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☆【情報】京都府宇治市・福井県越前市・滋賀県大津市 紫式部関連イベントまとめ
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平安時代好きブロガー なぎ です。
令和 6年(2024年)放送の大河ドラマ『光る君へ』に関連して、京都府宇治市・福井県越前市・滋賀県大津市がそれぞれイベント・展示を企画されています。
以下、大河ドラマや紫式部・源氏物語に関する展示の個人的なメモ。
令和 6年(2024年) 8月24日作成。9月 2日更新。
【宇治市・越前市・大津市の観光ポータルサイト】
かいまみる紫式部・・・このサイトを見ると3市の最新の観光情報がわかります。
【スタンプラリー】
「めぐり逢ひて、紫式部 其の弐」デジタルスタンプラリー 京都・滋賀・福井編
スタンプ設置:30箇所
開催期間 :~ 9月29日(日)
【イベント】
開催日:10月18日(金)~20日(日)
開催地:福井県越前市/京都府宇治市/滋賀県大津市/福井県敦賀市/福井県南越前町
【見学ツアー】
ツアーNo,1 紫式部・源氏物語を育んだ宇治、大津
開催日:10月18日(金)※日帰り
ツアーNo,2 紫式部が暮らした越前
開催日:10月19日(土)・20日(日)※それぞれ日帰りor1泊2日
申込方法:電話またはFAXにて(株)サントラベルヘ
【謎解き】
「紫式部謎解きまちめぐり 宇治市・越前市・大津市の宝を探せ」
開催場所:京都府 宇治市・福井県 越前市・滋賀県 大津市
開催期間:~11月17日(日)
冒頭でもご案内しましたが、ブログ記事を市ごとに分けました
平安時代好きブロガー なぎ です。
2024年 6月のこと。
佐賀県唐津市にある鏡神社を参拝しました。
【鏡神社 鳥居】
鏡神社は『源氏物語』において「松浦なる鏡の神」「鏡の神」と歌に詠まれ「松浦の宮」と本文に登場します。
また紫式部の家集『紫式部集』でも「松浦なる鏡の神」「松浦の鏡」と歌に詠まれています。
平安京から遠く離れていながらも『源氏物語』と『紫式部集』の両方に出てくる神社として稀有な存在だと思います。
【鏡神社 一の宮 ご祭神:息長足姫命(神功皇后)】
『源氏物語』玉鬘巻
玉鬘と乳母たちは肥前国に滞在していた頃、鏡神社を信仰していました。
肥後の豪族・大夫監が玉鬘へ求婚の歌を詠み、乳母が玉鬘の代わりに返歌を詠む場面があります。
大夫監が詠んだ歌
君にもし心違はば松浦なる 鏡の神をかけて誓はむ
[現代語訳:姫君のお心に万が一違うようなことがあったら、どのような罰も受けましょうと松浦に鎮座まします鏡の神に掛けて誓います]
乳母が詠んだ歌
年を経て祈る心の違ひなば 鏡の神をつらしとや見む
[現代語訳:長年祈ってきましたことと違ったならば鏡の神を薄情な神様だとお思い申しましょう]
【本文・訳は渋谷栄一氏のwebサイト『源氏物語の世界』より引用】
ここで「松浦なる鏡の神」「鏡の神」と詠まれているのが、鏡神社のことです。
玉鬘と乳母たちは、大夫監からの強引な求婚から逃れるために、船で筑紫を脱出することを決意します。
【鏡神社の境内には、大夫監が詠んだ歌の碑があります】
『源氏物語』玉鬘巻において、船出する時のこと。
ただ、松浦の宮の前の渚と、かの姉おもとの別るるをなむ、顧みせられて、悲しかりける。
[現代語訳:ただ、松浦の宮の前の渚と、姉おもとと別れるのが、後髪引かれる思いがして、悲しく思われるのであった。]
【本文・訳は渋谷栄一氏のwebサイト『源氏物語の世界』より引用】
「松浦の宮の前の渚」とは鏡神社の前に広がっている渚のこと。
玉鬘一行は唐津湾あるいは松浦川から船出しますが、乳母の娘のひとりで “おもと” と呼ばれる女性は肥前での家族が多くなっているため肥前に残ることに…。
“おもと” の妹は、鏡神社の前に広がる美しい海辺の景色と 姉 “おもと” との別れを悲しむのでした。
筑紫から無事に帰京した玉鬘たちではありますが落ち着いて住むすべがありません。
そこで京都府八幡市にある石清水八幡宮への参拝をします。
『源氏物語』玉鬘巻
「[略」近きほどに、八幡の宮と申すは、かしこにても参り祈り申したまひし松浦、筥崎、同じ社なり。[略]」
[現代語訳:この近い所に、八幡宮と申す神は、あちらにおいても参詣し、お祈り申していらした松浦、箱崎と、同じ社です。]
【本文・訳は渋谷栄一氏のwebサイト『源氏物語の世界』より引用】
乳母の息子が、京の近くにある石清水八幡宮は筑紫滞在中に京に帰れるよう信仰していた松浦の鏡神社(佐賀県唐津市)・筥崎宮(福岡市東区)と同じ社であるから無事に上洛できたお礼参りをしましょう、と参拝をすすめたのでした。
鏡神社の御祭神に応神天皇(八幡大神)はいませんが、応神天皇の母である息長足姫命(神功皇后)が祀られていることにより応神天皇(八幡大神)と同質の神と見做されたのではないかと…。
平安時代の信仰が気になるところです。
【二の宮 ご祭神:藤原廣嗣朝臣】
『源氏物語』の作者である紫式部はなぜ、平安京から遠く離れた肥前国の鏡神社のことを知っていたのでしょう?
