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☆映画の旅の途中☆

色んな映画をどんどん観る旅

『吉田喜重が語る小津安二郎の映画世界』(1993)

2015年05月05日 | 邦画(1990年以降)
『吉田喜重が語る小津安二郎の映画世界』(1993)

【作品概要】
吉田喜重監督が小津安二郎の映画の魅力を語る作品。1993年12月にNHK教育テレビで4夜連続で放映された映像を収録。

【感想レビュー】
すごい夢中になって観ました!
吉田喜重さんが小津作品について分析していて、作品の様々な場面を例に出して語るというスタイル。
実に哲学的なので、一瞬も気が抜けないのですが…
そこはDVDなので、何度も何度も見返したりして…

小津映画の観賞の旅も、レンタル出来るものはしたし、あとはネット配信やらになってしまい、どうも手続きがなぁ…ものぐさな私にはなぁ…などと思って、主な小津作品の初見はしたので、そろそろ吉田喜重さんの分析を知って、また観たら面白いかと思いこちらをレンタルしました。

よく云われる反復、モノローグのような会話、相似、色んな謎が実に解りやすく、面白くて、感激しながら観ました


なぜ小津作品に惹かれるのか、その理由の一端に触れた気がします。


【メモ・吉田喜重氏の言葉から】
…事物の側から人間を眺める事であった。

小津さんはサイレント映画に拘った。
映像が捉えるこの現実、この世界は
何の脈絡もない断片に過ぎないと考える小津さんには、トーキーによる筋道だったドラマはまやかしに思えたのである。

小津さんは、映画を創りながらその映画をまやかしとして嫌った人であった。それにしても小津さんは、なぜこの現実、この世界を、なんの脈絡もない、無秩序なものと考えたのであろうか?
おそらくカメラが捉える映像には、なんの筋道もなくストーリーがないことを知ったからであった。
それがいつしか、ありのままの現実、我々を包み込むこの世界もまた無秩序な存在でしかないことに気付いたのであった。小津的作品とは、こうした世界の無秩序さに耐えようとして自らの映画の中に何がしかの秩序を作り出そうとする試みであった。

おそらく小津さんは、家族が家族として意識されない状態が正常であると考えた。
父が父であり、夫が夫であり、子が子であるうちは家庭は平穏無事であり、描く対象とはなり得なかった。
従って、家族とは何であるかを意識し、それを描くことは、とりもなおさず、家族の崩壊を描く事であった。こうした表現の矛盾は、小津さんにとって、映画を作る事の矛盾と深く重なり合っていた。この現実、この世界を映像に捉えたばかりに、そのあるがままの姿を乱してしまう。家族もまた、描く為に崩壊する。それが、小津さんが好んで家族、あるいは家族の崩壊をテーマにした理由であった。


風の中の雌鶏


『晩春』⇒『秋刀魚の味』
軍艦マーチのシーンについて
それにしても軍艦マーチに合わせて敬礼し合う場面を我々はどのように理解すれば良いのだろうか。
戦争へのノスタルジーとは思えない。
むしろ、戯れに敬礼し合えるほど、あの時代が、はるか遠い過去の出来事となっている。
戦争が現実であった時には、人々はそれが何であったのかを知らず、戯れに語る事も出来なかった。このように人間とは、今生きている現実、この現在をついに知り得ない。
そして、過去は思い返す事はできても、それを我々は二度と生きる事は出来ない。このようにして、過去、現在から断ち切られ、ましてや未来を見通す事も出来ずに、それでも生きていけるのが人間であった。

俗なる場面の後には、必ず聖なる場面を小津さんは用意する。

反復しながらズラし、省略していく。
それが、小津さん自身が望む人生の過ごし方であった。
反復しながら気付かぬうちにズレを起こし、やがて穏やかな死に至る。

墓石の『無』は無常の『無』
同時に『無秩序』の『無』

小津さんが亡くなる前、病院で私に語った言葉が思い出される。
『映画はドラマ。アクシデントではない。』
映画のドラマをまやかしとして考え、淡々とした出来事をアクシデントのように作品を創り続けたと思われる小津さんが、何故、そのように語ったのだろう。
おそらく、ドラマは映画の中にあったのではなかった。小津さんと映画の間にドラマがあった。カメラが映し出す映像を通して知ったこの世界、あるいは人間のその無秩序さに耐えようとして、小津さんは映画を創り続けた。
そのことが、小津さんのドラマであり、映画の喜びであった。
今の私にはそのように思われる。


