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【広島県立歴史博物館】特別展「源氏物語の世界展」より 女性装束 十二単の変遷(2024年9月)

2024年11月24日 | 平安あれこれ

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年9月のこと。

広島県立歴史博物館の秋の特別展「源氏物語の世界展」を見に行ってきました。

展示品が多く大変見ごたえがある展覧会でした。

 

そのうち、特に印象に残ったものをブログで数回に分けてご紹介したいと思います。

会場内は一部を除き、風俗博物館の所蔵品は写真撮影可能でした。

 

※ ❝ ❞内は、解説パネルより。

※用語の読みや意味は( )または[ ]で補っています。

 

 

第二章 『衣』よそおいの源氏物語

女性装束 十二単の変遷

 

【十二単の変遷 展示の様子】

平安時代初期から令和にいたるまでの十二単が展示されていました。

 

 

①平安時代初期〜中期

ー遣唐使停止を機に国風装束へー

裙帯比礼の物具装束 (公家女房) [復元品]

❝裙帯[くんたい=飾り帯]、領巾[比礼(ひれ)=肩に掛ける細長い布]をつけ、髪を垂らした後、結い上げ、宝冠(ほうかん)をつけた奈良時代の礼服(らいふく)の形を残したもの❞

 

フル装備された十二単って感じ。

髪が結い上げられ宝冠をつけた姿にうっとり✨

裙帯や領巾(比礼)も美しいです。

 

 

②平安時代中期

ー唐様(からよう)を変化させ日本独自の十二単の完成ー 

晴れの装い・十二単(公家女房) [復元品]

うっかりして、解説パネルを撮るのを忘れていました💦

復元された平安時代の十二単としてポピュラーな姿ですよね。

胸元を見ると、単から表着までをまとめて合せられているのがポイント。

 

 

③江戸時代 前期

ー応仁の大乱以来の有職の乱れー

儀式服と化した十二単、伝承の混乱

正装(公家女房)[復元品]

❝室町時代の応仁の乱(1467年~1477年)の後、しきたりが不明となり十二単に特別な形が生まれました。❞

❝この姿は後水尾天皇中宮和子(江戸幕府2代将軍徳川秀忠の娘)の遺品を復原したものです。❞

 

雛人形では現在も掛帯(かけおび)付きの裳を身に着けた女雛を目にすることがあります。

しきたりが不明であった時期を経て、当時の美意識や研究によってこの姿があったと思うと感慨深いです。

 

 

④令和の即位礼 皇后陛下

十二単[複製品]

❝即位礼における皇后陛下の盛装です。

白小袖に長袴をつけ、その上に単、五衣、打衣、表着を重ね、唐衣と裳をつける形式は平安時代に近いものです。

髪型は江戸時代後期以来の形式である大すべらかしで、平額(ひらびたい)[釵子(さいし)]・櫛を飾ります。❞

 

優しいお色ですよね。

360度ぐるぐるまわって見学しました。笑

 

 

会場内には二十枚の重袿の上に裳と唐衣を身に着けた人形の展示も。

【二十枚の重袿が圧巻です】

立て膝をして座っているのも素敵。

 

【二十枚の重袿+裳+唐衣】

裳を後ろに長くひいている姿が美しいです。

 

 

この展覧会は、2024年9月27日(金)~12月1日(日)まで。

 

 


ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)

 広島県福山市西町二丁目4-1

 https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/rekishih/


 

 


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【平安あれこれ】2024年11月16日、土御門第跡にて「望月の歌」を偲ぶ

2024年11月21日 | 平安あれこれ

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

寛仁2年(1018年)10月16日、藤原道長が

「この世をば我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」

と詠んだのは、道長の娘・威子が後一条天皇の皇后に立った日で、儀式が終わり、二次会のくつろいだ宴席でのことでした。

 

