☆映画の旅の途中☆

色んな映画をどんどん観る旅

『アクト・オブ・キリング』(2012)

2014年04月30日 | 西洋/中東/アジア/他(1990年以降)
『アクト・オブ・キリング』(2012)

監督 :ジョシュア・オッペンハイマー
製作総指揮:エロール・モリス、ヴェルナー・ヘルツォーク、アンドレ・シンガー

【作品概要】
インドネシアで行われた大量虐殺を題材にし、ベルリン国際映画祭観客賞受賞、アカデミー賞にもノミネートされたドキュメンタリー。1960年代にインドネシアで繰り広げられた大量虐殺の加害者たちに、その再現をさせながら彼らの胸中や虐殺の実態に迫る。
1960年代のインドネシアで行われていた大量虐殺。その実行者たちは100万近くもの人々を殺した身でありながら、現在に至るまで国民的英雄としてたたえられていた。そんな彼らに、どのように虐殺を行っていたのかを再演してもらうことに。まるで映画スターにでもなったかのように、カメラの前で殺人の様子を意気揚々と身振り手振りで説明し、再演していく男たち。だが、そうした異様な再演劇が彼らに思いがけない変化をもたらしていく。(Yahoo!映画より)

【感想レビュー】@theater
確かに、前評判通り、新しい映画を観た!という感触を持ちました。

観終わった直後の率直な感想は、哀しい…という感情。
80年代のほんの数年間、インドネシアの中心地ジャカルタで幼少期を過ごした私にとって、特別な映画体験になりました。
所々、単語の響きに聞き覚えがあるので(かと言って話せないのですが)、かえって字幕を追う集中力がそがれ気味になりつつ…必死に観ました。

粋なスーツに身を包むその人は、ピンクのハットを被って、びっくりするほどにこれまた粋にカメラに収っていた…。映画の中で、映画を撮っている様子を映しているわけで…。
映画的に観える時と、生々しく観える時と、その狭間を往き来するのは、何とも奇妙な感覚でした。

ハリウッド映画に憧れ、ハリウッド映画をよく観たという彼らは、かつてのマフィアやアクション映画を愛し、その生き様に惚れ、殺人の仕方まで真似したと言う。
しかし、我々の方がより残酷だったと誇らしそうに語った…。
けれど映画を愛していた彼らが、自分達の栄光を、その偉業を、映画に記録しようとした時、その行為を通して自分達を省みた時…、彼らの中で保っていた何かが崩れていきました…。
その一連の様子は、確かに新しく、映画的な新しいドキュメンタリー作品を観たと、形容したくなるほど。

その意味でも、一見の価値はあると思います。


普段は、映画を自分側に引き寄せて観るという事をあえてしない私が、どうしても今回はそうは出来ませんでした。
原風景がジャカルタです。当時の現地の人達の眼差しも、よく憶えています。治安が悪いので、私は一人で一歩たりとも外に出てはいけませんでした。
隣には華僑の方が住んでいた事は、後に聞かされて知った事です。
その人は、この事実とどう向き合っていたのだろう…。

日本に帰ってきて、しばらくした頃に、何の脈絡も無く、突如“バウ=臭い”だよね?っと言った私に、母はとっても驚いていました。
それだけ鮮明に覚えていた生ゴミの側を通る時の単語。

映画の中で、粋なスーツに身を包む彼が言った言葉も、“バウ”。
ここで、たくさんの共産党関係者の人達を殺した。ひどい血の匂いだった…。

字幕と口調に妙に温度差を感じて、後で母に聞きました。すると、他の事も分かりました。
『ひどい死体の臭いと血の臭いだった、と彼は言っていた。彼が使っていた“MATI(マティ)”は、動物の死に対して使う言葉。人間の死に対して使う言葉は“TINGGL(ムンガル)”。だから“MATI(マティ)”は、人間に対して絶対使ってはいけない言葉』だそうだ。


今も悪夢を見て起きるという彼だが、罪悪感とも罪の意識ともまた違う次元にいるようだった。
彼らと一般の人との間に温度差があるのが伝わってきて、なんだかとっても裸の王様な感じが否めない。

自らの偉業をPRするはずの映画は、自らの裸の王様ぶりを露呈する映画となった…。なんて皮肉なドキュメンタリー映画‼一見の価値があります!







