many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

村上龍全エッセイ1976-1981

2015-07-23 20:43:17 | 読んだ本
村上龍 1991年 講談社文庫版
村上龍のつづき。
(もう気持ち悪い本は探したくなくなった、いいかげん。)
タイトルそのまんまの本、雑誌連載とか、新聞の単発のコラムとか、自書のあとがきとかひとの本の解説とかいろいろ。
帯に『限りなく透明に近いブルー』から、『コインロッカー・ベイビーズ』まで、ってあるとおり、その時代のものなんだけど。
“ブルー”の受賞が1976年、“コインロッカー”の刊行が1980年、でも前回の短編の『ニューヨーク・シティ・マラソン』の発表が1977年なんで、このなかには“マラソン”に関するものも入ってたりする(単行本は1986年)。
「ニューヨーク日記」って、1976年10月の2週間ほどの旅行記がそれで、
>汚いファーストアベニューを黙々と走る人たちを不思議に思った
ところから、「これは小説に使えると思」ったという。
>娼婦と一見してわかる黒人や、化粧して走るゲイがいた。
って、そこで小説のタイトルを決めたというエピソード。
なんせ活動的なひとだから、ほかにもいろんなところへ行ってる。
リオデジャネイロにカーニバル見に行ったり、トラック島(どこ?)にダイビングに行ったり、防衛大学に取材に行ったり、そうかと思えば29歳にして中型のバイクの免許をとりに行ったり。
人に会いに行ったなかでおもしろいのは、当時バリバリの現役だった横綱北の湖。
彼から受けた印象について、
>なぜ北の湖がさわやかであるかといえば、そんなことは当り前だ。自分の持てる力を開拓して、世に自分を正統なやり方で認めさせる、誰の力も借りずに才能と体力で地位を得る、そこには根性がよじれる要素が皆無なのである。性格が屈折する原因がないのだ。
と解説してる。ときどきこういうドキッとさせられることを書いてくれるから、村上龍のエッセイはおもしろい。
>「脳に対する心臓の優位性」というテーマを全面展開したのが、「コインロッカー・ベイビーズ」であるが、私はもともと「意識」とか「心理」が嫌いだ。精神分析も好きではない。
>近代の作家が描いてきた「苦悩」は、薬物の操作で作り出すことも消すこともできる。「まず苦悩がある」式の小説は、時代遅れなどというのではなく、本質的に下らないのだ。
というのも、気に入った一節(「はじめにビートあり」)。完全に同意するかどうかは別として。
(しかし、この人は、自作を解説しすぎるような気がするんだよね。こう書いたんだから、こう読め、とか言わなくてもいいんぢゃないかと。)
しかし、それにしても、大麻、LSD、ヘロインとかをやったときに、どんなものが見えるかなんて話を堂々と書いてるのは、時代だなあという気がする。今だと、そういうの許されないよねえ。
(作者がよくても、出版社が削ると思う。放送禁止といっしょで自粛の論理。)
>(略)ヘロインで一度家具化の経験を済ませると、LSDをやって狂乱状態になった時、猛烈にヘロインが欲しくなる。(略)
とか(「白昼の影」)コラコラって感じでしょ。ただ、そのあとに、
>(略)私は過去、薬物による錯乱から、たった一つのことを学んだ。逃げることはできない、ということである。(略)
だなんて書いてあったりすると、それなりにカッコいいような気もする。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ニューヨーク・シティ・マラソン | トップ | 猛暑日の芦毛くん、とっても素直 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

読んだ本」カテゴリの最新記事