藤原道長の日記『御堂関白記』では、道長が和歌を詠み、人々がその和歌を詠唱したことしか記されていませんが、藤原実資の日記『小右記』において和歌の全容を知ることができます。

 

またこの時、『小右記』によると「夜深月明(夜深く、月明し)」と記されています。

和歌が詠まれた頃は夜も更けて望月(満月)が土御門第[土御門殿]を明るく照らしていたと思われます

 

2024年の場合、「望月の歌」が詠まれた旧暦10月16日にあたるのは、11月16日(土)でした。

・・・というわけで、私は「望月の歌」が詠まれた土御門第[土御門殿]を偲ぶべく2024年11月16日(土)当日に京都を訪ねたのでありました。

 

【土御門第(つちみかどてい)跡の駒札】

京都御苑(京都市上京区)内にある京都迎賓館の南、京都仙洞御所の北、清和院御門の西に駒札があります

 

↓ 土御門第跡 駒札より


土御門第跡

 平安時代中期に摂政・太政大臣となった藤原道長の邸宅跡で、拡充され南北二町に及び、上東門第、京極第などとも呼ばれました。道長の長女彰子が一条天皇のお后となり、里内裏である当邸で、後の後一条天皇や後朱雀天皇になる皇子達も、誕生しました。「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」の歌は、この邸で催された宴席で詠まれたといいます。


 

 

平安京オーバーレイマップや『新版 平安京図会』史跡散策の巻を見ますと、京都仙洞御所の北池あたりは、かつての土御門第跡の一部と重なります。

 

現在の京都仙洞御所・大宮御所に平安時代の面影はありませんが、事前に申し込みの上、約17年ぶりに参観しました。

江戸時代の後水尾上皇と東福門院(徳川和子)以来、上皇の住まいとして御所が営まれてきたところです。

 

庭園は当初は、小堀遠州による作庭でしたが度々の改修により、現在の姿となったそうです。

 

【京都仙洞御所 北池】

広々とした心地よいお庭です。木々の紅葉が始まっていました。

新たに池を掘るのは大変な作業でしょうから、ひょっとしたら土御門第があった頃の池が部分的にでも活かされていたりして…?

【京都仙洞御所 北池】

鴨をはじめ多くの鳥がゆったり過ごしています。

 

【2024年11月16日 午後6時頃、土御門第跡あたりから空を眺めました】

 

京都仙洞御所を参観後、一旦京都御苑を離れてから日没を待ち、再び京都御苑の土御門第跡あたりを再訪。

写真に見える塀は、京都仙洞御所の北側のものです。

 

空は厚い雲で覆われていました。

雲が途切れて望月(満月)が姿を現さないか、しばらく待ってみたものの月を見ることは叶いませんでした。

せめてベンチが雨で濡れていなかったら座って待てたのですが、立ちっぱなしでヘロヘロに。

 

雲のいづこに月やどるらむ…。

 

【写真中央寄り、ほんのり明るいところに満月はあったのかも…?】

 

【清浄華院 特別御朱印】

京都御苑の近くにある清浄華院では、藤原道長が晩年を過ごした法成寺の礎石を設置・保管されていることから道長に関する特別御朱印を授与されています。(2024年12月まで)

「望月の歌」が詠まれたのと同じ日にこの御朱印をいただけてよかったです。

 

 

※京都仙洞御所や清浄華院が設置・保管されている礎石については別記事で書きたいと思います。

 

 


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【太宰府】「歩かんね太宰府」に参加しました!(2024年10月26日)

2024年10月28日 | 太宰府

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年 9月のこと。

太宰府のガイドつき街歩き「歩かんね太宰府」「『麗し太宰府』を歩く~紫式部の世界~」というコースが10月26日(土)に開催されるという情報を友達から教えてもらいました。

 

太宰府で紫式部ですって…!?

