文章)
と言っている、どういうことかというと、英語は専門用語集が既に用意されてたりするが、ロシア語のものはまずないし、辞書をひいても専門用語の解説なんてないから難儀するんだと。
だから、医学界の通訳の仕事なら医学用語勉強するし、自動車製品の通訳の仕事なら図面みて部品おぼえたりする。
それでいろんな本読んで勉強したりするのがあたりまえになるのか、それを苦とは思わないで、言葉を機械的に訳すだけぢゃなくて内容の根本を伝えることができる自分に誇りもつことになる。
専門用語だけぢゃなくて、言葉全般について、
>辞書の例文というのは、六法全書の判例みたいなものですよね。(略)
>つまり、実際にこういう意味だと、誰も決める権利はないんですね、言葉の意味というのは。こういう使われ方をしているからこういう意味だ、というしかない。(略)
>誰か偉い人がいて、こういう意味だと言っても、そうならないんです。(略)間違った意味でも、みんなが使っていれば、それが通用するようになるんですよね。(p.140「対談・翻訳と通訳と辞書」)
みたいにとらえてるのは卓見だと思う、辞書は編者の考える意味の解説ぢゃなくて、用例をたくさん集めればよいと。
本については、小学生のとき5年間チェコスロバキアで生活し、中学生になって日本に戻ってきて漢字おぼえるの大変という経験をしたが、アルファベットだけの言語より、漢字ある日本語のほうが速く読めることを確信し、
>子供の頃から文字習得に費やした時間とエネルギーが、こんな形で報われているとは。世の中の帳尻って、不思議と合うようになっているんですね。
>いや、これからは収支を黒字に転ずるために、どんどん読まなくては損てことだろう、と意地汚く本を貪る今日この頃である。(p.178「漢字かな混じり文は日本の宝」)
などと書いているものがあり、やっぱ書評も読んでみたくなった。
どうでもいいけど、ロシア文学を例にあげ、醜男でモテなかったトルストイとドストエフスキーは大長編が多いが、美男で女にモテたツルゲーネフとチェーホフは短編・中編が得意だったことから、
>作品の長さと作家のモテ度は反比例する。そういえば、誰かが、
>「作品の長さは、作家が女を口説き落とすまでにかかる時間に比例する」
>とか言っていたような。(p.235「モテる作家は短い!」)
って理論が紹介されてるんだが、それは初めて聞いた。
論文の書き方については、著者が通訳術の師匠とあおぐ徳永晴美氏の言葉が注目させられた。
>そうねえ、池を造るようなものなのよ。池の向こう岸を論文のたどり着く最終結論としてだねえ、池のこちら側から対岸にいたる道筋に沿って池の中に飛び石を置いていく。真っ直ぐで等距離なんてつまらないから、遊びを取り入れることを忘れちゃいけないよ。蛇行させたり行きつ戻りつさせたり、間隔もさまざまにしてね。この飛び石が、いわば他人の論文の引用や、具体例。(略)(p.43「フンドシチラリ」)
というものだが、飛び石の配置だけではなくて、そこをスカートはいてパンツはかずにヒョイヒョイわたってくのが、読者を引っ張るこつなんだという、名言だ、誰もができるものではないだろうけど。
コンテンツは以下のとおり。
ガセネッタ・ダジャーレとシモネッタ・ドッジ
三つのお願い
出会い頭の挨拶にはご用心
シリーズ化という病
偶然か必然か当然か
なぜ、よりによって外出時に
フンドシチラリ
開け、胡麻!
京のぶぶづけとイタリア男
メゾフォルテが一番簡単
覚悟できてますか?
寡黙と雄弁の狭間で
フィクションが許されるのは作家だけか?
性格は関係ない
誤訳と嘘、プロセスは同じ
誤訳のバレ具合
身内ほど厄介なものはない
中庸と中途半端のあいだ
比喩の力
棚から牡丹餅、脛に傷
目くそ鼻くそ
ピアニッシモの威力
理想は透明人間
花と通訳にはお水を!
深謀遠慮か浅知恵か
墓場まで持っていけるかな
女人禁制の領域にも
戦場か喜劇の舞台か
同時通訳の故郷は?
英文学者・柳瀬尚紀さんとの対談 翻訳と通訳と辞書 あるいは言葉に対する愛情について
田作の歯ぎしり
「地理的概念」にご用心
反日感情解消法
届かない言葉
懺悔せずにはいられない
うつつと夢を行き来する旅
漢字かな混じり文は日本の宝
省略癖
単数か複数か、それが問題だ
浮気のすすめ
鎖国癖
一コマ漫画にはかなわない
腰肩行く末
空恐ロシヤ!
全ロシア愛猫家協会
スタニスラフスキー・システムに立脚して演技する猫たち
腐ってもボリショイか
極上の聴衆
命の恩人は寡黙だった
蘆花がトルストイに逢った場所
モテる作家は短い!
劇作家・永井愛さんとの対談 変わる日本語、変わるか日本
禁句なんて怖くないけれど
取り越し苦労
蚤を殺すのに猫まで殺す愚
美しい言葉
自前のフィルム・ライブラリー
ダルタニヤンとミレディーの濡れ場にゾクゾク
芋蔓式読書
絶滅寸前恐竜の心境
ピオニール・キャンプの収穫
懐かしい恩師に褒めてもらったような……
チボー少年と人魚姫
楽天家になろう


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