正確には鎌倉鶴岡八幡宮。
源頼朝は京都になぞらえて鎌倉の都を作ったと言われてきたが、
今年92歳になられた作家永井路子さんが「厳島を意識したのだと思う」と新年のタウン誌に書いていた。
厳島は平清盛の采配で軍事、貿易の拠点だった。
厳島に上がってきた産物を売買して平家の富は蓄えられた。昔は、由比ガ浜の一の鳥居まで海が迫っていたと聞いたことが。
なるほど、潮が満ちてくると、ちょうど厳島神社の鳥居がそうであるように、鳥居の足元まで波が迫ってくる。
鎌倉の道路整備や村里に号を授けたり、鎌倉の街づくりに力を入れた頼朝の青写真の中に、
波につかる朱の鳥居の周りを、たくさんの荷を積んだ船の往来が想像できる。
日本の歴史に新しい時代を画した「鎌倉幕府」
頼朝の功績を一度ゆっくり探ってみたいと思った。
永井路子さんの著書を探そう。