 

紫式部と聞いてすぐに申し込みしてしまいました。笑

「歩かんね太宰府」について何も知らず、さらに初参加なのでド緊張状態で当日(10月26日)を迎えることに。

 

【大宰府政庁跡】

 

集合場所は大宰府政庁跡。

ガイドは『麗し太宰府』の著者でもある前野りりえさん。

 

参加者の皆さまがそろったところで政庁跡の北部に移動しレジュメを見ながら前野さんによるお話をお聞きしました。

その後、「歴史の散歩道」を歩き、最初に訪ねたのは「弘法水(こうぼうすい)」と呼ばれる池でした。

 

【弘法水】

 

「弘法水」は「清水井」とも呼ばれ、透明で冷たい水が湧き出ています。

観世音寺の北側に位置し、池の周りに観音菩薩と弘法大師の石像があります。

 

観世音寺の山号が「清水山」なのは、観世音寺の北にこの清水が湧き出る池があることにちなむのだとか。

 

※参考:太宰府市文化ふれあい館のホームページ > 学芸だより 弘法大師と水 ・ 太宰府観世音寺 「弘法水」

 

20年以上ぶりに訪ねた「弘法水」でしたが、現在も大事に守られている様子がうかがえますね!

 

次に訪ねたのが観世音寺でした。

 

【参道から見た観世音寺講堂】

観世音寺のお堂は江戸時代に再建されたもの。

 

【講堂の扁額には「清水山」とあります】

 

【観世音寺境内にある「清水記碑(せいすいきひ)」】

 

「清水記碑」は江戸時代の1776年に福岡藩士・加藤一純によって建立。

碑文には観世音寺が『源氏物語』にも記された古刹であることや山号「清水寺」の由来などが記されています。

 

観世音寺の宝蔵では仏像を見上げうっとり

何度もお参りしていますが、どの仏像も素敵な佇まいです。合掌。

 

 

お昼は観世音寺にある天智院にて、ご用意いただいていたお弁当を食べました。

天智院は通常は入れないお茶室なので貴重な機会となりました。

 

【サクランボカフェさんの「紫式部弁当」】

 

ボリュームたっぷりで、きのこごはんもおかずもおいしかったです!!

この写真では色が綺麗に写せなかったのですが、手前にある紫芋の茶巾も美味でした。

 

 

最後に戒壇院をお参りして解散となりました。

いつも一人でまわることが多いので、解説をお聞きしながら複数人で歩くのはとても楽しかったです。

 

 

ガイドの前野りりえさん、スタッフの皆さま、ありがとうございました!!

 

前野りりえさんのブログ

 「麗し太宰府blog」

 


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【太宰府】大宰府展示館(2024年10月26日)

2024年10月28日 | 太宰府

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年10月26日のこと。

久しぶりに大宰府政庁跡を訪ねました。

 

【大宰府政庁跡 右脇殿跡と正殿跡を望む】

 

 

集合時間まで余裕があったので大宰府展示館の展示を久しぶりに見学。

館内は写真撮影OKです。

 

【梅花の宴】

 

【奈良時代における女性の再現衣装】

 

【大宰府政庁模型】

 

【大宰府は条坊を持つ都市でした】

 

『源氏物語』の主要登場人物で大宰府と関わりが深いのは、玉鬘[父:頭中将、母:夕顔]が挙げられます。

 

また『源氏物語』の脇役に目を向けると、大宰大弐(だざいのだいに)または大宰少弐(だざいのしょうに)といった大宰府の役人やそのゆかりのある人物が多いことに気づきます。

 

そうした人物たちもこの碁盤の目のような都市のどこかで暮らしていたのだろう…と思うと感慨深いものがあります。

 

当方のwebサイト『花橘亭~源氏物語を楽しむ~』内のコンテンツ「源氏物語ゆかりの地をめぐる 遥かなる筑紫 大宰府」「源氏物語に登場する大宰府と縁のある人物」にまとめていますのでご興味がおありの方はどうぞ。

 

紫式部の夫である藤原宣孝や娘の賢子も大宰府を訪れています。

 

 

【『源氏物語』の中の大宰府~紫式部が描いた西の都~】

 

パネルの内容は館内に置かれているパンフレットにも掲載されておりオススメです!!