それは紫式部は、平安京から筑紫の肥前国へ下った女友達と文通していたからなのでした。ふたりの交流は紫式部の家集『紫式部集』から知ることができます。
『紫式部集』より
紫式部が詠んだ歌
あひみむとおもふ心はまつらなる 鏡の神やそらにみゆらむ
[現代語訳:あなたに逢いたいと思う心は、松浦にある鏡の神も空にあって御覧になっておられるでしょうか。]
紫式部の女友達が詠んだ歌
ゆきめぐりあふをまつらの鏡には 誰をかけつついのるとかしる
[現代語訳:ゆきめぐり、またあなたと逢える日を待つという、松という名を負う松浦の鏡には、誰を心に懸けて祈っていると御存知ですか。いうまでもなくあなただけです。]
【本文・現代語訳は『新訂版 紫式部と和歌の世界 一冊で読む紫式部家集 訳注付』(上原作和・廣田収 編)より引用】
紫式部の歌に「まつら(松浦)なる 鏡の神」とあり、『源氏物語』玉鬘巻に出てくる大夫監の歌を彷彿としますよね。
女友達は「まつら(松浦)の鏡」と詠んでいます。
この歌が詠まれたのは、紫式部の父である藤原為時が越前守として越前国に赴任していた頃のこと。
結婚前の紫式部は為時とともに越前国へ下っていました。
一方、女友達もまた肥前守となった父とともに京から肥前国に下って暮らしていました。
1000年以上も前に、越前と肥前…遠く離れていながらも鏡神社を介して再会を願った女性たちがいたこと。
それを現在、知り得ることができて切なくも嬉しく思います。
この女友達は、肥前守平維将の娘で紫式部とは従姉妹関係にあたるともいわれています。
さて、鏡神社には他にも見どころがあります。
【狛犬】
狛犬ならぬ、狛虎…?虎の姿をしています。
雌の狛犬の足元には赤ちゃん狛犬がいます。
【子宝・安産のご神木】
二の宮の近くにある樟で、おなかがふくらんだ妊婦のような姿をしています。
子宝・安産・夫婦円満にご利益があるのだとか。
※この記事は、私が作成しているホームページ『花橘亭~源氏物語を楽しむ~』や『花たちばな』での鏡神社のページをもとに編集・加筆しました。
鏡神社
佐賀県唐津市鏡1827
平安時代好きブロガー なぎ です。
『源氏物語』ゆかりの地といえば、京都や須磨・明石を思い浮かべる方が多いと思います。
けれども、少なからず『源氏物語』には筑紫(九州)に関わりがある人物が登場しており、中でも有名なのは玉鬘と呼ばれる姫君ではないでしょうか。
【風俗博物館で撮影。成長した玉鬘】
玉鬘は京で生まれ、光源氏のライバルでもある頭中将を父に、頭中将の愛人だった夕顔を母にもつ姫君です。
夕顔は、頭中将の正妻による嫉妬から逃れるために身を隠していたところ、光源氏に見いだされ愛されることになります。
しかし夕顔は物の怪により急死。光源氏の悲しみは大変深いものでした。
夕顔が行方不明になった時、娘の玉鬘はまだ3歳。
母・夕顔の死を知らないまま、玉鬘は4歳で乳母たちとともに京から筑紫の大宰府(福岡県太宰府市)へ下ります。
それは乳母の夫が大宰少弐[だざいのしょうに=大宰府の実質上の次官]になったからでした。
乳母の夫は大宰府で亡くなりますが、玉鬘と乳母たちには帰京するだけの力もなくやがて肥前国へ移り住みます。
そんな中、肥後国の豪族である大夫監(たいふのげん)が美貌と評判の玉鬘に求婚してきます。
地方豪族の大夫監と結婚するわけにはいきません。
なぜならば玉鬘と乳母一家は、京へ戻り、玉鬘の父[頭中将から出世してこの時は内大臣]に玉鬘の存在を知ってもらって幸せになれるよう神仏に祈ってきたからです。
玉鬘たちが筑紫滞在中に信仰していたのが鏡神社(佐賀県唐津市)と筥崎宮(福岡市東区)でした。