『少年時代』(1990)

2015年04月27日 | 邦画(1990年以降)
『少年時代』(1990)

監督 篠田正浩
脚本 山田太一
製作 藤子不二雄Ⓐ
出演: 藤田哲也, 岩下志麻, 仙道敦子

【作品概要】
作家柏原兵三の小説『長い道』を、藤子不二雄Ⓐが漫画化した作品。
太平洋戦争末期、主人公の風間進一は東京から富山へ疎開する。そこで進一はタケシという少年と親友になるが、級長であり同級生の少年達の中の権力者であるタケシは、何故か学校内では進一を冷たくあしらう。やがてタケシと級友達との権力争いが始まり、進一は否応なくその争いに巻き込まれて行く。

【感想レビュー】
素晴らしかった~

子ども達の自然な表情が良かったです
子ども達の、実はシビアな世界の描かれ方にハラハラドキドキしながら観ました。時代は違うし、男女の違いはあれど、きっと誰しもが懐かしく思い出すと思う。
狭くて小さいけれど、そこが全てで逃げ場などないその世界。。

タケシ役の子は特に良かった

観ながら、木下惠介監督の『二十四の瞳』を思い出した。海のキラキラと光る水面や子ども達の表情やシビアな現実もホロっとさせる現実も、すべてを包み込むような眼差し。

調べたら、篠田監督は木下惠介監督の助監督を務めるなど関係が深かったのですね。。

なるほど。

ジャンルも年代も国も、気の向くままに旧作を観て、こういった関連性に気付くとき、なんだかとっても嬉しくなります。

映画ってこうやって脈々と受け継がれてきたのかなぁ…などと思ったりして


そしてまた旧作の旅は続く…



『CURE』(1997)

2015年04月02日 | 邦画(1990年以降)
『CURE』(1997)

監督:黒沢清
高部賢一:役所広司
間宮邦彦:萩原聖人
佐久間真:うじきつよし
高部文江:中川安奈
宮島明子:洞口依子
花岡徹:戸田昌宏

【作品概要】
連続猟奇殺人事件を追及する刑事と、事件に関わる謎の男を描いたサイコ・サスペンス・スリラー作品である本作は、凄惨な題材を扱い、緊張感・緊迫感に満ちた話運びでありながら「CURE(癒し)」というタイトルとテーマを持つ。
(Wikipediaより)

【感想レビュー】
ずっと観たいと思っていてようやく観れました

終始不穏な空気が漂う作品でした
殺人現場や死体などの怖さよりも、ただただジッと映る古びた壁や濡れた床がじわじわと恐怖心を募らせていく。

住人の心が冷え切ってしまっているような室内。空気さえ動かないような、そこでの生活。繰り返し…。

噛み合わない会話。

役所広司さんの突発的なエネルギーの爆発は恐ろしく、萩原聖人さんの気の抜けた柔らかな調子の台詞回しは心許なく…そういったもの全てが、先の見えない不安を掻き立てていく。

萩原聖人さんはマークスの山でもなんか似たような感じだったような…
こういう萩原さんは魅力的ですね

バブル崩壊後のどこか虚無的な社会背景を感じる映画だった。

この頃、私は高校生だったし、はっきり覚えてはいるけれど、大人達は想像以上に疲弊していたのかもしれないな…などと思ったりしました


『野火』(2014)

2014年11月24日 | 邦画(1990年以降)
『野火』(2014)

【作品概要】
日本 / 2014 / 87分
監督:塚本晋也 (TSUKAMOTO Shinya)
製作:海獣シアター
出演:塚本晋也
リリー・フランキー
中村達也

大岡昇平の同名小説の映画化。第二次世界大戦末期、フィリピン戦線の日本兵たちの彷徨を一人の一等兵の視点から描き、戦争の恐怖を訴えかける。ヴェネチア映画祭コンペティションでワールド・プレミア上映され、その激烈な戦場の描写で世界を震撼させた傑作。 (フィルメックス公式サイトより)

