どんなとこか、全くわかっていなかった。
そういうことが、よくわかった。
二度目のインドネシアへ。
ゼミを終えてすぐに那覇空港へかけつけ、羽田へ。羽田でノリトと落ち合う。この日の夜中の便で、クアラルンプールへ飛び、さらに乗り換えてジャワ島のスラバヤへ。
この日は、ノリトの仕事の関係もあって、スラバヤ泊まり。翌朝、3時半に起きて空港へ。早朝便に乗って、ボルネオ島・カリマンタンの都市、ポンティアナックへ。
そこでさらに飛行機を乗り換えると、奥地のプトゥシバウにたどり着く。写真は、その途中、湖地帯を飛んでいるときに写したもの。
プトゥシバウで、できたばかりのホテルが有るよと案内されたら、断水中・・・ということで、こりゃ泊まれんということになる。急遽、ノリトの友人の民家に転がり込む。
しかし、プトゥシバウもすでに町だ。「森」を見るには、さらにバイクや車、ときには船で数時間・・・移動する必要がある。
そうしたひとつの森は、興奮しっぱなしになるほど、おもしろかった(ついでに丸木橋から落ちて川にはまった)。ただ、その森もすぐわきに道路がまさに建設中。後数年したら、畑になっているんじゃないかとノリトは言う。
ボルネオという場所を、いつ知ったか、定かでは無い。
小学生のころ、アマゾンという場所に強くあこがれた。
やがて、ボルネオという島にも、負けずと豊かな森があると何かで読む。
はじめてボルネオに行ったのは29歳の頃だ。
ツアー客の一人として、マレーシア領のクチンに降り立った。
はじめて見たボルネオは、広大な平地がすでに開発されつくしているという、それまで勝手に抱いていたイメージと全く異なる存在だった。
以後、キナバルを初め、いくつかの国立公園を歩く機会があり、それなりの自然の姿を見る機会はあった。が、ただの森で、なお、すごい森にいきあったことがなかった。
そうした森の片鱗に、はじめてふれる。
そういうことが、よくわかった。
二度目のインドネシアへ。
ゼミを終えてすぐに那覇空港へかけつけ、羽田へ。羽田でノリトと落ち合う。この日の夜中の便で、クアラルンプールへ飛び、さらに乗り換えてジャワ島のスラバヤへ。
この日は、ノリトの仕事の関係もあって、スラバヤ泊まり。翌朝、3時半に起きて空港へ。早朝便に乗って、ボルネオ島・カリマンタンの都市、ポンティアナックへ。
そこでさらに飛行機を乗り換えると、奥地のプトゥシバウにたどり着く。写真は、その途中、湖地帯を飛んでいるときに写したもの。
プトゥシバウで、できたばかりのホテルが有るよと案内されたら、断水中・・・ということで、こりゃ泊まれんということになる。急遽、ノリトの友人の民家に転がり込む。
しかし、プトゥシバウもすでに町だ。「森」を見るには、さらにバイクや車、ときには船で数時間・・・移動する必要がある。
そうしたひとつの森は、興奮しっぱなしになるほど、おもしろかった(ついでに丸木橋から落ちて川にはまった)。ただ、その森もすぐわきに道路がまさに建設中。後数年したら、畑になっているんじゃないかとノリトは言う。
ボルネオという場所を、いつ知ったか、定かでは無い。
小学生のころ、アマゾンという場所に強くあこがれた。
やがて、ボルネオという島にも、負けずと豊かな森があると何かで読む。
はじめてボルネオに行ったのは29歳の頃だ。
ツアー客の一人として、マレーシア領のクチンに降り立った。
はじめて見たボルネオは、広大な平地がすでに開発されつくしているという、それまで勝手に抱いていたイメージと全く異なる存在だった。
以後、キナバルを初め、いくつかの国立公園を歩く機会があり、それなりの自然の姿を見る機会はあった。が、ただの森で、なお、すごい森にいきあったことがなかった。
そうした森の片鱗に、はじめてふれる。