また、玉鬘に仕える下女の言葉に観世音寺(福岡県太宰府市)が出てくることから、観世音寺も信仰していたのではないかと思われます。
【風俗博物館で撮影。帰京後、長谷寺参詣の途中に椿市で休息する玉鬘。】
神仏への願いが届いたのか、玉鬘は無事に帰京を果たし、光源氏の邸宅「六条院」にひきとられることになります。
父親とも再会。結婚後は三男二女の母となります。
そうした流れで玉鬘との関わりによって九州が『源氏物語』の舞台となります。
以下、作中に登場するゆかりの地です。
■大宰府政庁跡(福岡県太宰府市)
乳母の夫が勤務。玉鬘たちも大宰府に住む。
私が「大宰府政庁跡」を訪ねた時のこと(当ブログ内の記事へのリンクです)
■金の岬(福岡県宗像市鐘崎)
玉鬘たちが京から筑紫へ下る船旅で作中に地名として登場
■鏡神社(佐賀県唐津市)
玉鬘たちが信仰。作中の和歌にも詠まれる
私が「鏡神社」を訪ねた時のこと(当ブログ内の記事へのリンクです)
■筥崎宮(福岡市)
玉鬘たちが信仰していた神社。『源氏物語』常夏巻では和歌の中に歌枕として登場。
私が「筥崎宮」を訪ねた時のこと(当ブログ内の記事へのリンクです)
■観世音寺(福岡県太宰府市)
玉鬘に仕える下女が見聞きした寺。おそらく玉鬘たちも信仰。
私が「観世音寺」を訪ねた時のこと(当ブログ内の記事へのリンクです)
筑紫を訪ねたことはないはずの紫式部が、『源氏物語』に筑紫の寺社を登場させたのは夫の藤原宣孝や友人の影響があったと考えられています。
それについてはまた別の記事にまとめたいと思います。
※この記事は、私が作成しているwebサイト『花橘亭~源氏物語を楽しむ~』より一部転載しています。
平安時代好きブロガー なぎ です。
源氏物語の様々な場面を中心に具現展示をされている風俗博物館(京都市下京区)。
そんな風俗博物館の所蔵品が広島県福山市にある ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)へ出張展示されます。
広島県立歴史博物館開館35周年記念
秋の特別展「源氏物語の世界展」
会期:9月27日(金)~12月1日(日)
公式ホームページによると
❝この展示では、紫式部が身を置き、また『源氏物語』の舞台ともなった平安時代の文化を貴族社会の衣食住を中心に立体的・具体的に再現し、『源氏物語』の世界の魅力を紹介します。❞
とのこと。楽しみですね!!
見どころは、『源氏物語』第7帖「紅葉賀」の一場面を1/4で再現した模型
光源氏と頭中将が、青海波(せいがいは)を舞っている場面が展示されるそうです。
過去に風俗博物館でその場面が展示されたことがありました。
イメージとして下の画像をご覧ください。こんな雰囲気でしょうか。
【画像はイメージです。私が2006年に風俗博物館で撮影しました。】
「源氏物語の世界展」の会期中は、講演会や展示解説会、琴演奏会、ワークショップ(牛車乗車体験、平安・中世衣装着用体験、十二単着付け実演ショー、聞香体験、薫物作り体験)が行われるそうです。
事前申し込みが必要なものもあります。
詳しくは公式ホームページをご覧ください。
お近くにお住まいの方もそうでない方もどうぞ。
私も新幹線に乗って見に行く予定です。
ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)
広島県福山市西町2-4-1
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/rekishih/