『海と毒薬』(1986)

2014年04月27日 | 邦画(クラシック)
『海と毒薬』(1986)

監督:熊井啓
勝呂:奥田瑛二
戸田:渡辺謙
柴田:成田三樹夫
浅井:西田健
権藤:神山繁
大場:岸田今日子


【作品概要】
映画監督の熊井啓によって1969年に脚本化されていたが、その内容のためスポンサー探しに苦戦し、実際に映画化されたのは17年後の1986年のことであった。前評判を覆し、ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した。
太平洋戦争末期に実際に起こった米軍捕虜に対する生体解剖事件を描いた遠藤周作の同名小説を、社会派・熊井啓監督が映画化した問題作。敗色も濃厚となった昭和20年5月。九州のF市にも毎晩のように米軍機による空襲が繰り返されていた。医学部の研究生、勝呂と戸田の二人は物資も薬品も揃わぬ状況下でなかば投げやりな毎日を送っていた。そんなある日、二人は教授たちの許に呼び出された。それは、B29の捕虜8名を使った生体解剖実験を手伝えというものだった……。(Yahoo!映画より)
【感想レビュー】
あぁ、もう固唾を呑み、最後まで観ました。真に怖いとは、こういう事を言うのだな、と。
モノクロの映像ですが、1986年の作品です。奥田瑛二さんと渡辺謙さんの演技の対比。存在感の対比。人物描写の対比。

初めは、もしそういう状況下に置かれたとしても、もちろん生体解剖実験など、自分も出来ないっ、という奥田瑛二さん演じる勝呂の立場で観るわけですが…。
そのうち、いつの間にか渡辺謙さん演じる戸田の立ち位置になって観ている瞬間があったりして、自分にギョッとしました…。

勝呂が戸田に、お前は強いな、と言うシーンがあるのですが…。本当に強いのは果たしてどちらだろう。
観終わって、色々思い出しては考えさせられます。

手術部屋シーンの、床の水の質感。
サラサラと流れる血。
光の陰影。
それらの画のゾッとするほどの美しさ。
そして作品を彩るピアノは、野島稔さんの演奏でした。透明感の漂う音色に、かえって心を抉られました。




『陸軍』(1944)

2014年04月26日 | 邦画(クラシック)
『陸軍』(1944)

監督:木下惠介
出演者:笠智衆、田中絹代、東野英治郎、上原謙
【作品概要】
木下惠介監督の第4作。木下が戦前に撮った4本中、最後の作品。
戦時下(第二次世界大戦)に、陸軍省の依頼で製作されたもの。作品の冒頭に「陸軍省後援 情報局國民映画」という表記がある。太平洋戦争の開戦日からほぼ三周年にあたる日に公開された。
朝日新聞に連載された火野葦平の小説を原作に、幕末から日清・日露の両戦争を経て満州事変に至る60年あまりを、ある家族の三代にわたる姿を通して描いた作品である。(Wikipediaより)

【感想レビュー】
『はじまりのみち』を観て以来、もう観たくて観たくて仕方ありませんでした!
笠智衆さんが出ているとは知らなかったので、さらにテンションが上がる…


ずっと観ていると、ある対象を視ている人物を長回しで映す描写に惹きつけられます。
例えば、東京へ向かう列車で、富士山を拝むシーン。
富士山だと分かるのは、窓に一瞬だけ映るから。でも窓を下に降ろして開けるので、富士山はスッと居なくなってしまうのですが、晴れ晴れとした顔で手を合わせる人物。
対象物の富士山を直に映すのではなく、列車の外から窓越しの人物を映し続ける。
その一連のシーンにとっても惹かれます

極め付けは、ラストのシーン。
満州事変に出陣する息子の部隊を、泣いてしまうから見送りには行かないと言い、一人お店や家の掃除をしているけれど、居ても立っても居られなくて、心もとない足取りで歩き出すシーン。
田中絹代さんを、カメラはずっと追い続けます。
群衆のエネルギーも凄いし、軍隊のリアリティも凄いし、人にぶつかりながら、軍隊の中にひたすら息子を探し、そこから目を離さない母。
その行動も表情も、細い肩を震わせて涙する様子も、とても戦意高揚の国策で作られた映画とは思えない。

これは当時、そら情報局にも睨まれますよね!
これ撮ったの…本当に凄い…。

そして、笠智衆さん
日清・日露の時代を生きてきた父親役ですが、この一連の台詞を一体どのような気持ちで仰っていたのだろう。
とっても興味があります。
映画自体は反戦なわけですが。

熊本県出身の笠智衆さんは、訛りがどうしても抜けなかったらしいのですが、今回は博多が舞台なので、お近くの言葉を話しています。
スイカからのこのカットは、惚れ惚れするほど素敵でした!