【感想レビュー】@東京フィルメックス
今年もオープニング上映へ行って参りました
昨年に続き二度目です。独特の高揚感に胸が高まりました

そして、野火。
冒頭は、肺病を患う主人公の田村一等兵が所属する部隊の上官から邪険にされ野戦病院へ行って来いと言われるシーン。その上官の表情や台詞の言い回しは、まるで現代のシュールなコントのワンシーンのようだ。
野戦病院へ行ったら行ったで、もっと重篤な患者が居るのによくその程度で来られたなと追い返され、所属部隊のテントと野戦病院を行ったり来たりし、同じようなやり取りを繰り返す。
このまるでコントのような冒頭は、まるで現代に生きる私達とかつての南の島の戦場とが、あたかも一つの線で結ばれているような感覚に陥らせる。
そこから徐々にそちらの世界へトリップしていく仕掛けが沢山あり、やがてそこに居るかのようになっていく…。
それは、やたらと大きい効果音もその一つだったと思う。
動作、息遣いなどの音響は、ジャングルの静けさの中で怖いほど響き、観る者の不安感を煽っていく。

灼熱の熱帯ジャングル。飢餓の上、熱に浮かされながらフラフラと歩く田村一等兵。微分音でさらに響きの歪んだ音楽が、朦朧とする田村一等兵の意識を演出する。
田村一等兵の周りの人間は、飢餓から、そして敵から身を守るため、自分の事ばかり考えている人間達ばかりだ。唯一彼だけが非情になれない人間らしさを残している。
その彼が変容していく様子は壮絶だ。

兵隊達の肉片が飛び、血が迸る。それでも無情にミサイルは撃ち込まれる。肉片と化した人間を見るにつけ、戦場での命の軽さを思い知る…。
この描写がどこホラー映画の様相を呈しているのには、どこか皮肉を感じる。冒頭のシュールなコントのようなやり取りも然り。戦争の愚かさを物語っている。
ラスト、小津映画に出てくるような品の良い日本家屋で、かつての記憶から逃れられない主人公を観る時、戦争の恐ろしさと虚しさを感じずにはいられない。

最後までテンションが落ちないどころか、上がっていく作品だった。

上映後のQ&Aで、塚本監督が仰っていた(今の世相に対して)『でも絶望はしていない』に心底救われる思いがした。


『幽閉者 テロリスト』(2006)

2014年11月16日 | 邦画(1990年以降)
『幽閉者 テロリスト』(2006)

監督:足立正生
出演:田口トモロヲ、PANTA、大久保鷹、梶原譲二

【作品概要】
’74年のパレスチナ革命にも参加した足立正生の監督作。リッダ空港事件の主犯格、岡本公三をモデルに、獄中での幽閉生活の中で自分自身と向き合う人間の姿を通して現代の闘争を提示した作品。音楽を国内外で活躍する大友良英が担当し、世界的アーティストPANTAとジム・オルークが、演奏だけでなく出演も果たしている。

【感想レビュー】
久しぶりに映画。借りてたDVDを早く消化しなくては!これがまた片手間になど観賞出来ない作品なのですが…
…観終わって今、凄まじく疲弊しております。

低予算映画という事もあって、舞台劇のようなセット。ユダヤ人などを始めとする外国人も、日本人が演じている事もしばしばあります。でも、舞台劇として観ていれば、そこまで違和感もありません。不思議なのですが。
出演者には、あれ!?若松孝二さん!?比嘉愛未さん!?柄本時生!?…のようなサプライズもあってびっくりしました。田口トモロヲさんは鬼気迫る様が凄くて…。

そして、当時の彼らの闘争精神のエネルギーと頭でっかちな論理展開の様子が分かりやすく描かれていました。
不快な周波数の電子音と摩擦音はキリキリと神経を逆撫でしてくるし、主人公の精神がとことん追い込まれていく様子からは、もう目が離せません。
精神の崩壊と自由。

主人公が牢で、光を感じて薄目を開けるシーン。ぼんやりと見えてきた格子が、一瞬、障子に見えた。どこに居るのか分からなくなる瞬間です。格子越しに見る異国の青空。虚を突かれます。

2時間の作品はほとんどがずっと牢屋の中にも関わらず、驚くほどの精神活動を強いてくる。

そしてこの作品でもやはり、ここではない何処かは無かった…。

足立監督の冷静な狂気が恐ろしい作品でした…