大宰府展示館は度々訪ねていますが、『源氏物語』や紫式部についてガッツリ紹介されているのは初めて見ました。

 

大河ドラマ『光る君へ』の影響が大きいのでしょうか。

嬉しいですね

 

 

 


 大宰府政庁跡(大宰府展示館)

  福岡県太宰府市観世音寺4丁目6-1

       公益財団法人 古都大宰府保存協会 公式ホームページ

  https://www.kotodazaifu.net/


 

 


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【京都市】「源氏物語ゆかりの地」説明板 一覧

2024年10月23日 | 源氏物語ゆかりの地説明板 一覧

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2008年(平成20年)に「源氏物語千年紀」を迎えるにあたって、京都市は『源氏物語』の舞台となった場所や寺社・関係史跡 合計40ヶ所に「源氏物語ゆかりの地」説明板を設置されました。

そして、2023年(令和5年)には新しく7ヶ所に「源氏物語ゆかりの地」説明板が設置。

 

かつて「源氏物語ゆかりの地」説明板①~㊵までをまわったことがありましたが、新たに追加された㊶~㊼も含めて、再度ゆっくりまわれたらと思っています。

 

 参照:京都市情報館~「源氏物語」ゆかりの地をたずねる~

 参照:私のwebサイト『花橘亭~源氏物語を楽しむ~』「源氏物語ゆかりの地」説明板一覧

 

当ブログ「晴れのち平安」内で紹介しているものにつきましてはリンクを貼っています。

 

【説明板の名称】

①平安宮内裏跡

②平安宮内裏凝花舎(梅壺)跡・飛香舎(藤壺)跡

③平安宮内裏弘徽殿跡

④平安宮内裏清涼殿跡

⑤平安宮内裏承香殿跡

⑥平安宮内裏蔵人町屋跡

⑦史跡 平安宮内裏内閣回廊跡

⑧平安宮内裏紫宸殿跡

⑨平安宮内裏淑景舎(桐壺)跡

⑩平安宮内裏昭陽舎(梨壺)跡

⑪平安宮内裏温明殿跡(内侍所)跡

⑫平安宮内裏東限と建春門跡

⑬平安宮内裏南限と建礼門跡

⑭平安宮内裏宜陽殿跡

 

⑮平安宮大蔵省跡・大宿直跡

⑯平安宮朝堂院大極殿跡

⑰平安宮西限と左馬寮跡・藻壁門跡

⑱史跡平安宮跡 豊楽殿院跡(豊楽殿跡)

⑲平安宮朝堂院昌福堂跡

 

⑳平安京一条大路跡

㉑一条院跡

㉒二条院候補地(陽成院跡)

㉓大学寮跡

㉔斎宮邸跡

㉕朱雀院跡

㉖西鴻臚館跡

㉗羅城門跡

 

㉘鞍馬寺

㉙大雲寺旧境内

㉚雲母坂

㉛雲林院

㉜遍照寺境内

㉝棲霞観跡(清凉寺)

㉞野宮(野宮神社)

㉟大堰の邸推定地

㊱法成寺跡

㊲廬山寺

㊳梨木神社

㊴鳥辺野

㊵大原野神社

 

㊶西三条第(藤原良相邸)

㊷紅梅殿

㊸六条河原院

 

㊹小野といふわたり

㊺松ヶ崎

㊻晴明神社

㊼宝塔寺

 

*説明板設置場所以外の源氏物語や紫式部にゆかりのある地

・賀茂別雷(上賀茂)神社

・賀茂御祖(下鴨)神社

・紫式部墓伝承地

・賀茂斎院跡

・引接寺石塔

 

 


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