70年前1945年8月9日午前11時02分浦上上空で原子爆弾が炸裂しました。
8月6日広島に落とされた原子爆弾の1・5倍の威力があった。
広島に落とされた原子爆弾はウラン型原子爆弾でTNT火薬1万5千トンに相当するものです。
是に対して長崎に落とされた原子爆弾はプラトニューム型原子爆弾で毒性が強いものでした。
殆ど川に囲まれた広島市内の落とされた原子爆弾瞬く間に焼き尽くし市民35万人の半分
以上を死に追いやった。
それに較べて丘が多く坂の長崎の中心地より外れた浦上地区に原子爆弾は落とされた。
それでも24万人の市民の内7万人が即死しその倍以上が長い期間苦しみながら亡くなり
ました。
建物の36%は全焼または倒潰した。
長崎の場合は毒性が強く体内に長く止まりジワジワと身体を蝕んで行きました。
一瞬にして両都市の30万人近くの市民を焼き殺しと言う事実は隠せません。
これからみても中国が南京事件で市民60万人を虐殺したと言って居ることが如何に虚偽
な事かが判りますね。
戦争を始めたのは日本だから日本人がこの位惨い事をされても当たり前と言う論も
あります。
又戦争を早く終わらせるため原子爆弾投下はヤムを得なかったと言う説が信じ込まれて
います。
日本が早くボッダム宣言を受理しなかったからと言う論もあります。
しかし米国は終戦間近で開発された原子爆弾の実験を急いで居たと云う節もある。
米国は何処の都市でも良かった。
不幸にも選ばれたのが広島と長崎だったと言う事です。
日本人をモルモットにした原子爆弾投下実験を行ったと言うのが真実ではなかろうか?
そのため二つの違った原子爆弾を落とし戦後いち早く爆心地にABCCと言う原子爆弾
被害状況を集める機関を作りデーター集めをしました。
当時原子爆弾に対する予備知識もなく治療もありませんでした。
せいぜいケロイド状のヤケドの手当くらいだったらしい。
そのため多くの人が苦しみ亡くなっていきました。
70年も経つと被爆者も少なくなって原爆も風化され人の記憶から消えて来ています。
ましてや現在平成生まれの人達に代変わりして昭和生まれは少なくなって来ています。
ノウモア広島・ノウモア長崎・ノウモア戦争、ノウモア原爆の声を絶えさない事が大事。
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の挨拶で安倍首相は「持たず・作らず・持ち込ませず」
と言う非核三原則に言及する事を表明しています。
だが長崎市長が読む平和宣言の中には非核三原則のカケラもないそうです。
草稿を作る起草委員会では非核三原則は法制化を求める事は変わらないが宣言に取り
挙げる話に今年は何故かならなかったとの事です。