それにしても、小津監督の笠智衆さんとは全然違いました!
『二十四の瞳』(木下惠介監督)の笠智衆さんとも違いました。
もう本当に、一人一人違う人物過ぎて…

出演作をどんどん観るのが楽しみです!

『息もできない』(2008)

2014年04月22日 | 西洋/中東/アジア/他(1990年以降)
『息もできない』(2008)

監督:ヤン・イクチュン
サンフン:ヤン・イクチュン
ヨニ:キム・コッピ
ヨン:ジェ イ・ファン

【作品概要】
第10回東京フィルメックスで最優秀作品賞&観客賞に輝いたほか、国内外の数々の映画祭で高い評価を得た韓国発のドラマ。愛を知らない男と愛を夢見た女子高生の運命的な出会いを描く。
(Movie Walkerより)

【感想レビュー】
これは…!!グッとくる映画でした

韓国映画が自分の肌には合わないのかもしれないと、気が重くなり始めていたので、ずいぶん経ってやっと観たのですが…。

やっぱり冒頭は、なかなか映画の世界に入って行けず、悶々としながら観ていましたが、サンフンの子ども時代になり、少年の目を観てからは、もう!惹き込まれるように観ました。
あの目は、青年になったサンフンの行動・言動など、そこに至るすべてに説得力を持たせるものがあったと思う。
怒りの原因となっている父への憎しみ。
当時の怒りを今も尚持て余している…。他人を殴っても殴っても、救いは見出せない。
どんなに人を殴っても、押し殺している怒りを背負った哀しみがヒシヒシと伝わってくる…。
絶え間ないバイオレンスシーンも、切ないほど哀しく映った。

それでも、同じような哀しみを背負っているヨニ、彼の姉や少年との、ぎこちなく始まる心の交流が、彼の渇いた世界に潤いをもたらしていく様に、胸が熱くなりました。

…スクリーンで観たかった…!

『次郎長三国志 第九部 荒神山』(1954)

2014年04月22日 | 邦画(クラシック)
『次郎長三国志 第九部 荒神山』(1954)

監督:マキノ雅弘
小堀明男、田崎 潤、河津清三郎、石井一雄、小泉博、千秋実


【作品概要】
石松の仇を取ろうと、大政を頭に子分らは都田村の3兄弟を匿った尾張の新辰親分の下に討ち入った。しかし、一同は3兄弟を取り逃がした上、火付けの濡れ衣を着せられてしまう。
当初は第八部で終了の予定が、人気シリーズにつき、荒神山の前後編まで撮られることになった。なお、本編は前編であり、後編は予告編まで撮られながらも日の目を見る事はなかった。

【感想レビュー】
いよいよシリーズの最後!…っと意気込んで観たものの…だんだん哀しく…

冒頭の、百姓達のシーンは、あれ、この画は『七人の侍』と出ている俳優さんと同じではないか?と思ったら、やはりそうでした。
高堂国典さんや土屋嘉男さん。
とにかく沢山の百姓の群れで、同方向に動く戦闘シーンは見応えがありました

それでも、石松はもう居ないし、親分には会えないし、濡れ衣はきさせられているし……。

そのぶん、小泉博さん演じる三五郎の美しいアップが妙に沢山あった気が…
やっぱり当時も人気があったのでしょうかね…
美しいから…。やっぱり西島さんに似ている…。

そうこうしているうちに、ようやっと親分と会えて、皆で男泣きして、こちらも、うぅ…とションボリしていたら、なんだか呆気なく終わってしまったのである…

終わったと思ったら、次回予告まであったけれども、結局これは未完成なので…、『次郎長三国志』は…終わってしまったのである…

そういえば、お仲や三五郎、石松が勢ぞろいの第三部だったかな…のお仲のお色気シーンとか、この三人の雰囲気とか、たまらなく良かったなぁと思い出す…

第六部辺りから、雲行きが怪しくなり…だんだん男泣きするシーンも増えていくのだけど、石松の明るさに救われて…

などと、色々思い出しながら浸っております…。