ゲームホリック

ゲーム大好きぃ!!でゲーム脳なのであること無いこと書き散らします。

マリオは右に進んだ。

2006年08月24日 | ゲーム


 何故マリオは進むのか。昔からしばしば疑問に思っていた。深くは考えなかったけど。確かに彼にはさらわれた姫を助け出すという重要なミッションが与えられてはいるが、それが即座に進んでゆくものなのだろうか。ゲームをユーザーに能動的に駆動させるにはあまりにその動因は弱くないだろうか。
 ましてやその救出の道程に主人公が主体的に進んでゆくような合理性が無い。何を言いたいかと言うと、ステージ構成に現実的な構造がないということであって、一旦そのステージを現実的な目線に降りて見つめてみると非常に奇異な印象を抱くはずだ。
 山を越える。まあそれは良しと出来る。しかし不自然な土管の配置や宙に浮いたブロックなど上げれば切が無いほどに現実的な視点からすれば大変に不自然なもののオンパレードだ。
 

 『スーパーマリオ』は宮本さんが公言しているようにアスレチックなわけだから、面白けりゃいいので、問題ないといえば問題ない。でもファミコンのときはそれでも良かった。グラフィックが抽象的なものであったから、それでも問題が無かった。言葉は悪いが所詮は2Dのドット絵の世界でしかないわけだから。
 だが現在は違う。現在の主流はポリゴンによる3Dがテレビゲームの世界を形作っている。しかしグラフィックは3Dと成り、そのリアティーを増したのに比べて、ゲームの本質は未だに”ゲーム”でしかない。

 もちろんゲーム的な嘘を否定する気はさらさら無い。しかしゲーム的な嘘が必ずしも意図的に用いられているのか、そこに私は疑問を抱く。ただ単にゲーム的な嘘を用いているだけではないのか。ゲーム的な嘘が肯定されるにはその嘘が嘘である故のリアリティーの欠如などのデメリットをリカバー出来るだけのメリット、例えば、と言うかこれが一番のメリットであろうが、ゲームが面白くなるということである。
 
 『バイオハザード』シリーズや『鬼武者』シリーズ、『デビルメイクライ』シリーズ(あっ、全部カプコンじゃん)の謎解きの不合理感の強いこと、強いこと。謎解きなのにそのほとんどがストーリー的な謎解きの意味を持っておらず、ただプレイヤーに時間を費やさせるためだけに、「物語る」ゲームとしての体裁を保つためにのみ存在している。はっきり言って苦痛だ。
 これはカプコンの大ヒットシリーズに限られない。独特の演出やプロット、台詞回しで人気のGHMの須田剛一氏による『シルバー事件』や『キラー7』にしても、同様の蛇足感を抱く。ただこれらの一連の作品ではある種謎解き自体を意識的にマンネリにさせようとしている節が見受けられるために一概に否定的な見方は出来ない。だけど謎解きの意味の無さが苦痛であることに変わりは無いが。


 アクションゲームのステージ構成に限らず、ゲーム的な嘘の上にあぐらを掻いたようなゲームが多すぎる。ただ単に、ゲームであるからと言う、消極的な理由で不自然なゲームデザインが施されているものが実に多い。多すぎる。所詮ゲームとあきらめるべきなのか?